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寺尾紗穂と再び東東京へ。辿り着いた、あるドイツ人宣教師の痕跡

寺尾紗穂と再び東東京へ。辿り着いた、あるドイツ人宣教師の痕跡

BLOOMING EAST
テキスト
大石始
撮影:豊島望 編集:宮原朋之(CINRA.NET編集部)

実際に鐘ヶ淵を探索。地図をもとに手がかりを探す

鐘ヶ淵の住宅街の一角に、コンクリートに囲まれた小さな公園があった。その名もカネボウ公園。ここはかつてカネボウの敷地だった場所で、片隅にはカネボウ発祥の地であることを伝える石碑と戦災供養塔が建っている。石碑の後ろにはカネボウと鐘ヶ淵の関係について解説されているが、キュックリヒのことは一言も触れられていない。それを見た寺尾は「やっぱりキュックリヒさんがいたという痕跡も全く残ってないんですね」とつぶやいた。

カネボウ公園
カネボウ公園
石碑に刻まれた文字を丹念に読み解く
石碑に刻まれた文字を丹念に読み解く

鐘ヶ淵探索の重要な手がかりとなるのが1941年(昭和16年)の地図だ。地図上では隅田川と荒川、綾瀬川に囲まれた一角にカネボウの敷地が広がっており、キュックリヒが立ち上げた福音教会の文字も見える。地図上では工場を取り囲むように社宅が並んでおり、その場所では現在もいくつかの町工場が操業している。寺尾も目の前の風景と地図を見比べながら、「これはおもしろい。東京西部と比べると、まだまだ古い家が残っていますね」と目を輝かせる。

プロジェクトのスタッフらと当時の地図を参照する
プロジェクトのスタッフらと当時の地図を参照する
ところどころ当時の地図から変わらずに現存する家屋が見受けられた
ところどころ当時の地図から変わらずに現存する家屋が見受けられた

社宅が立ち並んでいた一角を抜けると、鐘ヶ淵駅と堀切駅のあいだを結ぶ東武伊勢崎線(東京スカイツリーライン)の線路沿いに出た。道端には菜の花が黄色い花を咲かせていて、春の到来が近いことを伝えている。次の場所に移動する車のなかで、寺尾がぽつりぽつりと話し始める。

春の兆しを感じる東武伊勢崎線の線路沿い
春の兆しを感じる東武伊勢崎線の線路沿い

寺尾:やはり碑のような目に見える形で残す運動をしておかないと、次の世代には引き継がれないのだということを痛切に感じますよね。社史も同じで、カネボウがキリスト教精神を取り入れて良心的な経営をしていたこと、その中心に教会の活動があったはずなのに、きちんと記録していなければ、なかったことになってしまう。

価値がきちんと伝わらないまま後世の人に壊されてしまうんですよね。「きちんと残すこと、伝えること」とはどういうことなのか、書き伝える仕事をしている私自身にも突き付けられたような気持ちになりました。

カネボウ公園にあった碑の裏側。碑の由来が記されている
カネボウ公園にあった碑の裏側。碑の由来が記されている

終戦直後の若者にとって、とても大きな存在だった教会という場所

この日最後にお話を伺ったのが、かつての鐘ヶ淵と教会の関係について知る小用行男さん。1935年(昭和10年)に墨田区押上で生まれた小用さんは、戦後まもない時期から墨田区八広の曳舟教会に通う一方、カネボウの女工だった方と結婚した。小用さんは現在83歳とは思えない快活さで、キリスト教に関心を持ったきっかけについて話し始める。

小用さん:終戦直後、宣教師が町中で聖書を配布することがあったんですよ。私の場合は浅草松屋の横でそれを受け取りまして。母親は私が3歳のときに亡くなっているし、父親は病気で、妹はまだ小学校2年生。

貧乏していたことも影響して、関心を持つようになったんです。それで寺島(現在の京島)4丁目にあった興望館セツルメント(生活向上のための社会運動と、付随する宿泊所、授産所、託児所などの設備)のなかの曳舟教会に通うようになるんですね。

取材に応じてくださった小用行男さん
取材に応じてくださった小用行男さん

当時、曳舟教会に通っていたのは平均年齢19歳という若い世代。いずれも未来の見えないなかで藁をも掴むような思いで教会へやってきた若者たちばかりだった。小用さんも生活のため牧師になろうとしたことがあったそうだが、叔父の援助を受けてメッキ業を始めることに。20歳のとき独立し、身体を壊して工場を畳むまで、がむしゃらに働いた。

小用さん:私の友人にも孤児だった男がいますけど、教会があったから救われた。私だって教会がなかったら町のチンピラになっていたかもしれないわけで(笑)。

小用行男さん

曳舟教会と鐘ヶ淵紡績は密接な関係を持っていたようで、小用さんは「昭和27~8年かな、鐘ヶ淵紡績のグループが何人も曳舟教会を訪ねてきました」と当時のことを振り返る。戦前の女工たちを苦しめた厳しい労働環境は改善され、カネボウのなかの福利厚生施設で合唱サークルが立ち上がるなど、レクリエーションの機会も多かったようだ。小用さんと奥様はその合唱団で活動し、奥様の亡くなった後も小用さんは合唱を続けているという。寺尾は小用さんとの会話をこう振り返る。

寺尾:「教会がなかったら町のチンピラになってたかも」という小用さんの言葉は心に残りましたね。空襲こそ逃れたものの、父母を亡くした青年を支え続けた信仰というものの力を感じました。

小用さんは教会と関わられたころからずっと合唱を続けておられるわけで、信仰一辺倒のストイックなものだけでなく、それと共に賛美歌含めた音楽があったということも素敵ですね。

寺尾紗穂
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イベント情報

「BLOOMING EAST x 寺尾紗穂 リサーチ」

本リサーチは、これからも続きます。今後も東東京を軸にして、多様な価値観や文化と出会いながらプロジェクトを進めていくにあたって、お話を伺わせていただける方や訪問場所についての情報を募集しています。主に東京の東側で、戦災孤児に関する情報、戦前からあるキリスト教教会に関する情報をお持ちの方は、メールにてお寄せください。

プロフィール

寺尾紗穂
寺尾紗穂(てらお さほ)

1981年11月7日生まれ。東京出身。大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」の主題歌を担当した他、CM、エッセイの分野でも活躍中。2014年11月公開の安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)に主題歌を提供している。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。10年続けることを目標に取り組んでいる。著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)「愛し、日々」(天然文庫)「原発労働者」(講談社現代文庫)「南洋と私」(リトルモア)「彗星の孤独」(スタンド・ブックス)がある。

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