YEN TOWN BANDは、なぜ20年ぶりに本格的に復活するのか?

『YEN TOWN BANDは、なぜ20年ぶりに本格的に復活するのか?』 Vol.1 小林武史インタビュー このバンドについて今話しておくべきこと

1990年代を彩った「架空のバンド」が、約20年の時を超えて、再び動き出す。しかもそれはノスタルジーのための復活ではなく、今の時代の潮流に対してオルタナティブな価値観とメッセージを伝えるための媒介として、新たな息吹と共に再始動する。そのことの持つ意味を掘り下げたのが、今回のインタビューだ。

9月12日、新潟で開催される『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015』にて、12年ぶりのライブを行い、10月13日からは、19年ぶりの新曲“アイノネ”が全国JFL5局のラジオにて独占オンエア開始となるYEN TOWN BAND。さらに10月からは全国5都市を巡るライブイベント『JFL presents LIVE FOR THE NEXT supported by ELECOM』に出演することも発表された。

YEN TOWN BANDとは、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽を担当した小林武史のプロデュースにより、劇中に登場した架空のバンドだ。ボーカルは、主人公グリコ役を演じたChara。シングル『Swallowtail Butterfly ~あいのうた~』、そしてアルバム『MONTAGE』はオリコンチャートでもシングル / アルバム同時1位となり大ヒットを記録した。

小林武史は再始動にあたり「伝説的な入れ物に新たな魂を吹き込んで行きたい」――というコメントを発表している。1990年代にプロデューサーとして数々の大ヒットを手掛けた彼は、2000年代以降、非営利団体「ap bank」を立ち上げて環境や社会のあり方にも大きく関わり、東日本大震災以降は東北への復興支援を続けてきた。そんな彼が、なぜ今、YEN TOWN BANDの再始動に可能性を感じたのか。その背景を聞いた。

世界の画一化が進んでいく中、一方では、いろんなクリエイティビティーや美意識もある。そこにフォーカスを当てていくことが、今とても重要なテーマだと思っているんです。

―まず、なぜ今このタイミングで、YEN TOWN BANDを再始動させようと考えたのでしょうか。

小林:きっかけは『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』のディレクター・北川フラムさんから「何か一緒にやらないか?」とオファーをいただいたことでした。それで、現代アートのフェスティバルに僕が協力できることって何だろう? と考えたとき、YEN TOWN BANDをやるべきなんじゃないかと思ったんです。先日、2017年春に石巻市とap bankなどで作る実行委員会が主催する芸術祭『Reborn-Art Festival』を発表しましたが、じつは『大地の芸術祭』に影響を受けているところもすごくあります。グローバリゼーションで世界の画一化が進んでいく中、一方では、経済依存型の生き方一辺倒ではない多様な人々の営みが存在している。いろんなクリエイティビティーや美意識もある。アートを通してそこにフォーカスを当てていくことが、今とても重要なテーマだと思っているんです。

小林武史
小林武史

―YEN TOWN BANDは、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の劇中に登場する架空のバンドでした。しかし、それだけではない意味を持ったバンドだったということでしょうか?

小林:『スワロウテイル』は、「円」の景気で溢れかえっている大都市の裏側「円都(YEN TOWN)」で逞しく生きる、アナーキーな人たちの営みを描いた作品でした。「円都」は、決して体制側や多数派ではない人々が多様なぶつかり合いを見せている場所。一攫千金を求めて「円都」に集まる人々を描く一方で、それだけではないリアルな人間らしさ、命の面白さを描いていた。YEN TOWN BANDはそんな世界に存在しているバンドだったんですよ。

―たしかに『スワロウテイル』は貨幣や移民をテーマにした映画で、YEN TOWN BANDはその象徴のようなバンドでした。それは20年経った今も古びていないし、現状にも対応しうるモチーフであると。

小林:もし仮にYEN TOWN BANDを20年前からバンド稼業のように続けていたら、正直続いてなかったと思います。その選択肢は考えもしなかったし。でも僕としては、あのバンドに込めたコンセプトがそう簡単に古びるものではないとはわかっていたんですよ。映画の制作中、岩井(俊二)くんからYEN TOWN BANDのアイデアと「映画の中でフランク・シナトラの“My Way”を演奏してほしい」と言われたときのことを覚えているんですが、「僕はそのYEN TOWN BANDを知っているよ」って彼に答えたんです。

―知っている、というのは?

小林:YEN TOWN BANDの姿を、僕の中でリアルに思い浮かべることができたんです。当時、ニューヨークにあったウォーターフロントスタジオ(充実したヴィンテージ機材が有名で、Mr.Childrenのアルバム『深海』もここで録音された)によく行っていたんですが、そこにはヘンリー・ハーシュというエンジニアがいて、多様なヴァイブを持つニューヨークのミュージシャンが集まっていた。彼らの雰囲気が、岩井くんの言うYEN TOWN BANDに通じるものだと思ったんですね。まるで「円都」やYEN TOWN BANDが拠点にしていた「YEN TOWN CLUB」に集まる多様な人々のようでした。「YEN TOWN BANDを知っている」と言ったのはそういうことだったんです。

YEN TOWN BANDは、経済合理性で成り立つシステムからハミ出して、生々しい空気感が好きで集まっているバンドという関係性を表したかった。

―20年前にYEN TOWN BANDに込められたコンセプトを、もう少し具体的におうかがいしてもいいですか?

小林:少し専門的な話になるけれど、1980年代はデジタルな打ち込み音が流行し始めた頃で、テクノやダンスミュージックだけじゃなく、バンド演奏でも、ドラムのキックやスネアを聴きやすい電子音に差し替えていく時代だったんです。つまり機材の高性能化に合わせて音楽の作り方が合理的になった。そうすると、どの曲を聴いていても同じようなサウンドが同じ音量で聴こえてくるんですよ。ウォーターフロントスタジオはそんな状況の中で、ヴィンテージ機材をたくさん揃えたアナログレコーディングで独自の音を追求していました。もともとはレニー・クラヴィッツが愛用していたスタジオなんですよね。

小林武史

―レニー・クラヴィッツのデビューアルバム『Let Love Rule』(1989年)は、キラキラした1980年代のサウンドとはまったく違う、丸く温かみのあるサウンドでした。

小林:当時、レニー・クラヴィッツの音に大きな衝撃を受けたミュージシャンはたくさんいて、僕自身もその一人でした。彼は1960、70年代に使われていたヴィンテージの機材を使って、演奏現場にある臨場感や空気感をそのまま閉じ込めようとしていた。そうすると後で音を差し替えることができないから、どんな音を出したいのか? という「初期衝動へのこだわり」をものすごく重んじて録音することになるんです。そんな研ぎ澄まされた状況で生まれる音楽は、演奏する人の息づかいや命がより見えてきて、ロックの持つ「自由な感覚」にもつながっている気がします。ウォーターフロントスタジオで僕が体験したのは、そんな多様な人々を生々しく捉えたバンドの在り方、音の在り方だったんです。

―そういった濃厚な空気感、生っぽさを含んだサウンドを求めて、YEN TOWN BANDのデビューアルバム『MONTAGE』(1996年)もウォーターフロントスタジオでレコーディングされたわけですね。

小林:まさに。YEN TOWN BANDのイメージを表現するにはヴィンテージ機材がピッタリでした。不自由だし、制限もあるけど、そのほうがサウンドに臨場感が出る。経済合理性の中で成り立つシステムからハミ出して、この生々しい空気感が好きでメンバーが集まっているバンドという関係性を表したかったんです。

音楽って面白いもので、“Swallowtail Butterfly ~あいのうた~”が、なぜ僕やYEN TOWN BANDの歌として特別になったのか、その理屈がいまだにわからない。

―1990年代に小林さんは、様々なアーティストをプロデュースされていましたが、YEN TOWN BANDはその中でどのような位置づけになるのでしょうか?

小林:『スワロウテイル』のサウンドトラックに“Gold Rush”という曲があって、映画の中盤でも、偽札偽造でお金持ちになった人間が故郷に戻るシーンがあるのですが、実際、1990年代は音楽業界もゴールドラッシュのようなところがありました。今の時代は、エンターテイメント業界全体が巨大化しつつも、アニメやアイドルのキャラクター性が前面に出ていて、音楽がその付属物になっているところがあるけれど、1990年代は音楽自体がマスに広まった時代だったんですね。そのマス化を、僕はサザンオールスターズの桑田さんとの付き合いの中で学ばせてもらったし、一方で小さいころから聴いていたプログレッシブロックからの影響もあって、音楽を不可思議なものとして捉える素養もあった。僕は、そんな両極端のものが結びつきながら音楽をマス化してきたプロデューサーだと思っています。その流れの中にYEN TOWN BANDもあったけど、じつはここだけが違うんですよ。「合理化していく時代へのアンチテーゼ」があった。

YEN TOWN BAND『MONTAGE』ジャケット
YEN TOWN BAND『MONTAGE』ジャケット

―1990年代は「J-POP」という言葉と共に、ミリオンセラーのCDがいくつも生まれ、まさに音楽がマス化していった時代でした。小林さんはその時代を担ったプロデューサーの一人ですが、時代の立役者でありつつ、それに対してのオルタナティブなものとしてYEN TOWN BANDを位置づけていた。

小林:そうですね。いわゆるポップミュージックとしての在り方とは違うものとしてYEN TOWN BANDを捉えていました。それは何かというと、初期衝動を含むロックの自由な魂みたいなもの。レニー・クラヴィッツを聴いたときの衝撃から、それを取り戻さないといけないと気づいていたんです。

―そういった感覚を込めたことが、YEN TOWN BANDが今でも有効であることにつながってくるわけですね。

小林:ただ、それだけではYEN TOWN BANDはここまで長く続いていなかったと思うんです。自分でも決定的だったと思うのは、“Swallowtail Butterfly ~あいのうた~”があったこと。あの曲が持っている独特の雰囲気は今でも心が動かされるし、イントロを聴くと蘇るあの感覚がないと、YEN TOWN BANDは絶対に成功しないと思っていました。

小林武史

―YEN TOWN BANDといえば、“Swallowtail Butterfly ~あいのうた~”というくらい、象徴的な曲として、幅広い世代のアーティストにカバーされています。小林さんにとってもキーとなる1曲だった。

小林:岩井くんから頼まれてもいなかったけど、”My Way”のカバーだけやっても意味がない、エンドロールに流れるとんでもない1曲が絶対に必要だと感じて、本当に探していました。ある日、スタジオでエレピをポロポロと弾いていたら「えっ!?」っていう瞬間があって、イントロのメロディーが降りてきた瞬間に確信した。サビのメロディーができたときにはもう全てが見えていました。「やった!」と思いましたね。これは本当にそう感じた。その興奮は、岩井くんもCharaも、当時はあんまりわかってくれなかったんだけど(笑)。

―そうだったんですね。

小林:ただ、音楽って面白いもので、それがなぜそうなのか、あの曲がなぜ僕にとってそんなに特別で、YEN TOWN BANDの歌として魂の旗頭になれたのか、その理屈がいまだにわからないんですよ。とにかくある日、この曲が絶対に重要になると確信した。長く残っていく作品には、象徴的な何かは絶対必要なんですよね。それは今でも思っています。もちろんアルバム全体を作るプロデューサーではあるけれど、やっぱり1曲の重要性も知っているから。

単純でわかりやすくて強いものに導かれる方向に、どうしても行きがちではありますよね。

―ゼロ年代に入り、小林さんは環境保護や自然エネルギー促進事業などをバックアップする非営利団体「ap bank」を立ち上げます。その活動が、今回のYEN TOWN BANDの復活とつながっているという考えもお持ちでしょうか。

小林:それはありますね。YEN TOWN BANDが『大地の芸術祭』で復活することとも全部つながっている。というのも、新潟県の越後妻有地域で3年ごとに開催される『大地の芸術祭』は過疎をテーマにしているところもあります。里山に世界中からアーティストを呼んで、地元の人たちとの不思議なつながりを作ることで、命がもう一度響きあうようなことをやってきた。ap bankとして東日本大震災の復興に関するプロジェクトもやってきたけど、過疎や人口流出の問題って、ずっと以前から続いているわけですよね。で、そういうテーマと『スワロウテイル』でのYEN TOWN BANDの在り方もつながっている。

岩井俊二がデザインした新しいYEN TOWN BANDのロゴ
岩井俊二がデザインした新しいYEN TOWN BANDのロゴ

―YEN TOWN BANDと過疎の問題はどうつながっているのでしょう。

小林:そもそも「円都」という場所が、大都市のど真ん中なのか外れなのかもわからないし、いずれにしても取り残されている場所なんですよ。そういう、取り残されていったものの中にも命は宿っているし、むしろそこに本質が隠れていたりする。『MONTAGE』を作っていたときにも、同じような思いを感じたんです。ニューヨークのウォーターフロントスタジオだって、廃墟ビルの中にミュージシャンが集まって、自分たちで勝手にスタジオを作っていたのが格好良かった。レニー・クラヴィッツも普通に遊びに来ていたからね。

―取り残されたものに本質が宿るというのが大事なポイントなんですね。そして、それは20年経った2015年の今にも有効な価値観である。

小林:この不穏な時代だからこそ、より大事な考え方になっていると思います。1つの強いものにみんなが従っていくのは合理的な考え方だけれど、そうじゃない。むしろ取り残されていくものの中に大切な何かを見出す。そこに、ロックの持つ自由な魂みたいなものも存在しうると思いますね。

―今は特に、ポップミュージックにしても、社会の潮流にしても、一体感というものが大きな力を持っていると思います。そういう時代であるからこそ、パーソナルな「個」の力が重要になってくる。

小林:単純でわかりやすくて強いものに導かれる方向に、どうしても行きがちではありますよね。でも、「みんなでわかりあえる」ことよりも、むしろ、「わかりあえなくても支えあえる関係性」というものがあると思う。個々の間でそういうものが生まれたらいいと思う。

―そういった今の時代の空気を感じられたからこそ、YEN TOWN BANDという入れ物の有効性を、再び見直してみるきっかけになったと。

小林:そうですね。岩井くんと僕の中でずっと感じてはいたんだけど、なかなか開けるタイミングがピンとこなかった。今、世の中にリバイバルはいっぱいあるけど、そういうつもりでは全くなかったから。

―単なる復活ではないわけですね。

小林:ないですね。懐かしむためにやっているわけではない。今の時代に意味があると思って始めたことだし、すごく楽しくやれている。新しい曲もできているからね。

小林武史

―先ほど、新曲“アイノネ”のデモ音源を聴かせていただき、人と人とがつながっていくような、大きな包容力のある曲だと感じました。『大地の芸術祭』の復活ライブでもこの曲を披露する予定はありますか?

小林:もちろん。波紋のような、共振のような感覚になったらいいなと思っています。

―『大地の芸術祭』での復活ライブは、どういうものにしようというイメージがありますか?

小林:やっぱり、全てのきっかけは『大地の芸術祭』だったので、始まりになるようなものにしたいですね。YEN TOWN BANDをやることは、僕らが生きている社会や、ap bankで今までやってきた東北の支援や復興と向き合うことにもつながっている。大きな強い力やシステムに依存するのではない、オルタナティブな在り方を探るためにYEN TOWN BANDという入れ物のフタを開けた。そうした以上は、『大地の芸術祭』のみで終わるつもりはないということです。だから、あらためて若い人たちにも『MONTAGE』を聴いてほしい。『MONTAGE』を超えるアルバムを作ることはなかなか難しいけれど、今の時代のYEN TOWN BANDがやるべき役割もあると思っていますからね。

イベント情報
『大地の芸術祭 2015 YEN TOWN BAND @NO×BUTAI produced by Takeshi Kobayashi』

2015年9月12日(土)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:新潟県 まつだい「農舞台」
料金:前売5,000円(全自由・入場整理号付)
※『大地の芸術祭』作品鑑賞パスポートチケット付
※『大地の芸術祭』作品鑑賞パスポートをお持ちの方は別途ライブチケット(2,000円)の購入が必要

イベント情報
『JFL presents LIVE FOR THE NEXT supported by ELECOM』

2015年10月17日(土)
会場:北海道 札幌 Zepp Sapporo
出演:
YEN TOWN BAND
ACIDMAN
Lily Chou-Chou

2015年10月22日(木)
会場:東京都 お台場 Zepp Tokyo
出演:
YEN TOWN BAND
amazarashi
Lily Chou-Chou

2015年10月25日(日)
会場:福岡県 Zepp Fukuoka
出演:
YEN TOWN BAND
クリープハイプ
Lily Chou-Chou

2015年10月26日(月)
会場:愛知県 名古屋 Zepp Nagoya
出演:
YEN TOWN BAND
miwa
藤巻亮太

2015年10月28日(水)
会場:大阪府 Zepp Namba
出演:
YEN TOWN BAND
スキマスイッチ

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価格:1,944円(税込)
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プロフィール
小林武史 (こばやし たけし)

音楽家、音楽プロデューサー。1980年代からサザンオールスターズやMr.Childrenなどのプロデュースを手掛ける。1990年代以降、映画と音楽の独創的コラボレーションで知られる『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』など、ジャンルを越えた活動を展開。2003年に「ap bank」を立ち上げ、自然エネルギーや食の循環、東日本大震災の復興支援等、様々な活動を行っている。



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