「フジワラノリ化」論 第6回 土田晃之 其の三 土田晃之に内在するヤンキー性と体育会系

其の三 土田晃之に内在するヤンキー性と体育会系

ある記憶がある。小学校へ行く道すがら。その日はいつも一緒に学校へ行く村田君が風邪をこじらせていて独りだったのだ。向こうから小学校を卒業した藤田君が自転車でやって来た。藤田君はどうやら不良グループに出入りしているとの噂のある子で、一度、掃除当番で一緒になったからことがあるから面識はあった。藤田君は、僕のほうに自転車を加速させてきた。避ける気配がない。このままじゃぶつかる、目を逸らす。藤田君はギリギリの所で方向を変え、僕のギリギリ横を通り過ぎていった。後ろからガハハハと大きな笑い声が聞こえる。僕は本当に恐かった。その時の、ヤンキーという組織に対する認識はとてつもなく大きく恐ろしいもので、彼らに睨まれたら校舎の裏に呼ばれて金属バットで殴られる、根拠無くそう思っていたのだ。だから、その末端にいる藤田君にあのような形で凄まれた自分も危ない、親にも友達にも言えずに、本当に悩んだ。今思えば藤田君は単なるそこら辺のヤンキーで、自転車でこっちに向かってきたのも単なるちょっかいだったはず。でも、あの時は、ヤバイ、「組織」に睨まれたと思ったのだ。自分が校舎の裏に呼ばれた姿と、友達が薦めてくれたヤンキーマンガの一部始終が適当にリンクする。あの時の、もう一度藤田君に会ったら今度こそヤバいという気持ちは、自らが体感した恐怖として上限だったような気もしている。

土田晃之はヤンキーだった。一時期の宇梶剛士のように、その事実を前面に押し出してはこないが(総長として殴る蹴るしてた人による若い人に向けての説教って、その構造にそもそも難がないだろうか)、リーゼントで不良座りしていた写真を番組内で公開している。しかし、実務は語らない。あそこでこういう事件があっただとか、そこに自分がどう参戦しただとか、本来美味しいネタになるはずのその素材を使わない。お笑い芸人とヤンキーという繋がりでいえば古くは横山やすし、今では島田紳助が代表格になろうか。しかし、この二人、そしてここに加えるとすればハイヒール・モモコだろうか、とかくその三人には、ヤンキーというより大阪という血が先立ってくる。ヤンキーだった事実を確かに持っているかもしれないが、こちらの感覚的には「大阪っぽい人」なのだ。雑な区分だが、そのカッコ付きの「っぽい人」にヤンキーは飲み込まれてしまう。

土田晃之は思春期を埼玉県で過ごしている。深谷高等学校という学校の出身のようだから、東京へ通学するのではなく、埼玉から埼玉に通っていたのだ。ろくでなしブルースのようなヤンキー漫画には、池袋だ吉祥寺だと東京の繁華街が拠点となってくるし、東京でなければ、それこそ宇梶のように、横浜・湘南あたりの地名がヤンキーとの馴染みが良い。横浜銀蝿ってのもあるし。それに比べて埼玉というのは、この手の物語に頻出してくるイメージに乏しい。地方の荒廃、ファスト風土化する土地として取り上げられるのも茨城をはじめとした北関東だし、それこそ深田恭子がゴスロリファッションに身を包んだ「下妻物語」に登場したヤンキー姿の土屋アンナは茨城が似合っていた。横浜銀蝿亡き今、東京湾を挟んで木更津から声を張り上げたヤンキー集団が氣志團だったわけで、この「埼玉県のヤンキー」というのは、ますます置き去り感が強い。土田晃之は、そこでヤンキーだったのだ。これは予想にすぎないが、土田は恐らく「淡々と」ヤンキーだったのだろう。だったのだろうというか、淡々とヤンキーをやっていたのだろう。その淡々さ、土地柄、実に土田に似合うのである。

第6回 土田晃之

今やサッカー大好き芸人として、実務をワッキー、知識を土田が担っているような印象があるが、実は彼はサッカーが上手くない。部活動に所属したこともないようだ。いわゆる体育会系ではない。土田が中高時代のころ、男子は体育会系と文化系とヤンキーの3つに区分できた。その中で土田は、ヤンキーを選んだ。文化系というカテゴリーが持つ自意識の集積、体育会系が持つマッチョな人間構築、そのどちらとも自分からは遠ざけたかったのではないか。単なる仮説だが、今の土田を見ているとそう思わずにはいられない。吉本芸人が常にグループとして見られがちなのは、その頻出度もあるだろうが、グループ構築の模様を上下関係によって伝達させられるからであろう。上は下を連れ立って、下は更に下を連れ立っている。その模様をテレビで報告していく。すると視聴者は、眼前で繰り広げられる力関係を理解していく。そこを横断した所で笑いが生じる。それって実はお笑いの精度としては不本意ではないか。ヤンキーの関係性とも近似している。ヤンキーの文化的結実が吉本のお笑いではないか。土田晃之というのは、そういう在り方を画面に持ち出してこない。嫌ってすらいるのではないか。ファミリーツリーのどこかに加わる事への嫌悪感。だから、彼はいつでも「独自に」その場に立っている。誰それがどうだからココにいるという理由を持たずにいるのだ。それって、ヤンキーよりも、不良よりも、ワルである。組織から逸するのだから、自助努力で成り上がる。土田は淡々と成り上がる。毒を吐く。その場に応じた供給を提供し続ける。

僕が幼少期に感じた不良・ヤンキーに対する無限大の恐怖は、そりゃあもう溶けている。だけどもあのとき感じた恐怖が特別なものだったという意識は今もある。それはヤンキーや不良が例外的な存在であり、且つその存在が相応の威力を発揮していたからなのだろう。確かに夜になれば暴走族が、一本先の通りを爆走していた。その爆音と藤田君の行為は積極的に繋がり自分を苦しめた。でも今は、ヤンキーや不良がキャッチーになった。宇梶はああやって暴走族の総長時代を糧にして、木下優樹菜はアイドルでありながら元ヤンであることを隠さず喧伝するようになった。そういった時代の流れと今そこに未だいるヤンキー周辺が乖離しているのだろう。沖縄の成人式を見ると、この不良達古いなーという見栄えで荒れているのだが、あれを見ると、ヤンキーという存在がどこかで一時代前のものなのだなという印象を禁じ得ない。そんな所で出版された難波功士『ヤンキー進化論』、五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』がどちらも面白い。その本の存在自体、ヤンキーをある種終わったものとして再定義する試みを含んでいる。地方のヤンキーがケータイ小説を読む、というのは、時代の現象ではあるが、時代を構築するものではない。ナンシー関は「日本人の5割は銀蝿的なものを必要としている」と言い残している。また、『ヤンキー文化論序説』の中で都築響一は、オタクの中にはオタクをメディアで語る人がいるが、ヤンキーにはそれがいないと、目の覚める発言をしている。そうなのだ、ヤンキーという存在は散々聞かされていたように思えても、実際は体感していないし、知られてもいないのだ。各々の頭の中で勝手に育てている存在なのだ。

論ではなく要望になるが、だから僕は、土田にヤンキーを語って欲しい。淡々とヤンキーをやっていた(はずの)土田が捉えるヤンキーとはなんだったのか、それは何より、吉本ではない、特定の芸を持たない、「ブレイクする事も無ければ、仕事が無くなる事も無い。安定した収入を保っている太田プロ所属土田晃之です」と繰り返す、彼をハダカにするキーワードのように思えてならないのである。

ヤンキーの特徴の1つとして「どうしてだか子だくさん」という点があるだろう。ヤンキーという見地は今回きりにするが、ヤンキーというテーマからステップするように、次回は4人の子どもを持つ「子だくさん」という事実から「『子だくさん』から見る、お笑いという職業感」を記していきたいと思っている。



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