心地の良い暮らしについて考える 建築家・中村好文インタビュー

金沢21世紀美術館で8月31日まで開催中の『小屋においでよ!』は住宅を数多く手がけてきた建築家・中村好文の活動を紹介する展覧会だ。住む人の暮らしに寄り添い、作品としての新奇さではなく、生きることの原点を見つめ直そうとする彼の建築思想は、世代を問わずさまざまな人たちの共感を集めている。

そんな中村が、小さい頃から魅せられていたのが「小屋」だという。生活する上で付随してくる余分なものから、いったん離れることで見えてくるものとは何か? 小屋と住宅を結ぶものとは何か? 世界を旅しながら有名無名の建築に触れ、そこで得た知識を作品に還元させ、自給自足の生活を自ら体現してきた中村好文。人が生きる空間について思索を重ねてきた建築家へのインタビューを通して、今を生きる意味が見えてくる!

卒業制作は先生方に無視されましたが、そのことで落ち込むより「この作品が理解できないなんてダメな先生たちだなあ」と思っていました。じつに傲慢な学生でしたね(笑)。

―著書『小屋から家へ』の中で、子ども時代の話がありますね。家にあったミシン台の下を秘密基地に見立てて、小さな自分のスペースを作られたと。僕も小さい頃に自分だけの秘密基地を作った覚えがあるので、共感しながら読みました。そこから中村さんが建築家を意識するようになったのは、いつ頃からだったんですか?

中村:本当に意識し始めたのは大学に入ってからですね。僕は田舎の漁師町に育ちました。コンクリートの建物すらないような町ですから、建築文化とは縁遠い子ども時代だったんです。でも、子どもって自分だけの空間を見つけるのが好きでしょう。ミシンの下だけじゃなく、木の枝と枝の間に板を通して椅子を作ったり、居場所を作ることは意識的にやっていました。なんとなくじゃなくて、「さあ、やるぞ!」という感じで。

中村好文
中村好文

―大学は、武蔵野美術大学の建築科に進学されていますね。

中村:自分がちゃんとした職業に就けるとは思っていなかったんです。協調性に乏しく、団体行動が苦手だったので、いずれは自由業になるだろうと子どものときから漠然と思っていました。絵を描いたり、ものを作るのはとても好きでしたから、自然とそうなったのだと思います。

―油絵や彫刻と違って、建築は「手に職をつける」という感じがします。

中村:美大の中では「職業に近い」学科の1つですよね。だからプロダクトデザインでも良かったかもしれません。でも建築のほうが居心地と関係しているでしょう? とにかく子どもの頃から居心地の良い場所にいるのが好きだったんです。実家は茅葺き屋根の民家だったんですが、南側と西側にL字型の縁側があって、夕方の時間はこちらから風が吹いてくるとか、時刻によって違う風の通り道もよく知っていて、いい風の来る場所にいるのが好きでした。浜辺の近くに住んでいたので、海風と陸風の違いがよくわかるんです。

『Hanem Hut』2013年 ©雨宮秀也
『Hanem Hut』2013年 ©雨宮秀也

―居心地への意識というのは、大学の卒業制作が『宇宙船内の無重力下を想定した住宅』だったこととも関係がありますか?

中村:直接的に影響を受けたのはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』です。映画の中に宇宙ステーションや宇宙船が出てきますよね。円筒形の通路で構成されていて、その中を動き回るような。あれを住宅に置き換えたらどうなるかなと思って。

―SFが好きだったんですか? 意外ですね!

中村:SFが好きというより、「回遊できるプラン」が好きなんです。玄関から入って台所を抜けて居間や食堂に行けるとか。もしも、宇宙ステーションのように円筒形の空間だったら回遊性がもっと増して面白いって考えたんですけど、卒業制作の審査ではまったく無視されてしまいました(笑)。

―大学の先生たちはどういうリアクションだったんですか? 「こんなの建築じゃない!」みたいな?

中村:僕がなにをテーマにしているのかが、わからなかったみたいで無視されたんですが、そのことで落ち込むより「この作品が理解できないなんてダメな先生たちだなあ」と思っていました。自分の作品の出来の悪さを棚に上げて、そんな風に考えるんですから、今にして思えば、じつに傲慢な学生でしたね(笑)。当時の卒業制作は、東京湾の計画とか、吉祥寺の駅前再開発計画とかビッグプロジェクトが大はやりでした。丹下健三さんが東大で都市工学を教えていたこともあって、みんな見栄えのするビッグプロジェクトをやりたがっていたんです。でも、僕はああいう夢物語みたいな計画にはまったく興味がなかったし、自分にできる仕事とも思わなかった。ああいった仕事は建築的な才能や資質だけでなく、政治力があるとか、一種のはったりが効くとか、そういう特別な要素が必要な分野のような気がしていました。ま、最初からビッグプロジェクトには縁のない建築家だったんですね。

『Hanem Hut』内部
『Hanem Hut』内部

―でも、そういった若い頃の傲慢さというのは、重要な場合もありますよね。

中村:僕たちの世代は学生運動の真っ只中だったから、体制や権威に対して反発心が強く、先生に対しても反抗的でした。僕は学生運動には積極的に参加しませんでしたが、1968年に入学したらすぐに学園紛争が吹き荒れたせいもあり、学校側と角突き合うような感じでした。学生が「課題の内容が悪い。考え直せ」って、先生に詰め寄ったりしたこともありましたね(笑)。

―時代の空気でもあったんですね。

中村:そうです。だから、大学教育の恩恵をあまり受けずに卒業したことになります。学生時代という時間を買うために高い授業料を払ったことになりますが、最初から建築は独学するものだと思っていましたから、そのことは別に気にしていません。

―そうなんですか? 未経験者からすると、建築は専門性が高いイメージがあります。そう簡単に独学で身につけられるものではないのでは?

中村:もちろん実務は学ばないといけないけど、建築そのものを勉強しようと思ったら本もあるし、それこそ石を投げれば建物にあたるぐらい実物はいっぱいあるわけで、教材には事欠きません。僕は学生時代から積極的に建築や集落を見学して歩く旅をしてきましたが、実際に建物の建っている場所に行き、自分の目で建築を見て「この建物はなんで良いんだろう? なんで悪いんだろう?」と自問自答しながら、スケッチをしたり写真を撮ったり、実測したりしていました。その経験が蓄積して、そして最終的に「自分ならどうするだろう?」と考えるクセがついたのです。僕の場合はやはり実物から学ぶ、経験から学ぶのが手っ取り早い方法でした。

「人ってなんだろう? 人の暮らしってなんだろう?」ってことを考えるのが建築家の仕事だと思うんです。ステータスシンボルとしての住宅にはあまり興味がない。

―中村さんの仕事には個人住宅が多いですね。『小屋から家へ』でも、山荘のような、建築が多数掲載されています。

中村:たまたまあの本はそういう小さな住宅を集めた本だからですが、大きい住宅を設計するのって、やっぱり難しいんです。

―それはなぜですか?

中村:住宅は大きくなっていくと住宅としての純度は下がっていくような気がしています。もちろん大邸宅でも名作はありますが、世界中を回って名作と呼ばれる住宅をたくさん見てきましたけど、「いいなあ」と思える住宅は規模の小さいものが多いです。結局、「人の暮らし」と「住まい」が背中合わせになっているような家に僕は惹かれるんだと思います。「食う寝るところ」という感じがしないと、建築の純度が下がる気がする。韓国の民俗村みたいなところに行くと、小さな農家なんかは面白いんですけど、両班(やんぱん=貴族階級)の邸宅になるとなんか面白くなくなっちゃう。住宅が自分の富や地位を誇示するための手段や道具になってしまっている感じがする。

『Peak Hut』2012年 長野県北佐久郡 ©雨宮秀也
『Peak Hut』2012年 長野県北佐久郡 ©雨宮秀也

―たしかに贅肉的な建築ですね。

中村:たとえば山奥で1人で生きていかなきゃいけないとして、雨露をしのぐためにとりあえず覆いを作るとか、そうやってだんだん住まいの原型ができてくる。そういうのが面白い。結局のところ「人ってなんだろう? 人の暮らしってなんだろう?」ってことを考えるのが住宅建築家の仕事だと思うんです。ステータスシンボルとしての住宅にはあまり興味がない。僕は、世の中に良くあるその種の住宅を「二世帯住宅」をもじって「見せたい住宅」と呼んでいるんです(笑)。

―あはは、なるほど(笑)。

中村:もちろん必要があって大きくなるのはいいけど、やっぱり自分が設計する家は「見せたい住宅」よりは「住みたい住宅」にしたいのです。

『Jin Hut』2012年 北海道虻田郡真狩村 ©雨宮秀也
『Jin Hut』2012年 北海道虻田郡真狩村 ©雨宮秀也

―そういった発想が、中村さんの言う「小屋」には凝縮しているのだと思います。実際に家というより小屋という表現がぴったりな建築を手がけていますが、家と小屋の境界線はあるのでしょうか。

中村:それは僕もよくわからないんです。小屋の定義はすごく難しい。犬小屋だって小屋だし、水車小屋だって小屋だから。でも、僕はそこに人の暮らしが入ってきて、肉体だけではなく「心の棲まう場所」という感じがするのがいいと思っています。

―神戸にある『Luna Hut』はどうでしょう。風景を眺めるための場所で、中に入るともたれかかることのできる衝立てと、ベッドのようなスペースがあるだけですね。

中村:山の上からの月の眺めがあまりに見事で作ったので『Luna Hut』という名前をつけましたけど、ある意味では風景を眺めながら、自分自身の心象風景に向き合うための場所、つまり、あの小屋は一種の教会(チャペル)を目指したんです。

『Luna Hut』2012年 兵庫県神戸市 ©雨宮秀也
『Luna Hut』2012年 兵庫県神戸市 ©雨宮秀也

―そこにいることで、何かに気づけるような。

中村:「自分と出会う」というのでもいいですけどね。まずそれが原点にあって、食べたり飲んだり寝たりっていうことが加わると、生活を通じて自分と向き合うようになる。小屋のそういう部分に惹かれるんだと思います。さっきの本(『小屋から家へ』)で、理想とする7つの小屋を挙げているけれど、全部、精神性の感じられる場所ですよね。

―森の中で自給自足の生活をしたヘンリー・デイヴィッド・ソローの小屋や、彫刻家の高村光太郎が晩年住んだ庵は有名ですね。面白かったのは、詩人の立原道造が構想した『ヒアシンスハウス』。立原は、24歳で亡くなってしまったので実現はしなかったのですが、台所も風呂もない家で、本当にシンプルです。

中村:若かったし、入院中に見舞いに来てくれた人に「5月の風をゼリーにして持ってきてください」と言うぐらいのロマンティストですから、生活感はあまりなかったんでしょうね(笑)。でも、一人暮らしを前提に考えるのはいいと思う。結婚して共同生活するようになると、どうしても相手を気遣うようになりますよね。気持ちが外を向くようになり、自分自身と真正面から向き合う感じはなくなります。

中村好文

―他人同士の生活ですからね。徐々に慣れていくとはいっても、気の遣い方に慣れていくようなところがあります。

中村:話は変わりますが、僕は住まいに料理ができなければ困るので絶対に台所が欲しい。やっぱり「食う寝るところに住むところ」という言葉は、僕の目指すところを端的に表していると思います。最近、海外に行くときは極力アパートメントホテルに泊まることにしているんです。料理もできるし、その街に暮らしている感じが実際に味わえるから。生活者の視点になって、この街でゴミはどういうふうに分別して捨てるんだろうとか、生活レベルで見た街の作られ方が気になり出す。住宅を設計している人間だから、そういうことに常に意識がいってないとね。

家具や生活用品を作るのも、住宅を作るのも、「暮らしを作る」ための道具を設計しているという意味では同じなんです。

―あと中村さんの経歴で興味深かったのは、大学を卒業して1度就職された後、職業訓練校の木工科で家具製作の勉強をされていますよね。その後に勤められた吉村順三設計事務所でも家具製作のアシスタントをされていたそうですが、それはなぜですか?

中村:学生の頃から住宅設計と家具をデザインをライフワークにしようと思っていたんです。住宅と家具の設計の2つを自分の仕事の両輪にしたかった。

―建築と家具製作を分けていないということですか?

中村:分けていません。どちらも「暮らしための道具」ですから、僕にとっては同じことなんです。大きくなると住宅になり、小さくなれば家具になる、っていう発想です。生活雑貨でも、市販品で気に入ったものがなければデザインして作るんです。最近、この「ゴマすり」を作ったんですけど、すごく調子がいいんですよ。こうやっていると(と、言っておもむろにゴマをすり始める)、手の動きが本当に「ゴマすり」しているように見えるところもちょっといいでしょ?(笑)

『ゴマすり』

『ゴマすり』
『ゴマすり』

―手をこすりあわせて(笑)。これいいですね。売っているんですか?

中村:金沢21世紀美術館の隣にある「モノトヒト」という生活工芸を扱うスペースに3か月間限定で「好文堂」という店をオープンさせてもらったんですが、そこで販売しています。使った人はみんな便利だと言ってくれていて、うちでも使っているし。ほら、もうこんなにすれた(笑)。こういうのを作るのも、住宅を設計するのも同じことなんですよね。

環境問題に対して、大きな運動を組織するんじゃなくて、一人ひとりが自覚して問題を解決するほうが力になると思った。

―そろそろ展示の話を。金沢21世紀美術館での個展は、昨年TOTOギャラリー・間で開催した『小屋においでよ!』の巡回展になるわけですが、展示内容に大きな変化はありますか?

中村:展示空間が違いますから、展示方法も違います。TOTOギャラリー・間はビルの中なので天井高が低めですが、金沢21世紀美術館は天井高が6メートルあって自然光が降り注ぐ空間なので、それを最大限に活かした展示にしました。小屋そのものはガラスの壁で囲まれた光庭に建てましたが、ちょっと、ショウケースに入れたような展示効果があります。

金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』部分
金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』部分

―『小屋においでよ!』で展示されている作品『Hanem Hut』もそうですが、中村さんは自給自足をテーマにした作品を作られていますよね。2004年に長野県・浅間山の麓に建てた『Lemm Hut』は、電線、電話線、上下水道管、ガス管が繋がれておらず、そんな生活をご自身で実験するための小屋でした。

中村:自給自足というテーマは20年くらい前からずっと考えていたんですけど、1989年に、デザイン評論家の柏木博さんがディレクションした『ラスト・ディケイド1900』という展覧会に参加したのがプロジェクトのきっかけになりました。「あなたたちは20世紀最後の10年をどうやって暮らしますか?」というテーマの展覧会でしたが、風と太陽で電気を起こして、雨水を貯めて飲料水にして暮らす小屋の計画を模型で出品したんです。1980年代は地に足のつかない狂乱のバブル時代で、壮大な無駄使いがイヤでしょうがなかったんですよね。

―石油の枯渇やオゾン層の破壊などが社会問題になっていましたよね。

中村:でも、そのことに対する危機感を声高に表明し、運動体を組織して活動していくより、僕としては一人ひとりが自覚して実践していくほうが力になると思うし、僕の性にも合っているんです。『Lemm Hut』は自分の性に合った実践でしたし、発信の仕方をしたつもりです。今年でちょうど10年が経つんですが、もうすぐ土地の借用期間が終わるのでお返しして、お隣の土地に今回の展示で作った『Hanem Hut』を移築する予定です。今度は究極の一人暮らしの小屋です。

金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』部分
金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』部分

―実際に10年暮らしてみていかがでしたか?

中村:簡素な暮らしは身軽でいいし、不便や不自由はそれなりに楽しいことに気づきました。それから、人間に本来備わっている潜在的な生活者の能力が呼び覚まされることにも気づきました。たとえば、お茶を飲もうと思っても、ガスがないから、まず炭を熾さなければならない。早く炭に着火させるためには、「燃焼」という自然現象についてよくわかっていないといけない。紙につけた火を小枝に移して、炭を効率の良い向きに置いて、とか。どうやったら一番早く熾せるか、いろいろ知恵を絞るわけです。

―生活の知恵ですね。

中村:そう。だいたいあそこに行くと大工仕事をしているか、料理作ってるとか、お酒を飲んで寝るかぐらいしかできない(笑)。けっこう忙しいんです。しょっちゅう頭と身体を使って、知恵を呼び覚ますというか。都会の生活ではそういうことってあまりない。ガスも電気もスイッチを入れればいいわけだし、「もうすぐ、お風呂が沸きます」ってしゃべるボイラーも自宅でも使っているけど(苦笑)、僕はああいうことが全然良いことだと思えない。便利な生活に慣れきってしまっているから、たとえば東日本大震災が起きて、電気が使えなくなったときに本当に手足がもぎとられたみたいになって、なんにもできなくなってしまう。

金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』内部
金沢21世紀美術館『中村好文 小屋においでよ!』『Hanem Hut』内部

―ええ。

中村:建築もそうなんですけど、僕が展覧会を開いたり、本を書いたりするのも、ある種の不自由さを受け入れることで人間本来の知恵が呼び覚まされることを、それとなく伝えたいからなんです。ソローや古今東西の小屋を見て面白がってくれてもいいし、そこに人の生き方の根本を見出してくれてもいい。ある意味での文明批判というか、現状への批判と受け取ってもらってもいい。裏側にはいろんなテーマがあるんです。鴨長明も世捨て人のような生活をして、俗世にまるで興味がなかったような印象があるけど、『方丈記』という名著を書いたわけだから、言いたいことはいっぱいあったんですよね。世捨て人のふりをして強烈な発信をしていたんです。

―中村さんも言いたいことがいっぱいあるんですね。

中村:反対運動を組織して先頭に立って旗を振る気はないです(笑)。でも、若い夫婦が僕の本を読んで住宅の設計を依頼してくれたり、TOTOギャラリー・間での展示に大勢の人が見学に来てくれたことを考えると、僕の考え方や生き方に共感してくれる人がいるんだなと思います。サイレントマジョリティーというか、静かではあるけれど、けっしてマイノリティーではない。そのことを嬉しく思います。

―中村さんは映画監督の伊丹十三さんに大きな影響を受けたそうですが、伊丹さんも自分らしく生きようとした人ですよね。

中村:二十歳前から伊丹さんのエッセイの大ファンだったんです。『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『問いつめられたパパとママの本』。その3冊が僕にとっては一種の聖書みたいな存在で、若い頃は暗記するほど読みました。

―中村さんとの間に共通点はあると思いますか?

中村:共通点というよりは共感し、学ぶところが多かった。たとえば、ユーモアのセンスや文体やイラストはもちろんですが、背筋を伸ばし、自分を信じて自分らしく生きること、なんかがそうですね。また、彼のお父さんの伊丹万作さんが書いた「才能というのは1つのことを愛し続ける能力だ」という意味の文章があって、その文章に救われた気がします。建築家としての才能に自信はなかったけれど、1つのことを愛することにかけては自信があったからです。それを才能と呼んでいいなら、僕には人には負けない自信がありましたから。

イベント情報
『中村好文 小屋においでよ!』

2014年4月26日(土)~8月31日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館 長期インスタレーションルーム、光庭
時間:10:00~18:00(金・土曜は20:00まで)
休場日:月曜(休日の場合は翌平日、ただし7月21日、8月11日は開場)
料金:無料

『Hanem Hut』内部公開
展覧会会期中の土・日曜14:00~18:00
会場:石川県 金沢21世紀美術館 光庭
料金:無料(要予約、当日13:00より予約受付)

つのだたかし
『小屋に捧げるリュートの夕べ』

2014年5月31日(土)19:00~20:00
会場:石川県 金沢21世紀美術館 光庭(雨天の場合は館内別会場)
料金:無料

『職人衆、Hanem Hutを語る』
2014年6月14日(土)14:00~16:00(開場13:45)
会場:石川県 金沢21世紀美術館 レクチャーホール
定員:先着80名(予約不要)
料金:無料

中村好文×皆川明対談
『小屋から学ぶこと』

2014年8月2日(土)14:00~16:00(開場13:45)
会場:石川県 金沢21世紀美術館 シアター21
定員:180名
料金:1,000円

プロフィール
中村好文(なかむら よしふみ)

1948年千葉県生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒業。宍道建築設計事務所勤務の後、都立品川職業訓練所木工科で家具製作を学ぶ。吉村順三設計事務所に勤めた後、1981年にレミングハウス設立。日本大学生産工学部建築工学科教授。1987年『三谷さんの家』で『第1回 吉岡賞』受賞、1993年『一連の住宅作品』で『第18回 吉田五十八賞「特別賞」』受賞。主な作品は、『ReiI Hut』(栃木県、2001年)、『伊丹十三記念館』(愛媛県、2007年)、『明月谷の家』(神奈川県、2007年)など。著書も多く、『住宅巡礼』『住宅読本』『意中の建築 上・下巻』(新潮社)、『中村好文 普通の住宅、普通の別荘』(TOTO出版)などがある。



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