『薄氷の殺人』ディアオ・イーナン監督、中国の映画作りを語る

真っ白な雪に覆われた凍てつく地方都市の風景。禍々しいバラバラ殺人事件と、その裏に横たわる人間たちの深い闇。激変する現代の中国社会で生きる人々の生々しい息づかいを、ノワール風のスリリングなミステリーに仕立ててみせたディアオ・イーナン監督の『薄氷の殺人』は、2014年度の『ベルリン国際映画祭』でウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』やリチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』を抑えてグランプリ&男優賞をダブル受賞するなど、世界各国の映画人から賞賛を浴びた。特に印象的なのは、その独創性溢れるカメラワークと鮮烈な照明がもたらす、欧米の先鋭的なインディーズ系作品にまったくひけをとらないモダンさだ。国際的に高く評価されてきた中国のフィルムメイカーは過去にも数多くいたが、『薄氷の殺人』はそのクールな映像と洒脱なストーリーテリングにおいて、過去の「中国映画」とは一線を画していると言っていいだろう。

実際に対面したディアオ・イーナンその人は、45歳という年齢を感じさせないほど若々しい、シュッとした長身のイケメン。ジャ・ジャンクーの撮影監督としても知られるユー・リクウァイ監督の作品などで役者としての出演歴があるのにも納得。インタビューでは、着想から完成まで9年かかったという『薄氷の殺人』の制作の裏話から、現在の中国社会、そして現在の中国の映画を取り巻く環境にまで話が及んだ。時折ユーモアを挟みながら快活に話すそのカジュアルな佇まいは、几帳面で真面目な印象を受けることが多いこれまでの中国の映画監督にあって、やはり異彩を放っていた。

一貫して自分が描きたいと思っていたのは、人生に失敗した人物であり、現在の中国社会への批判的な視点であり、人間性を探求することです。

―日本であなたの監督作が公開されるのは、今回の『薄氷の殺人』が初めてとなりますが、その大胆さとモダンさに大変驚かされました。

イーナン:気に入ってもらえて本当に嬉しいです。この作品は本当に難産だったのです。なにしろ脚本を書き始めたのは2005年のことで、そこから完成まで9年かかりましたからね。

『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.
『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.

―そう、そこがとても気になっていたんです。あなたの前作『夜行列車』(NIGHT TRAIN)が『カンヌ国際映画祭』の「ある視点」部門でプレミア上映されたのは2007年ですよね。そこから、どうしてこんなに時間がかかったんですか?

イーナン:最初に書き上げた本作の脚本はとても作家性の強い脚本で、内容があまりにもパーソナルだったので、作品に誰も出資してくれませんでした。多くの映画会社に声をかけてみたんですけど、どこからも拒否されてしまったんです。それで、もう1つ温めていた『夜行列車』の企画を先に製作して、2008年からもう一度、本作の脚本の直しに取りかかったんです。

―そこから数えても6年もかかっていますよね。ちなみに、その間はどうやって暮らしていたんですか?

イーナン:中国のテレビ局のいくつかの企画にプロデューサー的な立場で携わっていました。あとは、家賃収入ですね。中国では1990年代半ば頃に不動産の投資がとても流行っていて、自分も周りに影響されてたまたまものすごく安い時期にマンションを1室購入していたんですけど、幸運なことにそれが値上がりして、今ではいい賃貸物件になっているんです(笑)。

―ほぉ(笑)。

イーナン:でも、もともと自分はあまり普段の生活でお金を遣わないんですよ。パソコンとコーヒーとタバコがあれば、それで十分というタイプなんです。車も持ってないし、あまりいいものを食べたいという欲求もありません(笑)。

ディアオ・イーナン
ディアオ・イーナン

―当初の脚本ではかなりパーソナルな内容だったという本作ですが、実際に仕上がった作品はサスペンスとしてもミステリーとしても、非常にエンターテイメント性の高い作品になっています。それは、どのような過程を経て変化していったのでしょうか?

イーナン:2005年の第1稿と2012年にでき上がった最終稿では、音楽のジャンルで喩えるならロックからジャズになったような、まったく別の作品になったと言ってもいいほど変わったのですが、それでも自分が表現したかった主題はそのまま残っています。一貫して自分が描きたいと思っていたのは、人生に失敗した人物であり、現在の中国社会への批判的な視点であり、人間性を探求することです。この7年間、自分もいろんな経験をして人間的にも成長しました。最終的には、そうした自分の成長も反映させることができて、より豊かな作品になったと思います。

現在の中国で起きているいくつかの事件は自分の想像力を超えている。それらの事件をヒントにしていけば、自分が考えるよりもより奇抜な事件を語ることが可能になるのです。

―2005年から2012年といえば、中国の社会そのものが大きく変わっていった時代ですよね。『薄氷の殺人』においても、格差問題からくる社会の歪みや、お金で人生を狂わされる人物が描かれています。これは、現在の中国社会で暮らしているあなただからこそ、生み出すことができた作品だと言えると思うのですが。

イーナン:『薄氷の殺人』という作品は、永遠に完全には解決されることがない1つの事件を描いた映画と言っていいでしょう。この数年間、中国の社会ではあまりにも大きな変化が起こりました。そして、国外ではどれだけ報道されているかわかりませんが、現在の中国ではそうした社会の変化を反映したような事件が本当にたくさん起きていて、いくつかの事件は自分の想像力を超えています。なので、それらの事件をヒントにしていけば、自分が考えるよりもより奇抜な事件を語ることが可能になるのです。『薄氷の殺人』はまるで大きな川のような作品で、物語の途中で支流に分離されることがあります。もしかしたら、観客はその支流の途中で迷子になってしまうこともあるかもしれません。でも、それは一つひとつの支流で私が敢えて答えを出していないからなのです。私はそこに、今の中国社会の複雑さを反映させたかったのです。

『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.
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―妻に逃げられ、ある事件をきっかけに警察も辞め、現在は警備員としてなんとか生計を立てている。あなたが言うように、本作の主人公は「人生に失敗した人物」です。でも、あなた自身は本作のように国際的に評価される先鋭的な作品を生み出すフィルムメイカーであり、不動産収入まである(笑)。現在の中国社会の中で、決して失敗した人物ではないですよね。

イーナン:いや、私の不動産収入なんて、僕一人がなんとか生活できる程度のものですよ(笑)。もともとは自分で住むために買ったマンションだったのですが、北京の中心地から遠すぎて不便なので、結局自分はその賃貸収入で中心地に小さな部屋を借りています。今、中国でいろいろな社会問題の原因となっている富裕層、いわば成金とは、まったく違います。彼ら成金たちの問題は、急に大金を手にしたことで、「お金さえ持っていればなんでも自由にできる」と勘違いをしていることです。残念ながら、彼らの多くはお金を有効に使うことができるだけの教養がない。『薄氷の殺人』にもビジネスで成功した男が出てきます。そして、社会の底辺で虐げられている女が出てきます。言うまでもなく、大部分の人は後者の世界に属していて、彼らにも人間としての尊厳というものがある。そして、その尊厳を守るために罪を犯すことになる。つまり、この作品はそうした人々の尊厳についての物語と言ってもいいでしょう。

ディアオ・イーナン

映画製作の出資を受ける際に、なるべくカットを多くしてくれと、カット数を指定してくるんです。ただ、私の好みは長回しなんですよ(笑)。そのほうが映画として潔いと思うんです。

―本作を撮る上で、あなたはジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(1930年)、そしてオーソン・ウェルズ監督の『第三の男』(1949年)や『黒い罠』(1958年)からインスピレーションを得たとインタビューで語っていました。他に、何かインスピレーションとなった作品はありますか? ちなみに、自分は鈴木清順監督の諸作品からの影響を感じ取ったのですが。

イーナン:鈴木清順の作品はずっと見たいと思っているのですが、実はまだ見たことがないんです。また、ある中国のジャーナリストから指摘されたのは、スケートリンクでの殺人シーンが内田吐夢の『宮本武蔵』シリーズのあるシーンに似ているということ。これも、残念ながらまだ見たことがありません。でも、日本映画はある時期にまとめてたくさん見ましたよ。その時代の作品では、小林正樹の『切腹』がとても印象に残っていますね。もしかしたら、本作にも何らかの影響を与えているかもしれません。

―あと、自分が『薄氷の殺人』を観ていて思い出したのは、黒沢清監督の初期の頃の作品です。

イーナン:あぁ、黒沢清の作品は大好きですね。ただ、直接的に何か別の作品のワンシーンから影響を受けて、自分の作品のシーンを組み立てていくようなことはないです。それよりも、現場での役者の動きからインスパイアされることのほうが多いですね。それと、中国で上映される作品には、カット数に関して特殊な事情があって、その要求に応じてカットを割ることもあります。

『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.
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―特殊な事情というと?

イーナン:『薄氷の殺人』にはアクションシーンを長回しで捉えたインターナショナル版と、カットを細かく割った国内版、2つのバージョンがあるんです。中国の映画界にはとても不思議な思い込みがあって、カットが多ければ多いほど商業的な作品と見なされるのです(笑)。

―それは興味深い話ですね(笑)。

イーナン:製作の出資を受ける際に、なるべくカットを多くしてくれと、カット数を指定してくるんです。「長回しはやめてくれ」と。ただ、私の好みは長回しなんですよ(笑)。そのほうが映画として潔いと思うんです。なので、もちろん日本の観客に見ていただくことになる『薄氷の殺人』は、自分にとって望ましいほうであるインターナショナル版です。

中国の一般の観客は、まるでマクドナルドやコカ・コーラを愛するように、ハリウッド映画を愛しています。一方、インディーズ系の作品が映画館で上映される機会というのは、ごくごく限られたものです。

―近年、一部のハリウッド大作では、アメリカ本国以上に中国での動員が多いという話も聞きます。一方、現在の北京に暮らしていて、アメリカやヨーロッパのインディーズ系の監督の作品を見る機会というのはどの程度あるのですか?

イーナン:中国の一般の観客は、まるでマクドナルドやコカ・コーラを愛するように、ハリウッド映画を愛しています。一方、インディーズ系の作品が映画館で上映される機会というのは、ごくごく限られたものです。民間が主催している小規模な映画祭のような機会でしか、スクリーンで観ることができない作品が多いですね。ただ、ご存知だと思いますけど、中国では海賊版のDVDや違法のダウンロードがとても普及していて(笑)、あまり褒められたことじゃないのは承知していますが、本当に映画が好きな若い人はそのような手段でたくさんの作品を見ています。なので、今の中国の若者には北野武監督のファンや、三池崇史監督のファンや、是枝裕和監督のファンがたくさんいますよ。

『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.
『薄氷の殺人』 ©2014 Jiangsu Omnijoi Movie Co., Ltd. / Boneyard Entertainment China (BEC) Ltd. (Hong Kong). All rights reserved.

―あなた自身は、どのようにして過去の映画の名作群を見てきたのですか?

イーナン:私は北京の中央戯劇学院の出身で、実はその学校の授業でかなりシステマティックに過去の世界中の映画をまとめて見る機会を得てきました。(ジャン=リュック・)ゴダール、(フランソワ・)トリュフォー、(ルキノ・)ヴィスコンティ、(ベルナルド・)ベルトルッチなどなど。でも、正直に言うと、学生のときは彼らの作品をあまりよく理解できませんでした。それが年齢を重ねていくにつれて、若い頃には味わうことができなかった部分も、深く味わうことができるようになっていたんです。そうだ、1つおもしろいエピソードがあります。学生時代、一番見たかった作品の1つが大島渚の『愛のコリーダ』(1976年)(昭和の「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描いた)で、仲間内の同級生がどこかからビデオを手に入れてきたんです。それで、みんなで集まって同級生の家で『愛のコリーダ』の鑑賞会をしたのですが、その中に後輩の女の子の学生が2人いたんです。作品が始まった途端、女の子たちは顔を真っ赤にして逃げて行きましたよ(笑)。

ディアオ・イーナン

―(笑)。『薄氷の殺人』が『ベルリン国際映画祭』でグランプリを獲ったことで、次作の製作環境も大きく変わるんじゃないかと思います。次作まで、また7年も8年もかかったりしないことを心から願っているのですが(笑)。

イーナン:そうですね。まだ詳しくは言えませんが、次の作品の準備には入っています。ベルリンでの受賞以降、いろんな映画会社やプロデューサーからアプローチがありました。でも、人から「この脚本を映画化してみるのはどうですか?」と言われても、なかなか自分で心から撮りたいものはないんですよね。今の自分は、本当に撮りたいと思える映画の脚本を自分で書いて、それを自分で撮る。それしかないと思っています。

作品情報
『薄氷の殺人』

2015年1月10日(土)から新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
監督:ディアオ・イーナン
出演:
リャオ・ファン
グイ・ルンメイ
ワン・シュエピン
配給:ブロードメディア・スタジオ

プロフィール
ディアオ・イーナン

1969年生まれ。北京にある中央戯劇学院で文学と脚本執筆の学位を取得し卒業。脚本を担当した作品は『スパイシー・ラブスープ』(98)、『こころの湯』(99)、『All the Way』(01)、『Eternal Moment』(11)など。また俳優として、ジャ・ジャンクー作品の多くを担当する撮影監督ユー・リクウァイの長編監督作品『All Tomorrow’s Parties』(2003年カンヌ国際映画祭“ある視点”部門出品)に出演している。2003年、脚本も担当した『制服』(UNIFORM)で監督デビューを果たす。この作品は2003年バンクーバー国際映画祭にて最優秀作品賞を受賞した。2007年、監督2作目となる『夜行列車』 (NIGHT TRAIN)がカンヌ国際映画祭“ある視点”部門でプレミア上映され、そのミニマリズム的手法を絶賛され、ヨーロッパ中の映画祭で上映された。監督3作目となる本作で2014年ベルリン国際映画祭 金熊賞(作品賞)& 銀熊賞(主演男優賞)の2冠に輝く。



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