40歳になっても惑う原田郁子 「大人も悩んで当然だと思う」

昨年12月24日・25日に東京・天王州の銀河劇場で行われた音楽と朗読のセッションイベント『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』にて共演を果たした大宮エリーと原田郁子。ともに昨年40歳になった二人は、同い年の気のおけない友人同士だという。それだけでなく、3年前から少しずつ共作や共演を重ねてきた関係でもある。

二人が共作した“変わる”という曲では、変わりたいという願いと、それでもなかなか変われないというジレンマが綴られている。その背景にはどんな思いがあったのか。原田郁子へのインタビューでは、二人の交流から共作曲の背景、そして40歳となった今だからこそ見えるリアルな大人像について、語ってもらった。

ほぼ初対面の(大宮)エリーから、「なんか原田郁子って天然酵母って感じだよね」と言われて(笑)。

―『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』、やってみてどんな感じでしたか?

原田:うん、あれはなんだったんだろうな。全部幻かな(笑)。本番2日間をなんとか終えて、やりきったら、二人ともバッタリ寝込みました(笑)。そのくらいハードに、いつもとまるっきり違うことを、エリーも私も手探りでやったのかも。彼女とあそこまでガッツリ一緒にやったのは初めてだったんですけど、彼女が彼女であるがゆえに巻き起こる大騒動、珍事件……(笑)。そこに私っていう人間の要素が加わることで「え! 何で? 何でこんなこと起きるの!?」っていうことが障害物競走のように次々やってくる。そのたんびに「なんとかしなくちゃ」って手分けして、一つひとつ乗り越えて。「これは一体何の体験学習なんだろう」って思いながら。でも、たくさんの方にサポートしてもらって、たくさんの方に集まってもらって、なんとか無事に終わって、ホッとしています。

原田郁子
原田郁子

―最初に郁子さんが大宮エリーさんと出会ったのはいつのことですか?

原田:そこから話していいの? 初めて面と向かって話したのは、スチャダラパーのBOSEさんに誘われたのがきっかけかな。「これから大宮エリーと会うんだけど、よかったら来ない?」と言われたんですけど、彼女はすでにだいぶ飲んでいてベロベロでした。そこでいきなり「なんか原田郁子って天然酵母って感じだよね」と言われて(笑)。

―(笑)。

原田:ほぼ初対面だったし、「はあ、そうですか」ってちょっとカチンときたんですけど、話してみると彼女は疲れ果てていて。そもそもその日はいろんなことをBOSEさんに相談する日だったみたいなんです。それで、ひとしきり話し終わったエリーを長椅子みたいなところに呼んで、「ちょっとゴロンとすれば?」ってマッサージしたら「くう」って寝ちゃった。それが初めて出会った日のことですね。

―大宮エリーさんの第一印象はどんな感じでしたか?

原田:うーん、いろんなことを背負って仕事してるんだろうなーって思ったかな。体しんどそうだなーって。ちょくちょく連絡を取り合うわけじゃないんだけど、たまたま同い年で、パッと会うと、なんとなくそのときの状態がわかる。「君さ、このまま行くとぶっ倒れるよ」とか「いっつも同じこと言ってるじゃん」とか。エリーもエリーで、久しぶりに会うと「ちょっと痩せたんじゃない?」「無理してんじゃないの?」って言うから「あー、そうかもな」って。

―気張らずに話せる間柄なんですね。

原田:いつだったか、エリーがしんどそうなときに二人で終電まで飲んで、それでもまだ飲み足りなかったので公園に行ったことがあって。「エリー、すごい疲れてるけど、家散らかってない?」と聞いたら、ギクっとした顔をしたので、そのままエリーの家に行って掃除したり(笑)。しんどいときって、片づける気力もないからどんどん家が荒れて、落ち着かないからついつい外で飲み食いして、帰ってくると散らかってるから、疲れがとれない……ってスパイラルがありますよね? 自分もそうだから、よくわかる。だから、戸惑う彼女を振り切って、掃除しちゃいました。

誰かに作れと言われたわけじゃなくて、自分たちのための曲が欲しかったのかもしれない。

―音楽を一緒にやるようになったのはどういうきっかけだったんでしょう?

原田:エリーは子どもの頃にバイオリンを弾いていて、もうずいぶん弾いてなかったみたいなんですけど。U-zhaanに「なんか弾いてみなよ」って言われて、タブラとバイオリンでセッションすることになって、アドリブっていうものを初めてやったみたい。何を弾いていいかわからないから、ずっと「シ」の音だけ弾いてたって(笑)。でもそれが面白かったんだって。そこから少しずついろんな人と共演するようになって、彼女が渋谷のWWWで始めた『大宮エリーの挑戦』というイベントに呼んでもらったんです。それが2012年。まだまだ震災の後の緊張の中で。時々会う友達でも良かったんですけど、二人で“変わる”という曲を作れたときに、一線を越えた感じがありますね。その曲ができたときのことを今も覚えていて。

―どんな感じだったんですか?

原田:『大宮エリーの挑戦』に出ることになったときに、私は小淵沢にある、クラムボンがいつも使っているスタジオに曲作りに入っていたんです。時間が空いたらエリーもスタジオに来て一緒に何かやらない? と言ったら、彼女は仕事を終えてから来てくれたんですよね。また当然のようにヘトヘトだったので、ひとまず温泉でも行こうということになって(笑)。エリーという人が面白いのは、イベントの出演を依頼したにもかかわらず、私が何をやっているか全然知らなかったんですよ。「クラムボンってどういう曲やってるの?」「みんなが知ってそうな曲ってどれ?」と聞かれて「えっと、“サラウンド”かなあ?」とかいろいろ説明したら、iTunesでその場で曲を買ってくれたりして(笑)。

―それくらい前知識が何もなかったんですね(笑)。

原田:翌朝エリーは帰らなきゃいけなかったので、私はこのタイミングで曲ができなくてもいいかなと思ったんですけど、彼女は「いやいや、せっかく来たんだから1曲作ろうよ」と言って、いきなりノートパソコンで文章を書き始めたんです。それがものすごい集中力と瞬発力だったので、落ち着くまでそっとしておいたんですね。しばらくして「ちょっと見てほしい」と言われて、それを見たら“変わる”の歌い出しの「変わるって決めた、その瞬間から、変わりはじめていたんだ」という文章がメロディーみたいに聞こえたので、「あ、できるかも」と思って、私もそのままピアノに向かったんです。

―譜面を書いたりはせずに?

原田:はい。そんな経験したことなかったんですけど、勝手にメロディーが出てきました。聴きながら、エリーは私の足元で犬みたいに「くう」って寝ちゃって。で、「できたかも」と思ってパッと見たら、エリーは起きてて、聴きながら泣いていて。私も歌いながら泣いてて(笑)、こんな風に涙が出るみたいに曲ができるんだって、ビックリしましたね。「これはきっと自分たちにとってすごく必要なんだろうな」と思った。誰かに作れと言われたわけじゃなくて、自分たちのための曲が欲しかったのかもしれないなって。

不器用なりに必死でやっている。そういう人たちが、ほんのちょっとだけ楽に生きられたらいいなと。

―リリースや締切みたいなものとは全く関係なく曲ができた。

原田:そういう中で作る場はそれぞれ持っているから。それはそれで命がけでやっているんだけど、この曲はもっと、内側のところからぽつんと出てきた感じで。「何だろうな」と。『大宮エリーの挑戦』で演奏したときの空気もすごく良くて「あぁ、大事にしなきゃいけない曲だな」と思いました。

―大事にしなきゃいけない、というと?

原田:反応もあったし、音源化してほしいという声も多かったんですけれど、私は「もっと熟すのを待ったほうがいい」と思ったんですよね。エリーには「え? 何で? 何で出さないの?」と言われたんですけど、「変わる」って歌うからにはね、何度もライブでやってみて、いろいろなことが起きていく中で、自分たちも変化していって、そういう時間が含まれたらいいじゃないかって。じゃないと、願望で終わってしまいそうだったから。

―そうやって“変わる”という曲ができたことで、最初は単なる友達だった二人が、コラボレーションの相手になった。

原田:うーん、でも、コラボレーションって言うのかどうかも自分ではわからなくて。みんなが、ほんのちょっとでもいいから生きやすくなったらいいなって、ただただ思っているんですよ。彼女に対してもそう。器用に見られているけれども、実は不器用で、不器用なりに必死でやっている。そういう人たちが、ほんのちょっとだけ楽に生きられたらいいなと。二人の共作としては、“変わる”のあとに“つぼみ”と“きどく”という曲ができて、それをこの前ようやく小淵沢で録音したんです。3年たって、時間をかけただけの音が録れたなと思っていて、どうやってパッケージにしようかと考えているところに、今回の銀河劇場の話がやってきた。

『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』チラシビジュアル
『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』チラシビジュアル

―なるほど。だから大宮エリーさんも「これはやるしかない!」と思ったんでしょうね。劇場ロビーでは、手作業で作られたクリスマスカラーの巾着袋に封入されたCDも限定販売されていました。これはどういう意図で制作したんでしょう?

原田:クラムボンの武道館シングルや、今まわっている会場限定販売ツアーとも同じ流れにある話なんですけど、流通を通さないで会場に来てくれた方に直接販売できるということは、パッケージもできることの幅がぐんと広がるわけで。パッと思ったのは、クラスで授業中こっそり手紙がまわってきたみたいな、ちっちゃいもの。せっかくクリスマスに時間をとって来てくださるなら、冷たいものよりあったかいもの。だったら、レコーディングで最初に録ったtake1を1曲だけ、たった1曲だけ、お守り袋みたいに1枚ずつ袋に入れて作れないかな、と思いまして。まずエリーに盤面と表紙の花の絵を描いてもらって、そこからは手分けして、ミシンがけからリボン結びからすべて手作業でやりました。

『変わる』パッケージ制作風景
『変わる』パッケージ制作風景

『変わる』パッケージ制作風景
『変わる』パッケージ制作風景

エリーは、「寂しい」っていう感覚を、違うものに変換するようなことをずっとやっているんじゃないかな。

―大宮エリーさんとは普段の悩みや本音を話せる間柄と言っていましたが、学生時代からの友達ならまだしも、30歳を超えて知り合った同士がそんな関係になるのって、珍しいですよね。

原田:そうかな。なんか、放課後っぽいんですよね。違う学校に通ってるんだけど、学校終わってから、たまに遊んだり、愚痴ったり、ダラダラしたりしてるような。

―なるほど。

原田:私もエリーも、人と群れるのがあんまり得意じゃなかったから、そういう友達同士の楽しさを逃してきちゃってるようなところがあって。彼女の『物語の生まれる場所』に出てくる短編を読むと、普通は主人公にならないような主人公がたくさん出てくるんですよね。夜中の冷蔵庫とか、ボールペンとか、マグカップとか。“つぼみ”という曲になった<咲かないつぼみもあるんだよ>という文章も、読んだときにハッとしたんです。

―大宮エリーさんの物語は、普段はひっそりとしているものや目につかないものが主役になる話が多いですよね。原田さんはそれをどんな風に捉えていますか?

原田:うん、彼女はよくしゃべるし、頭もキレるし、言葉も巧みだし、それこそいろんなジャンルでいろんな人と絡んできたから、「マルチ」みたいなイメージもあると思うんですけど。ベースにあるのは「孤独」だと思う。だから、どんな表現方法でも、彼女の作るものは、誰かの孤独に向かって話しかけていて、寂しいっていう感覚を、違うものに変換するようなことをずっとやっているんじゃないかなと思うんですよね。

もういよいよ子どもじゃないから、大人でいないといけない場面も多々あるけど、そればかりだとしんどいよね。

―大宮エリーさんは「二人とも今年で40歳になった女同士で何かやろうよ、というところから今回の話が始まった」とコメントされていました。郁子さんにとって40歳という年齢は、自分がかつて10代、20代の頃に思い描いていたものと比べてどうですか?

原田:うん、もう若くはない(笑)。でも、じゃあ20代に戻りたいかと聞かれると、まったく戻りたくはない。ずっともどかしかったから。中途半端な自分が。だから、本音を言うと、早く60代ぐらいになりたい。「40かあ」ってびっくりすることもあるけど、「いや~、まだまだ中途半端」とも思う。30代はけっこうキツかったんですよね。女の人は厄年が2回来るんですけど、ほんとにガクッと体と精神のバランスが崩れた。だから今はそこをくぐりぬけて、やっと40代っていう気持ち。バンドマンがいつか皺くちゃのじいさんばあさんになって、まだやってるとしたら、どういう感じなの? ってワクワクしますよね(笑)。誰に聞けばいいのかわからないし、前例がないしね。クラムボンっていうのは、そのくらいのスパンで、元気である限り、やっていくんだろうなと思うから。

―でも“変わる”のような曲を聴くと、まだまだ揺れ動いている感じがしますよね。よく「40にして惑わず」という『論語』の表現を引用して、40歳のことを「不惑」と言ったりしますけど、むしろ40歳になっても惑っている。

原田:うん、惑う、惑う。惑うようなことが、じゃんじゃんやってくる。「トホホ」とか「あちゃー」とか「がびーーん」ってことが相変わらずありますね……。昔の人の40代と今はまた違うと思うけど、幾つになっても、迷ったり悩んだりし続けるんじゃないかな。もういよいよ子どもじゃないから、大人でないといけない場面も多々あるけど、そればかりだとしんどいよね。大人にだって、っていうか、大人にこそ、「はー」ってくつろいだり、「まあ、しゃーないか」って吹き飛ばせる場所が欲しいよね。

原田郁子

―先ほど30代はキツかったと言っていましたよね。でも、原田郁子という人には、すごく自然体で、居心地のいいナチュラルな感じで過ごしている女性というパブリックイメージがあると思うんです。だから大宮エリーさんが初対面で「天然酵母みたいだよね」と言ったわけで。でも実際のところは、いろんな葛藤がたくさんある。

原田:そうね、ある。一時期、身体がSOSを出して、これは一度止まらないとまずいなと実感したんです。私の場合は皮膚に出たんですけど、それまでは食生活もめちゃくちゃだったから、ちゃんとしなきゃって。

―悩みや不安というのは、どういうところにあったんでしょう?

原田:長く一緒にいたパートナーと別々になって、そこからしばらくちっとも定まらないっていうかね、フラフラしてたり、イジけたり、自信なくしたり、ずいぶんと荒んでたんですよね。そういうときにエリーと会って、お互いの弱っちいところを見ては、「おい! しっかりしろ!」って言い合うような感じがあったのかも。

―郁子さんがイメージする大人の女性って、どういうものですか?

原田:そうだなあ、柔らかい人かな。歳をとると、頑なになってくるところがあるじゃないですか。私もわりかし頑固なんですけど、いろんな経験をした上で、柔軟であるということは素敵だなと思いますね。発想を変えられたり、遊びがあったり、受け入れられる人。

―エリーさんはそういう部分を持ち合わせている人だと思いますか?

原田:うーん、エリーはね、ほんとに希有な生き物です(笑)。彼女には、頭の回転が速いがゆえに、足下がおぼつかないっていう妙なバランスがあって、時々えらく危なっかしいんですよね。大人の世界を渡り歩いて、バリバリ仕事していますけど、子どもみたいに無邪気なとこもあって、私はそこがいいなと思う。だから、絵を描くとか、音を鳴らしてみることで、その子どもみたいな部分が解放されたらいいんじゃないかなって。

―今回の『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』は、舞台や演目というよりも、お二人の生活や人となりがそのまま表れたようなステージだったと思います。終えてみて、お互いの本質的なものが見える一夜になったような実感はありました?

原田:そうですね、ライブをやるっていうより、なんかもっと別のことをやってる感じだった。いっぱいぶつかって、喧嘩もして、お互い、ある種、戦いのようでもあって。でもそれは、自分たちの脱皮っていうか、「変わる」ために避けて通れない通過儀礼みたいなものだったのかな、と。そう考えると、十字架みたいな曲を作ってしまったのかな、とも思うけど(笑)。もう少し場を整えて、いい形で音源を発表できたらいいなと思ってます。

イベント情報
『物語の生まれる場所 at 銀河劇場 vol.2』

『言葉と音楽 そして、クリスマスソング』
2015年12月24日(木)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 天王洲 銀河劇場
出演:
大宮エリー
原田郁子
芳垣安洋
高良久美子
鈴木正人

『言葉と音楽 そして、ライブペインティング』
2015年12月25日(金)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 天王洲 銀河劇場
出演:
大宮エリー
原田郁子

プロフィール
原田郁子
原田郁子 (はらだ いくこ)

1975年福岡生まれ。1995年「クラムボン」を結成。歌と鍵盤を担当。ソロ活動も行っており、2004年に『ピアノ』、2008年に『気配と余韻』『ケモノと魔法』『銀河』のソロアルバムを発表。2010年5月には、妹らと吉祥寺に多目的スペース「キチム」をオープンさせる。昨年で結成20周年を迎えたクラムボンは、メジャーレーベルを離れ、自身のレーベル「トロピカル」よりツアー会場でのみ販売されるミニアルバムを発表予定。新曲を生演奏し、可能な会場すべてでサイン会を行う初の完全「手売りツアー」(全国27公演)開催中。



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