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UPLINK代表 浅井隆 インタビューをdel.icio.usに追加 このエントリーをはてなブックマークに追加 UPLINK代表 浅井隆 インタビューをlivedoorクリップに追加 UPLINK代表 浅井隆 インタビューをlivedoorクリップに追加 (2008/08/22)

ジャンルをまたぎ、スペースをつくり、メディアをつくる。そして、自分が信じた映画作品を社会に輩出していく。もしお客さんがその作品を良くないと思ったなら、チケット代を返金するという企画までやったことがある。CINRAを立ち上げた当初から、UPLINKという存在は1つの目標のように輝いていた。浅井さんは、ぼくがずっと会いたかった人の中の1人だ。映画配給だけでなく、ジャンルを横断してカルチャーメディア「web dice」のリニューアルオープンを機に、浅井さんのカルチャーへの強い想いと、お金の関係、そしてUPLINKが向かう方向を伺った。

(インタビュー:杉浦太一 撮影:柏木ゆか)

PROFILE

浅井隆(あさい・たかし)
寺山修司の天井桟敷舞台監督を経て、87年、有限会社アップリンクを設立。 映画の制作・配給・プロデュースを行ない、映画上映やイベントができる「UPLINK FACTORY」、「UPLINK X」や、ギャラリー「UPLINK Gallery」、の他、多国籍レストラン「TABELA」なども運営。8月1日に、休刊していた雑誌「骰子」をweb上でリニューアルオープンし、ジャンルにとらわれない情報発信を続けている。
UPLINK
webDICE

自分の中では天井桟敷の経験から今まで、
一直線でずっと繋がってるんだよね

─浅井さんはアップリンクを立ち上げる前に、寺山修司さんの天井桟敷にいらしたんですよね? やっぱり何らか寺山さんからの影響はあるんですか?

浅井:18歳で天井桟敷に入って、それから10年間くらいいたので寺山さん個人というより天井桟敷での影響は大きい。当時はインターネットどころかFAXも無かったから、とにかく自分で動いて情報を得ないと面白いことに出会えなかった。一番有効なメディアだったのがチラシとポスター。だから、ロック喫茶とかジャズ喫茶に通ったりしていたし、天井桟敷の公演の時はそういうところにチラシやポスターを貼りに行った。

僕は上京して西荻窪に住んだので、できたばかりの西荻ロフトに通ってましたね。そんな時、天井桟敷の劇団員募集チラシを見て、参加したんです。当時はHISもないので、海外旅行なんて高くて行けない。でも、天井桟敷は毎年海外の演劇祭に招待されていたので海外公演で行けたんだよね。まだ羽田空港から海外へ発った昔ですね。天井桟敷は他の日本の劇団と違い僕からすればロックバンドみたいで演劇演劇していなかった。アムステルダム、ロンドン、パリ、ニューヨークその街のライブハウスや美術館やクラブなど、とにかく毎日探検ばかりしていた。そういう形で色んなカルチャーが自分の身体に刻み込まれた。

─なるほど、そういう複合的なかんじが、今のアップリンクの活動にも影響しているんですね。

浅井隆インタビュー

浅井:そうだね。ニューヨークだったら、今はフリーペーパーになったけど「Village Voice(ヴィレッジボイス)」があったし、ロンドンだったら「Time Out(タイムアウト)」があった。その後に東京でぴあみたいな情報誌が出てきたんだけど、ヴィレッジボイスやタイムアウトは、カルチャー情報を複合的に扱っているだけじゃなくて、そこに社会的問題もトップで扱っているようなメディアだったわけ。だからカルチャーと社会的問題が一つのメディアの中に全部入っていた。この2つの雑誌は、今のwebDICEの原点になっていると思う。

─そういった天井桟敷の経験を経て、浅井さんがUPLINKを立ち上げたのが87年。やっぱり最初は色々ありましたか?

浅井:最初は僕と、昔からの友達が仕事終わりに手伝いに来てくれて。それで人手が足りないから少し増やしたりして、徐々にステップアップして今があるっていうかんじですよ。

─それで、これだけ確固たるスタンスで情報や作品を提供できているというのは、ほんとにすごいことですよね。

浅井:いや、今だって数ヶ月後はどうなっているかわからない。自転車操業(笑)。

─浅井さんの中で、カルチャーとお金の関係ってどんなものなんですか?

浅井:続けるためには、当然継続するための資金が必要なわけだよね。お金が欲しいんじゃなくて、もっと面白い事をやりたいそのためにはお金が必要だっていうこと。僕は思うんだよね、1日24時間の中で何時間そのことをやっているのかっていうことがその人のメインの仕事だと。

だからもし会社が企業をクライアントするような仕事をやっていて、それを食いブチにしていて、それで稼いだお金で映画の配給をやってるっていうんだったら、その会社の仕事は企業の下請けだと思うんだよね。それを否定する訳でなく、僕の場合はカルチャーが面白いと思ったし、それをやっていきたいと思ったから、生業としてカルチャーに軸足を置いてやっている。それを継続するためにどうやってお金儲けできるかっていうことだよね。だからアップリンクのクライアントはお客さん一人一人だと常に自分に思いきかせている。

─やっぱりUPLINKの軸足は映画配給っていうことになりますか?

浅井:かつてはね。でも今はもう映画もかつてほど入らなくなってきたし、DVDも売れなくなってきているからね。会社もカーブを切ろうとしている。

─そこで、当初雑誌として販売していた「骰子」がWEBサイト「webDICE」として、リニューアルしたわけですね。なぜ、WEB上だったのでしょうか?

webDICE
「webDICE」

浅井:雑誌の『骰子』を休刊した時からインターネットの可能性にはすごい興味があってwebマガジンに移行できないかなと考えていた。そうこうしているうちにいわゆる「WEB2.0」がやってきた。インターネットが、ユーザーが参加できるメディアとして広がってきた。一方向じゃなくて双方向性が取り込めるメディアを作れるっていうのは大きかった。

─参加型っていうのは、まさに寺山さんが天井桟敷でやっていらしたことでもありますね。

浅井:そうそう、当時の天井桟敷の演劇も投稿された手紙を台本にしたり、観客が舞台に上がって俳優と同じように演じたり、大きな規模では街自体を舞台とする市街劇という観客参加型の演劇を積極的やっていた。webDICEの原点にもなった「Village Voice」とか「Time Out」も一番最後に“CLASSIFIEDS(クラシファイド)”、っていうページがあった。

浅井隆インタビュー

読者が売りますとか、買いますとか、恋人募集とか、自由に投稿して掲載できるいわゆる三行広告の欄。それをwebDICEにも応用していて、同じCLASSIFIEDSという名前で、ユーザーが自分の告知したいこと・宣伝したいことを画像や動画も含めて自由にアップできるコンテンツをやっている。イベント告知ではユーザーが告知したイベント情報がサイトのトップに表示される。だから、自分の中では天井桟敷時代の経験から今迄一直線でずっと繋がってるんだよね。ネットを使えば、「当時やろうとしてたこと全部できるじゃん」って思った。それでwebDICEがスタートした。

2/2ページ:変化させなきゃダメだって思っているアクティブな人に惹かれる

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