訳がわからないからこそ面白い 大友良英とアジアの刺激的な関係

大友良英がアーティスティックディレクターをつとめる新しい音楽交流プロジェクト「ENSEMBLES ASIA(アンサンブルズ・アジア)」。その初イベントとなる『Asian Meeting Festival 2015』が、2月6日より東京と京都で開催される。日本を含めた東南アジアのミュージシャン総勢20組の見知らぬ者同士によるスリリングな競演は、これから5年にわたる、アジアの音探しの旅の始まりを告げるステージになりそうだ。ヴァナキュラー(土地・風土に固有)な音楽を求めて、アジアという大海へ漕ぎだした大友良英へのインタビューは、ここ5、6年、さまざまな人を巻き込み展開されてきた彼の活動がアジアの地で結実する、そんな予感をさせるものだった。

2005年から『アジアン・ミーティング』というフェスを自腹で3回開催していました。だから、個人的には今回の『Asian Meeting Festival 2015』は4回目なんです(笑)。

―最近、大友さんが注力している「ENSEMBLES ASIA(アンサンブルズ・アジア)」というプロジェクトについて、その経緯からまず聞かせて下さい。

大友:きっかけは、国際交流基金アジアセンターから、音楽交流事業のアーティスティックディレクター就任の依頼をいただいたことでした。アジアの芸術・文化交流と協働を目的とした機関ですが、じつは僕も日本とアジア諸国のネットワーク作りを20年以上も自腹でやっていたんです。震災以降、少し止まっていたのですが、また再開できると思って、嬉しくて引き受けました。

―もともとアジアとつながりがあったんですね。

大友:僕の最初のアルバムは1992年に香港のレーベルから出ているし、初めて映画音楽を手がけたのも1993年の中国で、2005年からは『アジアン・ミーティング』というフェスを自腹で3回開催していました。だから、個人的には今回の『Asian Meeting Festival 2015』は4回目なんです(笑)。

―そうだったんですか。自腹で!

大友:でも、今回は公的資金を使いますから、個人でやるのとは全然規模が違うし、いろんな人に関わってもらおうと思って、「ENSEMBLES ASIA」の中に3つのプロジェクトを立ち上げ、それぞれディレクターを立てて、リサーチを進めています。

大友良英
大友良英

―3つのプロジェクトはそれぞれどんなものがあるんですか?

大友:まず、今回のイベント『Asian Meeting Festival 2015』に一番関係がある「Asian Music Network」。香港在住のdj sniff(水田拓郎)とシンガポール在住のサウンドデザイナー、ユエン・チーワイをディレクターに、日本も含めたアジアの音楽家のネットワークを作っていくものです。次に「Asian Sounds Research」。たとえばアーティストの毛利悠子さんや梅田哲也さんのように、従来の音楽や美術という枠では捉えきれない、だけどはっきり音に関わる表現者たちのネットワーク作りで、ディレクターはSachiko Mです。

dj sniff(水田拓郎)
dj sniff(水田拓郎)

ユエン・チーワイ
ユエン・チーワイ

―「Asian Music Network」が明確に音楽家を扱うのに対して、「Asian Sounds Research」は、音楽家とも美術家ともつかない境界領域の人たちが対象なんですね。

大友:ええ。そして一般の人たちも含めて、誰もが参加できるオーケストラを結成していくプロジェクトが、有馬恵子さんがディレクターの「Ensembles Asia Orchestra(アンサンブルズ・アジア・オーケストラ)」です。写真家の石川直樹さん、社会学者の開沼博さんにも加わってもらって、音楽家以外の視点も交えながら、ヴァナキュラーな音楽と僕らが呼ぶ「音楽家なしの音楽」について考えていきます。「ENSEMBLES ASIA」は2020年まで続く予定なので、今回のイベント『Asian Meeting Festival 2015』はその最初の扉を開いたばかり。朝の連ドラならまだ4月の第1週目という感じかな。結果を急がずにじっくりやっていこうと思っています。

Sachiko M
Sachiko M

―5年以上かけて取り組める、大きな可能性を秘めたプロジェクトだという印象ですが、具体的にどうやってアジアの中に音楽のネットワークを立ち上げていくんですか? やはり地道なリサーチから?

大友:そうですね。僕はできるだけ口を挟まずに、各ディレクターのやり方に任せています。たとえばSachiko Mは、まずは日本から面白いアーティストを連れて行ってパフォーマンスすれば、現地の面白い人が集まってくるのではないかという撒き餌方式で(笑)、マレーシアのペナンで成果をあげつつあります。dj sniffは、まずインドネシアに飛んで、いろんなミュージシャンと実際にセッションしながらのリサーチをしています。出会って知り合うプロセスからみんな丁寧にやってるみたいです。

―音楽家たちのリサーチって感じですね。言葉よりもカンが頼りというか。

大友:そうです。これまでの交流だとどうしても英語ができるエリート中心になってしまいがちですが、ストリートに面白い奴はいっぱいいるんです。もう1つ大切にしたいことは、ステレオタイプなイメージで「アジア」を安易に括らない。日本的とかアジア的とか、つい言ってしまいますが、そんな大雑把な決めつけからは何も見えてこない。アジアって多様だし、僕らはまだお互いのことを何も知らないっていう前提で、目の前の人を大切に、個人の活動を起点に、その場所について考えていけたらいいなと思っています。だから今度のフェスでは、各ミュージシャンの出身は国名じゃなくて都市名で書いてもらったんです。

ヨーロッパでは数十年前までは敵同士だったのに、一緒に音楽をやれている。それが羨ましかった。だから、アジアでも人のつながりがもっとあるべきだという気持ちがありました。

―「ENSEMBLES ASIA」における「アジア」の定義ってあるんですか?

大友:オフィシャルには国際交流基金アジアセンターが決めた「ASEAN諸国」です。でも個人的には、アジアの定義はボワーっとさせておきたい。ネットワークって国単位じゃ収まらないし、面白い奴と出会う可能性も広がるので。

―大友さんは20年以上前から、アジアにおける音楽家ネットワーク作りをしていたわけですが、その理由は何だったのでしょうか?

大友:当時、僕は日本よりヨーロッパで演奏することが多かったんですが、ヨーロッパでは違う国のミュージシャンが一緒にやるのが当たり前で、それが羨ましかったんですね。数十年前までは戦争で敵同士だったのに、一緒に音楽をやれている。だから、単に音楽への興味だけじゃなくて、アジアでも人のつながりがもっとあるべきだという気持ちがありました。それで縁があって、1990年代に香港に頻繁に行くようになったとき、そこでアンダーグラウンドな音楽シーンが生まれる瞬間に立ち会ってしまったんです。北京でも目撃しました。まだインターネットが普及してない頃です。

―情報が手に入り難いぶん、相当に濃い人たちがすごい熱量で活動していたんでしょうね。

大友:本当にどうやって情報を集めてたんだろう? 不思議です。1999年に北京でライブをしたときは1000人くらい入る客席に9人しかいなくて、「やっぱり駄目なのかなあ~」って思ったんです。でも、夜ホテルにヤン・ジュンという青年が訪ねて来て、筆談をして夜を明かしました。その人が今、中国のシーンを引っ張っている最重要人物です。そうやって1人に伝われば何かが始まるんだって強く思いました。僕、何かが始まる瞬間がすごく好きなんですよ。わけのわからないものが立ち上がってシーンが作られていく、そこに居合わせるのが楽しくて、自腹で細々とアジアでの活動を続けていたんです。

インドネシアは、3歩歩けばすごい音楽に当たる。なにしろ大統領に選ばれた人がNapalm DeathのTシャツを着てるくらいで(笑)。

―大友さんが直接参加する「Ensembles Asia Orchestra」プロジェクトのキーワードでもある「ヴァナキュラーな音楽」って、一体どういうものでしょう?

大友:ヴァナキュラーは「その土地・風土に固有の」といった意味ですが、このプロジェクトでは日常生活から生みだされる音楽状況として、「ヴァナキュラーな音楽=音楽家なしの音楽」と呼ぶことにしました。子どもはもちろん、アジアにたくさんいる専門家じゃない人たちが生む音楽のことです。じつは最初「アマチュアの音楽」って呼んでいたんですが、アジアの音楽状況では、「プロ / アマ」という言い方がなんだかそぐわないように思えてきて、何か他の言い方はないかとみんなと話す中で、石川直樹くんから「ヴァナキュラー」という言葉が出てきたんです。そんなことをふまえて、時間はかかると思いますが「音楽家なしのオーケストラ」を作っていければいいなって考えてます。

石川直樹
石川直樹

―面白い音楽をやるのはプロの音楽家だけじゃないと。

大友:インドネシアの伝統音楽であるガムランって、村ごとにいろんな音楽がある。でも奏者たちは別に伝統音楽家として食っているわけじゃなくて、ふだんは農家やタクシー運転手たちが、祭りのときに突如ミュージシャンとして登場するわけです。村のガムラン奏者にプロはいない、でもすごい音楽が演奏される。そういう感じです。

―昨年フィリピンとインドネシアにリサーチに行かれたそうですが、「これはすごい!」という音楽には出会えましたか?

大友:フィリピンは植民地支配の歴史が長く続いたせいで、僕らが行った地域は壊滅的に音楽が残ってなくて、あったのはアメリカンポップスだけでした。その反対にインドネシアはありすぎて、3歩歩けばすごい音楽に当たる。ノイズやデスメタルも盛んで、なにしろ大統領に選ばれた人がNapalm Death(グラインドコアの始祖的バンド)のTシャツを着てるくらいで(笑)。

―なんだか、すごいです。

大友:最初に驚いたのが、ヴァニュワンギ(ジャワ島東端部)の山奥の、蛾やトカゲがいっぱいいる集会場で聴いた村のガムラン。ふつうガムランって青銅器で作るんですが、何故か鉄製で錆びてて音もキンキンしてるんです。さらにマーチングバンドみたいなバスドラムが鳴り、シンバルっぽい鉄板がEinstürzende Neubauten(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン / インダストリアルミュージックの代表的バンド)みたいな音を出していて、それってガムランの伝統的にはNGなんだけどカッコいい! おまけにおじさんが歌うマイクは、ダブっぽくディレイがかかってて、それで延々とガムランを踊るわけです。

大友良英

―正統派のガムランとは全然違うわけですね(笑)。

大友:めっちゃアグレッシブで謎がいっぱいあって感動してしまいました。あのバスドラはいつからあるの? って聞いたら、そのおじさんが始めた1970年代にはあったらしい。「なぜディレイかけるの?」と聞いたら、「1980年代にこの機械を買ったらついてたから」だって。ダブかレゲエの影響かと思ってたんだけど、そうじゃなかった。とどめは「なんでディレイ使うの?」って聞いたら、「お客さんがいなくても寂しくないから」だって!

―(笑)。最高ですね。

大友:音楽が村でちゃんと生きてるってことですよね。僕らがついつい脳内でねつ造してしまう「アジアらしさ」とかステレオタイプの「伝統」みたいなものに縛られるな。生きた音楽を見ろ! これが今回の旅の最大の収穫です。

―めちゃくちゃ聴きたいです、インダストリアル・ダブ・ガムラン(笑)。そういう正体不明な音楽がたくさんあるんですね。

大友:でもやっているのは村のおっちゃんですからね。ヴァナキュラーですよ。さらにヴァニュワンギには、その街だけで通用するポップスシーンがあって、CDも売れるしローカルスターもいる。そういう音楽の成り立ち方をしている場所で、ノイズやガムランをやっている人たちもいるっていう状況が面白いんです。ウキウキしちゃった。

音楽産業のシステムが衰退を迎えている中で、インドネシアにある音楽の成り立ち方は、今後の欧米や日本が迎える状況の先取りなのかもしれない。

―先ほど震災でアジアでの活動が中断したと言われましたが、その年に共同代表の1人として立ち上げた「プロジェクトFUKUSHIMA!」で、大友さんは「オーケストラFUKUSHIMA!」という活動を開始されました。震災以降の「プロジェクトFUKUSHIMA!」の活動と、今回の「Ensembles Asia Orchestra」は地続きなんでしょうか?

大友:はっきりと地続きです。2011年夏に福島で始めた「オーケストラFUKUSHIMA!」が、僕にとっての「ヴァナキュラーな音楽」の始まりだったと思ってます。次に盆踊りをやって、祭りの場をみんなで立ち上げた体験も大きかった。音楽家ではない人とやることと、場作りの重要性、この2つを僕は福島で発見したんです。それまで個人でやっていたアジアでの活動に欠けていたものが、この2つだと気づいたんです。それで「ENSEMBLES ASIA」にも、その2つを入れたいと思った。福島の人たちに出会わなかったら、このプロジェクトはなかったです。

大友良英

―音楽家のネットワークを超えた音楽。

大友:そうです。アジアで何かをやる際に重要な視点は、プロフェッショナル性ではなくて、生活の中に音楽があって、そこから何かが生まれ続けているってことです。20世紀に確立されたレコードとマスメディアによる音楽産業のシステムが衰退を迎えている中で、インドネシアにある音楽の成り立ち方は、今後の欧米や日本が迎える状況の先取りかもしれない。そんなふうに思わせるものがそこにはあったし、これから訪れる場所でもどんなものに出会えるか楽しみです。

―出会った人々と、最終的には1つのオーケストラを作っていくんですか?

大友:まずは各地でワークショップをやっていきます。それをどう組み合わせるかはまだわかりません。でもそのときには、「Asian Music Network」のミュージシャンや、「Asian Sounds Research」がリサーチしている境界領域のアーティストたちも絡めていきたい。決して1つの大きなものを作ろうというのではなく、大小様々な出会いや企画が進行する中で、いろんな人が複合的に絡み合いながら、今現在のアジアで音楽を作ることの意味を丁寧に考えたいし、そこからまだ見ぬオーケストラができたらと思います。

米子匡司
米子匡司

―それは従来の音楽シーンとは違う場作りになりそうですね。

大友:盆踊りみたいに年に1回だけ起こる音楽シーンがあってもいいし、アイデアはフレキシブルに。音楽が生まれる場をみんなでどうやって作っていくか、そこがこのプロジェクトで一番面白い部分になると思います。もちろん将来的には国内でやってきたオーケストラやアンサンブルともつなげたい夢はあるけど、公的資金を使うので、あまり個人の思惑で動くのもどうかなと(笑)。

出演アーティストは僕の知らない人ばかりです(笑)。よくわからない「何か」が生まれる興奮をぜひ体験してほしい。

―いよいよ第1弾のフェス『Asian Meeting Festival 2015』が2月5日から始まりますね。一体どんなイベントになるんでしょうか?

大友:当日になってみないとわからない。各ディレクターがリサーチしてきてくれた出演アーティストは僕の知らない人ばかりです。ほんとどこで見つけてきたんだろう? って(笑)。実際に会ってみんなで話し合いながら決めていく過程が面白いので、そのプロセスごと見せてしまうようなステージになると思います。

―音楽はすぐに伝わるからいいですね。

大友:音楽は瞬発力、演奏は言葉を介さないコミュニケーションだし、ネットワークが生まれるのもとても早い。逆に壊れるのも早いですけどね。あっという間に解散終了みたいな。でもそれでいいと思う。東京公演の後、京都にも行くので、何度も一緒に飯食って仲良くなれればいい。仲悪くなるかもしれないけど(笑)、そういうのも全部含めて面白い。新しいシーンが立ち上がる瞬間ですから。わけがわからないもの、誰もまだ何も言っていないもの、そういうものが好きなんです。そのことを丁寧に見ていく、丁寧に面白さを発見していくことが、次を生む、そう思っています。だから、ぜひ直接見てほしい。見て自分の力で発見して欲しいなあ。

―まさにここから新しいアジアのシーンが始まるんですね。最後にフェスに行こうかなと思っている人へ何かメッセージありますか。

大友:よくわからない「何か」が生まれる現場の興奮をぜひ体験してほしい。チケット、死ぬほど安いです。アジア中から集まったレアなアーティストが20組もいるのに2,000円(笑)。絶対損させません。でもこれはほんの最初の扉です。これからどんどん面白くなっていきますよ!

イベント情報
『Asian Meeting Festival 2015』

東京公演
2015年2月6日(金)OPEN 19:00 / START 19:30 / CLOSE 21:30
2015年2月7日(土)OPEN 18:30 / START 19:00 / CLOSE 21:00
会場:東京都 浅草 アサヒ・アートスクエア
出演:
dj sniff
ビン・イドリス
To Die
イマン・ジムボット
コック・シューワイ
レスリー・ロウ
ユエン・チーワイ
ユイ=サオワコーン・ムアンクルアン
グエン・ホン・ヤン
ルオン・フエ・チン
Sachiko M
米子匡司
山本達久
佐藤公哉
かわいしのぶ
FUMITAKE TAMURA
KΣITO
渡辺愛
小埜涼子
大友良英
料金:
1日券 前売2,000円 当日2,500円
2日通し券3,300円

映画上映
『BISING ―ノイズミュージック・フロム・インドネシア』

2015年2月7日(土)13:00~14:10
会場:東京都 浅草 アサヒ・アートスクエア
アフタートーク出演:
アディティア・ウタマ
リアル・リザルディ
ユエン・チーワイ
dj sniff
大友良英
定員:180名(先着、要事前予約)
※アフタートークは15:00まで

京都公演
2015年2月8日(日)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:京都府 ゲーテ・インスティトゥート ヴィラ鴨川
出演:
dj sniff
ビン・イドリス
To Die
イマン・ジムボット
コック・シューワイ
レスリー・ロウ
ユエン・チーワイ
ユイ=サオワコーン・ムアンクルアン
グエン・ホン・ヤン
ルオン・フエ・チン
Sachiko M
米子匡司
YPY
大友良英
料金:前売2,500円 当日3,000円

『Ensembles Asia Orchestra報告会』

2015年2月5日(木)18:00~20:00
会場:東京都 四谷三丁目 国際交流基金
登壇:
大友良英
石川直樹
開沼博
定員:120名(事前予約優先)
料金:無料

プロフィール
大友良英 (おおとも よしひで)

1959年横浜生まれ。音楽家。十代を福島市で過ごす。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、その活動範囲は世界中におよぶ。映画音楽家としても数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は70作品を超える。近年は「アンサンブルズ」の名のもとさまざまな人たちとのコラボレーションを軸に展示する音楽作品や特殊形態のコンサートを手がける。また障害のある子どもたちとの音楽ワークショップや一般参加型のプロジェクトにも力をいれている。2011年の東日本大震災を受け、遠藤ミチロウ、和合亮一とともに「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げる。2012年『芸術選奨文部科学大臣賞芸術振興部門』を受賞。2013年NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』の音楽を担当。著書に『MUSICS』(岩波書店)、『シャッター商店街と線量計』(青土社)など。



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