インタビュー

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

インタビュー・テキスト
大石始
写真提供:久保田麻琴 編集:山元翔一(CINRA.NET編集部)

かつてコミュニティーを支えてきた人と人の関係性が失われ、あらゆる場所で分断が進む現代において、私たちはどのように「日本のうた」を歌い、耳を傾けることができるのだろうか。アイデンティティーを見失った現代日本ならではの歌とは、いったいどのようなものなのだろうか。

ここしばらくCINRA.NETでは、さまざまなインタビューをとおして現代における都市のフォークロアともいうべき「日本のうた」のありかを探ってきたが、その問いを解くヒントとなるかもしれない一枚のレコードが復刻される。それが1973年3月に発売された久保田麻琴の1stアルバム『まちぼうけ』だ。

近年、欧米では久保田とも交流の深い細野晴臣や金延幸子が高く評価され、久保田が1970年代に一時期参加していたサイケデリックロックバンド、裸のラリーズも伝説化されているが、『まちぼうけ』もまた「日本産アシッドフォークの傑作」として海外で「発見」されつつある。

2000年代以降、久保田は音楽プロデューサーとして沖縄の宮古島や徳島、天草など日本各地を回り、伝承歌・伝承芸能の記録を続けているが、そんな久保田の原点である『まちぼうけ』にも、同時代のアメリカのアシッドフォークやサイケデリックロックからの影響を吸収した「日本のうた」が収められている。

48年前にリリースされた『まちぼうけ』という作品において、久保田はいったいなにを歌おうとしたのだろうか。制作の背景や「日本のうた」に対する現在の問題意識を交えながら久保田に話を聞いた。

久保田麻琴(くぼた まこと)<br>1949年、京都市生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。1972年に結成した夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ニューオーリンズファンクなどを独自のグルーヴで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、Harry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行う。
久保田麻琴(くぼた まこと)
1949年、京都市生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。1972年に結成した夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ニューオーリンズファンクなどを独自のグルーヴで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、Harry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行う。

日本の新しい音楽が生まれつつあった1970年代初頭の状況

―今回取材させていただくにあたって、『まちぼうけ』のことをインターネットで検索してみたんですが、英語のコメントがすごく多いことに驚いたんです。

久保田:シティポップもそうだけど、1970年代の日本の音楽を掘るというのはいまや外国が主導なんですよね。裸のラリーズもそうじゃないですか。われわれはもはや「発見」される対象なんです。

アメリカでは金延幸子や音羽信も注目されていますね。さっちゃん(金延幸子)の昔の写真を見ると、どう見てもいまの人みたいな見た目なんだよね。当時、トレンディーという意識はさっちゃんも私もなかったと思うんだけど、価値観の切り取り方がモダンだったんだろうね。そうとしか考えられない。われわれは未来からの使者だったのかもしれません(笑)。

―「価値観の切り取り方」については今日の取材のテーマのひとつになりそうですね。金延幸子さんとはいつごろ知り合ったんですか?

久保田:1969年ぐらいかな。当時、彼女は「愚」というフォークグループで歌っていて、当時にしてはモダンなクールさと音楽性があり、気になっていたんですよ。私もジョニ・ミッチェルやティム・バックリィを聴いていて、社会派のフォークシンガーではないものに関心があった。グリニッジビレッジ(編註:60年代に盛り上がりを見せる、ボブ・ディランをはじめとするNYフォークシーン)的というかね。

―学生運動とつながったプロテストフォークとは違うもの?

久保田:そうだね。もっと個人的なことを歌ったフォークというか。当時は私もそうした音楽からの影響が強くて。いま『まちぼうけ』がアシッドフォークと呼ばれたりするのはそのあたりからの影響があるのかもしれない。

ジョニ・ミッチェル『Clouds』(1969年)を聴く(Apple Musicはこちら

―久保田さんは1970年に社会派フォークの総本山的レコードクラブである「URC」(編註:アンダーグラウンド・レコード・クラブの頭文字を取ったインディーレーベル。岡林信康を筆頭に、加川良、高田渡、遠藤賢司ら、そして、はっぴいえんどを輩出したことで知られる)からデビューシングルを出していますが、フォーク系のシンガーとは当時交流はあったんですか。

久保田:私にとってプロテストソング的なものはちょっと堅苦しかったんですよ。ちょっと馴染めなかった。岡林のレコードも持ってましたけど、それは、はっぴいえんどがバックをやっていたからだと思う。当時、岡林のバックではっぴいえんどのライブも観てますね。

―はっぴいえんどのことは当時どう見ていたんですか。

久保田:進んでいると感じていました。日本語なのに、こんなにかっこいいのかと。すごくインパクトがあったんですよ。

―はっぴいえんどの革新性は後世になっていろいろと語られていますが、現代の感覚からすると、そのインパクトが少し見えにくいところもあると思うんですよね。当時の久保田さんはどういったところに新しさを感じていたんですか。

久保田:まずはソングライティングと演奏力。それと松本隆の歌詞かな。あまり聴いたことのない歌詞だったんですよ。あとは手づくりっぽい音質。

その少し前のタイミングでグループサウンズ(以下、GS)のブームがあったわけですが、いい悪いは別にして、GSは「つくられた」感じがあった(編註:1960年代後半、The Beatlesの来日公演をひとつの契機に大きな盛り上がりを見せたGSは、職業作曲家が手がける楽曲を揃いの衣装を着て演奏するなど、その多くは商業主義的なニュアンスが強かった)。

もちろんそのなかでもザ・スパイダース(編註:堺正章やかまやつひろしが所属していたことで知られるバンド)みたいに自分たちで曲も書くバンドもいたわけですけど、はっぴいえんどは明らかにGSと違っていた。レコード会社がいっちょ上がりでつくったようなものじゃなくて、「英米のロックのような響きを掴み取りたい」というミュージシャンの心がそこに反映されていたんです。

はっぴいえんど“春よ来い”(1970年)を聴く(Apple Musicはこちら

―裸のラリーズを手伝うようになったのも同じころですか。

久保田:『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』という1991年に出たアルバムに収録された音源は、私がスタジオを仕切って録音したんですよ。レコーディングしたのは1970年の1月から2月。だから、(中心人物である)水谷孝から「手伝って」と頼まれたのがその前年の秋だったんじゃないかな。

―1969年の秋ということは、『ウッドストック・フェスティバル』の直後ということになりますよね。裸のラリーズというと轟音のサイケデリックロックという印象がありますが、『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』に入っているスタジオ音源はアシッドフォーク的な雰囲気があって、久保田さんの『まちぼうけ』にも通じるものがあります。

久保田:私が手伝う前のラリーズは、水谷も含めてみんな(学生運動の)ヘルメットを被っていたし、ラリーズはもともとそういうバンドだったんですよ。でも、水谷はそうしたバンドのあり方にちょっと疲れていたらしくて。その時期、ラリーズは第1期メンバーが離れて解散状態にあったんです。

私が参加したレコーディングの直後、よど号のハイジャック事件があったんだよね(筆者註:裸のラリーズのメンバーだった若林盛亮は、脱退後の1970年3月、日本における最初のハイジャック事件であるよど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮へ亡命。国際指名手配されているものの、現在も平壌に暮らしている)。

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リリース情報

久保田麻琴
『まちぼうけ』(LP)

2021年4月21日(水)発売
価格:4,180円(税込)
PROT7103

[SIDE-A]
1. あさの光
2. かわいいお前
3. 汽車
4. ひとごみ
5. 山田氏の場合
6. 丸山神社

[SIDE-B]
1. まちぼうけ
2. 休みの風
3. Make Love Co.
4. 時は近ずいて
5. Poor Boy
6 .挽歌

プロフィール

久保田麻琴(くぼた まこと)

1949年、京都府生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。同年、軽音楽部の1学年上だった水谷孝らと「裸のラリーズ」を結成しベースを担当。大学を1年休学して渡米後、松任谷正隆プロデュースのソロアルバム『まちぼうけ』を発表。その後、夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ヒッピーカルチャー、アロハ、琉球・沖縄音楽などを独自のグルーブで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、ユニットHarry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。ライ・クーダー、レボン・ヘルムとも作品で共演している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行うほか、宮古島の古謡を題材とした映画『スケッチ・オブ・ミャーク』(2011年)の原案・整音・出演を担当。著書に『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記』(2006年、岩波新書刊)がある。

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