中村佳穂と大塚国際美術館へ。命を削り描かれた数々の名画を前に

世界で類をみない陶板名画美術館として知られる、徳島県・鳴門市の大塚国際美術館。館内には世界26か国の美術館が所蔵する1000余点の絵画が、陶板画としてオリジナルの原寸大で再現されている。展示スペースは地下3階から地上2階までにおよび、鑑賞ルートは約4kmと日本最大級の規模を誇る美術館だ。バチカン市国のシスティーナ礼拝堂を再現し、米津玄師が昨年末の『NHK紅白歌合戦』に出演した際に生中継の舞台となったことでも話題を呼んだ『システィーナ・ホール』や、クロード・モネの代表作『大睡蓮』を屋外に再現した展示など、名画の世界を環境や空間ごと体感できる数々の展示も大きな魅力となっている。

そんな大塚国際美術館を、京都出身のミュージシャン・中村佳穂とともに訪れた。昨年にリリースした『AINOU』が各方面で評価を集める彼女は、もともと美術と音楽の両方を志して育った経歴の持ち主。アートに真剣に向き合ってきた彼女独特の視点から見た大塚国際美術館の魅力、そして芸術への考え方を語ってもらった。

ここは、自分にピンとくるものを直感的に探しやすい空間。

—大塚国際美術館を駆け足で観て回ってきましたが、古代から現代まで並んだ様々な複製画を観た印象はいかがでしたか?

中村:すごい早足でいろんなものを観て、いろんな曲のイントロだけ流して聴いているみたいな感じだなと思いました。この美術館に所蔵されているものは全部原寸大で、作品が持つ雰囲気やスケール感、エネルギー感が一発でわかるから、自分の興味にあう音楽をイントロだけ聴いて探すみたいな感覚で絵画に出会える。それに、世界各地の美術館にあるトップクラスの作品が揃っているし、いろんな年代のものが一挙に集められているので、歴史とか時間の大きな流れを感じることができますよね。自分にピンとくるものを直感的に探しやすい空間で、そこがすごくいいなと思いました。

中村佳穂(なかむら かほ)
19歳まで絵を学び、進学先の京都精華大学で音楽活動をスタート。数々のイベント、フェスの出演を経て、その歌声、音楽そのものの様な彼女の存在がウワサを呼ぶ。ソロ、デュオ、バンド、様々な形態で、その音楽性を拡張させ続けている。ひとつとして同じ演奏はない、見るたびに新しい発見がある。2018年11月、2ndアルバム『AINOU』をリリース。6月30日(日)には、京都府・紫明会館で『うたのげんざいち 2019 夏 in 京都』を、7月13日(土)には東京都・恵比寿で『LIQUIDROOM 15th ANNIVERSARY 中村佳穂』を開催。

—エドヴァルト・ムンク『叫び』、ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』など、いくつか作品を事前にピックアップしていただきましたが、それらをご覧になった感想はどうでしょう?

中村:いい意味で、自分が歳をとったんだなと感じました。ティーンエイジャーの頃、よく絵に接していたんですけれど、そのときは「自分に才能があるかどうか」「この絵に見合うだけの感性があるか」と天秤にかけるような気持ちをどこかしら抱えていたんです。1枚の絵と向き合わなきゃいけない、その人の感動をわかちあえなければ、自分には才能がないと思うくらい焦っていた。

でも、今は肩の力を抜いて観られるというか、早足で美術館を回れるようになっていたことに気づきました。作品に対して自分が介在しなくなっている感じがある。だからこそ「いいな」と思える部分、気になる部分がたくさんあって。そういうふうに自分が変わったと感じました。

—かつてのような絵画との向き合い方を意識するようになったのは、具体的にはいつ頃からですか?

中村:幼稚園の頃から、絵の道には進まないと決めた19歳ぐらいの頃までです。意識して作品を観るようになったのは中学生になったくらいからですけど、それ以前から絵は身近なものでしたし、自分は絵か音楽の道に進むんだろうと思っていたので。

—自分の半生を振り返って、そういう自分の感性を最初に形作ったものってどういうものだったんでしょう。なにかのきっかけがあったんでしょうか?

中村:いや、もう無意識でした。小さい頃からお気に入りのものをすべて首にかけて歩いていたような人間だったので。オカリナと色鉛筆セットと『ポケットピカチュウ』とビーズのネックレスを首から下げて、スケッチブックを持って鼻歌を歌ってる、みたいな幼少期を過ごしてました(笑)。

—気がついたらそうなっていたと。

中村:そうですね。なので、自分から溢れ出てくるものを意識もしていたし、自分は才があるとも当時は強く信じていました。だから、絵か音楽か、それ以外の道はないだろうなあと思っていました。

「作品」というものは、自分の精神を削って初めて完成させられるものだと思う。

—高校のときも美術部と吹奏楽部をかけ持ちしながら美大を目指していたと『AINOU』リリース時の取材でおっしゃっていましたよね(参考記事:中村佳穂という「歌」の探求者。魂の震えに従う音楽家の半生)。そのときに出会った先生の影響も大きかったそうですが。

中村:そうですね。衝撃的な先生でした。

—その出会いは中村さんをどう変えたんでしょう?

中村:絵を描くということは自分の時間を相当削る作業ですけど、絵に限らず「作品」というものは、時間だけじゃなく、自分の考えや意識、精神を削って初めて完成させられるものだと思うんです。だけど一方で、手癖だけでできるというか、時間だけを削って作品を完成させるようなパターンもあって。だからこそ、その人は自分の理論を持っているか、精神や考え方を作品に落とし込めているかを意識するように伝え続けてくれました。

ムンクの諸作に見入る中村。早くに母、姉を亡くし、精神病を患った妹を持つなど、悲劇的な人生を歩んだムンクに対して中村は、「活動初期に、病気の女の子の横でお母さんがぐったりしている絵(『病める子』)を描くじゃないですか。そういうところに、『自分には絵しかないって思ってる』であろう意思を感じる」と語った

中村:当時はひたすら、「中村、なんでこの絵はこうやって描いたんだ」「いやぁ、こういう理由で」「今の考え方は甘すぎるから、それをちゃんと文章化して俺に見せなさい」みたいなやりとりを放課後にさせられていました。でも、そのおかげで、精神を削って、真摯に作品に向き合うようになったんだと思います。そうじゃなく、ただ時間を過ごすだけでも人生は生きられるんだっていうことも理解した。そういう意識は自分の人生観の大事な部分を形作っていますね。

—そういう価値観を持つと、きっと絵を観る視点も変わりますね。つまり、美術史や絵画の様式的な位置づけじゃなくて、なぜ自分がその作品が好きなのか、その作品を観てどう感じたかを重視するようになるんじゃないでしょうか。

中村:そうですね。だから今回も、以前に自分が気にしていた絵を観させていただいたんです。今でもその作品や作家が持つ背景を知らないですし、それは音楽に対しても同じで。「自分がこの絵に対してどう感じているのか」を意識して作品に向き合うような感じですね。

ムンク『病める子』を接写する中村。作品に触れたり、写真を至近距離で撮影できたりするのも、大塚国際美術館ならでは

私、歌うときはあまり即興すぎないようにと意識しているんです。クリムトの絵もそういう感じだなあと思って観てました。

—今回挙げていただいた作品は、どういう基準で選んだのでしょうか?

中村:私は19歳の頃に「音楽の道に進む」と決めてから、絵のことをほとんど気にしなくなったので、当時、本当に好きだった作品を思い出して挙げさせてもらいました。特に当時は、綺麗なものが好きだったと思う。

ミレイの『オフィーリア』とかフェルメールの作品とか、私の好きな作品は美しい女性が描かれているものが多いんですよね。造形美として女性の美しさはあるけど、ただ綺麗なものというよりは、ちょっと癖があるものが好きで。『オフィーリア』はコラージュっぽいところがあったり、クリムトの『接吻』とか、ちょっと形として変だったりするじゃないですか。当時私が描いていた絵もそういう感じだったので、懐かしいなあと思って観ていました。

グスタフ・クリムト『接吻』と向き合う中村
ヤン・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』とともに

—鑑賞中に、学生時代にクリムトの『接吻』を模写していたっておっしゃっていましたね。

中村:してました!

—すごく感覚的な話なんですけれど、クリムトの『接吻』って中村さんの音楽っぽい感じがします。

中村:ああ、嬉しいです。どのあたりがそう感じますか?

—きちんと要素を配置して構成しているというより、形が捉えきれない自由さがあって、それでも抱き合う男女を通して美しさが表現されている感じというか。あとは装飾の華やかさ、絵柄の持つある種のサイケデリックさも近い気がしました。

中村:嬉しいです。私は当時、この服の柄とかも気になって見ていたので。ただ顔を描くんじゃなくて、足元だけ空間が抜け落ちている感じの不安感とか、もう一度見たくなる感じとか、このバランス感は私の音楽に直結しているかもなと改めて観て思いました。

パッケージ感があるというか、1枚に落とし込んでいる感じも近いかも。ちゃんとTシャツにして販売できる感じというか(笑)。私、歌うときはそこまでパッケージ感は意識していないですけど、あまり即興すぎないようにとは意識しているんです。クリムトの絵もそういう感じだなあと思って観てました。

単に作品とキャプションだけとは全然違う、その作家たちが実際に生きていた感覚を体験できる。

—美術館全体を観て回って、どういうところが気になりました?

中村:古代のものは好きですね。ポンペイの『秘儀の間』もめちゃめちゃかっこいいなと思いました。そのほかエル・グレコの祭壇画も好きでしたね。もともと神聖なものが好きなんですけど、現代の人は儀式のことなんてそうそう考えないじゃないですか。でも、当時の人たちは儀式とか神の存在をすごく真剣に考えて描いているから、そのことによって独特な雰囲気の空間になっている。

—大塚国際美術館では「環境展示」と呼ばれる、古代遺跡やシスティーナ礼拝堂や聖堂の壁画を、その空間ごと体感できるような展示をしています。それはこの美術館ならではの体験かもしれないですね。

中村:そうですね。その意味ではゴヤの食堂も衝撃的で、あんな暗い部屋でご飯を食べて作品を作っていたことを思うと、「最悪だ、恐ろしいな」と思いました。単に作品とキャプションだけで「気が狂った作品だなあ」とか「こういう時代なんだ」って感じるのとは全然違う。その作家たちが実際に生きていた感覚を体験できるというか。

フランシスコ・デ・ゴヤが晩年暮らしたマドリードの家の食堂とサロンの漆喰壁には、そのムードから通称「黒い絵」と呼ばれる14枚の連作があった。ゴヤ没後の1870年代に壁面からカンヴァスに移され、現在はプラド美術館所蔵となっているが、大塚国際美術館では当時の室内配置そのままに作品が原寸大で展示されている

—作り手が自分の時間や精神をどう削って、どういうふうに作品に注ぎ込んだかを垣間見たり、追体験できたりしますよね。

中村:そうですね。システィーナ礼拝堂の天井画や壁画にしても「この礼拝堂を絶対に作るんだ」って意思がないと、何年もかけて、梯子を作ってそれに登って描いていくなんて、できないじゃないですか。今の日本にそれだけのエネルギーを持った人間がどれだけいるか? っていうことは考えました。

—システィーナ礼拝堂の『最後の審判』をミケランジェロが描き上げたのは、66歳のときだったそうです。

中村:そうなんですね!

—天井フレスコ画の『天地創造』が4年半、壁面の『最後の審判』が5年と、計10年近い時間をかけたそうで、かなり時間と精神を削って作られたものだと思うんですが、あの空間から感じたエネルギーはどんなものでしたか?

中村:あらゆる面おいてミケランジェロは、めちゃめちゃ頭がいいんだろうなと。あの大きさの建物の天井のアーチに、下から見て人の形に認識できるものを描くって、常人には無理だと思うんです。

『システィーナ・ホール』にて

中村:現代人だったらプロジェクションマッピングみたいに画像を投射して、それをなぞるっていう制作法もありえると思うんです。でも当然、当時はそんなものなかったし。単純に大きな絵を描くだけでエネルギーを使うのに、10年もかけてあの絵を描くのって、どれほどのことなんだろうかと思います。ものすごい才能を持った人にしかできないことだし、その人が10年という時間をかけるって、とんでもないことだなと。

屋外だと風景と一緒に鑑賞できるのもいいですよね。

—モネの『大睡蓮』が野外で展示されているのも印象的でした。モネは生前、この作品を「自然光の下で鑑賞してほしい」というふうに語っていたそうですが、これもオリジナルでは絶対に実現できないこの美術館ならではの展示です。

中村:モネのすごくいいなと思うところは、「得も言われぬ季節」を捉えているところで。なんとも言えない季節のなかで、睡蓮を睡蓮として描いてしまうのも、水の揺らめきだけを注視して描くのも違う。彼はだんだん視力がなくなっていくなかで、遠巻きに庭を見て筆だけをさーっと動かしていたと思うんです。そういう空間がモネの『大睡蓮』にはすごく出ている。

だんだんニュアンスがぼやけていくんですけど、そこに、たとえば半分起きて半分寝ている状態でカーテンが揺れるのだけが見えるような、すごく気分がいいときの感覚みたいなものを感じるんです。室内だと彼がそれを描こうとしたエネルギーと向き合わないといけないけれど、屋外だと風景と一緒に鑑賞できるのもいいですよね。ちゃんと太鼓橋まで作って、モネのお庭を再現していて、それを見ながらご飯を食べたりするのも、すごくいいなって思いました。

クロード・モネ『大睡蓮』

—ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、修復前と修復後が向かい合わせになっていましたが、あれも現実ではありえない不思議な体験でしたね。

中村:そうですね。面白いと思ったのは、修復前のほうが歴史的に重要だったと考える人もいるということで。ユダが銀貨を握っていたのが、なにかしらの理由で消えていたのか、もしくは消されていたのか。「なんかユダ、可哀想だから消しといてあげよう」みたいに思っていた人がいる可能性もあるじゃないですか(笑)。そういうのも歴史的に面白い話ですよね。

修復前のレオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』前にて
修復後の『最後の晩餐』とともに

絵画の世界は、本当に自分がいいと思ったものを描き続けるしか正解がないと思うんです。そういう険しいジャンル。

—中村さんは、絵画と音楽にはどういったふうに通じ合うような感覚があると思いますか?

中村:私は絵の人に対して、説明させるのがおこがましいって感じるんです。絵のほうが自分の命の削り方が尋常じゃないので。音楽は時間軸の芸術で、その空間やムードを切り取れるところがひとつの美しさじゃないですか。でも絵は、その作家が何年もかけて描いたものが、ただ切り取られてそこにあるだけ。そこにはとてつもないエネルギーがある。

私は精神を削ってなにかに向き合う人たちが素晴らしいと思っているので、その人が作ったものが自分に合わなかったとしても、そういう人を最初から尊敬しているんです。だから自分の音楽に「似てる」なんて、絵に対して自分からは言えなくて。緊張しちゃうというか、さっきの『接吻』について話したことも、もしクリムトが近くにいたら絶対に言わないと思います(笑)。同じように、音楽に対してもある種の敬意があるので、私はあまり「わからない」とは言いたくないって思っています。

—たとえばミレイの『オフィーリア』がそうですが、絵画には、当時は評価されなくても時代を超える力を持つ作品が多いですよね。芸術のあり方としても、その瞬間に評価されるものと、時間が経つことで評価されるものがある。そういうところに関してはどう考えていますか?

中村:作品にふたつの時間軸があるのが面白いですよね。私の場合、感動したときに一番早くアウトプットできる方法が歌だと思っていて、自分自身のことも瞬間的な人間だと認識しているんです。だから、時間が経ってどう見られるかっていうことに対して、わからない部分がすごく多くて。瞬間的に評価されることに対しては、確実な方法として流行りに乗ればいいと思うんですけど、絵画の世界は、本当に自分がいいと思ったものを描き続けるしか正解がないと思うんです。そういう険しいジャンルだと思うから尊敬しているのかもしれないですね。

ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』と向き合う中村
中村佳穂『AINOU』を聴く(Apple Musicはこちら

—音楽はそもそも時間芸術ですが、20世紀のはじめにレコードの技術が生まれて、音を記録し、複製できるようになったわけですよね。そういうメディアの変化についてはどう思いますか? 複製芸術という観点での音楽ということについて。

中村:不思議だなあって思っています。面白いですね。私に関して言うと、特に『AINOU』を出すまでは、自分の歌の癖が強いということにかなり意識的だったんです。なので、私本人を見て、知ってもらって「この人はこういう歌を歌うんだ」と、癖を理解してもらえなければ、CDを作っても大事に聴いてもらえないと考えていて。

だから、最初の作品は一般のお店に流通させないって決めていたんです。自分が渡せる範囲にだけ届けたいというか、自分が手渡しした人であれば、私自身の説明が入るから、CDを大事にしてもらえるだろうなと。『AINOU』は逆に、複製されるとわかっているからこそ、いろんな人の意見を混入させることによって自分の癖の強さを分散させようという意識でした。だから複製されても誤解が減るだろうし、きっとCDも大事にしてもらえるって。

—最初のアルバムの『リピー塔がたつ』(2016年)の頃もそういう感じでした?

中村:今まで出会った人を電話で呼んで、私の作品を説明してセッションしてもらって作ったのが、『リピー塔がたつ』でした。あの作品に関しては、『AINOU』よりもうひとつ小さい意味で、いろんな意見の混入が必要だと考えて、意識して踏み出した感があります。いろんな人の意見が入ることによって、「こういうところは好きじゃないけど、ここはいいよね」っていうふうに好きになってもらおうという意識がありました。

—『リピー塔がたつ』は「SIMPO RECORDS」で通販をやっていましたよね。そういう意味でも、手渡しではないけれど、中村さんのことを説明できる人が売っていた。

中村:そうですね。注文があったらその都度一つひとつ梱包して発送しているし、手渡せる範囲でという意識はかなりありました。

曲は変わるのが普通。その人自体がオリジナルで、その人がどう生きているかということなんだよ。

—つまり、『AINOU』を作るまで、自分の音楽が複製されて届くことに対して、それをコントロール下に置こうというある種の線引きがあった。でも、今は『AINOU』が世に出て、それが音楽の持つ力で遠くまで広がって届いて、ちゃんと受け止められたという実感があると思うんです。そこに関してはどうでしょう。

中村:私、絵と向き合っていた高校のときは、音楽にたいして興味がなかったんです。歌を歌うことは好きだったんですけど、ライブハウスの存在すら知らなかったから「テレビに出てない人はみんな路上でやっているんだ」ぐらいな知識で。今は、そういう音楽にたいして興味がなかった高校のときの私のような人にも届いているような気がしています。

「原曲どおりに歌わない人」って見られているだろうなと自分でも感じていて。でも、「曲は変わるのが普通。その人自体がオリジナルで、その人がどう生きているかということなんだよ」っていうことを、ライブや作品を通して、伝えられるようになりたいなと思います。

—きっと中村さんの作品を聴いて、ライブを観れば、ほとんどの人にそれは伝わるんじゃないかと思います。

中村:そうであれば嬉しいです。

—中村さんのライブを観て、ほとんどの人がまず驚くのが、曲と曲でない部分の境目がないことで。

中村:ははははは(笑)。言われますね。

—これは単なる技術とかスキルの問題ではなく、より本質的な芸術に対しての視点があるということだと思うんです。先ほどおっしゃっていたように、音楽は時間芸術であって、その場の空間を切り取るところに美しさがある。だからこそ、喋るのも歌うのも同じ呼吸として境目がない、という。一方で、絵画についても、そこにかけた時間を感じている。「その人がたくさんの時間を使ってなにを注ぎこんだか、自分のなにを削り取って表現したか」という価値観や感性で見ている。

中村:嬉しいです。そうですね、本当に。それ以外の見方もたくさんあるんですけれど、自分は「そうじゃなかったらどこを見るの?」くらいの気持ちであり続けているので。改めてそう思います。

私は、その人が純度高いエネルギーで感動したものがオリジナルだと思う。

—アートと音楽について考えていくと、「本物」ってなんだろう? という問いに突き当たると思うんですよね。絵画については、原画と複製がある。でも、音楽はなにが本物なのかっていう問いが曖昧だと思うんです。レコーディングされたオリジナル音源を「本物」と言うこともできるかもしれないし、一方でライブなのか、はたまた楽譜なのか、いろんな観点がありえますよね。

中村:ちょうどこの前そんな話をしていたんですよ。その話のなかでは、「やっぱり本物ってオリジナルだ」っていう結論になって。私が考える「オリジナル」は、一番最新のエネルギーをかけているもの。だから私の場合は、ライブをしている私が最新でオリジナルなんです。ライブのときは、今、ここに現存していて、一番エネルギーをかけている。だからCDと違うって言われても、私自身はその瞬間がオリジナルだと思っている。

でも、その一方で、たとえば中学校のときに夢中になって聴いていた作品があって、時間を経てライブを観に行って聴いたとするじゃないですか。その結果、「自分のなかの思い出とちょっと違う」と感じたとしても、当時その作品に感動したっていうことも本物だと思うんです。私は、その人が純度高いエネルギーで感動したものがオリジナルだと思う。だから、それが人によって違ったとしても、それは正解だと思っています。

—その視点で、この大塚国際美術館での体験を語ってもらうと、改めてどういう場所なんだと思いますか? 陶板で原寸大に複製された絵画がたくさんあるという。

中村:私の理論で言うなら、原画かどうかよりも、鑑賞者が作品に対してエネルギーを向けられるかどうかが大事。もちろん原画には、その作家がそのときに筆を乗せていたという事実があるので、そこにはすごく価値があると思うんです。なので常に原画や原作者にリスペクトの気持ちを持っています。

極端な言い方をすると、ここに来ていろんなものを見たら自分の感情のフラグがピッて動くと思うんです。「あ、ここだ! 中世!」みたいに。そうやって心が動くポイントが正解なので、ダウジングみたいに歩いてビビビッとくるものに気づける場所だと思います。それにアートは高尚なものが多いから、「あの時代とこの時代を並べるんじゃない!」っていうようなイザコザが起こりがちなところを、複製であるおかげでまとめて鑑賞できるのも親切だと思います。

そういう意味では、この美術館はすごくいいワープ地点みたいな感じです(笑)。ここでの体験を踏まえてオリジナルを観に行ったら、そこでもっと違う、さらに大きいエネルギーが生まれると思う。だから、ここをきっかけにいろんなところにワープしていったらいいんじゃないかと思います。

—ここに来る人への鑑賞の仕方としても、自分の心がどう動くかを意識するのがおすすめということですね。

中村:そう思います。いいかどうかを判断するのは自分なので、自分がどうあるかが結局大事。それは年齢でも変わってくると思う。私自身、19歳の当時と比べて、26歳になってハッとする作品が増えているので。だから「観るぞ!」って気合いを入れるんじゃなくて、リラックスして、あまり意識しすぎず、自分の感情の動きに注視して作品を観ると楽しいと思います。

で、回ったあとに、ちょっと気になった場所を思い出す。そこにもう一度行ってみたら「あれ? さっき気づかなかったけど、こんな作品あったの?」ってなるはずなんですよ。そうしたらそこを1時間観て帰るとかでもいいと思う。自分の心の動きに興味を持って生きていれば、他の人が気づけないようなやばいものに、その人だけが気づける。そうなったら、作品を観るのって楽しいんじゃないかなと思います。

—そういう経験がひとつでもあると、きっと音楽の聴き方も変わりますよね。

中村:そうですね。「誰がどう言おうとこの人が好き」って、ちゃんと言えるようになると思う。それって、その人の人生にとって絶対的にいいことですよね。そういう自分の心の指針は間違いないと思うから。私はバンドメンバーに対してそう思っているんです。周りの人がどう思おうと、私は本当にレミ街(中村佳穂BANDの荒木正比呂、深谷雄一の所属するバンド)のことが好きだし、彼らのことをずっと信じている。それって、すごく幸せじゃないですか。

—そうですね。それに、すごく豊かな生き方だと思います。

中村:嬉しいです。自分は豊かに生きたいって意識しているし、今も、少しはそうであるなって意識はあります。今が幸せって言い続けられるのもそのおかげかもしれないです。

美術館情報
『大塚国際美術館』

「大塚国際美術館」は、徳島県鳴門市に位置する日本最大級の「陶板名画美術館」です。至宝の西洋名画1,000余点をオリジナル作品と同じ大きさに陶板で再現しています。四国や近畿からはもちろん、東京からも日帰りでお楽しみいただけます。

開館時間(休館日):9:30~17:00(入館券の販売は~16:00)まで
※休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、1月は連続休館あり、その他特別休館あり、8月無休
(※増税により変更する場合がございます)

入館料:
一般 3,240円
大学生 2,160円
小・中・高生 540円

イベント情報
『中村佳穂 うたのげんざいち 2019 夏 in 京都』

2019年6月30日(日)
会場:京都府 紫明会館
出演:中村佳穂+friends
料金:前売4,000円 当日4,500円(共にドリンク別)
※高校生以下は身分証明書提示で1,000円キャッシュバック、未就学児無料

『LIQUIDROOM 15th ANNIVERSARY 中村佳穂』

2019年7月13日(土)
会場:東京都 恵比寿 LIQUIDROOM
出演:中村佳穂BAND+special guest
料金:前売4,000円 当日4,500円(共にドリンク別)
※高校生以下は身分証明書提示で1,000円キャッシュバック、未就学児無料

プロフィール
中村佳穂
中村佳穂 (なかむら かほ)

「彼女が自由に歌うとき、この世界は輝き始める。」数々のイベント、フェスの出演を経て、その歌声、音楽そのものの様な彼女の存在がウワサを呼ぶ京都出身のミュージシャン、中村佳穂。ソロ、デュオ、バンド、様々な形態で、その音楽性を拡張させ続けている。ひとつとして同じ演奏はない、見るたびに新しい発見がある。今後も国内外問わず、共鳴の輪を広げ活動していく。2016年、『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演。2017年、tofubeats『FANTASY CLUB』、imai(group_inou)『PSEP』、ペトロールズ『WHERE, WHO, WHAT IS PETROLZ?? -EP』に参加。2018年11月、2ndアルバム『AINOU』をリリース。2019年、『FUJI ROCK FESTIVAL』を含む全国各地の音楽フェスに出演予定。



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