「フジワラノリ化」論 第6回 土田晃之 其の四 「子だくさん」から見る、お笑いという職業感

其の四 「子だくさん」から見る、お笑いという職業感

お笑い芸人はとにかくモテる。松本人志は、常磐貴子、優香、hiroと浮き名を流し、その後にお天気アナウンサーと結婚した。品川庄司の庄司はモーニング娘。にいた藤本美貴と婚約し、FUJIWARAの藤本は、まったく冴えないキャラとは裏腹に、木下優樹菜という、最先端にいる女子をゲットしてみせた。どうしてあの人があの人を、という驚きにももう慣れてしまった。逆に言えば、よっ、お似合いのカップル、と叫びたくなるような、トップアイドル同士の熱愛発覚が目立たなくなってきた(V6の岡田君と蒼井優くらいだろうか)。お笑い芸人は意外性の生き物である。明石家さんまがプライベートでもうるさいという事実を意外と捉えるし、実はこれが、プライベートでが静かとなっても、それはそれで意外となる。画面に映っているお笑い芸人は、やはり必死に笑いを創作しているのであって、その必死さが、プライベートでは薄まるのかそのままなのか、そのどちらであろうとも、ギャップに結びつきやすい職業なのだ。そこそこカッコいい俳優がプライベートでも俳優気取りならば引いてしまうだろうし、実は饒舌で面白キャラだったとしても、チグハグな感じを相手に与えるだろう。女子は、男子はギャップが大事と繰り返す。全く勝手な意見だと思うが、そのギャップも何層かになっているらしく、単に見た目と違う、では納得してくれない。まず女子の中で、あの人は○○っぽいけど、が先行する。次にその○○を反転させるか距離のある、実は○○だ、が登場して、初めてギャップがあると認証される。いつもはダメキャラの庄司や藤本が男らしくキレイな女子を先導している様をスクープされるとその印象がアップする。お笑い芸人って、仕事場の外が加点対象になりやすいのだ。女子が自分勝手に設定するギャップのコードに沿った職業である。このコードは、大学生や高校生にも通用しているのではないか。かつてはギターを抱えて学校に登校し、学園祭のライブイベントで他校の女子からキャーキャー言われるのが、モテる、ということの具体だったのだが、今では、お笑い芸人とは言わずとも場を盛り上げるムードメーカーに視線が注がれているのだろう。人気者とモテるってのは必ずしも結びついてこなかった。モテる層があって、結局あいつらがモテるんだよなと悔し涙を流すのが関の山だった層がある。今はそうではない。いわゆるベタなモテ層が機能しなくなっている。お笑い芸人が次々と女優やアイドルを捕まえていく、度重なるこの手のニュースにも驚く必要は無い。

お笑い芸人は、その「モテ」の後をあまり語らない。結婚し子どもが出来、家族として安定した途端、自分と家族を分離させて、家族を語らなくなる。子どもが何人いて何歳と何歳で……、その類いの身内ネタで場を持たせるのは決まって俳優である(事に今気付いた)。思えばお笑い芸人の二世って少なく、それに引き換え、俳優は二世がやたら多い。モノにならない二世も多い。その俳優がウチの子どもがウチの子どもが、と繰り返したからなのか、グレて薬物に染まったりする笑えないパターンもある。お笑い芸人はファミリーを持ち出さない。たまに持ち出すと、明石家さんまの娘でも西川きよしの娘でも、懐かしい所では北野武の娘でも、別に知りたかないんだけど、という空気に包まれる。不要な需要なのだ。だから本人たちも封印するのだろう。円満な家庭は笑いにならない。カミさんにドヤされてもう大変と漏らしても、特異な愚痴にはなり得ない。浮き名を流すまでは加点ポイントになるが、家庭として安定的になると芸人自体はそれを嬉しがらない。結果的に報道が大きくなってしまったが、松本人志が出来る限り静かに結婚発表をしたがったのは、芸人にとって結婚が加点にはならないから、と判断したからではないか。

第6回 土田晃之

土田晃之は4人の子どもを持つ。芸能界で子だくさんといえば、薬丸裕英と中山秀征の4人が有名だが、その二強に土田が入っていこうとしている。子だくさんだから沢山仕事しなきゃ、子だくさんだからレギュラー番組は有り難い、その手の発言を繰り返している。家族といる時が一番楽しいと漏らし、実際、家族と一緒にいる時のほうがテンションが高いようである。冷淡な土田晃之が、家族の前で解凍されるようである。芸人は遊び人、このイメージは具体的にそうだからという事実も相まってまだまだ根強い。言ってみれば家に直帰してはいけないのが芸人である。しかし、土田は直帰する。上島竜兵が「竜兵会」に誰も来てくれないからと土田に泣きついて電話をすると、彼は自宅から車でやってきて酒を飲まずに帰るそうである。

土田がヤンキーだった頃、父親から言われたそうである。「お前らが子供の時の笑顔を見た時に、一生分の幸せをもらったと思った。(今はヤンキーでやんちゃしてる)そんなお前らでも、俺は飯食わせてやろうと思ってる」、なかなか涙を誘う言葉である。土田がこの言葉を支えにしているかは知らないが、土田の子どもに対する愛着は、子だくさんの事実をプロモーションにまで使ってしまう所からも受け取れる。本来、冷淡で戦略的な土田が、子だくさんという新しくもないありきたりなネタを持ち出す必要はないのである。それでも持ち出してしまう。決して受けは良くない。薬丸や秀ちゃんが漏らす子だくさん情報に飽き飽きするのと同じように、土田の子だくさん情報は不要な場合が多い。土田にとって子だくさんは、芸人としての武器になるものではない。芸人が円満な家庭を売りにしてこなかった中で、土田は子だくさんを1つの安定的なネタにしようとしている。しかし、それはやや危険を孕んでいる。先駆者が使い果たした「子だくさん」のフィールドを再活用するのはあまりお薦めできない。間違っても育児本など出されぬよう、気をつけたし。

土田晃之にまつわる諸条件が揃ってきた。次回は「お笑いブームから“取り残されて”生き残る方法」と題して、土田晃之の生き残り方を考えつつ、土田晃之論をまとめにかかりたい。



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