
映画『うたのはじまり』の試み。ろう者に音を届ける「絵字幕」
『うたのはじまり』- テキスト
- 村尾泰郎
- 編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)
歌をどこまで観せられるか。映画『うたのはじまり』が目指した新しい試み
「歌」はどこから生まれるのか。映画『うたのはじまり』は、生まれてから一度も音楽を聴いたことがないろう者(聴覚障がい者)を通じて、歌を発見していくドキュメンタリーだ。映画に登場するのはろう者のカメラマン、齋藤陽道。齋藤は子どもの頃に受けた音楽教育がきっかけで、自分には理解できない音楽に苛立ちを覚え、それ以来、音楽のことが嫌いになった。やがて、同じろう者のカメラマン、盛山麻奈美と結婚。二人は樹(いつき)という聴者(聴覚障がいのない者)の息子を授かる。映画では齋藤が子育てをする様子を紹介しつつ、齋藤が歌とはどういうものかを探す姿を描き出していく。監督を務めたのは河合宏樹。七尾旅人の音楽ドキュメンタリー『兵士A』(2016年)、小説家・古川日出男の朗読劇を追った『ほんとうのうた~朗読劇「銀河鉄道夜」を追って~』(2014年)など、これまで河合は表現の可能性をめぐるドキュメンタリーを手掛けてきた。そして、『うたのはじまり』を完成させた河合は、それを上映する際に新しい表現を試みることにする。それが「絵字幕」だ。
『うたのはじまり』はろう者にも観てもらうため字幕が付けられたが、そこで河合は音楽をどんな風にろう者に伝えるか、その表現方法を齋藤と相談。そこで齋藤の発案をもとに取り入れたのが「絵字幕」だった。絵字幕を手掛けるのは、画家、漫画家、そして、ミュージシャンでもある小指(小林紗織)だ。彼女は音楽を聴いて頭の中に思い浮かんだイメージを五線譜に描く、「スコア・ドローイング」という作品を発表してきた。『うたのはじまり』は「通常版」「絵字幕版」の2パターンが制作される予定だが、「絵字幕版」の歌が流れるシーンでは、映画に登場する歌をスコア・ドローイングしたものが絵字幕として使用される。
その新しい試みを実現するにあたって、キャストや一般の聴覚障がい者に絵字幕付きの試写を観てもらい、その意見を字幕制作に反映させる「字幕モニター検討会」が2020年1月20日に行われた。参加したのは、河合監督、出演者の齋藤陽道と盛山麻奈美。二人のモニター(一人はろう者で、もう一人は難聴者)。字幕制作のスタッフ。映画制作関係者といった面々。映画は作品ごとに表現が違うため、字幕には共通した制作ルールはなく、毎回こうした検討会を開いて意見を聞きながら字幕を作り上げるらしい。参加者の手元には映画に使われた字幕をリストにした資料が手渡され、試写を見ながら気になった点があれば細かにチェック。そして、試写後に映画の頭から順番に各自がチェックした箇所を発表するという流れだ。もちろん、そこには手話通訳が入る。
映画『うたのはじまり』予告編
歌のはじまる瞬間を、視覚的に感じ取る。
まずは試写。映画を観ながら、この映画が「聞こえない」ということを意識しながら字幕を追ってみる。そうすると、いかに日常に音の情報が溢れているかに気付かされた。また、絵字幕が出た瞬間、耳をふさいで絵字幕を観ながら音楽を思い浮かべたりもした。絵字幕は音楽から影響を受けたカンディンスキーの絵画や現代音楽の図形譜面に通じるものを感じた。抽象的だが、幾何学的というより未知の生きものみたいで不思議な生々しさがある。それは音楽を聴いているときの小指の心の動きが描かれているからだろう。試写後の検討会で、絵字幕には歌だけではなく、歌に混じっている環境音も描き込まれていることを知った。絵字幕は直感だけではなく、細かな観察をもとに描かれているのだ。
映画ではいくつも興味深いシーンがあった。例えば出産シーン。樹を出産した直後、盛山が長い嗚咽のような声を漏らすのだが、そこに独特の抑揚があって歌のように聞こえる。そして、齋藤が樹をあやすとき、メロディーなんて知らない彼が、節をつけてオリジナルの子守唄を歌い始めたことにも驚いた。それはまるで、樹が二人に歌を運んだようだった。また、様々な経験を通じて歌について考えるようになった齋藤が、地面に咲く一輪の花を見て「歌っぽい」と感想を漏らすシーンや、齋藤家を訪れた七尾旅人と樹がセッションするシークエンスでは、タイトル通りに「うたのはじまり」を感じさせた。
作品情報

- 『うたのはじまり』
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2020年2月22日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開
監督:河合宏樹
出演:
齋藤陽道
盛山麻奈美
盛山樹
七尾旅人
飴屋法水
CANTUS
ころすけ
くるみ
齋藤美津子
北原倫子
藤本孟夫
ほか
配給:SPACE SHOWER FILMS