
日本デザイン界の巨匠であり仏僧 榮久庵憲司インタビュー
- インタビュー・テキスト
- 島貫泰介
- 撮影:佐々木鋼平
デザインは「未来」と言うよりも、「行く末」みたいなもの。未来という言葉は希望のように見えて、意外と救いにならない。
―GKデザインでは、どのようなプロセスで仕事をなさっているのですか? 榮久庵さんがアイデアを出されて、それを他のスタッフがかたちにしていくのでしょうか。
榮久庵:そういう場合もあるし、それぞれのセクションのスタッフが考える場合もある。でも、デザインの一番の根本は、何をしたいかをはっきりさせること。使わない技術をなんとなくつなげたのでは駄目です。齟齬を回避したり、そのプロジェクトが正しいかどうかを審議したりする会議を年に3回くらいやってるんですけど、これが面白い。他の会社から仕事の依頼を受けますよね。それ自体が本当に正しいかどうかを考える会議なんです。
―クライアントワークにもかかわらずですか? 例えば、「これは駄目なんじゃないか」っていう結論が出た場合はどうなされるんでしょう。
榮久庵:それは、もうその通り「変えた方がいいんじゃない」と率直に言うんですよ。最初は納得しなくても、何度も言ってるうちに、向こうも「そうかな……」という気になりますよ(笑)。だいたいがものを決めるのに、そんなに深い考えはないものでね。相談に相談を重ねて、やっと核の部分が見えてくる。相手の言うことに、なんでも「イエッサー」と受けるんじゃなくて、ちょっとおかしいね、と疑問を挟むのが本当の意味のコンサルタンシー(Consultancy)ですよ。
『VMAX 胎動 –Need 6-』2007 ヤマハ発動機株式会社
―そういうタフな交渉や思考というのはどうやって身につけられたのでしょう。榮久庵さんは1950年代後半にメタボリズム運動(当時の日本の若手建築家・都市計画家が開始した建築運動。「新陳代謝=メタボリズム」から名をとり、社会や人口の変化に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した)に加わっていますよね。川添登、菊竹清訓、黒川紀章ら、建築界の論客たちとわたり合ったことが大きかったのかなと。
榮久庵:メタボリ(=メタボリズム)は建築ですから、デザインとはテクニカルタームが違っていて大変でした。でも、僕はどうしてもそういう場で自分の存在を証明したくなっちゃうんです。当時たまたまオートバイのデザインをしていたから、オートバイで会議に乗りつけてね。その場で片足スピンしたりしてね。そうしたらみんな「インダストリアルデザイナーはスゴいことをするなあ!」と、びっくらこいてた。メタボリには、なよっとした連中が多かったですから(笑)。
―そこで、間違ったインダストリアルデザイナーのイメージを植えつけた(笑)。
榮久庵:アメリカのイリノイ工科大学のコンラッド・ワックスマン教授が来日して、セミナーを開いたときのお題が「小学校をデザインする」だったんです。それで「グリッドシステムに移行する」とか教授は言うんだけど、まったく意味がわからないわけですよ、グリッドなんて。それで、一緒に参加していた磯崎新に「グリッドっていうのは、障子の桟みたいなもんだ。縦と横でぶつかって、それでいろいろな問題点が出るんだぜ」なんて教えてもらったりもした。だから、あちらに教え、こちらも教わり、という関係だね。それで、その後メタボリのチームに入ったわけだけど、奴らは理論派だから「お前も何か言え」というわけ。
―それはプレッシャーですね。
榮久庵:そこで考えだしたのが「道具」という概念。道具の深い意味を追求し始めたわけです。「道の具え(そなえ)」とは何か、と。たかがコップなのになぜ「道」なのか。「道」と書いたのには理由があるに違いないって。ただ、メタボリには天才的なメンバーが多かったですから。それとわたりあうには大変な訓練が必要でしたね。
―榮久庵さんの著書『デザインに人生をかける』の中でも榮久庵さんは道具の話をされていて、道具とデザインは違うものだとおっしゃっています。インダストリアルデザインでは、日本の三種の神器、勾玉や剣という物を語ることができないと書かれていらっしゃいましたけれども、それはどういう意味でしょう?
榮久庵:「道」を求める者は、何万人もいないわけですよ。何百人のうちの1人がやっと道を求める。そういう道具の概念自体がインダストリアルデザインとちょっと違う。
―道具は万人のための物ではない?
榮久庵:道を求めれば、結果として万人のためのデザインにつながる。ですから最後に鳳のようなよくわからないものに行き着くんです。
―道具から始まり、デザインを通過し、また道具に至るわけですね。
榮久庵:それが、1つの救いですね。デザインは未来を指し示すという考え方もあると思うけれど、未来という言葉は希望のように見えて、意外と救いにならない。これは非常に残酷なことです。でも、それがインダストリアルデザインの1つの宿命。
―インダストリアルデザインは未来的な物を提示しなければいけないからでしょうか。
榮久庵:「未来」と言うよりも、「行く末」みたいなものだよね。来し方、行く末……。
―もっと時間のつながりを感じられるようなものですか。
榮久庵:鴨長明の『方丈記』でもそうだね。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という有名な歌ね。あれはやっぱり行く末を唄っている。あれを未来として語ったとしたら随分意味が変わったと思いますよ。鴨長明が晩年を過ごした小さな庵は、建築の原型ですよね。だから『方丈記』をデザインの随筆として読むと非常に面白い。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』もそう。まあ、文学というものは意外と刺激になるものです。私もGKのメンバーに勧めているんですよ。文学性を持った方がいい。仕事を始める前に、文学的な精神性を前提にしておいた方がいい、と。
―さきほどおっしゃっていたことですね。最初に核となるものを見定める。
榮久庵:そう。ぱっと手をつけてしまうと、非常に浅薄な物しかできあがらない。
イベント情報
- 『榮久庵憲司とGKの世界――鳳が翔く』
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2013年7月6日(土)〜9月1日(日)
会場:東京都 世田谷美術館
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜
料金:一般1,000円 大高生・65歳以上800円 小中学生・障害者の方500円『100円ワークショップ』
2013年8月中の毎週金曜、土曜14:00〜16:00
会場:東京都 世田谷美術館地下創作室
料金:1回100円
プロフィール
- 榮久庵憲司(えくあん けんじ)
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1929年、東京生まれ。83歳。1955年、東京藝術大学美術学部工芸科図案部卒業。1957年に、大学時代の教授や仲間たちと共にデザイン会社「GKインダストリアルデザイン研究所」を設立。国際インダストリアルデザイン団体協議会会長などを歴任。現在「GKデザイングループ」会長。著書に『道具論』『袈裟(けさ)とデザイン』など。