「フジワラノリ化」論 −必要以上に見かける気がする、あの人の決定的論考− 第4回 関根麻里 其の二 なぜ彼女は司会進行を手に入れるのか

其の二 なぜ彼女は司会進行を手に入れるのか

サラブレッドであるにも関わらず、その血統に頼らない、父・関根勤からの矢印に頼らない、それが関根麻里なのだと序章である前回に書いた。関根麻里はデビューしてからまだ2年半である。芸能界のみならずどの世界においても、何かを成し遂げる、もしくは何がしかの方面での仕事を安定供給するには、まだまだ至らなくて然るべき短き歳月である。例え芸能界が親の七光りでどうにかなる職場だとしても、関根麻里は「レギュラー9本中、7本がメインMCという快挙」なのである。加えて、現状の彼女を下降線と捉える人は少ないだろう。2年半で確かな実績を得て、更に上昇しようというのである。改めて言うが、関根麻里は親の七光りではないのである。

レギュラー番組の前に彼女が出演するCM(もちろん主役)を観ておきたい。2009年1月時点で契約CMは4本。その中でも「共栄火災海上保険」のCMは外せない。保険会社のCMらしく、テーマは「smile,smile,smile.」である。このテーマから想起し関根麻里をブッキングしたプランナーの判断は実に適確だ。CMは友人と流れ星を見るシーンから始まり、「感動、スマイル」とテロップが入る。以降、テロップのタイミングで関根麻里は必ず笑顔を見せる(あえてCM紹介ページのURLは載せない、頭で想像していただきたい)。ローカル線の小さな駅に降り立った関根麻里は女友達と団子をほおばる(ここでテロップ「しあわせ、スマイル」)。バースデーパーティーで(彼氏ではなく)家族に祝われた関根麻里(テロップ「愛情、スマイル」)。少年野球のマネージャーを務める関根麻里。ギリギリのタイミングでホームベースに戻ってきたランナーがセーフになって弾ける笑顔(テロップ「がんばれ、スマイル」)。締めは「沢山の笑顔を明日に繋げます」とのナレーション後に、笑顔の関根麻里が「スマイル、前進!」とハツラツに宣言して終わりだ。火災保険のCMとして安全な仕上がりだが、これは関根麻里論としても好いサンプルになる。笑顔=スマイル、関根麻里を語る上で重要なキーワードである。その笑顔を「感動、しあわせ、がんばれ」と繋げた。決して一人では笑顔は作られない、支えがあって、笑ってくれる人がいて、初めて人は笑えるのだと。保険会社の意図を関根麻里の笑顔に代表させているわけである。

関根麻里がなぜ司会(メインMC)を務められるのかを考えていきたいのだが、実は保険会社の意図と変わらない。それは、司会という職種が、相手へ気を配る職種だという所による。司会となると、皆さんは明石家さんまだ島田紳助だと名を並べるかもしれないが、そうではなく、例えばスタジオに1人いて、茶の間に話しかける司会だって多いわけだ。その際に求められるのは、茶の間への気配りである。茶の間というのは、厳しくはないが面倒ではある。視聴者は基本的に、気に食わない人を見つけながらテレビにかぶりついているものだ。NHKの「MUSIC JAPAN」の司会を一人で務める彼女は、思いっきり笑顔で次々とミュージシャンを紹介していく。基本的にはたった一人である。バンドの紹介を繰り返す。過不足無い紹介が連なる。愛情を均等に、笑顔も均等に。

第4回 関根麻里

バラエティアイドルというジャンルを認めていいのか分からないが、大沢あかねや木下優樹菜のように、主戦場をバラエティとする女性タレントが増えてきている。さかのぼれば森口博子がそうだったように、まずは、ある程度のバカとある程度のボケで、突っ込み待ちの体制を作らなければならない。いじられることで存在感を増していく。そしていつの間にか逆転現象が生じ、今度は物怖じせず突っ込むアクションを見せつけるのだ。大沢も木下も、そして若槻千夏も、今やその突っ込み能力が生命線である。ドラマでもグラビアでもないという意味でバラエティを主戦場としている関根麻里だが、彼女は突っ込むことに前のめりにならない。ここでベッキーをじっくりと考えてみよう。今のベッキーはすこぶる強い。司会進行能力を持ちつつ、相手への突っ込みを度が「過ぎる」レベルで放つ。色々と臆さずにやりつつ、その番組の、そのコーナーの落ち着き所を外さない。仲間由紀恵の不安定な紅白司会の後に見た「CDTVスペシャル」でのベッキーは、年明けの「浮かれ」を保持させつつ適宜トークを回し誰それのトークも進行を妨げることなく進める見事なものだった。「月光音楽団」というトーク番組があるが、ベッキーを仲間内のまとめ役に配置し、安田美沙子、夏川純、山本梓をその仲間に据えてゲストを招いてトークしていく。「女友達のまとめ役」、実はベッキーの説明はこれだけで事足りている。女友達をまとめるというのは、例えば学級委員をやってみるとか生徒会で先生側に物申してみるとか、言われがちな頑張ってる生徒よりも、より信頼を得ているものなのだ。ベッキーはそういう存在だ。バレエティタレントとしての極みにあると言って良い。

関根麻里はその点において、バラエティタレントではない。どっちかというと生徒会寄りである。だから未だに同級生からの信奉については、大まかな確証しか得られない。「生徒会的」という言い方には秀才という側面も付記される。バイリンガルであり、米エマーソン大学卒業(マスコミ系に優秀な人材を輩出しているらしい)という経歴は「勉強ができそう」というイメージを固めるには強いエピソードである。木下や大沢は意識的にバカである。ベッキーは抜群の取捨選択をして、生徒会にはならずに女友達をまとめる役に徹した。突然名前を出してみるが、菊川怜では嫌われる。最初っから秀才が発動するからである。あれでは女子トイレで噂されてしまう。関根麻里は、ベッキーでありながら、ベッキーの後に菊川怜を持ち出せる。これであれば嫌われない。話を聞きたくなる秀才である(事実、関根麻里は宮城県の学習塾「あすなろ学院」のイメージガールを務めている)。

司会(もしくはコーナー担当)を務める番組HPで彼女はこのように紹介されている。「麻里ちゃんの普段着トークで気軽に楽しく紹介します」(シネマ堂本舗)、「持ち前の明るさと人なつっこさで」(スッキリ!!)、「持ち前の明るさと優しさでゲストを和ませてくれます」(誰だって波瀾爆笑)。こんな紹介、他の誰に許されるだろう。繰り返すが、「普段着トーク」である。極めつけは自身のHPに載った年始の挨拶である。「この厳しい時代に、少しでも関根麻里の笑顔でみなさんを癒すことができればと思っております。そして更なる大きな舞台に羽ばたけるよう頑張りますので、今年も応援を、よろしくお願いいたします!!」。こんな挨拶、他の誰に許されるだろう。関根麻里は笑顔を貫く。貫かれた笑顔で確実に仕事をする。関根麻里がクラスにいたとする。クラスのみんなも、先生も、上級生も下級生も、用務員も、保護者も、誰も彼女を責めないのだ。責められないのだ。そういう人が自身の立ち回りを理解すれば、その人は自ずとクラス議長になったりするもんなのだ。関根麻里は芸能界という大海原でその適役を担っている。実に大役である。これからも更に、ちょっとした司会業など、難なくこなしていくだろう。

次回は、その関根麻里の親である関根勤との関係性を考察しながら、「息子の嫁に、というツボに突進していく関根麻里」というテーマで論を重ねていきたい。



フィードバック 1

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Life&Society
  • 「フジワラノリ化」論 −必要以上に見かける気がする、あの人の決定的論考− 第4回 関根麻里 其の二 なぜ彼女は司会進行を手に入れるのか

Special Feature

Crossing??

CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

詳しくみる

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて