西太志の止まらない創作。互いに結びつき伸びる絵画、立体、映像

資生堂が主催し、毎年3名の新進作家を紹介する展覧会『shiseido art egg』。今年は春から開催される予定だったが、コロナ禍の影響で開催が延期され、この秋からのスタートとなった。しかし、あらゆるものがウイルスの影響にさらされる時代のなかで、若い作家たちが何を考え、どのような表現を生み出すのかを知るには絶好の機会であるとも言えよう。

さて、今年度の最初に登場するのは、画家の西太志だ。虚構と現実の境界や匿名性をテーマに、絵画での経験を立体作品へも連続させるような活動を続ける彼は、『GHOST DEMO』という名の個展で、『shiseido art egg』に挑戦する。コロナ禍に限らず、今年は世界のあらゆる場所で社会運動や大きな転換が起きた一年となった。その時代状況ともどこかで照応するような個展は、彼にとってどのような経験になるのだろうか? 静岡で新たなスタジオを設えたばかりの西に話を聞いた。

「SNSやテレビを通して、情報としてはすごいことが起きているんですが、総じてリアリティが沸いてこない」

―今回の個展は当初4月3日の開催でしたが、コロナウイルス拡大のために延期となり10月2日からになりました。その影響による変化はありましたか?

西:気持ちとして「4月にやるぞ!」というのがあったので、だいぶ変化がありましたね。いまは静岡で暮らしていますが、当時は京都に住んでいて、スタジオにある道具や資材をすべて資生堂ギャラリーに持っていって大型の絵16枚と一緒に展示するプランを組んでいたんですよ。

京都で使っていたスタジオは古い小屋と倉庫を改装して作った廃墟……お化け屋敷みたいな雰囲気のあるところで。その感じをそっくり資生堂ギャラリーに持っていきたいなと思っていたんです。

結果的にそのプランは実現できませんでしたが、静岡に来て新たに出た資材や作品もかなりあるので、トラックで大量に搬入する、というアイデアはそのまま活用する予定でいます。

西太志
1983年、大阪府生まれ。2015年、京都市立芸術大学大学院 美術研究科修士課程 絵画専攻油画修了。静岡県在住。主な活動として、2020年『月の裏側をみる』FINCH ARTS(京都)、2018年『NIGHT SEA JOURNEY』GALLERY ZERO(大阪)個展や、2016年『シェル美術賞展2016』国立新美術館(東京)などがある。

―「お化け屋敷」というと、個展のタイトルが『GHOST DEMO』ですが、それとも関係が?

西:直接的には関係ないです。どちらかというと絵に描かれているものとか、最近自分が考えていることから出てきた言葉が「GHOST DEMO」なんですね。

海外だけじゃなく同じ日本であっても、ちょっと遠いところで起きている出来事にリアリティを感じられなくなっている自分がいるなあ、と思ったのがきっかけです。SNSやテレビを通して、情報としてはすごいことが起きていて、それに悲しくなったり、ときに楽しくなったりすることもあるんですが、総じてリアリティというものが沸いてこない。その感じられない自分のリアリティを、身近にあるものや自分の体験とうまく融合させて絵に変換する、というのが最近の関心なんです。

制作中の作品『旅の果て』キャンバスに水性アルキド樹脂塗料、油絵具、木炭 / 2270×1620mm / 2020年
スタジオ内には『shiseido art egg』で展示する搬入前の作品が並んでいる

―「デモ」というと政治的な出来事を思い浮かべますし、Black Lives Matterや強権的な政治に対するデモはまさにいま世界中で起きていることですね。しかし、そのリアリティが掴めずに、幽霊(ゴースト)っぽくも思えてしまうという感覚は理解できます。

西:作品を作っているときはそこまで社会的なことを考えているわけではなくて、自分のなかから出てくる私的な感覚に動かされることのほうが多いんですけど。ただ、身近な出来事や風景の中から、そのような出来事とリンクするものを見つけたりすると、社会的なことについて考えたりすることはあります。

ビルの解体工事の現場とかを見ると、まるで爆撃にあったようにも見えるし、大きな災害の後のようにも見えたり。モノクロに近い色彩は、自分の好きな深夜から明け方の空気の澄んだ薄ぼけたような空気感から出てきていて、物質に近い色彩であるところが気にいって使っています。荒々しい筆致の物質感についても、絵画的な要素だけでなく生活の機微から出てくる変化も多くて、そういった私的なところから出たものと、さっき言った「実際の出来事との遠さ」みたいなものをつなげたいなと。

あと、「GHOST DEMO」の和訳はたしか「亡者の行進」としていて、自分のなかでは「幽霊」って感じでもない気がしています。漠然と……自分には見えない、感じにくいものが行進しているイメージ。

ただ、コロナウイルスも、目に見えないものが猛威をふるっているじゃないですか。そのことも観る人にとってはつながってしまうかもしれないと思いますし、展示が始まって鑑賞者がみんなマスクをつけてやってくるような状況とも結びつくかもしれません。これまで感覚的に自分が思っていたことが、コロナウイルスを経て周囲に現れ始めるようになった気がしています。

窯で焼かれる前の陶の立体(タイトル未定)

「描かれる前から答えが決まっているような絵は窮屈で、外にも影響を与えるようものを描きたい」

―6月に京都のギャラリーでも個展をなさっていて、そのときに一部の作品を見たのですが、マンガ的なキャラクターが描かれていたりして、物語の断片、映画のワンシーンを思わせるような描写があるのも西さんの作品の特徴のように思います。

個展『月の裏側をみる』2020年 展示風景
©NISHI Taishi, Photo by MAETANI Kai, Courtesy of FINCH ARTS

西:映画はずっと昔から好きで、大学も映画学科に進もうかと思っていたぐらいなんですよ。

縁があって絵をやることになりましたけれど、映画的な「これから何かが始まるぞ」とか「何かが起きたあと」みたいな予感や余韻みたいなものは、描く際のイメージにすることが多いです。それも、ビルがバーっと立ち並んでいるような派手なものじゃなく、嵐があったとしてもそこに静かに一人でいる、というような静かな感じが好きですね。

―そのときの個展に出していたのは、草原に人が寝っ転がっているような絵だったじゃないですか。それを見て、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003)や、村上春樹の『納屋を焼く』を翻案したイ・チャンドンの『バーニング 劇場版』(2018)を連想しました。どちらも何かが起きて過ぎ去った後のような寂しさや後味の悪さのある映画です。

西:たしかにそういう感じのテーマがありましたね。タイトルも『草むら、青い炎』というタイトルでしたから。人が草むらに寝転んでいるようにも見えるし、火に焼かれているようにも見える。そういう絵に最終的に着地したな、という記憶があります。

これは自分なりの書き方の一つなんですけど、描いているうちに当初のイメージから離れていくことがよくあるんです。『草むら、青い炎』の場合、最初は草の上に大の字で寝転ぶ気持ちよさや、草むらに入って虫を獲る経験の楽しさを描くことから始まったんですけど、次第に変わっていって。

西太志『草むら、青い炎』キャンバスに水性アルキド樹脂塗料、油絵具、木炭 / 727×530mm / 2020年
©NISHI Taishi, Photo by MAETANI Kai, Courtesy of FINCH ARTS

西:下のほうにある一本道は道路の白線で、つまりアスファルトから草が生えるぐらいの長い時間が経った場所、ということなんでしょうね。ずっと人が立ち入らないような場所で寝転んでいるんです。そうすると、本当は入っていけない場所、忘れられた場所、というイメージが浮かび上がってきた。そこから、原発事故以降の立ち入り禁止区域のような、人が立ち入れなくなった場所のイメージが立ち上がってきたりもして。

―描くなかで発見や気づきがあり、ゆるやかに変わっていくプロセスが西さんの制作にはあるんですね。

西:何年か前は、最初に全部鉛筆で下描きしてそのときのイメージをほぼ100%崩さずに描くこともやっていたんです。それはそれで完成度も高いし、好きだと言ってくれる人もいたんですが、いまは描くなかで絵が望んでいたらそのとおりにしてあげたいというか、あえて縮こまらせないようにしようと思っています。

絵画が絵の枠に収まっているだけだったり、描かれる前から答えが決まっているような絵は窮屈だと思っていて、絵の外側にも影響を与えるようものを描けたらなあ、とはいつも思っています。

スタジオ内に立てかけられた制作中の絵など

絵画の枠に収まらず、立体作品にも関心を持つきっかけとなった特別な体験

―たしかに、近年は陶器のような立体作品も作ってらっしゃいます。絵以外のものへの関心が芽生えたきっかけがあるのでしょうか?

西:大学院時代に、たまたま滞在制作の場所を提供してもらう機会があったんです。その場所は不登校を経験した子が通う昼間部と、様々な理由により学齢期に義務教育を果たせなかった人たちが通う夜間部がある京都の中学校でした。その学校の一角に制作場所を与えられまして。

―廃校をアートインレジデンスに利用するケースは全国にけっこうありますけど、開校中の学校でアーティストの受け入れも行なっているのはけっこう珍しいですね。

西:そこで制作して展覧会も開催する、という企画でした。他にも京都の芸大に通う学生が展示に参加したり、その学校に通う生徒も別会場で展示を行ったりしてました。大々的に広報もしないし、学校に通っている方たちも外から知らない人が来てほしいとは思ってない、っていう……閉じているんだけど開いてもいる、という感じのものだったんですね。

そういう特殊なシチュエーションでもありましたから、大学院でやってるのと同じように絵を描くのはしたくないな、という気持ちがあり。そうしたら、たまたま学校の設備として陶芸の窯があったんです。

取材中にやってきた、飼い猫のはなちゃん(18歳)

―中学校に窯があるのも珍しいですね。

西:その学校では生徒たちに粘土を触らせてあげたい、って気持ちがあったみたいで、陶芸の授業もあったそうなんです。それで、自分にも粘土を提供してくれるというので「これはラッキーだぞ」と(笑)。

そこでほぼ初めて陶の作品を作ることになったのが、現在の絵画と陶の立体作品を使った空間作りのきっかけなんです。

―どんな展示をしたんですか?

西:家庭科室を展示に利用させてもらって、家庭科室自体を絵の世界にしようとしました。絵は一枚も展示せず、陶で作った少年のフィギュアや、机の上にコウモリや水晶の立体を置いたり、もともと学校にあったものを展示台として流用したり。

『金の枝』2013年 展示風景

―J・G・バラードのSF小説で『結晶世界』というのがあるんですが、ちょっと近い印象を持ちました。人類も含めて世界が徐々に結晶化していく、という美しいディストピアSF。それから、少年像が持っている金色の枝はジェームズ・フレイザーの『金枝篇』を彷彿とさせます。人類学者であったフレイザーが、世界中から蒐集した神話や呪術に関わる挿話を集めた著作です。

西:『金枝篇』は、まさにです。話はだいぶおぼろげなんですけど、そのなかで描かれてる内容のリアリティが自分は気になったんですよね。そこで、同作の象徴的なモチーフである金の枝を男の子に持たせることをなぜか閃いたり。そもそも作品に出てくる人物に何かを持たせるのが好きなんですけど。スコップを持たせてみたり(笑)。

「表と裏の関係って、追求していくと生と死とか、あらゆるものに通じると思うんです」

―先ほどおっしゃっていた、絵の外へと広げていく、絵以外のものに関わっていくことのきっかけとして、中学校でのレジデンスの経験が想像以上に大きかったんですね。

ここ数年手がけてらっしゃる立体は、絵との関係のなかで特殊な展開を遂げているように思います。内側から外側へと押し広げていく、本来は別々に見えてくるはずの表と裏が地続きにあるような感じがあるというか。

西:表と裏の関係って、追求していくと生と死だとか、あらゆる事物に通じるものだと思うんですよ。絵だけに専念していたときからその感覚はあって、例えば本来は使わないキャンバスの裏側を表にしてそこに描いたり。そうすると本来は表にあたる部分がキャンバスを支えている木枠と接して、さらに面白い関係性が生まれたりもする。

―たしかに、西さんの作品では裏面の構造が気になることが多々あります。

西:粘土を触るようになって表と裏についてもっと意識するようになったところは確実にあります。特に最近制作している陶の作品は表側は作り込んでいるけれど、その裏側は抜け殻の空洞になっていて。それは手を抜いてそうしてるわけではもちろんなくて、裏側のスカスカ感も含めて構造としての面白さがあるんです。その逆に表は土の焼きしめだけで、裏側に本来塗られるはずの釉薬を塗ったり、表と裏が反転するような構造を作ることもあります。

―表と裏への意識が、地続き感を生むのかもしれないですね。「絵だな」と思って見ているんだけど、立ち位置を変えて改めて見てみると、絵が立体のように見えてきたりする時がある。立体の場合はそれがさらに顕著で、モーフィングするCGのようにぐにゃりと変わっていくようにも思えます。ごく自然に裏と表が同居していて、つながりあって感じられる経験には、西さんがおっしゃっている「リアリティ」の根拠が宿っているのかもしれませんね。

最近は映像を撮ってみたい。「槍みたいなものを絵に向けて投げつけている自分の姿が思い浮かぶんです」

―コロナウイルスの影響で変更も多くあった今回の個展ですが、どのような内容になると予想していますか?

西:最初に言ったように、自分のスタジオの一部を持っていくというコンセプトは変わっていませんね。そのなかで絵画とインスタレーションをどう見せるか、というのが核になってくると思います。

資生堂ギャラリーの空間っておもしろいじゃないですか。導線が2種類あって、階段を歩いて地下に降りていくのと、エレベーターで直接地下から入るのでは全然違う経験で。

資生堂ギャラリー内の様子「渡邊 耕一展 Moving Plants」(2018)展示風景 資生堂ギャラリー(撮影:加藤 健)

西:空間自体が大きなホワイトキューブと小さなホワイトキューブに分かれていて、前者には大型のペインティング、そして後者ではスタジオの備品をほとんど移築して、それを使ってドローイング感覚で机や段ボール、脚立、木材などをほぼ即興で組み立てた上に立体を配置した空間を作る予定です。階段のある廊下スペースから見下ろすとスタジオのインスタレーションが見えてくるし、階段やエレベーターから降りていくと目の前に広がっているのは大型のペインティング。そういう2面性みたいなものを効果的に使えればな、と思っています。

すり寄ってくるはなちゃんと遊ぶ西さん

―展示を見る経験としても、絵画と立体やインスタレーションがゆるやかに結びついてるわけですね。

西:今回の展示には関係ないものですが、最近、映像を撮ってみたいとぼんやり考えているんですよ。槍みたいなものを絵に向けて投げつけている自分の姿がなんとなく思い浮かぶんですよね……。

―あ、自分が登場しちゃうんですか?

西:どうでしょう(笑)。絵を見た人からは「これって自画像ですか?」と聞かれることがたまにあって、そういうつもりは全然ないんですけど、いざ映像について構想していくとやっぱり自分が出るしかないのかなあ、と悩んでます。自分が出ていたとしても、それは100%自分ではなくて、他者でもあるような感覚ではあるんですけどね。自分だとはわからないように、たぶんマスクでもかぶるんじゃないでしょうか。

絵、立体、映像。それらは「ときに結びつきながら、それぞれの分野で伸びていく」

―マスクというと、まるで西さんの作品に登場する人物のようでもありますね。それが観れる日を楽しみにしています。

最後にちょっと広げた話を聞いてしまうんですが、西さんは「絵画の死」という考えについてどう思っていますか? 写真の登場以降、肖像や風景を記録するという社会的機能を司る役割から絵が後退し、そのあとに登場するさまざまな実験を経て「絵画にできることはもうない」と語られることもしばしばあります。と言いながらも、絵画のエッセンスは他の領域に伝播しながら、かたちを変えてあり続けているわけですが。

西:批評や文章を書く人からすると「絵画の死」みたいな言い切りは便利なのかもしれないですけど、作ってる側はまったくそんな風には思ってない人が多いと思うし、自分もそうです。

自分が好きなアーティスト、例えばフランク・ステラや榎倉康二は絵画的なことを基盤にしつつも、その世界を広げるようなことをしてきた人たちですよね。あるいはさらにさかのぼって、高校生のときに好きだった(エドガー・)ドガも、印象派的な絵画を描きつつバレリーナの彫刻を作っていたりする。しかも本物のバレエ服を着させたりして、かなり変な感じがあるけれど、あれもドガなりのリアリティの模索だと思うんですよね。

あとはルーチョ・フォンタナもキャンバスに切り込みを入れたことで絵画史に記憶されましたが、彼も陶芸をやっていたりする。ピカソも立体をたくさん作ってますよね。つまり、歴史に名前を残している画家の多くは、べつに絵画だけにとどまらず、やりたいことをやってきた人たちばかりなんです。

―たしかに。

西:絵は死なないですし、もちろん立体も映像も死なない。ときに結びつきながら、それぞれの分野でそれぞれに伸びていくんだと思います。その状況から、いまだって新しい絵画は山ほど生まれています。それこそVRとかデジタル的な技術を携えてくることもありますよね。それは単純な「拡張」ではなくて、単にやられてないことが山ほどあるし、これからも生まれてくる。そういう感覚が自分にはしっくり来ますね。

イベント情報
『shiseido art egg 14th』
西太志展

2020年10月2日(金)~10月25日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日 11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料
事前予約制

作家によるギャラリートーク
西太志展

作家本人が会場で自作について解説するギャラリートークを、各展覧会開始後に資生堂ギャラリーの公式サイトにてオンライン配信いたします。

プロフィール
西太志 (にし たいし)

1983年、大阪府生まれ。2015年、京都市立芸術大学大学院 美術研究科修士課程 絵画専攻油画修了。静岡県在住。主な活動として、2020年『月の裏側をみる』FINCH ARTS(京都)、2018年『NIGHT SEA JOURNEY』GALLERY ZERO(大阪)個展や、2016年『シェル美術賞展2016』国立新美術館(東京)などがある。



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