倉持裕、倉科カナ、上白石萌歌が描く悪人 現代の善悪のせめぎ合い

数々の推理小説を発表した、江戸川乱歩。怪作・奇作を多く遺した彼だが、そのキャリアにおいても特に異色なのが『お勢登場』である。肺病に侵された夫を箱のなかに閉じ込めて殺してしまう女を描いた本作を乱歩は特に気に入っていたようで、いつか名探偵・明智小五郎と対決させるのだと宣言した。しかしその構想は実現せず、魅力的な悪役・お勢の活躍は、その1本きりになってしまった。

この世界観を継承し、ありえたかもしれない物語を作ろうとするのが、倉持裕が作・演出する『お勢、断行』だ。ある名家の食客になったお勢の周囲では、お家騒動にまつわる不気味な事件が相次ぐ。さまざまな人の欲望が渦巻くなかで、彼女はどんな結末を迎えるのだろうか?

まもなく稽古がスタートする同作の作・演出を務める倉持、お勢役で参加する倉科カナ、そしてお勢とともに人間の悲哀・醜さを目撃する令嬢・晶を演じる上白石萌歌を招き、作品について、そして作品が描こうとするものについて聞いた。

「倉持さんに泣かされてる女優さんはけっこう多いんじゃないかと!」(倉科)

―まず、倉科さん、上白石さんから見た倉持さんの印象をお聞かせいただけると。以前のインタビューで「とても寡黙な人」と、倉科さんはおっしゃっていましたが。

倉科:そうなんですよ。いつも飄々としてらっしゃって、感情が読めないというか。

倉持:たしかに、あまり感情を表に出さないかも(苦笑)。

倉科:共演する大空(ゆうひ)さんと話していて判明したんですけど、倉持さんに泣かされてる女優さんはけっこう多いんじゃないかと!

倉持:えっ!

―それは……どのような意味で……?

倉科:みなさん倉持さんのことが好きだから、日々のちょっとした言動で一喜一憂しちゃうんですよ。私も「今日の倉持さんは一日中伏し目がちだったなあ。今日の私(稽古が)できてなかったかなあ……」とか(笑)。逆にいいことを言ってくれた日は「嬉しいなあ!」みたいな。だから、泣かされてる女優さんは多いと思います!

左から:上白石萌歌、倉持裕、倉科カナ

倉持:ちょっと誤解を生む言い方をしないでほしい(笑)! そんなんじゃないですよ! でも、あるのかなあ……。もっと、感情をちゃんと出さないといけないですよね……。

倉科:いや、それも含めて私たちも楽しみなので、そのままでいてください(笑)。それで、以前『誰か席について』(2017年)でご一緒したときにいちばん印象に残っていたのが……ラヴィアンローズ事件!

―いったいどんな事件だったんでしょう?

倉科:芝居のなかで、鼻唄でエディット・ピアフの“ラヴィアンローズ”を歌うシーンがあるんですよ。それがなかなか難しくて、私、毎回うまくいかなかったんですよね。そしたら数日間稽古したあとに、倉持さんが「咳払いしてもらっていいですか? 喉の調子が悪かった、っていうことにしたら面白いかも」と演出してくださったんですよ。

それがすごく新鮮だったんです。「ない」ものをむりやり作るんじゃなくて、「ある」ものを使って、より面白くできる方法を探るように演出してるんだな、って。私自身、そのあり方がすごく気持ちよくて、負荷をかけずに新しい扉が見えてくるような。私にとって倉持さんはそんな演出家さんなんです。

倉科カナ(くらしな かな)
1987年12月23日生まれ。2009年にNHK連続テレビ小説『ウェルかめ』の主演を演じ一躍注目を浴びる。近作では主演映画『あいあい傘』が2018年に公開された。2019年『チャイメリカ』(演出:栗山民也)に出演。倉持作品への出演は『誰か席に着いて』(2017年)以来二度目となる。

倉持:恐縮です(苦笑)。途中から音程がずれていくのが面白かったんですよね。それに、咳払いって面白いじゃないですか。面白い話をしたつもりだったのに場がしーんとなってしまったときに「んんっ」なんて咳き込むと、より気まずさが強調されるというか。倉科さんの鼻唄を聴いてて「それ、やってみたいな」って思っちゃたんですよね。

上白石:私は現場をご一緒するのは今回が初めてですけど、観客として印象に残っているのは竹中直人さんが主演されていた『夜更かしの女たち』(2014年)です。駅のホームと電車が舞台になっていて、一幕と二幕でまったく同じ会話が繰り返されるんですけど、その視点を変えるところが面白くて。

倉持:駅に電車が到着するところから始まって、ホームのあちら側とこちら側から見せる、っていう内容ですよね。

上白石:(しみじみと)面白かったです……。16歳くらいで見て「なんだこれは!」って衝撃を受けました。それから、姉(上白石萌音)が『火星の二人』(2018年)でお世話になったこともあって、2回観に行ったんです。家に姉の台本がありましたから、2回目はシーンごとに読み込んでいったり、結末から逆に読んでみたりしたんですけど、1回観ただけではすべてがわかりきらない、よい意味での気持ち悪さ、あとを引く感じがあったんです。映画監督の吉田大八さんの作品にも、同じものを私は感じるんですけど。

―『桐島、部活やめるってよ』(2012年)や『美しい星』(2017年)の監督ですね。

上白石:わかりやすいものが必ずしも面白いわけではなくて、その先を想像したくなるような。家に帰るまでに何度も「あの言葉はなんだったんだろう?」とか「なんでこんなに胸に引っかかるんだろう?」とか考えながら家路につく経験でした。ありきたりな言い方ですけど、家に帰るまでが倉持さんの表現になっていて。

倉持:それは嬉しい言葉です。

上白石:それで今回ご一緒することになって、はじめてお会いしたときも不思議だったんですよ。昔から知っているような感じ。逆に倉持さんも私のことを昔から知ってくださっているような感覚もあって、心から落ち着く。これまで2作をご一緒されている倉科さんとの距離と、はじめましての私の距離があまり変わらないように感じられて、その平等な距離感が素敵だなって思いました。まだ稽古は始まってないですけど、すごく気を許せそう(笑)。

上白石萌歌(かみしらいし もか)
鹿児島県出身。2011年、当時史上最年少の10歳で、第7回『東宝シンデレラ』オーディショングランプリを受賞。2012年に女優デビュー。近作に大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』への出演のほか、プレミアムトーク番組『A-Studio』の11代目サブMCに就任する等、活動の場を広げている。

倉科:萌歌ちゃんも、気持ちを持っていかれちゃうかも!

上白石:そういう感じです!

倉持:大丈夫だと思いますよ? きっと誰かがちゃんと通訳してくれますから。「倉持はあんな面持ちだけど、何も考えてないだけだから!」って。

「晶も私も、善悪を判断する入り口にいる気がします」(上白石)

―これから『お勢、断行』の稽古が始まるとうかがっていますが、台本を読んでの感想はいかがでしたか?

倉科:台本を読み始めたばかりなのですが、お勢はなかなか掴みづらい役柄だな、と思っています。でもパッと浮かぶのは、彼女がチェスをしているようなイメージです。

―チェス?

倉科:この話は、登場人物のほとんどが悪い人ですけど、そのなかでもお勢はいかに自分の手を汚さず目的に達することができるか考えている。他の人がいるゾーンよりもちょっと高い場所にいて、すべてを俯瞰しているイメージがありました。

倉持:なるほど。お勢は、脚本を書いていても難しいんですよ。能動的に、自分からガンガン動く主役をかっこよく、魅力的に見せていくのは簡単なんだけれど、ちょっと一歩引いたところにいる人物を映えさせるのは難しい。でもそこには独特な「かっこよさ」があると思うので、それをなんとか立ち上げたいと苦闘しているところなんですが。

倉持裕(くらもち ゆたか)
1972年生まれ、神奈川県出身。2000年劇団ペンギンプルペイルパイルズを旗揚げ、主宰。以降すべての劇団作品の脚本・演出を手がける。『ワンマン・ショー』にて第48回岸田國士戯曲賞受賞。舞台脚本・演出作品多数、近年では、映画、TVドラマの脚本も手がけ、活動の幅を広げている。

―一方で上白石さんが演じる晶という役柄は、ほとんどつねにお勢と行動を共にするけれど、かなり異なる性質のキャラクターですね。そして年齢も上白石さんに近い。

上白石:お勢とは対極的ですよね。しかも、この悪人だらけの登場人物のなかで、唯一まっさらな存在で。倉持さん、晶の年齢っていくつの設定なんですか?

倉持:18、19歳くらいかな?

上白石:私、来年で成人なのでほとんど一緒ですね。それもあるのか、役と自分を重ねてしまうところが多くあります。これから大人としてどう生きていくか? 社会や人に揉まれていくなかでどんな自分を持てるか。晶も私も、善悪を判断する入り口にいる気がします。そういった「うつろい」を表現していきたいです。

倉持:お勢と晶は、まさにおふたりが話されたとおりのキャラクターです。そして、いまの話を聞いて、僕自身がそういう人物をきちんと受け止めていくべきなんだなあ、と思っていました。だから僕のほうがおふたりから気づかされるポイントがたくさんあります。

萌歌ちゃんが言っていた「うつろい」。うつろっていくものは作品に絶対に欲しい要素でもあるんですよ。芝居が始まって終わるまでに大事件が起きて、他の役柄はとにかくアクティブにくるくると状況を変えていく。けれども、この2人だけは「不動」で、うつろいってものと遠いところに生きている。しかし、肉体自体は動いていなくても、その内面はどんどん動いていっている、うつろっている、というのが重要なんでしょうね。

倉科:なるほど……。

倉持:構想として、2人を「あたまでっかち」にしたいと思うんです。周囲がフィジカルであるぶんだけ、2人は会話だけで「あの人たちは悪い人だ」「だから罰せられるべきだ」「いや、それはいけないことだ」みたいなやりとりをずっとしている。そうやって言葉を往復させていくなかで、やがて言葉に絡みとられて、自家中毒を起こしてしまうような。明らかに間違っていても、もはやそれを否定するための根拠を見つけられなくなってしまうような。

江戸川乱歩が生んだ魅力的な女性の悪人「お勢」の、「ありえたかもしれない」別の可能性を描く

―今回の作品は、江戸川乱歩の短編『お勢登場』に構想を得て、その「ありえたかもしれない別の可能性」を示す、リクリエイションな内容ですよね。乱歩自身もお勢というキャラクターを気に入っていて、いつか彼女が登場する作品を書くのだ、と宣言していたそうです。

倉持:乱歩のその言葉にはとても強いインパクトを受けました。あとがきに書いてるんですよ。「今後、お勢と明智小五郎が対決することになるかもしれない」って。でも、結局それは実現せず、お勢も『お勢登場』にしか登場しなかった。

また、乱歩作品のなかで女性が悪人というのも数少ないんですよね。しかも、『お勢登場』で描かれている事件も異質で、たとえば『屋根裏の散歩者』みたいに、ある種の実験として緻密に計画を立てて犯罪を起こす、というのとだいぶタイプが違うんです。自分の衝動に素直で、パッと閃いたら殺してしまうような。そのスピード感にも惹かれた気がしています。

―そして、倉持さんがお勢を題材にするのもこれがはじめてではありませんね。

倉持:はい。乱歩のいくつかの短編の要素をミックスするかたちで作ったのが、同じタイトルの『お勢登場』。これだけお勢にこだわって、かつ今回もですが時間軸のコラージュみたいなことに自分が関心を持っているのはなぜなんだろう……って考えたんですけど、僕はおそらく「罪と罰」について考えたいと思っているんです。

「汚い部分を『ない』ものにせず『ある』んだと言う。そういう表現のほうが私は好きです」(倉科)

―興味深いテーマです。

倉持:ある罪に対して、これだけの罰を与えるぞ、となったときに躊躇を覚えるんです。そこで時間軸を前後して、過去にあったことや未来に起こりうることを示すことで「本当にこの量の罰でよいのか?」という疑問が、観る人に浮かぶと思うんです。犯罪を起こすに至った理由が後から見えてくることで、さっき自分が感じた罰があまりにも重いものに思えてきたり。そうやって、観客の心を揺さぶることができれば、と。

倉科:『お勢、断行』には悪人ばっかり登場しますけど、倉持さんが描く悪人ってすごく多面的で人間味があって、共感できるんですよね。特に今回は女性の役が多くて、その誰もが毒々しさを抱えているけれど、そこには美しさすら感じるところがある。だから不思議な予感ですけど、この作品はとても美しいものになる気がしています。悪に飛躍しすぎることで現れる美しさ、というか。

―つるっとした人間よりも、多面的で複雑な人間こそが面白くて美しい?

倉科:それは絶対にそう。汚い部分って誰しも持っていますから、それを「ない」ものにせず「ある」んだと言う。そういう表現のほうが私は好きです。そこに嘘をつくことは偽物にしか思えなくて、なんの興味もわかない。人間っていびつなものですよ。

上白石:私はまだ人の複雑さがわからないですけど、稽古場でご一緒する俳優さんたちの佇まいからは、人生……って言っちゃうと大げさですけど、生きていることの複雑さ、豊かさを感じます。それは、できるならずーっと見ていたいような魅力があって。この作品では、そのことにもっと深く触れられる予感もしていて、楽しみ。それはちょっと荒っぽい学びなのかもしれないですけど(笑)。

倉持:『お勢、断行』って、言ってしまえば取り返しのつかないことをしてしまった人たちの話ですけど、倉科さんの演じるお勢、萌歌ちゃんが演じる晶は、そのことに関わって宙ぶらりんになってしまったことを観客に伝える存在なのかもしれない。

さっき萌歌ちゃんが、劇場を出た後にも作品が続く、ってことを言ってくれましたけど、芝居ならではのよさはまさにそういうものだと思うんです。すべてを見終えた観客が、どのくらい作品に想いを奪われるか、しがみついていられるか、というような表現が演劇。その余韻を持たせられたらきっと作品としての「勝ち」。

「SNSに賞賛が100あって、批判が1あったとしたら、どれだけ有名な人でもその1のほうに心が持っていかれると思う」(上白石)

―「揺るがされる」感覚って、いまの時代にこそリアルかもしれませんね。日々、心が揺らぐような出来事が続いていて。

倉持:そうですね。いまって「この人は悪い人だ」ってなったら、日本全国みんなで、いっせいにいじめるじゃないですか。たしかに悪いことは悪い。でも、そこには情状酌量の余地はないのだろうか、って思うんですけど、誰もその判断はできないわけですよね。それこそ、裁判の判事くらいしか判断できないかもしれないし、そもそもそこに至った事情は本人にしかわからないことなんですよね。けれども、みんな起きたことと、その結果だけで是非を下してしまう。

上白石:そうなんですよね。

倉持:そういう現実と比較してみると、演劇って責める側、責められる側の両方の人間を見せることができます。両方を見せて「で、どう思う?」って問いかけを投げかけることができる。それは自分自身も演劇でやっていきたいことだし、現実に対しても少なからずそういったことを考えたからこそ、この『お勢、断行』をやろうとしているのだと思います。

上白石:去年出演させていただいた『3年A組ー今から皆さんは、人質ですー』(日本テレビ系)は、それこそSNS社会の叫びがテーマだったんです。私の役は、SNS上での誹謗中傷に心をやられて死んでしまう女の子。それもあって、SNSに対する意識はちょっと敏感かもしれない。

―SNSの存在をポジティブに感じますか? それともネガティブ?

上白石:難しいです……。自分のお芝居に対して直接言葉をもらえる場所ってSNSくらいしかないんですよ。舞台をやっていても直接お客さんと話せるわけでもないですから、いろんな声が飛んでくることのよさはあると思います。

でも、賞賛が100個あって、批判が1個あったとしたら、どれだけ有名な人でもその1個のほうに心が持っていかれてしまうと思うんですよね。こういう仕事をしているから特別に心が強いとか、批判に慣れていると思われがちだと思うんですけど、まったくそんなことはなくて……。

倉科:私は最近SNSを始めて、ファンの方を身近に感じられることや、たくさんの人に舞台や作品を見てもらえるようになったことは嬉しいです。

メディアや週刊誌に書かれたものは嘘や真実にかかわらずSNS上で広がって、いろんな人たちが反応する。なかには「悪いこと」って言われたりすることもありますけど、たぶんどんなことでも一方が悪くて、一方が正しいってことはないと思うんです。

―混ざり合っているというか。それが人生だし社会ですよね。

倉科:そういう状況があって、正解がわからないまま攻撃的な言葉がどんどん膨らんでいく。言葉って、誰かを喜ばせる力も持っているけれど、同じくらい人を傷つける力も持っている。そういう言葉の力や使い方への意識が、いまはどんどん薄くなっている気がします。

上白石:Twitterも、海に向かって叫ぶような感覚で使われているのかもしれない。でも、誰かしらはその叫びを聞いていて、思わぬところで傷ついている。それは自分自身も気をつけないといけないなって思ってます。

倉科:うん。怖いよね……。

倉持:そういう空気を日々吸っていますから、僕らが作るものも、どこかで共鳴するんでしょうね。決して「いまの時代を切り取るぞ!」と思ってはいないけれど(苦笑)、自ずと、いまの時代の作品になっていく。それは『お勢、断行』もそうで、正義を後ろ盾にして攻めていくことのほうがむしろエスカレートしていって、引くに引けなくなっちゃう感覚があります。

―SNSも現在の社会には大小のすれ違いがあらゆるところにあって、それがあるぶんだけ「きっと声は届くに違いない」と思って、ますます大きな声を張り上げてしまうようなところがある気がします。しかし、そういう状況のなかでこそ、演劇という特殊な表現の意味もあらためて生まれてくるのかもしれません。直接観客とやりとりする機会はなくても、上演中だけはひとつの物語に触れて、一緒に考え合うことができる。そして、そこで得たものを持ち帰ることができることもあって。そこには小さな希望があるのではないでしょうか。

倉持:そうですね。見えないものだけど、同じ時間、同じような時代の空気を吸ってきた役者、スタッフ、そして観客が一堂に介して演じる / 見るわけですから。

倉科:たしかに。

倉持:いまの空気を吸って生きている人同士が劇場で出会って、感じているもの、そのときにしかないものを作る側と見る側の両方が発信して、受け取りあっているようなもの。それが演劇なのかもしれません。

作品情報
『お勢、断行』

2020年2月28日(金)~3月11日(水)
会場:東京都 世田谷パブリックシアター

原案:江戸川乱歩
作・演出:倉持裕
音楽:斎藤ネコ
出演:倉科カナ、上白石萌歌、江口のりこ、柳下大、池谷のぶえ、粕谷吉洋、千葉雅子、大空ゆうひ、正名僕蔵、梶原善

プロフィール
倉持裕 (くらもち ゆたか)

1972年生まれ、神奈川県出身。2000年劇団ペンギンプルペイルパイルズを旗揚げ、主宰。以降すべての劇団作品の脚本・演出を手がける。『ワンマン・ショー』にて第48回岸田國士戯曲賞受賞。舞台脚本・演出作品多数、近年では、映画、TVドラマの脚本も手がけ、活動の幅を広げている。近作に「神の子どもたちはみな踊る」(演出)、劇団☆新感線「けむりの軍団」(脚本)、「鎌塚氏、舞い散る」(作・演出)など。5月から7月に、作・演出を手がける「リムジン」の上演が控えている。

倉科カナ (くらしな かな)

1987年12月23日生まれ。2009年にNHK連続テレビ小説『ウェルかめ』の主演を演じ一躍注目を浴びる。2017年『奪い愛、冬』(テレビ朝日)での主演、2018年『春が来た』(WOWOW)、『トクサツガガガ』(NHK)、2019年『ミラー・ツインズ』(東海テレビ・WOWOW)、シーズン5を迎えた『刑事7人』(テレビ朝日)、舞台では2016年『ライ王のテラス』(演出:宮本亜門)などに出演。近作では主演映画『あいあい傘』が2018年に公開された。2019年『チャイメリカ』(演出:栗山民也)に出演。倉持作品への出演は『誰か席に着いて』(2017年)以来二度目となる。

上白石萌歌 (かみしらいし もか)

2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディショングランプリ受賞。以降、テレビ、映画、舞台など幅広く活躍。主な出演作に、舞台『魔女の宅急便』(2017年)、『続・時をかける少女』、『るろうに剣心』(2018年)、テレビドラマ『3年A組ー今から皆さんは、人質ですー』(2019年)、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019年)など。2019年、「adieu」名義で音楽活動も本格的にスタート。2018年『羊と鋼の森』で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。



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