ロックに興味がないから儲けられた。辣腕マネージャーが語るRolling Stonesの稼ぎ方

本業以外で荒稼ぎするミュージシャン

ビジネス誌『Forbes』が発表した2014年のミュージシャン所得番付トップ10を眺めると、金額の桁数に目をくらませながらも、何人かは本業と別の大きな収入源を確保していることに気付く。1位のDr.Dre(6億2千万ドル)は、自身が手掛けるヘッドフォン / オーディオブランド「Beats by Dre」や音楽ストリーミングサービス「Beats Music」をAppleに売却することで桁外れの儲けを得たし、10位のトビー・キース(6,500万ドル)は、メキシコの蒸留酒ブランドを手掛けるなど実業者としての稼ぎが多い(『Forbes Japan』2015年3月号参照)。The Eagles、Bon Joviといったワールドツアーでしっかり稼ぐ面々も根強いが、いくつかの大きな財布を持つミュージシャンがランクインしている事実は何とも今っぽい。

ミック・ジャガーが黒いドレスの彼女を連れてきた日、ブライアン・ジョーンズが遺体で発見された

音楽でいかにして巨万の富を築くか。その先例を知る上で、Rolling Stones(以下、ストーンズ)の財政面を40年もマネージメントし続けた、プリンス・ルパート・ローウェンスタインによる著書『ローリング・ストーンズを経営する』は貴重なテキストだ。既にロックシーンの中核にあった1968年末にストーンズと出会ったルパートは、彼らが一銭の収入も得ていないことに驚く。イギリスのDecca Recordsと契約し、シングル・アルバム共にヒットしていたにもかかわらず、彼らの預金は借越し状態だったという。

出会いからしばらく経った1969年7月、ルパートが開いたガーデンパーティーに招かれたミック・ジャガー。この日のメインテーマは「白」。招待客がそれぞれ白い装いでやって来る中、ミックの恋人であるマリアンヌ・フェイスフルだけが「黒いジプシー・ドレスにヘッド・スカーフ」で現れる。このパーティーの晩、前月にストーンズを脱退していたギタリスト、ブライアン・ジョーンズが自宅で遺体となって発見される。この日が、以降40年も続く、ルパートとストーンズのビジネスが始動するきっかけとなった。パーティーから3日後、ブライアンの追悼コンサートで25万人の観衆を集め、翌年には、バンドメンバーに一切の金銭を渡さなかった元々のマネージャー、アラン・クレインを解雇し(その後18年に及ぶ訴訟が続いた)、ルパートとストーンズは本格的にタッグを組むこととなる。

ストーンズの音楽にちっとも興味を持たなかったルパート、税金対策のためメンバーを母国から連れ出す

ルパートは、ストーンズの音楽にちっとも興味を持たなかった。彼は、「けっしてストーンズのファンでもなければ、いわゆるロックンロール好きでもない」「ファンではなかったから、スタジオまでつきまとい、彼らの制作プロセスの秘技を共有しなかった(ノイズのレベルに耐えられないのでけっしてしなかった)」と言い切っている。だからこそ冷静なビジネスができた。その時代、バンドのマネージメントを務めるのは「コンサート・プロモーターか、野心のあるローディー、あるいは馴れ合いになりがちな友人」ばかりだったので、当然、儲けを適切に分配しないケースが多かった。しかし、ストーンズの音楽に興味を示さなかったルパートのやり方は、音楽そのものとビジネスを絶対に混在させなかった。1970年代初頭、ストーンズとの仕事を始めたことを煙たがる銀行家が多かったが、ルパートは「彼らは右肩上がりだ。世界は変わったんだよ」と言い返した。

前任者、アラン・クレインのずさんな管理のせいで、課税されていない巨額の契約金等の疑いを国税庁から指摘されると、ルパートは課税から逃れるためにイギリスからの離脱をメンバーに指示し、イギリス国内で過ごすのを3年間で90日以内にし、非居住民の資格を取る方法をとった。そうしなければメンバーが収監される可能性すらあり、加えてイギリス国内での利益に対し83%~98%の所得税と付加税を支払うハメになっていたという。渋るメンバーを説き伏せて母国から連れ出すという離れ業で、最良の税金対策をとった。

「ベロマーク」の著作権保護のために年間100万ドル以上も払っていた

大物だからと隅々までハイグレードな条件を整えがちなツアー中、ルパートはメンバー以外に、ホテルで一番グレードの低い相部屋を与えるなどして不要な経費を削減し、ツアー収入の拡大に努めた。当時、ツアーはアルバムのプロモーションとして位置づけられることが多かったが、彼は早くからツアーで金を稼ぐことに尽力していた。誰もが知るストーンズの「ベロマーク」のマーチャンダイジングや権利確保に力を注いだのもルパートだ。不正使用が氾濫しないよう数か国で著作権を保護し、一時期はそのために年間100万ドル以上も払っていた。短期的な収益から考えれば大きなリスクだが、今、ありとあらゆるベロマークが彼らの懐に入る仕組みで流通しているのは、ルパートの冷静な判断があったからこそである。

ストーンズとの仕事を2008年に退いたルパートは回想する。「レコード売り上げはロック・バンドにとってさほど重要な収入源ではなくなっていた。(中略)しかしこうなることを私たちはずっと以前から見抜いていた」。ツアーとマーチャンダイジングで稼ぐというスタイルを早々に築いたのは、まさに先見の明だった。

「腕を上下に動かして人々を感動させるなんて、信じられなかった」

ビジネスの話になると経営学に精通しているミックの名前が出てきて、トラブルの話になるとキースの名前が出てくるのが分かりやすくて面白い。ルパートとミックが中心になってストーンズのビジネス面での立て直しをはかっていた1970年代前半当時のキースを、わざとらしく本人の自伝から引っ張るとこんな感じだ。

「チャーチ・ストリートにいた時期だ、俺がメルク社製コカインの助けを借りて最長覚醒記録の離れ業をやってのけたのは。一睡もせずに9日間だぜ。2回くらいうたた寝したかもしれないが、それでも20分くらいのもんだ」 (『キース・リチャーズ自伝 ライフ』楓書房刊)

ルパートの回想録にも、ミーティング中にホテルの大きな窓から小便し始めるキースの姿が苦々しく描かれる。Rolling Stonesというロック界最大の船を運搬する労苦ははかり知れない。ルパートは残念ながら、この本を書き上げた後、2014年5月に亡くなってしまった。2014年は、ルパートの死、ミックの恋人であるローレン・スコットの自殺、長年ストーンズでサックスを担当してきたボビー・キーズの死去と、残念な報が続いた。

それでも活動を続ける彼らは、また来月からツアーを始める。ルパートはこの本を締めくくるエピローグでも、ミックのステージングを観て「ただ体を曲げたり、腕を上下に動かして人々を感動させるなんて、私にはとても信じられなかった」と書く。とにかく、ストーンズの音楽に最後まで興味を示さなかった。しかし、その冷めた眼差しが、熱量を帯びたストーンズの歴史を支えてきた。ロックで儲けるビジネスモデルの多くは、ロックに興味を持たないこの男から生まれていたのである。

書籍情報
『ローリング・ストーンズを経営する 貴族出身・“ロック最強の儲け屋”マネージャーによる40年史』

2015年3月25日(水)発売
著者:プリンス・ルパート・ローウェンスタイン
価格:2,160円(税込)
発行:河出書房新社

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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