春ねむり、愛と怒りで叫ぶ激情 この世はクソ、でも優しく生きたい

タイトルを宮沢賢治の同名詩より引用した前作フルアルバム『春と修羅』から2年、春ねむりがミニアルバム『LOVETHEISM』をリリースした。再生すると、荘厳なファンファーレの響きと、歪んだギターが絡み合う。そして、春ねむりは確信に満ちた発声で歌う――<痛みは僕を肯定せず ただ存在だけをたしかめる>。ここには、ただ「存在」がある。意味も救いも追いつけない速度で、ただ、「在る」ということ。『LOVETHEISM』は、ときに憤怒の形相で、ときに寂しそうな囁き声で、それを問いかける。「あなたは、そこにいる?」と。

人を愛するってどういうことなんだろう? 僕はあなたを許せるのだろうか? 緊急事態宣言の真っただ中で、それでも働くために外に出ていく恋人の背中を、僕はどんな顔で見送ればいいのか? わからない。悲しい。ムカつく。頭のなかを、わけのわからない感情が渦巻く。たしかなものがほしいと思う。なんでもいいんだろう。音楽じゃなくても、別に。でも、僕はこのアルバムを聴く。何度でも繰り返し、聴く。もし、あなたがまだそこにいるのなら、『LOVETHEISM』を最初から最後まで通して聴いてほしい。30分もかからないから。そして、できればこの記事も読んでほしい。春ねむり単独インタビュー、とても濃密なものになったと思う。長い記事だけど、あなたが最後まで、そこにいてくれることを願う。

※この取材は東京都の外出自粛要請が発表される前に実施しました。

春ねむり(はる ねむり)
神奈川・横浜出身のシンガーソングライター / ポエトリーラッパー。2016年に「春ねむり」としての活動を始め、自身で全楽曲の作詞・作曲を担当する。2018年4月に初のフルアルバム『春と修羅』をリリースした。2019年にはヨーロッパを代表する20万人級の巨大フェス『Primavera Sound』に出演。さらに6か国15公演のヨーロッパツアーを開催し、多数の公演がソールドアウトとなった。2020年3月に約2年ぶりとなるオリジナルアルバム『LOVETHEISM』を配信リリースした。

「私は、本当に人間が嫌いなんだなって思います。でも、本当に絶望しきると生きていけないから、なにかがほしいんです」

―ねむりさんの音楽には強烈に言葉が存在していますけど、自分自身と言葉の距離感はどういったものなんでしょう?

春ねむり:正直なところ、私は、言葉をそんなに信用していないフシがあると思います。自分が思っていることが真ん中にあったとしたら、口に出せるのって、その周りのことだけだと思うんですよ。周りの言葉を使って、真ん中になにがあるのかを浮き彫りにしようとするんだけど、その言葉を発声している瞬間にもう、真ん中にあるものがどんどんと零れ落ちていってしまう……そんな感覚があるんですよね。

春ねむり:私が一番、「私」そのものである瞬間って、シャウトしているときだと思うんです。だから、たとえば海外でライブをしても、言葉の不自由さを感じたことはなくて。シャウトしている瞬間に、観ている人たちと一緒になれるような感覚があるから……だから、もし私がフォークソングを作っていたら、もっと、いろいろ大変だったかもしれない(笑)。

―そもそも、ねむりさんが音楽を作る動機とは、どういったところにあるのだと思いますか?

春ねむり:私がやっていることは、「本当の私が知りたい」っていうことだと思います。こうやって喋っている今も、本当の自分ではないような気がする……そんな感覚がいつもあるんですよね。

私、道を歩いていると、おじさんに肩をバンってぶつけられたりするタイプなんですよ。見た目とか、喋り方もそうですけど、私みたいな弱そうな女に対して、そういうことをする人がいるんですよね。でも、自分のなかにはすごく暴力的な自分がいることを私は感じているし、それを上手く表現できないまま成長して、大人になってきたような気がしていて。

春ねむり:そういう自分の怒りみたいなものと、それでもなにかしら信じるものがほしい、なにかを信じて生きていたいっていう気持ちが、並列にあるような気がするんです。

―怒りと、それに拮抗しているものがある。

春ねむり:「この世はクソ」と、「それでも生きていけるなにかしらがある」っていうふたつの気持ちの循環のなかで、「私が本当に思っていることはなんなんだろう?」みたいなことを考え続けてきた結果……たぶん、「この世はクソ」っていう確信は、強まっていると思うんですよ(笑)。

―はい(笑)。

春ねむり:私は、本当に人間が嫌いなんだなって思います。でも、本当に絶望しきると生きていけないから、なにかがほしいんですよね。だから、モノを作る道に進んだんだろうなって思います。

春ねむり『春と修羅』(2018年)を聴く(Apple Musicはこちら

―その実感は、音楽を作りはじめた頃からあり続けているものですか?

春ねむり:いや、音楽をはじめた頃は、「とにかく救われたい」と思っていたというか……「死にたい」よりも「消えたい」が近くて。自分のことを忘れて没頭できるものが、作ることしかなかったので、音楽を作っていたと思います。

でも最近は、モノを作るのなら、なるべくフラットにこの世を見なきゃいけないと思うようになったんですよね。で、フラットにこの世を見た結果、「この世はクソだ」っていう結論に至りつつあるんですけど……でも、「この世はクソだ」って思いながらは生きていくことはできないんだって、いつも思う。

たったひとつの正解なんてない不確かな世界で、強く、賢く、優しく生きるということ

―「世の中をフラットに見る」というのは、具体的にどういうことですか?

春ねむり:自分は、自分の立場でしかものを見ることができないじゃないですか。だから、不確かなことしかないなって思うんです。でも……私が大学生の頃に、障害者施設での殺人事件があったんですよ。犯人が、「障害者は生きていても価値がない」みたいなことを言ったっていう(2016年7月に起こった相模原障害者施設殺傷事件)。

あのニュースが流れたときに、私は母親とテレビを見ていて、殺人なんて絶対にしちゃいけないことだけど、犯人がそういうことをしてしまった理由が絶対にあるんじゃないかって思ったんです。だから、「なんで、犯人はそう思わないと生きていけなかったんだろう?」っていう話を母親に話したんですけど、そうしたら「あんたは人殺しの気持ちがわかるのか!」って、泣きながら言われてしまって。「そういうことじゃないんだけどな」と思って……。

―なるほど。

春ねむり:母親は間違っていないと思うんですよ。でも、「そう思わないと生きていけなかった人がいる」ということまで考える余白があることが、強くて、賢くて、優しいっていうことだと私は思うし、そういうふうに生きていきたいと思う。それが、世の中をフラットに見るっていうことだと思います。私にとっては、そういうふうに生きているミュージシャンが、一番かっこいいんです。

春ねむり『LOVETHEISM』(2020年)収録曲

―「人は人を殺してはいけない」と、今、僕は断言できます。でも、人を殺してしまう人と同じ気持ちが自分にないとは絶対に言い切れないし、どうしようもなく暴力に惹かれていく瞬間だって確実にある。恐らく、そういう気持ちの種みたいなものを抱えながら生きている人は、たくさんいると思うんですよ。

春ねむり:うん、そう思います。

暑苦しくても、ウザくても、春ねむりは歌う。まがいものの「丁寧な暮らし」には中指を

―ご自身の音楽は、そういう人たちにも開かれているものなんだという感覚はありますか?

春ねむり:ありますね。「どうしようもなくあいつが憎くて、あいつを殺してしまいたい」っていう気持ちがあったときに、それをわからない人の気持ちが、私にはわからないんですよ。「え、人を殺したいと思ったことがないの?」って思うタイプなんです。

私には、「この世に虐げられている」っていう、なにかを「被っている」っていう気持ちと、「加害している」っていう気持ちがどっちもある。だから、どこにいても吸い寄せられるというか……どこにいても、「それは自分じゃない」って思えないんです。線路に飛び込んでしまう人も、誰かを殺してしまう人も、「それは自分じゃない」って言い切れない。だから……生きづれぇ!

―ははは(笑)。

春ねむり:生きづらいんですよ、ほんと(笑)。……たまに、どうしようもなく腹が立つんです。すれ違う人、一人ひとりの胸ぐらを掴んで、「全部、自分のことなんだからな!」って言ってやりたくなる。

―「当事者」としての衝動ですよね、それは。

春ねむり:私、「丁寧な暮らし」っていう言葉が大嫌いなんですよ。自分の見える半径数メートルを大事にしながら生活していれば、やがて大きな悪にも抵抗できるだろうっていう……これって、最近の流行りでもあると思うけど、でも、それはもう思考停止だから。なにも感じなければ、楽なんでしょうけどね。

私、特に日本だと、ライブをしたあとに「ウザい」ってよく書かれるんです。「そりゃ、そうだよね」って思う。「考えたくないよね」って。でも、たとえ暑苦しくても、考えないと終わっちゃうから。だから干渉しなくちゃいけないし、関係しなくちゃいけないし、見なきゃいけないし、知らなきゃいけない。

それが辛くて苦しいことなのはわかるし、日々の生活で精一杯なのはわかるけど、お前を日々の生活で精一杯にして、思考を停止させているのは誰なんだ? それを奪われたままの「丁寧な暮らし」で満足なのか? って思う。私は、それはイヤです。

春ねむり『LOVETHEISM』(2020年)収録曲

「虚無そのもの、みたいな子どもでしたね」――自我がなかったという子ども時代から、ミュージシャンという道を選ぶまで

―ねむりさんのなかにある暴力性というのは、表現できないまでも、子どもの頃から自覚的なものではあったんですか?

春ねむり:いや、自覚はなかったです。自我がない子どもだったんですよね。ずっと、「親に言われたことをやって生きています」みたいな子どもでした。よく「勉強はできたほうがいい」って言う親だったんですけど、私はわりと勉強ができちゃったので、とりあえずOK、みたいな。

「これが好き」とか「これが嫌い」みたいなものも、あまりなくて。自分のことだけど、自分がなにを考えていたかわからない、みたいな……。虚無そのもの、みたいな子どもでしたね。高校生の頃に、モノを作るようになってから、「あ、私って悲しいんだ」とか「私って今、怒っているんだ」「私は今、嬉しいんだ」っていうことに気づくようになったなと思います。

―モノを作っていくことを決心した瞬間はあったんですか?

春ねむり:そんなにかっこいいことでもないような気がします。決まった時間に、決まった場所に行くのも苦手だし、いつの間にか消去法でこうなっていた感じですね。私、目が悪いんですけど、眼鏡やコンタクトをして電車に乗ると、過呼吸になっちゃうんですよ。人の顔が見えすぎて、気持ち悪くなっちゃうんですよね。

満員電車に乗っている人って、みんな人間を見る顔をしていないじゃないですか。「今すぐ、自分以外消えてくれないかな」って思っていそうな……でも、その気持ちは私もわかるから。「私も、こういう顔しているんだ」と思って、気持ち悪くなっちゃうんだと思うんですよね。

―満員電車は苦手でも、ステージの上から人の顔を見るのは平気なんですか?

春ねむり:そういえば、ステージからは平気ですね。

―なぜなんでしょうね。

春ねむり:……ステージから人の顔を見ているときは、自分のことを許してあげられるのかもしれない。許されることって、本当はそんなに難しいことじゃなくて。でも、覚悟が必要なことなんだと思う。他人に許されるよりも、自分で自分を許すことのほうが難しいですよね、きっと。

―そう思います。

春ねむり:だから、私が私を許してあげられるのは、きっとモノを作っているときと、ステージのうえで歌っているときだけなんだと思う。

「ロックンロールって、ずっと新しくなり続けることだなって私は思うんです」

―「許す」というのは、ひとりぼっちな、孤独な行為だなと思います。

春ねむり:そうですね。だから、宗教は外側に理由を作るんだと思うし。でも、人を許すために外側に理由を作るのは、私はすごく罪深いことだと思う。私は、私自身の「許し」に他人を巻き込むのが怖いです。怖いから、それをしないように自分に言い聞かせている。本当にひとりでいないと、本当のことはわからないんだろうなって思います。

―ねむりさんの書く歌詞には、ときに「神」という言葉が出てきますね。それを聴いていて感じるのは、ねむりさんは神や信仰の存在をすごく疑っているし、ときに嫌悪もしているんだけど、それでもどうしようもなく祈ってしまう、祈らずにはいられない……そんな人間の在り様を、音楽に刻んでいるんじゃないか、ということで。

春ねむり:そうですね……。私、中高6年間キリスト教の学校に通っていて、そこでは毎日、礼拝があったんですよ。私、その礼拝の時間がすごく嫌いで……。手垢のついた思想が嫌いなんですよね。アップデートしないものが嫌い。

歴史を知ることと、そこにあるものにすがりつくことは全然違うことだから。新しくならない人や、新しくならない思想がすごく嫌いなんです。でも、宗教って、そういうシステムじゃないですか。私自身がそう見られるのも嫌だし、自分がなにかをそうやって扱ってしまうことも嫌だなって思う。

―うん。

春ねむり:学校の礼拝の時間では、礼拝堂に集合して、歌って、先生の話を聞いて、また歌って、そのあとに祈るんです。私は宗教とか、礼拝自体は嫌いだったけど、祈る時間だけは好きだったんですよね。

その空間では、いわゆるキリスト教的な神は、もはや形骸化しているんですよ。でも、みんなそれぞれ違うものに祈っている。「祈り」だけが、ただそこにあるっていうことが、すごく美しいなと思っていました。

―祈るというのも、また、すごく個人的な行為だなと思います。

春ねむり:だからこそ、「その祈りに名前をつけないでくれ」ってずっと思ってきたし、そういうことをしている人を見ると、本当に腹が立つ……。なんで、「ただ、そこにある」だけで美しいものを、わざわざ引きずり降ろして、みんなでわかり合う必要があるんだろう? って。ミュージシャンでそういうことをしている人を見ると、「なんのために歌っているんだろう?」って思う。「なんのために旋律はあるの?」って。

春ねむり“Pink Unicorn”を聴く(Apple Musicはこちら

―暴論なので怒られるかもしれないですけど、言い切ってしまうと、僕のなかで「神や信仰を持たない祈り」というのは、ねむりさんの歌詞のなかにも出てくる「ロックンロール」という言葉と、ほとんど同義なんです(笑)。

春ねむり:なるほど(笑)。……「ロックだなぁ」って思う人はいっぱいいるけど、「ロール」している人ってあんまりいないですよね。ロックンロールって、ずっと新しくなり続けることだなって私は思うんです。変わることって、すごく怖いことで。でも、アップデートしていかないと本当の意味で、優しくはなれないから。

だから、「この人はロックンロールだな」と思う人って、すごく優しいなって思う。もしかしたら、その軸に、祈りがあるのかもしれない。なにもかもが変わっていく、その軸に、ただあるだけの祈り。なんて美しい……なんだか曲が書けそうですね(笑)。

「『ただそこにある』ことを自分が認めてあげられることが、大きな意味での『愛』だと思うんですよ」

―新作『LOVETHEISM』の話にいくと、音楽的にはヘビーな作品ですよね。たとえば“海になって”のギターサウンドとか、ものすごく激しく、それでいて静けさがありますね。

春ねむり:私、ギターを弾けないので、「こういう感じの音にしたいです」ってギタリストの方に送ってから、届いた音を、またエンジニアさんに「こういう音にしたいです」って送るんですけど、毎回、「もっと歪ませてください、もっと歪ませてください」って言っているんですよね。だから、通常よりも歪んでいるのかもしれない(笑)。

―ははは(笑)。

春ねむり:“海になって”って、2017年に作った曲なんですよ。今回の曲のなかで一番古い曲なんですけど、この曲のギターは西田修大さん(ex.吉田ヨウヘイgroup、現在は中村佳穂や君島大空のサポートなどで活動。西田は春ねむりの大学の先輩にあたる)に弾いてもらったんです。

春ねむり“海になって”を聴く(Apple Musicはこちら

春ねむり:でも、エンジニアさんとのコミュニケーションが上手くいかなくて、一度、西田さんにクリーンの音を送ってもらって、「Logic」(Appleによって開発・販売されている、macOS上で動作するMIDIシーケンサー及びデジタルオーディオワークステーションの機能を持つ音楽制作ソフト)に入れたその音を自分で、とりあえずフルテンからいじっていくっていう感じで作りました(笑)。そのときライブで台湾にいたので、台中から台北に行くバスのなかで、イヤホンをしながらその作業をやったんですよ(笑)。

―(笑)。今作の音を聴いていると、「不在の在」というか、音のなかに、ねむりさんが「いないのに、いる」という感覚を受けました。

春ねむり:嬉しいです。私のなかで、「私」と「春ねむり」ってちょっと違うんですよね。すごく違うわけではないんだけど、ちょっと違っていて。私が「こういうふうに生きたい」と思う在り方そのものが「春ねむり」だから、踊っているのも歌っているのも「私」だけど、「私じゃない」っていう感じはすごくあるんです。

だから、ステージのうえで歌ったり踊ったりしているのも私だけど、本当の意味での「私」は、そこでただ祈っているだけなんです。そういう意味では、観ている人と、そんなに大差ないんですよね。その状態が一番美しいと思うんです。

―タイトルもそうなんですけど、この作品のなかでは「愛」という言葉が、とても大切なものとして歌われているという印象を受けました。ねむりさんにとって「愛」という言葉は、どういうニュアンスを持つものですか?

春ねむり:なんだろう……「ただそこにある」ことを自分が認めてあげられることが、大きな意味での「愛」だと思うんですよ。でも、それを信じられなくなるときってよくあると思うんですよね。

「生きていけない」と思ったり、誰かを「わかりたくない」と思ったり、意味のわからないものとして切り捨ててしまいたくなったり。私はそういう態度をとることで、どんどんと「愛」そのものから遠ざかっていってしまう気がするんです。自分にも、そういう部分があるんだって、言い聞かせている感じもするんですよね、この作品は。だから、<愛よりたしかなものなんてない>って、半ばやけくそに叫んでる(笑)。これはもう、自分に言い聞かせているなって思うんですよね。

「愛」について考え抜いた先で。「自分のことしか考えられない」自分自身を認めて、彼女は今、新たな一歩を踏み出す

―“愛よりたしかなものなんてない”というのは2曲目のタイトルですけど、この曲はご自分にとってどんな曲なんですか?

春ねむり:すごく仲のいい友達がいて。前にその子が電話をかけてきて、「飛び込めなかった」って言ってきたことがあったんです。その子がいる新宿に行ったら、すごく青白い顔でしゃがみ込んでいて。

「本当に飛び込もうと思っていたのに、飛び込めなかった」って言うんです。普段そういうことを言う子じゃないから「ガチだ」って思ったんですけど、そのときの私には、かける言葉が見つからなかったんですよね。そのことがあったあとに『春と修羅』に入っている“鳴らして”を作ったんです。

春ねむり“鳴らして”を聴く(Apple Musicはこちら

春ねむり:その曲は「命を鳴らして」「生きてるって教えて」って歌っている曲で。……すごく腹が立ったんですよね、そのとき。泣かなかったんですよ、その子。「こんなときくらい、泣いてもよくない?」と思うのに、自分のことを「世界で一番かわいそう」くらいに思ってもいいのに、それすら自分に許してあげないのかと思って……。その子をその状況に追い込んだこととか、社会とか、その子をそういうふうにさせているすべてのものに、めちゃくちゃ腹が立って。

―“愛よりたしかなものなんてない”も、その体験と結びついていますか?

春ねむり:その子、「愛」っていう名前なんですよ。“愛よりたしかなものなんてない”は、このタイトルの言葉を、その子に言いたくて作った曲なんです。でも、結果としてこの曲は、すごく自分に跳ね返ってきているなっていう感じがします。

春ねむり“愛よりたしかなものなんてない”を聴く(Apple Musicはこちら

春ねむり:「腹が立った」と言いましたけど、結局、私が一番腹を立てているのは、私自身に対してなんですよね。なにもしてあげられなかったから。結果として、自分に向けて言っているような曲になったなって思う。作品全体の「愛」っていうテーマについても、すごく考えたんですよ。でも、その子の名前が「愛」だったということが、なにより大きかったのかもしれないな、と思います。

―“愛よりたしかなものなんてない”が、最初は友人に向けて発していたところが、結果として、ねむりさん自身に跳ね返ってきた。そういう曲とねむりさん自身との関係は、『春と修羅』までの在り様とは違うものなんでしょうか。

春ねむり:なんというか……前は、「私は自分のことしか考えられない」ということを認めたくなかったんだと思うんですよ。満員電車で他人の顔を見て気持ち悪いと思っちゃうのも、自分のなかにそれを見ているからで、結局、自分のことしか考えられていないんですよね。

春ねむり“Lovetheism”を聴く(Apple Musicはこちら

春ねむり:そういう自分を認めたくなかったんですけど、「私って、そういう人間なんだな」って思うようになったんだと思います。それを認めたうえで初めて、「どうやったら、人の顔をちゃんと見れるんだろう?」とか、「外側に向けて曲を書くってどういうことなんだろう?」っていうことを考えはじめたというか。

私、すごく好きな人の顔もわからなくなるんですよ。それはちゃんと見ていないからで、でも、「ちゃんと見なくちゃいけない」と思って、初めて書けたことがあるんだと思います。

本当に死にそうなとき、たまたま音楽がそばにあったからーー彼女自身も自覚していなかった、「歌わないと生きていけない」人生を歩んでいる理由

―このアルバムを2020年に世に出す必然性について、ねむりさんはどのように考えていますか?

春ねむり:2010年代を締め括るものじゃなくて、2020年代のはじめにこの作品が出るっていうことが、私にとっては、すごく大きいことだと思います。さっきも言った“海になって”とか古い曲も入っているんですけど、最後の“りんごのうた”が、このアルバムでは一番新しくて、2019年の夏くらいに書いたんです。この曲が入ったことで、作品としてまとまったなって思います。

―“りんごのうた”は、ねむりさんにとってどんな曲なんですか?

春ねむり:モルモットを飼っていたんですけど、死んじゃって。その子の名前が「りんご」だったんです。「この世に、こんなに悲しいことってある?」っていうくらい悲しくて。

りんごが死んだとき、一緒にいたんですよ。1年ぐらい具合が悪かったんですけど、様子がおかしくなって、気づいたらすぐ動物病院に連れていって。もう、病院に行く途中から、涙が止まらなかったんですよね。病院で先生に診てもらっている間、私、無意識に祈っていたんですよ。「祈る」っていう行為についてはいろいろ考えてきたけど、そのときの私は、本当に祈っていたなって思う……そのくらい自然に祈っていて。そのあと、「作らないと生きていけない」と思って、“りんごのうた”を作ったんです。

春ねむり“りんごのうた”を聴く(Apple Musicはこちら

春ねむり:そういうときって、まともな人間なら、その対象のことだけを想って曲を書くべきだと思うんですよ。でも私は、そんなときですら、「歌わないと生きていけない」ということしか書けなかったんですよ。

もう本当に、本当に、自分が嫌だって思ったんですけど……でも書かないと嘘になっちゃうから、それでも書いたんです。……私、たまに「優しいね」って言われるんですよ。でも、全然優しくない。反吐が出るくらいに優しくない。でも、優しくないから、優しくなりたくて、優しくなろうと頑張っているんです。“りんごのうた”には、そういうことが全部出ていると思います。

―ねむりさんの音楽は、「救う」とか、「肯定する」とか、そういう言葉では追いつけないくらいの速度と重さで、「ただ、そこにある」ものだと思うんです。お話を聞かせていただいて、改めてまた強く、そのことを思いました。

春ねむり:……本当に人が死ぬときって、なにも届かないですからね。だから、もし人が「救われた」と感じたのであれば、それはその人が「救われたい」とか「許されたい」と思ったからなんですよね。そこに、たまたま音楽があったら素晴らしいことだと思うけど、本当に死にそうなときって、なんでもいいから、そばにあってほしいと思うもので。別に音楽じゃなくてもなんでもいい。私には、それがたまたま音楽だったっていうことだと思うんです。

―うん。

春ねむり:大学生の頃に付き合っていた人に、「贈与の一撃」っていう思想を教えてもらったんです。「救われてしまった」とか「与えられてしまった」という状況のときに、それをそのまま人に返したところで、人はなにかを返したことにはならない。自分がしてもらったことを、また他の誰かに、もしくは別のなにかにやってあげることでしか、その恩には報いることはできないっていう思想なんですけど……「私が音楽をやっているのって、そういうことじゃん」って思ったのを、今思い出しました。

春ねむり『LOVETHEISM』を聴く(Apple Musicはこちら

リリース情報
春ねむり
『LOVETHEISM』

2020年3月20日(金)配信

1. ファンファーレ
2. 愛よりたしかなものなんてない
3. Pink Unicorn
4. Lovetheism
5. 海になって
6. Riot
7. りんごのうた

春ねむり
『LOVETHEISM』(CD)

2020年6月12日(金)発売
価格:2,000円(税込)
TO3S-0014

1. ファンファーレ
2. 愛よりたしかなものなんてない
3. Pink Unicorn
4. Lovetheism
5. 海になって
6. Riot
7. りんごのうた

プロフィール
春ねむり
春ねむり (はる ねむり)

神奈川・横浜出身のシンガーソングライター / ポエトリーラッパー。2016年に“春ねむり”としての活動を始め、自身で全楽曲の作詞・作曲を担当する。2018年4月に初のフルアルバム「春と修羅」をリリースした。2019年にはヨーロッパを代表する20万人級の巨大フェス「Primavera Sound」に出演。さらに6カ国15公演のヨーロッパツアーを開催し、多数の公演がソールドアウトとなった。2020年3月に約2年ぶりとなるオリジナルアルバム「LOVETHEISM」を配信リリースした。



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