遠藤薫はアイデアで取り締まりをかわし、規格外の変化球を投げる

新進作家を紹介する『shiseido art egg』。3つ続いた展覧会の最後を飾るのが、遠藤薫だ。沖縄の芸術大学で工芸を学び、工芸作家として活動しつつも、同時に現代美術のアーティスト、DJとしても活動する遠藤は、その多方面に広がる活動の糸を編むようにして、自身の表現を続けてきた。

現在はベトナムを拠点に、布にまつわるリサーチと制作を続ける彼女にとって、表現とはどのような行為なのだろうか? 個展を控え、日本に一時帰国したタイミングで話を聞いた。

一見するとはちゃめちゃだが、素朴な「なぜ?」と反骨精神を胸に表現活動を続ける

遠藤:なんでもやってみたい気持ちが強いんですよね。生徒会に入ってみたいとか、応援団長やってみたいとか、留学したいとか。「できないかもしれないけどがんばります!」って。でも、めっちゃ遅刻したりするのでダメダメなんですけど(苦笑)。

遠藤薫(えんどう かおり)
1989年、大阪府生まれ。2013年に沖縄県立芸術大学工芸専攻染めコース卒業。2016年、志村ふくみ(紬織, 重要無形文化財保持者)主催、アルスシムラ卒業。現在は、ハノイ / 大阪府在住。

生来の好奇心の赴くまま、遠藤薫は生まれ育った大阪を遠く離れて沖縄の芸術大学に進学し、現在はベトナム・ハノイを拠点に布にまつわる作品を手がけている。そこに至るまでの過程はさらに多彩……というか波乱万丈だ。

三代続く書家の家に生まれながら、「まっすぐに字を書くの、変では?」という理由で書いた規格外の作品で大阪府知事賞を受賞。「DJもしもし」を名乗り、学生時代に意気投合したクリエイターたちと、テクノを聴きながらうどんを踏むイベント『テクノうどん』を発案し、オーガナイズ。一見するとはちゃめちゃだが、素朴な「なぜ?」と、ほのかな反骨精神を胸に、遠藤は表現活動を続けてきた。

今回の『shiseido art egg』では、沖縄と布にまつわる作品を発表するという彼女へのインタビューを通じて、そのルーツを辿っていきたいと思う。

遠藤:沖縄に行きたいという気持ちは、小学生のころからずっとあったんです。テレビで琉球ガラスの工芸作家のドキュメンタリーをやっていたんですよ。米軍のコーラ瓶などを素材に使う再生ガラスにはどうしても気泡が入っちゃうんですけど、もみがらや魚の骨を入れたりして、その欠点を生かすんです。ダメなところも無理やりよいものにしようとする沖縄の工芸の精神に衝撃を受けました。それ以来「私は絶対に沖縄へ行くんだ!」と思うようになりました。

―小学生でその精神性に惹かれるのはすごいですね。

遠藤:親が書家だったこともあって、子どものころから工芸や民藝(柳宗悦、濱田庄司らによって提唱された生活文化運動。無名の職人が生み出した日常の生活道具を高く評価し、「美は生活のなかにある」と提唱した)が身近だったからかもしれませんね。

親からは反対されたりもしたんですけど、たまたま高校の先生が沖縄が大好きな人で、岡本太郎の『琉球文化論―忘れられた日本』(中公文庫)を手渡してくれたうえに、親まで説得してくれて。気持ちはもう、ますます「行くぞ!」と。それで沖縄県立芸術大学工芸専攻に進学しました。ところが、芸大にはガラス工芸を学べる学科がなくて(苦笑)。

―なんと。

遠藤:もっとも特別にガラスを学びたいというよりは、戦争の経験や米軍基地の問題を逆手にとるような沖縄の工芸の精神自体に惹かれたところが大きかったですから。それで工芸全般を学ぼうと思ったんです。

沖縄で「揉まれる」生活を経て、生まれ故郷大阪で染物に挑戦

―沖縄での学生生活はいかがでしたか?

遠藤:絵を描くのが好きだったので、似たところにある染織に取り組んだんですけど混乱ばかりしていました。

「新しい紅型(沖縄の伝統的な染色技法)を作る」という課題を出されても、沖縄出身でもない私が、なにを根拠に「新しい紅型」を定義できるのだろうか、と悩んだり。ふだんから「(遠藤さんは)沖縄の人じゃないよね」と見られるのもカルチャーショックでしたし、ヘリコプターが堕ちたり、米軍関連の事件で人が亡くなったりするような事件が起きている土地ですから……それで同級生と一緒にデモに参加したりだとか。とにかくいろんなことに揉まれる生活でした。

―紅型の課題はどんな風に応えたのですか?

遠藤:結果的に「サンプリング」することにしました。音楽用語の転用ですけど、古い紅型の着物の模様を集めてきて、大きくしたり小さくしたり。とくに戦前に使われていた古典的な柄だけを使ってマッシュアップ(再構成)する。これなら沖縄の人間ではない私にも紅型を扱えるぞ、と思ったんです。

DJ活動にもつながるようなアイデアの転換は、自らのルーツを意識するきっかけを与えたようだ。大学を卒業して大阪に戻った遠藤は、大阪らしい染織に挑戦しはじめる。

遠藤:沖縄の人には沖縄の染物、アイヌの人にはアイヌの染物がある。じゃあ、大阪の人の大阪の染物と言ったら……「注染染め」だろうと思いました。

注染染めは明治時代の大阪で生まれたもので、大量生産可能な近代的な染織技法です。7メートルぐらいのはしごを何度も上り下りして、布を引き上げるような重労働で、女性には向かない仕事と言われていました。実際、弟子入りを頼んでも断られ続けたのですが、なんとか受け入れていただいて。作業は大変でしたが、機械の騒音が大きすぎるので、大声で歌を歌っても怒られたりしないから気に入っていました(笑)。

―音楽好きとしては楽しい職場だったんですね。

遠藤:はい。でも、化学染料ってやはり毒性を含むものですから、私にとってこの技法を今後も違和感なく大事にできるのだろうか? という疑問もあって。それで志村ふくみさん(草木染めを用いた紬織の作品で知られる人間国宝の作家)のところで植物染料と工芸の基礎をあらためて学びました。

「DJと称して、ターンテーブルを回してその上でパン生地をこねるのも真面目な工芸の問題意識からなんです」

2015年の東京での個展(『DJもしもしの幽霊について』)や翌年参加したクリエイティブセンター大阪(CCO)でのグループ展(『クロニクル、クロニクル!』)以降、現代美術のアーティストとして知られることの多い遠藤が、そのルーツやキャリアだけではなく、作家としての関心も工芸に強く向かっているのはちょっと意外だ。

『クロニクル、クロニクル!』2016年 CCOクリエイティブセンター大阪(大阪)小麦粉、石、ルンバ、隕石

遠藤:自分の関心の軸にあるのは、いまも昔も「工芸的ななにか」についてなんです。DJと称して、ターンテーブルを回してパン生地をこねてツボを作って土に埋めたり、蟻に食べさせたりしているのも「身近なもので陶芸をするにはどうしたらいいのか?」という着想から来ていて。「残るものと、残らないものとはなにか?」という、けっこう真面目な工芸への問題意識からなんです。

書道にしても、例えば世界中で見られるプリミティブな文様のひとつに「渦巻き文様」があります。渦が巻いているという視覚的な神秘性や、水や植物の動きを模倣してできる造形性が世界中で普遍的に受け入れられた理由だと思うのですが、いっぽうで私は「単純に手首の骨の構造なんじゃないか?」と考えてみました。

―自然に手を動かせば曲線が生まれる、と。

遠藤:基本的に縦横の線で整理された楷書を書くときに、単純な手首の動きを生かすと、自然にフィボナッチ数から生じる螺旋のかたちや、フラクタル(部分のかたちが全体と相似するような構造のこと)的な文字になっていきます。「人間も、身体はまだ動植物なのだな」と再認識するような文字を書いていました。書道教室の先生をしていても、そんな変わった文字は書けないので、ずっと家で実験していたんです(笑)。

そういう実験を、たまたま知り合ったキュレーターが面白がって声をかけてくださったのが、現代美術に関わるようになったきっかけです。

―『クロニクル、クロニクル!』展では、ロシア宇宙主義(19世紀後半のロシアで考えられた自然哲学で、独特の死生観を有する)に関わる作品を発表していましたね。

遠藤:ロシア宇宙主義の理念と共に、当時の名も無き造船工人たちを現代に復活させる試みでしたが、そこにも、私なりの工芸への意識があったんです。

工芸の世界の内側だと、私のやってるようなことは異色すぎて叱られることもあるんですけど、現代美術の世界では可能になる。むしろ外から考えることで、工芸の本質みたいなものに迫れるんじゃないか、と思っているんです。

『Practicing for write』2014 奈良・町家の芸術祭 はならぁと、ミクストメディア

数百年にわたって続く伝統芸能の世界では、「天才待ち」という考え方があると聞いたことがある。長い歴史のなかで研鑽された技術や思想を後世に正しく受け継ぐのが代々の後継者の使命だが、それだけでは本来の芸術性は途絶えてしまう。異端者的な天才が2~3代ごとに現れることで、流派の命脈は更新されるというのだ。遠藤の作家としてのスタンスや経歴は、そんなことを思い出させる。

「ベトナムでは『美術』と言ってしまった途端に取り締まりを受けてしまうことがあるので、あくまでも『掃除』と言うわけです」

いくつかの展覧会を経て、遠藤の近年の関心は「布」へと移っている。拠点をベトナムに移し、東南アジアでさまざまなプロジェクトを続けるなかで、その関心はますます広がっているそうだが、例えば2018年に発表した『Uesu(Waste)』は、古布を縫い合わせた大きな雑巾でハノイ市内を拭き掃除する、という作品だ。ベトナムでよく見かけるという柄の雑巾を購入し、それを市場内で使い古された雑巾と物々交換し、さらに1枚の巨大な雑巾を縫いあげていく。

『Uesu(waste)』2018年(ハノイ、ベトナム)

遠藤:かたちを保ったまま地中から発掘される陶器とは違って、布はすぐ土に還ってしまうから後世に残りづらいものです。そもそも燃やしてしまえば跡形もなく消えてしまう。その特性を作品にできないかなと思ったんです。

この作品は、主としては絵画的な制作を目標にしていますが、同時に布本来の用途……例えば雑巾として、掃除のために「正しく」使われることも考慮したいと考えました。

―絵画でもありつつ、雑巾でもある?

遠藤:はい。使い込まれた雑巾は、破れたりほつれたりすると縫い直され、まるで老いるように経年劣化していく美しさを持っています。そういった古い雑巾を縫い合わせて、街の掃除に使おう、というのが『Uesu(Waste)』のアイディアの根っこです。

ここで一番大事なことは「(作品=雑巾が)今後もずっと使われて損なわれては修復されることを繰り返してゆく」ということ。この実際的な繰り返しのなかでしか、布は布として存在できないのではないか? という仮説を立てたんです。

唯一性を持った作品であることと、日用品としての雑巾であることを同時に成立させようとする考えは、まさに民藝の「用の美」を思い出させる。また、遠藤が『Uesu(Waste)』を制作しようと思った背景には、ハノイという街の特殊性と、現在のベトナム社会の問題点があるという。

遠藤:ハノイは排気ガスの排出量が世界一の街で、空気汚染や街の汚れが酷いんです。さらにベトナムは共産主義ですから、美術に対する取り締まりがものすごく厳しい国でもある。事前に作品プランを政府に提出して許可をもらわなければならないうえに、取り締まりまである。例えば、まったく反政府的ではないアニメーション映像でも、ちょっと漢字が映っているだけで「これは政府批判の意味なんじゃないか。翻訳しろ」と警察に迫られたりします。

―東南アジアの国々はどこも美術に対する取り締まりが強いですが、ベトナムは「美術」というだけで警戒されてしまうんですね。

遠藤:実際、街なかで大きな雑巾で掃除をしているとセキュリティや警察の人が「なにをやってるんだ」と取り締まりにくるんです。そんなときに「掃除をしたいだけなんです」と言うと、みんな困惑しつつも、街が汚いのはわかっているから「そうか、よいことをしてるんだね」みたいな反応で、なんとなくOKになったりする(笑)。

―単なる掃除だから(笑)。

遠藤:もちろん私の目的は掃除ではないんです。主目的は、掃除をしているような動作で作品を地面に擦り、使い込むこと。何重も布を重ねて作っているので、引きずっているうちに内側から別の色彩が出てくるんです。絵画的に言えば「サンディング(研磨)」に近くて、擦れば擦るほど美的になるように設計してある。でも、これを「美術」と言ってしまった途端に厳しく扱われるので、あくまでも「掃除」と言うわけです。

蚕はあまりにも家畜化されすぎて、元のルーツがわからない謎の生き物になってしまっている

―だとすると、この作品には政治的な含意はない、と思ってよいのでしょうか?

遠藤:それは答えるのが難しいです。政治的な意味合いと絵画的なアイディアはほぼ同時に起こって、その二つはどうしても含まれてしまうのだと思います。構造としては『テクノうどん』に似ていて、あのイベントは2010年代に相次いだ、クラブに対する取り締まりへのカウンターだったんです。

―深夜0時以降にダンスを行っていたクラブなどへの警察の介入ですね。2016年に風営法が改正され、特定の条件を満たせば朝までの営業が許されるようになりましたが、議論はいまも断続的に続いています。

遠藤:沖縄や大阪でもクラブが閉店に追い込まれるような事態が起きていました。当時、たまたま私がうどん作りに熱中していて、「私たちはうどん踏んでるだけで、偶然そこにテクノが流れてるだけなんです」と言えばいいんじゃないか、というアイデアを思いついたんです。それに楽しいでしょう。うどん踏んで食べたら美味しいし(笑)。

―たしかに(笑)。制限されつつも、それを乗り切る楽しさを見出す方法ですね。

遠藤:布や、工芸の在り方にも似たところがあると思うんです。租庸調という昔の税制度では、庸布といって布を税として納める制度がありました。貧しい人々はものすごく切迫した状況で布を織らなければいけなかった。でも、同時に美しく織ることに誇りを持つようになり、染織がその村の大切な文化になっていったりするわけです。他にも「母さんが夜なべして縫い物をする」ような、女性自身が誇りに思う布の仕事もあったりして、苦しい状況に対して喜びを見出しつつ、抗っていくというマインドが工芸の歴史にはあると思うんです。

―それが『Uesu(Waste)』の雑巾での拭き掃除にも反映している。

遠藤:布についてリサーチしていくと、自ずとそういう視点が得られるというか。今回の『shiseido art egg』で展示する新作は、さらに養蚕の歴史を踏まえたものになっています。

『shiseido art egg』展示の様子 撮影:加藤健

遠藤:蚕って不思議で、5000年以上前から中国で飼いならされて以来、人間なしには生きられない生き物になってしまってるんです。しかもあまりにも家畜化されすぎて、元のルーツがわからない謎の生き物になってしまっている。

―人間なしに生きられない、とは?

遠藤:もともと害虫なので、増えすぎないように生物としてめちゃくちゃ弱く設計されているんです。水に触れただけで死んでしまうから、野生の蚕自体少ない。さらに、24時間くらいかけて大量の桑の葉を食べ続けて、1万倍くらいの大きさになると、今度は2日間ノンストップで糸を吐き続けたりする。そんな存在なので、もし人間の手を離れたら、即、この種は全滅してしまうんです。

『Thanks, Jim Thompson』(バンコク、タイ)

―むちゃくちゃエクストリームな生き物ですね……!

遠藤:その蚕のシステムをうまく利用して、古布に開いた穴を、蚕が自発的に糸を吐いて修繕していくというのが、今回の新作です。蚕の習性を利用して不織布を作ることはアジアでは伝統的な技法です。さらに蚕には地域差があって、東南アジアでは黄色、日本は白と黄緑色の糸を吐く。そういった蚕の姿からは、まるで彼らが人間と契約を結ぶことで生き残っているようにも思えてきます。今や、その糸は医療にも利用され、スペースシャトル内の食用家畜としても研究されているんですよ。もはや、蚕は強いのか弱いのかわからない(笑)。

―先端科学の発展にも寄与してますしね。

遠藤:私が最初に沖縄に惹かれたのは、困難な歴史的側面や、欠けているところを逆利用するたくましさでしたが、新作にはそのことも含まれてくると思います。当時の人の手によって米軍服の切れ端で修復されている芭蕉布(バナナの葉などの繊維で織った布。古代中国にルーツを持つが、現在は沖縄や奄美群島の特産品として知られる)の古布だとか、パラシュートの糸を使った織物だとか。さらに、私も米軍基地内の黙認耕作地のバナナで糸を作ったり。そういうものが混ざり合った布を個展では見せたいと考えています。

『Thanks, Jim Thompson』(バンコク、タイ)

工芸を勉強していくなかで出会ってきた、「価値観の逆転」

書道の家に生まれたからこそ、外から書の本質を考えてみる。沖縄の外からやって来たからこそ、沖縄伝統の紅型への介入の仕方を考える。クラブカルチャーの危機に、笑えるアイデアで変化球を投げてみる。

遠藤のそういった活動を振り返ってみると、ときに理不尽さを伴うさまざまな状況に対して、直球勝負ではないアゲインストの方法を探ることが、彼女の表現の起点になっているのだと気づく。

遠藤:海外の現代美術の作家さんたちは、作品を通して、あるいは作品以外でも、政治や社会の理不尽な状況に対しててらいなくアゲインストしています。最近は、そういう直接的なアクションを見習いたいな、と思ったりもするんです。例えば、異なる土地の文化に共通点を見出して、それをつなぐことで状況を変えることを、私は目論んでいます。

沖縄の芭蕉布の製法はかつてベトナムにもあったのですが、17世紀には消えてしまいました。おそらく、それは工程があまりにも過酷すぎてみんな作らなくなったから。でも、沖縄はそれしか選択肢がないのでずっと芭蕉布を作り続けてきた。それを民藝の提唱者である柳宗悦が発見して「こんな素晴らしいものを民衆みんなが着てる!」と驚くわけです。工芸のことを勉強していくと、至るところでこういった価値観の逆転みたいな出来事に出会います。

―たしかに。

遠藤:最近、ベトナムのまったく観光地化されていない少数民族の村で芭蕉布を復興させるプロジェクトを立ち上げました。同国にはもう芭蕉布の作り手はいませんから、沖縄からプロフェッショナルを招待してワークショップを9月に行います。こういった交流の過程では、逆向きの伝達も起こります。例えば、大麻を原料とする布は日本では簡単には作れませんから、その技術をベトナムの人たちから学ぶ機会が生まれたりもするんです。

少数民族と現代経済との関わり方の中で、どうすれば彼らや私も含めた人間が、自尊心を保ちうるのか? よい生活を選択できるのか? それを考えてみたいんです。

―活動が作品制作だけではなくなっている。

遠藤:それに、そもそも沖縄とベトナムは古くから技術の交流があって、染織の原料も酷似していますからね。沖縄のニライカナイ信仰のミルク神(弥勒神)はベトナムから来た、という記述もあったりして、共通点は多いです。そのことをベトナムの仲間に伝えると「ぜひ助け合おう!」と、自然となるんですよ。

―アートでなく工芸だからこそ結ばれるネットワークがある。

遠藤:もちろん美術にはよいところがたくさんあります。「ペンは剣よりも強し」というか、なんらかのアイデアでちょっと転換してみたり、抜け道を作ったりすることができるのは美術の大きな魅力です。でも、ちょっとメタ的になりすぎる感じもある。だから美術らしさとは別のやり方で、ベタに経済に介入するとか、政治的なことにも関与するとか、そういうことに興味があるんです。

―これまでは現代美術という「外」から、工芸について考えてきたけれど、さらに別の「外」から、今度は現代美術を考え直してみることもできそうですね。

遠藤:どんなことでも、外から見てみることで本質的なことを考える視点を持つことが可能になるんだと思います。現代美術には、他のジャンルのアイデアや技術を獲得して、アートの本質を広げていく、包摂していくという性質があると考えられていますが、私はそんな風に工芸を美術として扱っていません。工芸だけをしていてもできないことを現代美術が引き受けてくれているのと同じように、美術だけでは足りないことを、工芸が引き受けてくれているのが今の状態。それらは、単なる領土の拡大ではないのだと思っています。

もっと言い換えるなら、「世界+美術=世界」だな、と。一見すると皮肉っぽく理解されるかもしれませんが、これは私にとってずいぶん複雑な、希望的な数式なんです。

イベント情報
『shiseido art egg 13th』
遠藤薫展

2019年8月30日(金)~9月22日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日 11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

作家によるギャラリートーク
遠藤薫

2019年8月31日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

※事前申し込み不要。当日開催時間に直接会場にお越しください。
※予告なく、内容が変更になる場合があります。
※やむを得ない理由により、中止する場合があります。
中止については、資生堂ギャラリー公式Twitterにてお知らせします。
※参加費無料

プロフィール
遠藤薫 (えんどう かおり)

1989年、大阪府生まれ。2013年に沖縄県立芸術大学工芸専攻染めコース卒業。2016年、志村ふくみ(紬織, 重要無形文化財保持者)主催、アルスシムラ卒業。現在は、ハノイ/大阪府在住。



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