
vol.225 遺伝子組み換える前にワタシのを(2009/05/11)
だから言ったじゃないか僕と旅に出ない方がいいって。と漏らした後に、そもそも、そんなこと言われてないじゃんと、旅行へ至る流れの偽装を認める。いつもこうだ。誰かと旅に出たいとなれば、旅行に行こうよ、ではなくて、旅行に行ってもいいよという態度で切り込んでいく。相手は口をポカンと開けている。行ってもいいよというのは、行こうよに対する返答時のみに出せる言い様じゃないのか。だが構わない。稀に、行ってくれるんだぁそれじゃあいこうよと返してくれる民がいるもんで、仕方ねえなと頬を緩ませて、旅支度を整える。
だから出ない方がいいじゃないかと後々強く言うのは、例えば台湾の夜市に繰り出して屋台達の前に辿り着くと、こんなとこの飯を食べたらお腹痛くなるんだ絶対と決め込んで相手に強いたりするのである。生魚切った包丁で次にパイナップル切って串刺しにしたフルーツバーなんてよお、路上の簡易コンロで煮込んだ牛肉麺の成分なんてヤバイに決まってだろうがよお、と屋台の前でああだこうだうるさい。こうゆうとこで食べるのが旅ってもんでしょうという考えも短絡的だが、こうゆうとこで食べちゃいけないというのも同じく短絡的。ならば、その屋台の前まで来ている以上において、ワタクシが黙るべき所。でも繰り返す、おいおいやめとけよ、と。
誰に何といわれようが、ああいう所で食べるのは宜しくないと強気で譲らない。とにかくあいつはそうゆうこと言う奴なんだと筋が一本通っていればいいのだが、これがそうでもない。こうやって机に座っている時点では、逆なのだった。ちょっとやそっと衛生状態が悪いからってピーピーパーパー騒ぐんじゃねえよと心底思っている。遺伝子を組み換えた位でこちらの歓迎っぷりは変わらないぜと心は広い、この時点では。辺境地への紀行モノも好物でよく読む。(改めて文字にするとすんごく恥ずかしいが)いつかこんな旅に出てやるぜ、とマジに思っている。むしろ、その道程に、物足りなさすら指摘し始める。
ちぐはぐしている。情けなさを認識した反動で、強固になる。だからダメだって屋台は。飛行機に乗る前のアナタはどこ。「子どもの頃から変な駄菓子とか雑草とか食っとけば大人になって腹壊すなんてこたぁ無くなるんだよそれなのに子どもの頃から親が過剰にあれは危険こっちが安全なんてやってっとますます繊細な子どもばかりになるぜ」と息つぎ無しで熱弁してたアナタはどこへ。
いやだから本当に、どこへ、と思うんです、自分も。しかし屋台の前、それはダメだってと繰り返す自分、まだ何度も繰り返す所存。机上の空論という言葉があるけども、机上での論議は空論ではなく、一応論議だ。テーブルに向かった時点で論は論なのだ。しかし、屋台の前でその論は転回する。思いっきり。この両者の整理が出来ていない。その両方が体内に堂々と居座っていることに驚き、冷静になってから落ち込んでみる。ったく、鳥インフルエンザなんて騒ぎ過ぎだよと失笑しつつ出かけていったはず。帰りの飛行機で「チキンorフィッシュ」と問われたワタシはフィッシュと即答した。