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巨匠の証言バトルで振り返る日本の建築史 石山友美×妹島和世

巨匠の証言バトルで振り返る日本の建築史 石山友美×妹島和世

インタビュー・テキスト
島貫泰介
撮影:豊島望

P3会議は日本の建築家が世界と出会う、大きな体験だったのだと思います。(妹島)

―映画でも大きく取り上げられるP3会議は、1982年にアメリカで開かれた国際会議ですね。「建築界のゴッドファーザー」といった異名を持つフィリップ・ジョンソンとピーター・アイゼンマンが呼びかけて、世界中の建築家が集まり、「建築の社会的役割」について語り合いました。若かりしレム・コールハース(アムステルダム生まれの建築家。2014年『ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展』の総合コミッショナーを務めた)をはじめ、日本からは、磯崎さんが当時無名だった安藤さん、伊東さんを伴って参加したんですよね。

妹島:じつは私は、ちょうどP3会議があった頃に伊東さんの事務所で働かせてもらっていたんです。今でこそ、日本と世界の間にはネットワークがあり、若い建築家も何か発表すれば、海外からすぐにコンタクトがあったりしますよね。でも当時、世界はすごく遠かった。伊東さんもその下にいる私たちにとっても、P3会議はまったく未知の場所でした。

伊東豊雄『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
伊東豊雄『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

石山:アイゼンマンは「そこに世界があった」と言っていました。

妹島:本当にそうだったんだろうなと思います。映画の中でも、ヨーロッパ出身のレムが「自分は(アイゼンマンに)磯崎を紹介してもらえなかった」なんて言っていて、当時のアメリカが中心たろうとする建築界の空気も伝わってきますね。

レム・コールハース『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
レム・コールハース『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

―P3会議という未知の場所に行くにあたり、当時伊東さんはどんな様子でしたか?

妹島:伊東さんもまだ大規模な公共建築を手がけていらっしゃらなかったし、そもそもそんなに仕事もなかった。それで会議でプレゼンテーションするために新しいプロジェクトを構想する、という感じでしたね。のちに「シルバーハット」(1980年代の伊東の代表作。メタルを素材とする、かまぼこのような半円形が特徴で、開閉可能な天井部のテントによって半屋外の居住空間を実現した)と名付けられた伊東さんの自邸を構想していた時期だったのですが、それまでの自分の考えを1回まとめてみようと、たしかスタッフみんなで準備しました。

シルバーハット
シルバーハット

石山:会議では76年に発表した小住宅「White U(中野本町の家)」の評価が高かったようですね。そのことが後々誕生するシルバーハットに間接的に影響したようです。

中野本町の家 ©多木浩二
中野本町の家 ©多木浩二

―映画によると、安藤さんが「住吉の長屋」のプレゼンをしたところ、出席者の1人から批判を込めた無言の拍手を受けるなど、日本人が手痛い洗礼を受けた場面もあったのかと。

妹島:会議に出席していた建築家の中で、伊東さんや安藤さんのような小さな建築をプレゼンした人はいなかったのでしょうね。帰国後、伊東さんはどんな話が出たか話してくださり、たしかに「White U」のほうが評価されたということだったと思います。それからもう1回考え始めたと記憶しています。そういう意味でも、P3会議は日本の建築家が世界と出会う、大きな体験だったのだと思います。

伊東さんも安藤さんも「70年代は苦しくて、社会とどう向き合うか考えていた」っておっしゃっているけれども、作品を見るとけっこうやりたいことをやっている(笑)。(石山)

―妹島さんが独立した87年というのはちょうどバブル期のピークで、磯崎さんはもちろん、伊東さんや安藤さんとも世代間の違いがあると思います。妹島さんご自身は、80年代以降にどのような意識で建築に携わってらっしゃいましたか?

妹島:伊東さんはなんとなく「自己否定」と「自己肯定」を重ねながら次のステップに進んでいく思考の建築家だと思うのですが、私は目の前にあるものをなんとかやってきたタイプだし、今もそれは変わらないですね。たまたまバブルのピークがまさに落ちようとしているときに独立したので、ちゃんとした仕事は全然なかったです。

妹島和世

―P3会議の頃の伊東さんや安藤さんもそうでしたが、みなさん、仕事のない時代を体験されている。

妹島:そうですね。世の中の景気はすごかったですし、当時の潤沢な予算が日本にスター建築家を生み出した側面もあると思いますが、私の周りは無風状態。ビッグプロジェクトに携わるような大変な目にも遭わなかったけど、遭えもしなかった。あぶない仕事はたくさん来ましたけどね。プランを練って、プレゼンに行って、「じゃあ明日契約しましょう」となったら、不動産屋さんが夜逃げしちゃったり(笑)。

バブル期に建てられたスーパードライホール(1989年 / フィリップ・スタルク)『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
バブル期に建てられたスーパードライホール(1989年 / フィリップ・スタルク)
『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

―うわあ。

妹島:バブルの終わりですからね。だから、仕事があったらコツコツと作るだけだったんです。私が(社会的・建築的な)問題意識が他の人に比べて少ないということもあるかもしれないけれど、伊東さんたちの世代が映画の中で言っているような、「建築家が世の中から疎外されている」「認められてない」「立場がない」みたいなところまで思う余裕もなかったです。今の若い建築家たちは、また違った意識を持っていると思いますけどね。でも、磯崎さんやアイゼンマンのような、キャラクターの強い人が今はなかなか現れないのもちょっと寂しいですね。

石山:社会との葛藤がある一方で、じつはそれとは関係なく、建築家が好き勝手に作品を作っていたというのも、建築の歴史なのだと私は思います。伊東さんも安藤さんも「70年代は苦しくて、社会とどう向き合うか考えていた」っておっしゃっているけれども、作品を見るとけっこうやりたいことをやっているんじゃないかって気がするんです(笑)。私自身も、個人の才能の発露として建築があってほしいという思いがあります。

石山友美

―それぞれの建築家の作品や著作に触れても、みなさんキャラクターが強いし、あえて言えばエゴイスティックでもある。でも、映画の中では伊東さんは「建築は社会とつながれてない」と言うし、安藤さんも「僕は世間を味方にしないといけないんだ」と、社会との関係性が希薄になっていることを、現代の建築の課題として語っています。

安藤忠雄『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
安藤忠雄『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

石山:そうなんですよね。とはいえ、70年代の小住宅って「一発、やってやるんだ!」という純粋な、若さゆえの勢いがあったと思うんです。今と同じように、当時あった社会的な問題に向き合おうとする姿勢は作品を作るときの動機の1つだったとは思いますが、一番根底にあるのは作家としてのエゴだったんじゃないかと思っていて、これはすごく重要なことだと思うんです。今の若い世代の建築家の人たちが、やはり社会と向き合って、地域のコミュニティーと関わって地域活性化を図るという、いわゆる「コミュニティーデザイン」の動きも、新しい何かを生み出すためのきっかけとしてやっているのだとは思いますが……。

ポストモダン建築・新宿区歌舞伎町二番館(1970年 /竹山実)『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
ポストモダン建築・新宿区歌舞伎町二番館(1970年 /竹山実)
『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

湘南台文化センター(1990年 / 長谷川逸子)『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama
湘南台文化センター(1990年 / 長谷川逸子)
『だれも知らない建築のはなし』 ©Tomomi Ishiyama

妹島:たしかに、従来の建築のかたちと、「コミュニティーデザイン」がこれからどう交わっていくのかは、私も気になるところではあります。今は手探りの状態ですよね。

石山:ポストモダンの建築って、バブルの象徴と見なされて過剰で装飾的なデザインだと考えられているけど、楽しい建築が多いですし、私はみんなが言うほど悪くないと思っています。今回の映画でも、いくつかの建築は実際に足を運んで撮影に行ったのですが、やっぱり傑作は今見ても面白い。若い建築家たちが真面目に「社会との関係」ばかりに向かい過ぎてしまうと、本来の建築の楽しさもなくなってしまうんじゃないかと思うんです。それに、流行っていうのは怖いもので、映画の中でジェンクスも、建築界の流行というのも、ファッションと同じで何年かで入れ替わってしまうもので、どんどん淘汰されちゃうんだって言ってます。そうやってポストモダン建築も忘れ去られてしまったという歴史があって、しかしファッションとして消費されない建築が現在でも可能だとすれば、そこには社会との関係だけではなくて、もう1つ、作家のエゴというものも大事なんだと信じているんです。この二つって言葉にすると相反するものに聞こえるかもしれませんが、実は共存できるんじゃないかと、そう思いますね。

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作品情報

『だれも知らない建築のはなし』

2015年5月23日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:石山友美
出演:
安藤忠雄
磯崎新
伊東豊雄
レム・コールハース
ピーター・アイゼンマン
チャールズ・ジェンクス
中村敏男
二川由夫
配給:P(h)ony Pictures

プロフィール

妹島和世(せじま かずよ)

建築家。日本女子大学大学院修了後、伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て、87年に妹島和世建築設計事務所設立。95年西沢立衛とSANAA設立。主な作品に、梅林の家、犬島「家プロジェクト」、金沢21世紀美術館*、ROLEXラーニングセンター*、ルーブル・ランス*等。*印はSANAA 第12回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展総合ディレクターを努める。日本建築学会賞、プリツカー賞など受賞多数。

石山友美(いしやま ともみ)

1979年生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業。磯崎新アトリエ勤務を経て、フルブライト奨学生として渡米。カリフォルニア大学バークレイ校大学院、ニューヨーク市立大学大学院で建築、芸術論、社会理論を学ぶ。ニューヨーク市立大学大学院都市デザイン学研究科修士課程修了。在米中に映画制作に興味を持つようになる。監督デビュー作『少女と夏の終わり』は第25回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門公式出品。

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