「世界の音楽を破壊する」妄想から生まれた「ゾンビ音楽」とは

中世ヨーロッパ以来、美術や文学の世界で使われる「死の舞踏」というテーマがある。英語では「ダンス・オブ・デス」、フランス語では「ダンス・マカブル」。何やら物騒な響きのネーミングの背景には、14世紀のヨーロッパで猛威を振るったペスト(黒死病)への恐怖があるとされ、富める者も貧しき者も死ぬときはみんな同じ、というダウナーな平等主義、あるいはどうせ死ぬなら踊ってしまえ、という諦めにも似た楽観主義が見て取れる。

『フェスティバル/トーキョー15』のプログラムとして、11月12日にはじまるゾンビオペラ『死の舞踏』は、その平等主義を、斜め上の発想で現代に移植した意欲作&異色作である。主役は、機械仕掛けの楽器、お掃除ロボットのルンバなど生命を持たない無機物たち。それらにプログラミングと大仰な仕掛けを施し、約70分のオペラを上演するという。

同作は、数年前から「ゾンビ音楽」という人間を介さない音楽技法の開発に心血を注いできた安野太郎にとって過去最大の発表の場になる。そこに音楽ドラマトゥルクとして研究者の渡邊未帆、美術に「悪魔のしるし」主宰の危口統之が加わり、誰も観たことのない一大オペラが産声をあげる。日々クリエイションに挑む三人に、同作について話を聞いた。

「ゾンビ音楽史」に従って僕は活動しているんですが、そこに「2015年にゾンビオペラをやる」とあるんです。(安野)

―「ゾンビ音楽」「ゾンビオペラ」「死の舞踏」と、気になるワードが並ぶ本作ですが、この企画が立ち上がったきっかけはなんでしょうか?

安野:去年、ゾンビ音楽のセカンドアルバム『QUARTET OF THE LIVING DEAD』をリリースして、レコ発ライブをやったんです。それを『フェスティバル/トーキョー』(ディレクターズコミッティ代表)の市村作知雄さんが観に来てくれたのが最初の縁ですね。僕は自分のライブで、必ず「ゾンビ音楽史」というペーパーを配るんですけど……。

左から:安野太郎、渡辺未帆、危口統之
左から:安野太郎、渡辺未帆、危口統之

―ゾンビ音楽史とは何ですか?

安野:西暦4001年までの人類とゾンビ音楽の歴史があらかじめ書かれてあるんです。それに従って僕は活動しているんですが、そこに「2015年にゾンビオペラをやる」とあるんですね。

一同:ははは(乾いた笑い)。

安野:だからライブの後、市村さんに「ゾンビ音楽史読みました? 来年オペラをやることになっているんですけど」と伝えて。あらためてお会いした際に自分の妄想をぶちまけたわけです。

―自ら妄想と言ってしまってますが(笑)。それで今回の「ゾンビオペラ実現」に向かっていったわけですね。

安野:そうですね。

―その前に補足として聞いておきたいのですが、そもそも「ゾンビ音楽」とはなんでしょうか?

安野:端的に言えば、ロボットに演奏させる音楽です。コンピュータで制御した作りモノの指でリコーダーやクラリネットの音孔を押さえ、エアコンプレッサーから歌口に空気を送ることで音楽を奏でる。

―生者である人間ではなく、機械が演奏するからゾンビ音楽なんですね。

安野:そう。このシステムを使ってすべての木管楽器を演奏するのが目的の1つなんですけど、今回は技術も進んで、サックスやフルートなども加わった全16台編成になっています。

―そこにお掃除ロボットのルンバも加わるとのことで、着々とゾンビ音楽史が編纂されている、と。さらに今回はオペラということで、監修・考証を務める音楽ドラマトゥルクに渡邊未帆さん、舞台美術に「悪魔のしるし」主宰の危口統之さんが参加しています。

渡邊:私は去年の『F/T14』の『春の祭典』(演出・振付:白神ももこ×美術:毛利悠子×音楽:宮内康乃)で音楽ドラマトゥルクとして参加して、今年も『F/T15』新制作の作品ゾンビオペラに参加させていただくことになりました。安野さんとは東京藝術大学の助手として席を並べていたこともあって、ゾンビ音楽をやっていたことは知っていたのですが、正直ゾンビ音楽でオペラをやろうと思っていたとは驚きました。

ゾンビオペラ『死の舞踏』メインビジュアル 撮影:松本和幸 イラスト:古泉智浩
ゾンビオペラ『死の舞踏』メインビジュアル 撮影:松本和幸 イラスト:古泉智浩

危口:オペラやるの怖いですよね……。

渡邊:ねえ……。

―それはまたなぜ?

渡邊:オペラって、きっと作曲家なら人生で一度はやってみたいと思うであろう総合芸術ですからね。武満徹も志半ばで達成できなかった。

危口:安野さんからオファーされるまで、ほとんどオペラの知識がなかったんですよ。それで最初にいろいろ調べたんですけど、オペラファンの方が更新している鑑賞ブログを見たら「演出家はいつも余計なことをする。演劇から演出家を呼ぶのは本当にやめてほしい」とか、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていて。これはうかつなことはできないと……。

渡邊:古典作品の新演出は次々とされていても、新作オペラが上演される機会はごく少数なので、普通のオペラファンの方々は、古典の名作をスター歌手のすばらしい歌で楽しみたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。そういうオペラファンの人にもぜひこの作品を観に来てほしいですけどね。「誰が歌うんだろう?」と思いながら。

安野:「……人間じゃない!」と驚いてほしいです。

―安野さんは「オペラに挑戦!」みたいな気分はありますか?

安野:ゾンビ音楽史を書いている自分としては、挑戦しないといけないと思うんですけど、でも一人の市民としての僕は怖い(苦笑)。滅相もないという感じです。

危口:そもそも本当の意味での挑戦なんて、そんなにしょっちゅうできるものでもないですからね。お菓子会社だっていろいろ新商品を出すけれど、「のど飴の歴史に挑戦!」なんて大胆なこと考えているわけがない。

―毎月のように歴史が塗り替えられるのは、われわれみたいな芸術周辺を生業にしているメディア関係者だけなんですね(苦笑)。

安野太郎は背負っている歴史の壮大さが、ただの作曲家とちょっと違う。(渡邊)

―危口さんは、2011年にトーキョーワンダーサイト渋谷の単独公演『安野太郎のゾンビ音楽 QUARTET OF THE LIVING DEAD』の際に、ゾンビ音楽の装置を収めた棺桶のような美術を作っていましたね。安野さんとの久しぶりのコラボレーションになりますが、いかがですか?

危口:正直言うと、まだよくわかってないです……。最初に渡された妄想の企画書も意味不明でしたし(笑)。でも、安野さんが発する言葉の端々にすごく魅力的なものがあるんですよね。

危口統之

安野:そんなに意味不明ですか? 妄想はいろいろありますよ。僕がロボットを奴隷のように酷使しているのを可哀想に思った娘が「ZEALDs」っていう抵抗団体を作る。

―「SEALDs」ならぬ。

安野:そうそう。ZEALDsは「ドローンや軍事用ロボットを戦争に送るなー!」って主張しはじめて、巨大な反対運動に成長する。そして「Z(ズィー)シェパード」に改名して、陰から東芝やパナソニックの出資を受けて、ロボット愛護活動を世界に広げていく……。

安野太郎

―お二人は、日々こういう話を聞かされているんですね(笑)。

危口:そこは望むところで、積極的に妄想に乗っかっていきます。本当にZシェパードみたいなロボット軍産複合体を結成するならば、都市部ではなく僻地がいいだろう、とか。和歌山にイルカ漁の文化がありますけど、あのあたりはどうかとか……。

渡邊:安野さんの妄想が世界征服に辿り着いたあたりで、私は「ちょっとどうしよう……」って感じです(苦笑)。安野さんをヒエラルキーの頂点にしたゾンビ音楽が世界中に蔓延した未来を考えると、これは加担していいのかどうか……。

―みなさんノリノリですね(笑)。話を戻しますが、渡邊さんは音楽研究者の立場から安野さんの活動をどのようにとらえていますか?

渡邊:作曲家・安野太郎は、背負っている歴史の壮大さが、ただの作曲家とちょっと違う。なんていうんでしょう……。でもじつはもしかしたら、むしろ音楽史に真正面から向き合っている作曲家と言えるのかもしれません。あえて音楽史上に位置づけるなら、ヤニス・クセナキス(20世紀に活躍した現代音楽家・建築家。ル・コルビュジエの弟子でもあった)の延長に、私はマッピングしてみたい。クセナキスは数学や建築の発想を方法論に取り入れた作曲システムを作りました。彼は、人間が死に絶えても、作曲システムさえあれば音楽は存在するのか否かという命題に直面していた作曲家だと思います。ゾンビ音楽もまさにそんなことを私に考えさせてくれる音楽です。

渡辺未帆

危口:僕は大学で建築を学んだので建築史的に言うと……原広司が1990年代に発表した「未来都市500m×500m×500m」というプロジェクトがあるんです。地球外に建築を建てるという案で、ぱっと見は普通の直方体なんですけど、一辺が500mもある。

―実現性のほとんどないコンセプチュアルな建築ですね。

危口:でも、そうやって遠くまで想像力を伸ばしておくことは大事で、実現性や利便性だけを追い求めても世知辛くなっちゃうと思います。経済性だとか、今の社会を前提に最適化された建築を作っていくと、最終的には発想としてコンビニに近いものになっていく。それはそれで便利だし僕も好きだけれど、もっと特殊な環境下で実現するかもしれないアイデアについて普段からトレーニングしておくことは、いずれどこかで非常に強い貢献をするはず。

―想像力がポテンシャルを深める、と。

危口:安野さんの言葉の魅力というのはそこで、たとえば、稽古中から安野さんは「面白い / 面白くない」という基準を持ち出すことへの警戒心をしばしば表明しているのですが、そのセンシティブさはとても大事だと思います。

ポイントになるのは、ゾンビ音楽の「できてなさ」です。うまく音が出なかったり、誤作動したり、一種のノイズが発生したとき、そこに「キャラクター」が宿る。(危口)

―先ほどの渡邊さんと危口さんからのコメントを踏まえていかがですか? 安野さん。

安野:う~ん。うまく回答できないかも……。

―2013年のトーキョーワンダーサイト渋谷での単独公演も取材させていただき、「ゾンビ音楽の音色は、ヘロヘロでしょぼい」と書きました。でも、それこそ「面白い / 面白くない」という基準で物事をジャッジしているのと同じことで……。

安野:そうそう。「ヘロヘロになる」って表現は、ヘロヘロじゃない音楽を基準にしているだけで、完全に西洋音楽の耳で聴いちゃっているんですよ。それが必ずしも正しいとは言えないはずでしょ。

安野太郎

危口:安野さんのこの論法にいつも混乱させられるんです(笑)。

安野:とはいえ、結局聴くのは人間ですからね。人の価値観に基準があるのはしょうがない。それはよくわかっています。それに、ゾンビ音楽をはじめた動機も、じつは人間的で素朴な理由だったという自覚もあるんです。コンロン・ナンカロウっているじゃないですか。

渡邊:アメリカ生まれでメキシコに亡命した作曲家です。プレイヤーピアノ(自動ピアノ)で作曲し続けた。

安野:人間には演奏できない高速スピードの音楽を一人で孤独に作り続けたような人。「メキシコで作曲やるぞ!」って言っても、現代音楽のメインストリームではない国だし、一流の演奏家もほとんどいない。そんな環境に死ぬまで籠ってわけのわからない曲を作っていたコンロンの人生に、今の僕が置かれている状況をどうしても重ねちゃうんですよ。自分の曲を演奏してもらうにはプレイヤーのスケジュールを押さえないといけないし、ギャラも払わないといけない。でも、僕にはそうやって大人数とチームワークを構築していく環境がなかったから、完全に僕の命令を聞くうえに、今までの音楽のルールとは全然違うものを実現してくれる機械を自分の手で作ることを選択した。実も蓋もないけど。

―コンロンがメキシコに亡命したのも、スペイン内戦時に共産党に入党したせいでアメリカへの帰国を拒否されたからだそうですね。複雑なバックボーンを背負ったうえで自分の音楽を続けた人で、信念の人だとは思うけれど、やっぱり変人っぽい。

安野:僕はゾンビ音楽をやっていると、悪の帝王みたいな気分になることがあります。世界中にゾンビ音楽を広めて、すべての音楽をゾンビ化してやりたい(笑)。ゾンビ音楽は二進法の原則に従ってプログラミングされている(笛の穴を押さえる、外す)ので、すべての音楽を0と1に還元する。

渡邊:「世界すべてを0と1にしてやろう……!」というのが、悪の帝王からのメッセージですね。それは本当に考えるだけで恐ろしいことです。どっちつかずの部分や、あわいの世界がないのですから。

危口:でも、そのときポイントになるのは、ゾンビ音楽の「できてなさ」ですよね。0と1のデジタル的世界かと思いきや、うまく音が出なかったり、誤作動したり、一種のノイズが発生する。僕はそこにこそ「キャラクター」が宿るのだと思います。

左から:渡辺未帆、危口統之

―洗練された完璧な機械より、レトロな佇まいがある、ちょっとマヌケな機械のほうが、たしかに愛着がわきます。

危口:性能が十全に発揮された状態から、マイナスαするとき、マイナスされた部分からキャラが立ち上がっていく。今回使うルンバなんか特に顕著で、企業が作った大量生産のプロダクトなのに、一個一個キャラが立っていて、違いが現れる。

―使っている人間の側に愛着が宿るということですか? ポチとかシロとか名前を付けてしまったり。

危口:たとえば、何の因果かわからないけど、やたら熱心に掃除するルンバもいれば、すぐに充電しに帰るルンバとかも現れるんですよ。そこで僕らは「あいつはのび太で、こいつはスネ夫」みたいな目で見はじめちゃうんですね。個々の機械の「できてなさ」が、愛おしさをこちらにもよおさせる理由は、演劇的な目から見ても面白いんです。

いろいろな条件を縛りつけて、縛りつけて、限定しきって、そして最後に出てきた「百番しぼり」くらいのものが個性だと思っているから。(安野)

―それでは最後にお聞きします。今回のゾンビオペラ『死の舞踏』はどのような作品になるでしょうか?

渡邊:物語は、安野さんのゾンビ音楽史を土台に、『ハーメルンの笛吹き男』を題材にして私が構成したもので、いたってシンプルです。あくまで主役はゾンビ音楽。

ゾンビオペラ『死の舞踏』 イラスト:古泉智浩
ゾンビオペラ『死の舞踏』 イラスト:古泉智浩

―今回からの新要素として、ゾンビ音楽に人間の俳優が加わりますね。先日キャストが発表されましたが、新大久保鷹さん(唐十郎の「状況劇場」で活躍した大久保鷹をリスペクトする長身の怪優。最近は映画『進撃の巨人』に巨人役で出演)や山崎春美さん(『HEAVEN』など1970~80年代を彩る数々の名雑誌で活躍したライター、編集者。ロックバンド「タコ」のリーダーとしても知られる)など、アングラ・サブカル界的に胸熱な顔ぶれでした。

渡邊:最初は二人とも人は入れたくなかったんだよね。

危口:コンセプト的にはそうですね。これ、どこまで言っていいのかな……。今回の作品は人間性がすごく貶められているんですね。もちろん安野さんの言葉を借りれば「貶められている」っていうのは、われわれの目線からそう見えるだけで、ゾンビ音楽のフィクションのなかでは、俳優たちは高いプライドを持って生きている人間という設定なんですけど。でも、観客にとっては、おそろしく単調な重労働を強いられているようにしか見えないはずです。

渡邊:でも、わたしはちょっとそこに引っかかっていて。「ゾンビオペラ」を1つのオペラ作品にするにあたって、やっぱり人間と機械の間に生ずる拮抗が描かれないといけないと思っています。

左から:安野太郎、渡辺未帆、危口統之

―そこは難しいかもしれないですね。「人間の意図を排する」ことがゾンビ音楽のミッションだとすると、今回は人間の情動や身体の反応が避け難く発生する可能性が高いわけですし。

安野:渡邊さんの言っていることはすごくわかります。でも、僕の場合は、いろいろな条件を縛りつけて、縛りつけて、限定しきって、そして最後に出てきた「百番しぼり」くらいのものが個性だと思っているから。

渡邊:無理して個性を出せってわけじゃなく。

危口:ルンバにも個々の個性があるわけで、うまく(人間と)対比できたらいいですよね。

渡邊:当たり前だけど、機械と人間、同じ指示を与えたとしても、フィードバックは全然違うでしょ。機械も人間も限界に達したときに出てきてしまったものがなんなのかには興味あります。あと、さっき装置のテストで発覚したのですが、機械だと簡単にクリアできることが、人間ではまったくできなかった!

安野:本末転倒な状況だよね(苦笑)。

渡邊:現場では、日々、そういうことに直面してハラハラするけど、面白いです。機械のエラーと人間のミス。どちらもノイズだけど、それが組み合わさることで、何か別のことが起こるかもしれない。

―いろんなことがネタバレになってしまうので、今日の取材で見せていただいた風景は明かせないですが、本番で人間と機械の関係がどうなっているか楽しみです。ありがとうございました。

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