『F/T』ディレクター相馬千秋が問い続けるアートの可能性

今年で4年目、5回目となる『F/T(フェスティバル/トーキョー)』。秋に定着したこの大規模な舞台芸術の祭典は、日本の、あるいは世界の演劇シーンにおいても重要な存在感を獲得しつつある。最初はヨーロッパの演劇を日本に紹介するフェスティバルという印象のあった『F/T』だが、近年はアジアという視座が前景化し、新しいプラットフォームを構築しようとしているようにも見える。

変化し続ける世の中にあって、アートに、そして演劇に何ができるのかを常に模索しながら、現場を動かしてきたディレクター・相馬千秋。この芯の強い思想と行動力の持ち主なくして、『F/T』は存続しえなかったのではないか。特に「震災以後」という厳しい時代の中で、さらには領土問題も緊迫した状況を迎えている今、この現実は彼女の目にどのように映っているのだろう? ノーベル賞作家、エルフリーデ・イェリネクを特集する『F/T12』の見所や、『F/T』のこれまでの軌跡を、共に歩んできた彼女自身の話と一緒に伺った。

演劇とのファーストコンタクトは最悪?

―演劇との出会いは?

相馬:恋愛もそうですけど、第一印象がものすごく悪いものにかぎって、のちのち縁が深くなることってあると思うんです。私にとって演劇はまさにそう。大学時代は文学少女だったので、いろんなアートに触れたい、願わくば自分も小説家になりたいと思っていて……。それで小説の同人誌をやったり、美術や映画も片っ端から観ました。音楽はオーケストラでビオラをやっていたので生活そのものだったし、現代音楽や実験音楽のイベントにもよく通って。ひとことで言えば、演劇以外のアートには幅広く触れていたんですね。

―ではなぜ演劇はスルーを?

相馬:ひとつには、友達に誘われて観に行く学生演劇の舞台が妙に大げさで恥ずかしく感じたこと。自分の醒めた現実感覚とあまりに落差があった。それにチケット代も高いから、そんなに何本も観に行けなかった。ものの見方ってたくさん見続けないと蓄積されないので、どう見ていいかも分からなくて。

相馬千秋
相馬千秋

―その後、フランスに留学されたんですよね?

相馬:自分が作家になるよりも、芸術の環境を作りたいと思って、文化政策やアートマネジメントを実践的に学ぶために、2000年から01年にかけてリヨンの大学院に行きました。学校の隣にオペラ座があって、安い席なら10ユーロで一流のオペラやダンスが観られたんです。あとリヨンではダンスと現代美術のビエンナーレが交互に開催されていて、町そのものが常に芸術的な祝祭で覆われている。例えば「デフィレ」と呼ばれる仮装行列では、みんなで衣装を作って踊りを練習してビエンナーレに参加するんです。つまりコミュニティーに根ざした活動と、世界レベルの芸術とが地続きなんです。その雰囲気に私もまんまと乗せられましたね(笑)。

『宮沢賢治/夢の島から「わたくしという現象」』ロメオ・カステルッチ(『F/T11』) ©石川純
『宮沢賢治/夢の島から「わたくしという現象」』ロメオ・カステルッチ(『F/T11』) ©石川純

「劇場や美術館という制度の中で何かをやる、という発想にはならなかった。実は未だに演劇の部外者という意識はあります。常にアウトサイダーです(笑)」

―そして創作の現場に関わるように?

相馬:まず4か月間、フランスとスイスとドイツの国境にあるモンベリアールという小さな町で、メディアアートに特化したアーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)の施設に住み込みで働きました。当時はメディアアートが盛り上がっていたし、ダムタイプも制作に来るようなとっても刺激的な環境でしたね。大学院が終わってからはパリに行って、バトファーという、2000年代初頭のクラブシーンでは有名な場所で働きました。セーヌ川の上に蒸気船を浮かべてクラブスペースにしているんです。そこで日本にフォーカスしたメディアアートや電子音楽のフェスティバルが開催されることになり、大友良英さんともお知り合いになったり。まあ制作アシスタントとしてパシってました(笑)。

―その頃からジャンルオーバーなんですね。

相馬:劇場や美術館という制度や箱の中で何かをやる、という発想にはならなかったですね。権威や制度がしっかり固定化したものよりも、同時代的な面白い動きに本能的に同期していたのだと思います。そういう意味では、実は未だに演劇の部外者という意識があります。まだ演劇の本丸には入れてもらえない(笑)。常にアウトサイダーです。

『転校生』飴屋法水(『F/T09春』)©Jun Ishikawa
『転校生』飴屋法水(『F/T09春』)©Jun Ishikawa

「分からないものを分からないままに伝えられるのがアート。私はそっちのほうに賭けています。だって簡単に分かりたいんだったら、歴史の教科書でいいじゃないですか」

―帰国後は、『東京国際芸術祭(『F/T』の前身)』で「中東シリーズ」を担当されましたね。

相馬:ディレクターだった市村作知雄(現『F/T』実行委員会実行委員長)が、9.11の後に突然「これからは中東だ!」って言い出して、パレスチナとかレバノンとかに送り込まれたんです。でもいきなりアラブ文化圏に属する人たちの同時代的な表現に触れても、やっぱり彼らの直面する現実の重さは、本当のところ彼らにしか分からない。例えばこれまで『F/T』に3回招聘しているレバノンのラビア・ムルエの作品にしても、日本人はそもそもレバノンの歴史や現状を知らないので、簡単に共感なんてできないですよね。だから作品を前にしてもポカーンとするしかないんですけど、そこに対面することで、そのポカーンとした距離感の重大さを体感できる。なぜこの作品がこの時間の長さや饒舌さを必要したかという、その複雑さを全体で受け取ることが重要だと思うんです。だから、彼ら自身の言語、彼ら自身の身体性で、彼ら自身が現地のお客さんに向けて語っているものこそを東京で見せてほしいと思っていました。よく「分かりやすいもの」が求められることがありますけど、分からないものを分からないままに伝えられるのがアートではないかと。私はそっちのほうに賭けています。だって簡単に分かりたいんだったら、歴史の教科書でいいじゃないですか。

30代前半で新しいフェスティバルのディレクターとして抜擢されて

―市村作知雄さんとの出会いは?

相馬:フランスから一時帰国した際にBunkamuraのカフェで初めて会って、いきなり「じゃあ、うち来れば」と。ただ当時は私、半年くらい経ったらフランスに帰ろうと思ってたんです(笑)。それが結局もう10年になりますね……。市村は当時からずっと「あと数年したらフェスティバルのディレクターは30代の人間にする」と宣言していたので、まあその通りになりました。海外のフェスティバルだと30代前半でディレクターになるのは珍しい話ではないし、私も心の準備はできていたというか。

『たった一人の中庭』ジャン・ミシェル・ブリュイエール / LFKs(『F/T12』)
『たった一人の中庭』ジャン・ミシェル・ブリュイエール / LFKs(『F/T12』)

―そしていよいよ『F/T』が発足します。

相馬:ヨーロッパではどんな小さな町にも劇場があって、そこに行けば同時代の世界の表現に触れられる。その豊かさを日本でも当たり前のものとして享受できたら、という思いはありました。

『1月8日、君はどこにいたのか?』アミール・レザ・コヘスタニ(『F/T12』)©Mohammadreza Soltani
『1月8日、君はどこにいたのか?』メヘル・シアター・グループ(『F/T12』)©Mohammadreza Soltani

―新しい観客層を意識する、ということはありましたか?

相馬:強くありましたね。自分の過去を振り返ってみて、ああいう演劇を食わず嫌いしている若者でも観に行けるフェスティバルでありたいと。だから最初の『F/T09』はグラフィック的にもあんまり人を警戒させないようにと、可愛いピンク色のガーリーなロゴにしたんですけど……、あれは犯罪的に中身と違ったという噂です(笑)。最初はとにかくフェスティバルを日本に定着させることを目標にしつつ、今までの日本の演劇界にはなかったような、強い、新しい価値観を提示したかった。

『F/T12』パンフレット

―『F/T09春』『F/T09秋』のテーマはそれぞれ「あたらしいリアルへ」と「リアルは進化する」。そして『F/T10』は「演劇を脱ぐ」でした。

相馬:私はテーマやコンセプトを「全てを串刺すもの」としては考えていなくて、むしろ複数の多様な価値観に基づく作品群から浮かび上がる「輪郭」だと捉えています。ですからそれは、あくまでフェスティバルという混沌とした宇宙で、お客さんにひとつの「星座の読み方」を提案するようなものです。作品という星々の間に、あるラインを見出すのはお客さん自身の作業だと思っています。もちろんこちらで強く提案してきたラインとしては、広い意味でのポストドラマ演劇の流れがあります。海外からの代表的な作品でいうと、ロメオ・カステルッチやリミニ・プロトコルなどが挙げられます。リミニは招聘のみならず日本バージョンの作品を制作して日本の文脈や風景に落とし込むことによって、ドキュメンタリー演劇のあらたな潮流を、強いインパクトと共に紹介できたと思います。日本でも、高山明さんが主宰するPort Bが、演劇にまつわる既存の概念や制度を確信犯的に問い直す作業を継続しています。また飴屋法水さんが演劇に戻ってきてくれたことも大きかった。飴屋さんの作品には、リアルなものとフィクショナルなものが常に50|50で拮抗する演劇ならではの力が宿っていて、これまで演劇に足を運ばなかった層のお客さんにも、演劇の魅力を強烈に印象づけてくれたと思います。

『Cargo Tokyo-Yokohama』リミニ・プロトコル(『F/T09秋』) ©Jun Ishikawa
『Cargo Tokyo-Yokohama』リミニ・プロトコル(『F/T09秋』)
©Jun Ishikawa

「問題は『何を描くか?』ではなく『どう描くか?』」

―『F/T』をディレクションするにあたって、日本の演劇シーンへの不満や、批判的な視点というのはありました?

相馬:内容に関して、ひとつのラインだけを擁護するのはフェスティバルとして先細ってしまう危険性があると思うので、なるべく多様性をキープしていきたい。私は作家が何を描いても良いと思っているんです。それが半径3mのミクロな恋愛の話であっても、世界規模の普遍的な話であっても。問題は「何を描くか?」ではなく、それを「どう描くか?」。そうした「how」の部分にこそ、それぞれの作家性が強く出ると思いますし、本当の意味での政治性が宿る。そしてその政治性は、単に舞台の上だけで完結するものなく、舞台と観客の関係性や、作品の形式や構想そのものにも影響を与えるものになるはずです。

『夢の城』ポツドール(『F/T12』)
『夢の城』ポツドール(『F/T12』)

―昨年の『F/T11』のテーマは「私たちは何を語ることができるのか?」でした。やはり大地震の影響はあまりにも大きかったと感じます。

相馬:私にとって、この震災と向き合わずにフェスティバルをやるという選択肢はありませんでした。今のこの時代や現実に応答すること、それが私が信じている演劇、あるいは芸術という行為なので、震災という目の前の現実に愚直に応答するしかなかった。それはたぶん作り手たちも共有してくれている感覚だったと思います。実際蓋を開けてみれば、新作を依頼していた全ての日本のアーティストが、直接的か間接的は別として、震災に応答する作品を発表してくれました。海外から招いたロメオ・カステルッチも、飴屋さんとの共振を経て、夢の島であのようなレクイエム的な作品を作ってくれました。また日本の作家でも、例えば岡崎藝術座の神里雄大さんは、移民問題を戯画的に描くことで今の日本の微妙な空気感に警鐘を鳴らしました。これは震災を経由しなかったら生まれなかった作品だと思います。

『レッドと黒の膨張する半球体』岡崎藝術座(『F/T11』)©富貴塚悠太
『レッドと黒の膨張する半球体』岡崎藝術座(『F/T11』)©富貴塚悠太

―岡崎藝術座は今回、韓国で稽古をしたりしていて、発想や視野が世界規模にスケールアップしつつあるのを感じます。ちなみに招聘作品を選ぶ際の基準は何だと思いますか?

相馬:世の中に素晴らしい作品はたくさんあるので、『F/T』で上演するものは単に「素晴らしい」というだけではありません。作品にどんな「問い」が貫かれているか。またその「問い」が、『F/T』のテーマとなる問いと呼応するかどうか。今回で言うと、震災後の変わってしまった現実をどうやって掴み直していったらいいのかということです。これは去年からずっと継続している問いですが、この現実の巨大さに対してまだまだ道半ばだと感じます。

『ツァイトゲーバー』村川拓也(『F/T11』)©富田了平
『ツァイトゲーバー』村川拓也(『F/T11』)©富田了平

―しかもその現実自体、何も終わってないという。

相馬:そうなんです。だからその問いを続けていくしかない。そこで浮かんできたキーワードが「ことば」だったんです。

「震災以降、今まで受容できていたものが全く機能しなくなるという変化に、嘘をついちゃいけないとも感じました」

―『F/T12』は「ことばの彼方へ」をテーマとして掲げています。

相馬:去年の「なにもない空間からの朗読会」という企画を経て、「ことば」ってシンプルだけどこんなにも強いものなのかとあらためて感じました。被災地では震災直後、電気がない、食糧がない、インフラも機能しないという状況の中で、ラジオから流れてくる詩の朗読が人々の心を支えたという話をよく耳にしましたが、私自身もそういう感覚は東京にいながらも共感する部分が多くて、そこから「ことば」を軸に考えられないかなと思ったんですね。また、あの頃はどんな舞台を観ても、目の前の現実の方があまりに強烈すぎて、舞台上で起っていることが全部フェイクに見えてしまった。今まで受容できていたものが全く機能しなくなるという自分自身の変化に、嘘をついちゃいけないとも感じました。そんな時、シンプルな言葉そのものの強さに、私自身が支えられた気がします。

なにもない空間からの朗読会『CHITENの近現代語』地点(『F/T11』) ©須藤崇規
なにもない空間からの朗読会『CHITENの近現代語』地点(『F/T11』) ©須藤崇規

―今回はノーベル賞作家のエルフリーデ・イェリネクが特集されています。戯曲集『光のない。』も白水社から翻訳刊行され、複数の演出家たちが挑戦することになっていますね。

相馬:イェリネクの戯曲との出会いも非常に大きなものでした。今回、地点の三浦基さんとPort Bの高山明さんに取り組んでいただく『光のない。』と『光のないII』は、震災を受けて書き下ろされた戯曲です。オーストリア人のイェリネクは、自分が日本から離れたところからメディアを通して現実を見ていることにとても自覚的で、福島からの距離感が作品の構造や文体にも反映されていると思います。あのテクストにおける他者性や異物感を、ぜひ演出とあわせて体感してほしいです。

エルフリーデ・イェリネク『光のない。』表紙(白水社)
エルフリーデ・イェリネク『光のない。』表紙(白水社)

「無言の同調圧力がある今の日本社会で、意見の異なる彼らが発言し合う場が成立すること自体が重要」

―記者会見後のシンポジウムでは、地点の三浦基さんが「自分は被災地には行かないだろう。イェリネクの言葉の強度に賭けたい」と問題提起されていましたね。

相馬:地点の三浦基さんのように絶対に被災地に行かないというスタンスの人や、ポツドールの三浦大輔さんのように震災への言及そのものと距離をとる人もいる。一方で、Port Bの高山明さんや、マレビトの会の松田正隆さん、そして村川拓也さんは、実際に被災地を訪れた体験から作品を深めている。無言の同調圧力がある今の日本社会で、意見の異なる彼らが発言し合う場が成立すること自体が、私はとても重要だと思います。このことは、震災に対する距離感や当事者性の度合いの異なる人たちに関しても同じです。表現における当事者性の問題は、これまでも、例えば松田正隆さんの広島や長崎を巡る作品群などで深く掘り下げられてきた訳ですが、特に震災後、よりビビッドな問題として我々に迫ってきているのだと感じます。

マレビトの会『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』 ©山城大督
マレビトの会『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』 ©山城大督

―果たして誰が「当事者」なのかと。

相馬:あの時期、東京にいた人は、誰しもが地震でダメージを受けた訳ですから、皆が当事者と言える。でも東京にいたら、ここは福島じゃないから自分は当事者でないと思ってしまう。福島の人も、自分は避難区域ではないからと。でも避難区域の人も、自分は死なないで逃げて来ることができたんだからと……。では当事者とは死者だけなのか? 当事者ではない人間が何を語りうるのか? それは芸術表現の永遠の課題だと思います。今回の『F/T』では、こうした芸術表現における当事者性について、作品や言論の場を通じて徹底して考えていきたいと思っています。

『Referendum - 国民投票プロジェクト』PortB(『F/T11』) ©蓮沼昌宏
『Referendum - 国民投票プロジェクト』PortB(『F/T11』) ©蓮沼昌宏

「芸術というのはどこにも属さないもので、引き裂かれながら、現実に対峙していくものだと思うんです」

―海外勢の作品はどうですか?

相馬:例えばイェリネクの戯曲『レヒニッツ(皆殺しの天使)』はホロコーストを描いています。「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの有名な言葉がありますけど、あれだけの悲惨な虐殺を舞台でどうやって再現・表象できるのかという普遍的な問いに対して、演出家のヨッシ・ヴィーラーはひとつの可能性を示すことになるでしょう。それは私たちが、震災に関して、完全な当事者でもなく、完全な部外者でもなく、宙吊りの状態で震災後の現実を捉えていく上での参考になるのではないかと。立場がハッキリするのはすごくラクだけど、それはたぶん芸術がすることじゃなくて、むしろ政治がすること。芸術というのはどこにも属さないもので、白でも黒でもないグレーゾーンで揺さぶられ、引き裂かれながら、現実に対峙していくものだと思うんです。

『レヒニッツ(皆殺しの天使)』ヨッシ・ヴィーラー(『F/T12』)© Arno Declair
『レヒニッツ(皆殺しの天使)』ヨッシ・ヴィーラー(『F/T12』)© Arno Declair

―それは先ほどの「簡単には分からない」ということにも繋がってきますね。

相馬:ええ。今回『女司祭―危機三部作・第三部』で参加するハンガリーのアールパード・シリングは、国境地帯にあるトランシルバニア地方に赴き『危機三部作』という映画・オペラ・演劇の三部作品を作りました。その手法は、その地域の現実をジャーナリスティックに伝えるのではなく、そこにいる子供たちとの長期のワークショップを経て、フィクションと現実を横断しながらあぶり出していくやり方。ジャン・ミシェル・ブリュイエール / LFKsの『たった一人の中庭』や、アミール・レザ・コヘスタニの『1月8日、君はどこにいたのか?』にしても、複雑なものを単純化せずに伝えるための演劇を模索していると思います。

『女司祭―危機三部作・第三部』アールパード・シリング(『F/T12』)©Krétakör - Máté Tóth Ridovics
『女司祭―危機三部作・第三部』アールパード・シリング(『F/T12』)©Krétakör - Máté Tóth Ridovics

―ジャーナリズムをどのように捉えるかも『F/T』の軸にあるものだと思いますが、今回はフリーペーパー『TOKYO/SCENE』が創刊されたり、批評家たちがそれぞれに企画する「『F/T』ダイアローグ」など、作品以外のところでもいろんな試みが試されようとしていますね。

相馬:究極的には、お客さん自身が新しいアートジャーナリズムの担い手になってくれる日が来ればいいと思っています。今年のダイアローグはその通過地点として、まずはプロの批評家やジャーナリストたちに少し外縁から関わってもらうことを試みていますけども、だんだん、こちらが場をプロデュースしなくても自然発生的に議論が生まれるようにしていきたい。もちろん、他人に対する敬意やルールを守るのは大前提ですけどね。

「アジアのアクチュアルな状況に対して、持続的に、骨太のことをやりたい。急務だと思うんです」

―若いアーティストたちが飛躍していく場として位置づけられた「『F/T』公募プログラム」も、昨年からアジアへと門戸が開放されました。一方で相馬さん自身も、特に最近は「東アジア」という枠組みを視野に入れて発言されていますよね?

相馬:そもそも今の舞台芸術の中心、つまりルールと制度とお金のイニシアティブはヨーロッパにある。それに対して私たちはアジアの端っこで勝手にガラパゴス的に自生してきたんだなということを『F/T』を何回かやっていくうちに改めて実感しました。私はそのガラパゴス的な豊かさをとても肯定しているし、だからこそユニークでローカルなものがヨーロッパでも高く評価されてきているのだと思います。でも、そのヨーロッパに作品を供給することで評価されるという現状に甘んじるのは、文化帝国主義を無批判に受け入れるようなもの。もっとこの東京、日本、アジアという、自分たちの足元から生まれてくる豊かなものを、自分たちの文脈の中で、自分たちのイニシアティブや意思によって同時代的に共有していかなくてはと。その時に、「自分たち」というのが東京や日本だけで完結するのではなく、アジア、特に東アジアという文化圏で共有していくことが、今後特に重要なのではないかと。これから時間をかけて、アジア独自のプラットフォームを作るのが私の次の大きな目標です。公募プログラムに「『F/T』アワード」というコンペを作ったのも、賞を決める過程の議論をアジア圏内で共有することで、アジアの演劇シーンの共通言語を構築していこうと考えたからです。私たちは今あまりにも批評の面で交換をしなさすぎているから。

『狂人日記』 新青年芸術劇団 (『F/T12』公募プログラム)©Xia Maotian
『狂人日記』 新青年芸術劇団 (『F/T12』公募プログラム)©Xia Maotian

―文脈を知らないですからね、お互いに。

相馬:そうなんです。だからまずはそれぞれのローカルな作品を東京で上演してもらって、その文脈を徐々に共有していければと。実は『F/T』とは別に、東アジア4か国(韓国、中国、台湾、日本)のアーティストや批評家を招いたレジデンスのプロジェクトを始めることになっているんです。こんな最悪な政治的状況になるとは全然知らずに1年ほど前から計画していたのですが。

―しかし人の移動が起きるのが、フェスティバルや様々なプロジェクトの魅力ですよね。人種が混ざるし、人材も育っていく。

相馬:ほんとに。私、もっともっと大胆かつ集中的にアジアのことをやりたいんですよ。例えば東京にも、アジアとアートに特化した交流拠点とかあってもいいと思うんですね。でも現状ではそれはおろかアートを媒介にした対話の場さえ十分にないじゃないですか。アジアのこういうアクチュアルな状況に対して、持続的に、骨太のことをやりたい。急務だと思うんです。でも今は、お金も制度も全くついてこないので、大変歯がゆい思いをしています。

『バラバラな生体のバイオナレーション!』シアタースタジオ・インドネシア(『F/T12』公募プログラム)© Afrizal Malna
『バラバラな生体のバイオナレーション!』シアタースタジオ・インドネシア(『F/T12』公募プログラム)© Afrizal Malna

「斜に構えたり、ポーズをとったり、表面的にポップなだけでは、この危うい現実に対抗していけないと思う」

―今は、隣人を意識せざるをえない土壌ができている、とも言えそうです。

相馬:こういう時にこそ、芸術の力が問われると思うんです。芸術は具体的に何かの役に立ったり問題を解決したりするものではないけれど、その想像力によって、時代や国境を超えて、ある厳しい現実に対抗できるものだと私は信じています。それが、アートという名の下にちょっと斜に構えてみたり、ポーズをとったり、表面的にポップだったりするだけでは、震災や領土問題も含めたこの危うい現実に対抗していけないのではないかと思います。

―混沌とした時代状況の中で、芸術家の存在はより重要なものとして立ち現れてきそうですね。

相馬:そう。芸術家同士の交流は、必ずこういう急進的な動きに対して、別の動きをするものです。みんなが右と言った時にも左を向けるのがアート。私はそういう声を挙げていくべきだと思っています。たとえ100対1でも。

『ゲイ・ロメオ』ダニエル・コック・ディスコダニー(『F/T12』公募プログラム)©Sven Hagolani
『ゲイ・ロメオ』ダニエル・コック・ディスコダニー(『F/T12』公募プログラム)
©Sven Hagolani

―継続する時間の中で蓄積されていくこともある気がします。

相馬:フェスティバルは年に一度の場ですから、それと並走する形で常に持続する運動をどう作っていけるか。東アジアのレジデンスや批評のプラットフォームだけでなく、ゆくゆくは新たなメディアも作りたいと思っています。日本で一番大きな舞台芸術フェスをやらせてもらっている身として、あらかじめ要請された枠を超えて、常に時代や社会に応答した新しい提案をしていくのは、自分の重要な責務だと思っています。

イベント情報
『フェスティバル/トーキョー12(F/T12)』

2012年10月27日(土)〜11月25日(日)
会場:
東京都 池袋 東京芸術劇場
東京都 東池袋 あうるすぽっと
東京都 東池袋 シアターグリーン
東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
東京都 池袋 池袋西口公園
東京都 目黒 The 8th Gallery(CLASKA 8F)
※実施プログラムはオフィシャルサイト参照

プロフィール
相馬千秋

1975年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フランスのリヨン第二大学院にてアートマネジメントおよび文化政策を専攻。2002年よりアートネットワーク・ジャパン(ANJ)勤務。『東京国際芸術祭』「中東シリーズ04-07」を企画・制作。06年には横浜に急な坂スタジオを設立、10年までディレクターを努める。『東京国際芸術祭2008』ディレクターを経て、『フェスティバル/トーキョー』のプログラム・ディレクターに就任。



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