情熱を一度失った芸術家・鴻池朋子が巨大絵画に描きたかったもの

架空の動物や異世界を表現し、観客を「彼 / 彼女ら」が遊ぶその世界へと誘う物語を紡いできたアーティスト、鴻池朋子。超常的な未知の領域へと、われわれの想像力をジャンプさせる鮮やかな「語り」としての美術表現は、1990年代後半から2000年代の日本のアートシーンにおいて、大きな存在感を示してきた。

だが、そんな鴻池の作風に変化が現れる。きっかけは2011年の東日本大震災。価値観を揺るがす自然の大きな変化に影響を与えられたのは、アーティストも同様だった。それまでの仕事を継続しつつも、震災以前の手付きで作品を作ることに限界を感じた鴻池は、ある日を境に、それまでの手法をリセットすることを決意する。その大きな決断は、アーティストとしてだけでなく、震災以降を生きる人としての決断でもあったはずだ。

10月24日から神奈川県民ホールギャラリーで始まる彼女の個展『根源的暴力』は、そんな鴻池の現在地と、これから向かう先を示す機会となるだろう。展覧会を前に、制作を続ける彼女に話を訊いた。

「一度全部チャラにしないとダメだ!」とわかったんです。その決断をするまでには、すごく勇気が必要でした。

―神奈川県民ホールギャラリーで始まる展覧会『根源的暴力』は、そのタイトルにドキっとさせられます。根源的暴力とは何を指しているんでしょう。

鴻池:その名前に辿り着くまでには色々あったのですが、第一の理由は、地震や噴火など地球規模での転換期が訪れつつあることです。特に2011年の東日本大震災以降、みんな自然について真摯に考えなければならなくなった。人間が生きるうえで「ものを作る」ことは、自然の領域に踏み込んで、そのスペースをもらってくるような行為だと私は考えているのですが、その問題はアーティストだけでなく、誰にでも当てはまることなんですよね。

鴻池朋子
鴻池朋子

―つまり、人が普通に生活すること自体が「ものを作る」のとイコールで、自然から何かを奪っていくような行為、ということでしょうか。

鴻池:そうですね。そういう時代にあって、これまで美術の世界の中でだけ問われてきた「アートとは何?」という議論に、どれだけの意味があるのかと。その問いには最初から不信感をもっていたのですが、それが決定的になりました。ですから「ものを作る」ってことの捉え方を、ご飯を作るとか、家を建てるとか、文章を書くとか、もっと広い問題として観客へと伝える方法を真剣に考えました。でも、なかなか答えが出なくて。

―既成の思考法は染み付いて離れないものですから、その方法や構造を考え直すのは困難ですよね。

鴻池:そういうふうに困ったとき、私は漢文学者で東洋学者でもある白川静さんのエッセイ『文字逍遥』を読むんです。それで「つくる」という言葉の語源を調べると、本来何もない自然だったところに1本の杭を立てていくような行為であり、自然を変更し、手を加える「つくる」行為自体が自然に背くことである、とありました。これは自分なりの解釈が加わっているので正確ではないですが、いずれにしても「つくる」には自然に対抗するような荒々しい意味が含まれている。でもそれは、単なるバイオレンスでもない。人間存在の深いところにあって、人間誰しもが持っているものであるという意味も込めたくて、「根源的暴力」というタイトルをつけたんです。

『根源的暴力 鴻池朋子展』チラシビジュアル
『根源的暴力 鴻池朋子展』チラシビジュアル

―これまでの鴻池さんの作品にも、物事の根源への関心はあったように思いますが、それがより明確になったのは、やはり東日本大震災以降でしょうか?

鴻池:震災前までは、ずっと全力で走ってきた感じがして、仕事も楽しいし、考えなくても毎打席ヒットを打っていけるような感じだったんですよ。物事に対して、とてもよく動く体を持っているのが自分の持ち味で。

―ある種、アスリートのような。

鴻池:ところが震災が起きて、自分の活動に対する情熱がどんどん薄れていったんです。仕事の依頼があったら、それまでの方法で対応するんですけど、「なんか違うぞ」っていう時間がかなり長く続いたんですね。例えば紙に筆で何かを描いても、感情が動かないし、興奮しない。その変化が敏感に体に現れているのに、頭は「仕事しないといけない」と考えるから、心身がぎくしゃくしてしまって。2013年のサンフランシスコでの個展やパブリックアートの制作だとか、規模の大きな仕事が舞い込んでいるのに自分の気持ちは落ちていて、本当にきれいに反比例するような感じでした。

鴻池朋子『獣の皮を被り』『草の編みもの』 ©Tomoko Konoike
鴻池朋子『獣の皮を被り』『草の編みもの』 ©Tomoko Konoike

―2014年の『リマッピング日比谷プロジェクト「都市と森の境界に現れるアート」展』の際に、電話取材させていただいたことがありますが、ちょうどその時期だったんでしょうか?

鴻池:そうなんですよ。私は「遊ぶ」ことをすごく大事にしているんですけど、何にも情熱が持てなくなるのは初めてでした。楽しく遊べないわ、更年期に突入するわで、めちゃくちゃ(苦笑)。でも、なんでもないことに悲しくなったりする、非常にデリケートな部分があることに気づいたのは良かったと思っています。あっけらかんとしていて、いつも楽しくて、元気な人かと自分でも思っていたけど、非常に折れやすいところをちゃんと持っていた。例えば、男の人とミーティングしていて、突然すごく怖くなったり。

―そんなことが。

鴻池:ゼネコン系企業の方々との会議に参加して、その場は普通を装っていたんですけど、家に帰って来たら猛烈に怖くなって(笑)。べつに企業の偉いおじさんたちが威圧的だったわけではないんですが、ホルモンバランスが揺れ動いて、いろんなことに敏感に反応している自分がいたんです。多かれ少なかれ、女の人はそういう時期に入ると思うんですよ。1回死んで生まれ変わるみたいな、全感覚のチェンジが。女性って面白い生き物だなーって初めて思いました。

―なるほど。

鴻池:それで1年間くらい悩んで、「これは一度全部チャラにしないとダメだ!」とわかったんです。今までの制作方法をやめる。アトリエの場所を変える。生活環境も変える。所属していたギャラリーもやめる。その決断をするまでには、すごく勇気が必要でしたね。

自分の中が空っぽになったら、他者に頼るしかない。

―つまり震災以降から現在までの期間は、鴻池さんにとって「遊ぶ」楽しさを快復する時期でもあったんでしょうか?

鴻池:素材と遊ぶ、道具と遊ぶ。やっぱり遊ぶことは、私にとってイコール制作なんです。それがうまくできなくなった以上、新しい方法を探す必要があって、それで出会ったのが粘土をこねることでした。単純に、ギュッと握れば丸っこくなるし、細長くこねれば蛇みたいにもなる。小学生の図工とまったく一緒です。釉薬をつけて焼けば、ちゃんと「陶器」にもなるけれどそれはちょっとイヤで、うっすら水彩絵具を塗る程度で素焼きしてみたり。これまで、そういう制作はやってこなかったので新鮮でした。

『赤の部屋』(『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』展 東京オペラシティアートギャラリー、2009年) ©Tomoko Konoike
『赤の部屋』(『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』展 東京オペラシティアートギャラリー、2009年) ©Tomoko Konoike

―2009年の個展『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』(東京オペラシティ アートギャラリー)には、巨大な赤ん坊の頭部や狼など、造形作品も展示されていました。それらを制作するのとは、また違う感触を得たということですか?

鴻池:過去の造形は発泡スチールとかを削っていく作業だったんですよ。逆に粘土は盛っていくような作業。不思議なんですけど、盛っていく作業が昔はまったく好きじゃなかったんです。削っていく作業は、間違えると取り返しのつかないことが多くあるので、非常に緊張感があって、精神が研ぎすまされる感じがあるんですね。それは作品にも表れる。盛っていく作業は余計なものをどんどん足していく感じで、造形的にはあまり洗練されていかない方法なんです。そこがイヤだったんですけど……。

―それが逆転した。

鴻池:生活のしがらみだとか、いろんなことが付着していって今がある、ってことを素直に受け入れていくためには、すごくスタイリッシュなものを作っていてはダメだったんだと思います。ダサいと思って遠ざけていたもののほうが、実感が湧くというか。

鴻池朋子『獣の皮を被り 草の編みもの 東吾野の森プレビュー(昼)』 ©Tomoko Konoike
鴻池朋子『獣の皮を被り 草の編みもの 東吾野の森プレビュー(昼)』 ©Tomoko Konoike

―『リマッピング日比谷プロジェクト「都市と森の境界に現れるアート」展』では、留学生や研究者など、多分野の人たちとチームを組んで、日比谷界隈のリサーチをする試みをされていました。今回の個展でも、制作の過程で出会った様々な分野の研究者のインタビューを展示するそうですが、そういった出会いもご自身に影響を与えていると思いますか?

鴻池:つまり自分の中が空っぽになったら、他者に頼るしかないんですよね。研究者の方以外にも、いろんな人の力を借りていて、例えばさっき話した粘土も、近所の陶芸教室で出会ったおばさんたちから得たものが大きいんです。

―鴻池さんが町の陶芸教室に?

鴻池:おばさんたちが真剣にろくろを回している横で、小学生が作るみたいなニョロニョロした形をこねてました。先生から「鴻池さんは自由でいいね~」なんて言われながら(笑)。2014年に秋田県立美術館で『物語るテーブルランナー』というプロジェクトをやったときも、自分からはイメージが湧かなくて、参加者の想像力に頼るワークショップになりました。みなさんから思い出話を聞いて、それを私が簡単な下図に描く。それをもとに参加者が布地を切ったり貼ったりして、ランチョンマットを作るんです。各々の、個人の物語のランチョンマット。それをたくさん並べて大きな物語にしましょう、っていうプロジェクトなんですけど、それもやっぱり、全部他者の力です。私は絵が描けるから下図を描くけれども中心にはならない。

鴻池朋子による陶芸作品
 

鴻池朋子による陶芸作品
鴻池朋子による陶芸作品

―人の話を聞いてまとめる、一種の編集者的なポジションですね。

鴻池:よく私は「物語の作家」と呼ばれたり、作品を「物語絵画」と言われたりするんですけど、「じゃあ物語っていったい何?」と、ずっと思っていたんです。物語というのは「物を語る」だから「語り」から始まる。その意味で、いろんな人の「語り」をかたちにする『物語るテーブルランナー』のプロジェクトは、とても大きな体験でした。各々の楽しかった話や、つらかった話を聞いて、それを私は絵としてかたちにしていったけれど、こういった流れを経て、なぜおとぎ話や民話が生まれてきたのかを、手応えをもって獲得していくことができました。それと、おばちゃんたちってよくしゃべるんですよ(笑)。公民館に集まって、お昼をまたいで作業するタイムスケジュールを組むと、まあよくしゃべるし、食べるし、手が動くし、ちょこちょこ動く。女の人って、本当にテーブルを中心にしていろんなことをやるんですね。手とか足とか口とか全部を使って、生活をしながらものを作っている。そこが私は「なんかいいなあ」と思いました。女性たちは本当に日常を生き生きと過ごしている。

アーティストの大先生ではなく、年配の女性たちに倣いたいと思っています。

―たしかに僕の祖母も、台所を中心に生活のリズムを作っていた気がします。農家の生まれなので、よく動くし働くんですよ。畑仕事もしつつ、家事もしつつ。

鴻池:考えてみると私もそうで、今は個展前なので大きなスタジオに来ていますけど、普段は一軒屋のアトリエで台所を中心に仕事をしているんです。絵を描く机から冷蔵庫も近いし、食卓の上にパソコンがあったり、洗濯をして庭いじりをしたりする流れの中で制作もして。制作とプライベートを全部ゴチャ混ぜにしながら、てきぱきと動いていく感じが理想です。

鴻池朋子

―女性って生きるのが上手だなあと思います。僕は一人暮らしですが、自分の中に「生活」と呼べるものが欠けているなあ、と反省することが多い。仕事が忙しくなると、炊事や掃除がおろそかになっても構わないという優先順位を無意識につけている。もっとうまく自分の生活と仕事が川の流れのようにつながればいいのにと思います。

鴻池:女性のほうが、生活が上手かもしれないですね。私も、アーティストの大先生にではなく、そっちの人たちに倣いたいなあと思っています。このスタジオは男性2人と一緒に仕事をしているので、道具も揃って、専門的にカスタマイズされていて、合理的なので、私にとっても便利です。一方で手芸をする女性たちとの仕事は、針と糸とハサミとミシンくらいで、お針箱の中に入る道具からすべてが広がる感じなんですよ。その間を行ったり来たりすることが私には重要。どっちかに偏るとか、どっちがいいとかではなくて、どちらも行き来できているのがとても良かったと思っています。

―お話を伺っていると、近年の鴻池さんの活動は民俗学的なリサーチに近いような気がします。日本初の民俗学者である柳田國男や、その弟子の折口信夫が、民話や伝承などから日本固有の文化や語りを発見したように、そこには「物語」について考えるヒントがあります。

鴻池:そうですね。おばちゃんたちから教えてもらえるような話は、個人的ですごく小さなものですが、そこには非常に大きな驚きや喜び、恐怖や寂しさがあります。そういった小さなワンダー(不思議)は歴史には残っていかないものです。でも、それを丹念に掬い取っていくことで物語が生まれてくる。

―その過程に、物語の正体があるわけですね。

鴻池:正体ですよね。例えばおばさんたちから私に伝えられた思い出が、伝言ゲームのように広がっていっておとぎ話になって、やがて『赤ずきん』ちゃんのような、誰もが知る話になるかもしれない。物語には、いろんな人たちの声が織り込まれている。そこには嘘も本当も等しく混ざっているんです。近代になって民俗学という学問が生まれたわけですが、それ以前からすでにこういう名もなき民の語りによって、記憶が伝達されていたんですね。

「目をつぶっても見える」ような絵を実現したい。そうしないと自分自身が納得できない段階に入っている気がします。

―神奈川県民ホールギャラリーでの個展『根源的暴力』は、震災後の模索期に作ったものや資料などの展示を経て、旧作、新作へと時間を追っていくような構成になるそうですね。特に、現在スタジオで制作中の皮を使った幅25メートルの大作は中心的な位置づけになるかと思います。再三おっしゃっているように、鴻池さんは過去の制作手法をリセットして今回の展示に臨まれるわけですが、皮という素材を選ばれた理由はなんでしょうか?

鴻池:これまで扱ってきた素材や手法に手が喜ばなくなってしまったというのはお話してきたとおりですが、その期間にクラフト系の本をよく読んでいたんです。その中に皮の表面を彫刻する「カービング」を紹介するページがあって、ずっと気になっていたんですね。鉄のペンみたいなもので皮を傷つける手法なんですけど、試してみたらどうしても「工芸っぽく」なってしまって、既視感のあるものになってしまっていたんです。それで、一度白く漂白した皮を取り寄せて、そこに絵を描いてみました。クレヨンで描いたり水彩で描いたりしているうちに、皮特有のふかふかした感触だとか、ノドの乾いた動物のように水分を吸う特性を発見して、これは面白いと手が感じたんです。

制作中のアトリエにて

制作中のアトリエにて
制作中のアトリエにて

―生き物みたいですね。

鴻池:すごい吸収力なんですよ。やっぱり皮膚だからでしょうね。それと、縫い合わせてどこまでも広げることができるのも、大きさに制限のあるキャンバスとは違うし、縫い目の生々しい感じも気に入りました。これは制作している今も感じているところなんですが、ひょっとすると描いている絵自体はそんなに重要じゃないなとも思っています。皮が縫い上げられたときに作品の9割方はできあがった感じがあって、この物質感自体がとても説得力があるんですよね。

―展示室に入ると、絵の描かれていない大きな皮の裏側がまず視覚に入り、その下をくぐり抜けて振り返ると、表面に描かれた絵が目に飛び込んでくるそうですね。

鴻池:物質としてとても触感的な皮にまず出会う、ということですね。でも、皮を素材にしたことで、あらためて絵の意味するところも理解できたというか。

―どういうことですか?

鴻池:絵画は美術史の中で、もっとも長い歴史を持っていますから、今ではとても高度で複雑な理論で思考しなければならないという流れがあるじゃないですか。もちろん私にはそういうことは一切関係ないのですが、四角いキャンバスやパネルや白い紙を「何もない」という設定で絵を描き始めるのは、考えてみるととてもへんてこりんですよね。四角い白いものがそこにあるのに。でも、支持体にフラットなキャンバスではなく素材感の強い皮を使って素材と遊んでいると、図である絵との関係が遠くなって、切り離して考えることができたんです。そうすると、絵を描くってこと自体がとても説明的な行為だなと素直に感じる事ができました。

神奈川県民ホールギャラリー『根源的暴力』展示プラン模型
神奈川県民ホールギャラリー『根源的暴力』展示プラン模型

―例えばキャンバスに油絵で花を描くとすると、地である背景の「キャンバス」と、図であるイメージの「油絵で描いた花」との関係の必然性を絵画では常に問われますね。逆にこの2つをまったく切り離すことで、絵画の物質性を際立たせたり、絵画の性質を問い直すような試みが、絵画の歴史では行われてきました。

鴻池:そういった先輩たちが格闘した時代を経て、それでも画材屋に行けば、今も白いキャンバスがたくさん売られているわけです。私は「絵画とは?」なんて一度も考えたことがないですし、ものを作るとき、考えるよりも先に手が動いているんですね。手はきちんと何かを感知して動いているわけですよ。そのほうが重要です。質感のある皮に描くことで、絵は表面的な装飾や化粧と同じものであるとわかってきました。この皮に描いてあるのは、山、竜巻、海底火山です、と人に伝えることができるのは、山をしめす図柄があって、その図柄を見て観客は「山」という言語に変換しているわけで、まさに絵は言語なんですよね。

―よく、言葉で表現できないから絵を描く、っていう言い方がありますけど……。

鴻池:そうとは言いきれないですよね。絵という図柄を使って何かを表現しようとしているわけだから、作用的には言語と違いはない。つまり言語的なものであっても別にいいんです。絵の意義についてはさんざん先輩たちがやってきたわけですし興味もありません。それより面白いのは、皮みたいに個性の強い、複雑な触感のある説明しづらい素材を使っていると、その重さも含めて「ものを作っている実感」が強まることです。裏を返せば、私は「もの」の実感がない素材には絵を描けないし、絵の世界だけにうっとりすることができなくなっていたんです。これはとても大きな発見でした。でも、この感覚の有無、手応えというのは、震災後の多くの人にとっても、重要なことだと思います。

―「純粋な絵の世界」を楽しむだけでは、もの足りなくなっている?

鴻池:震災後、私自身の外見は変わっていなくても、身体はすでに変化をし始めているんです。もしもこれまでの「見る」ということが、別のステージに入ってきているとするならば、「目をつぶっても見える」ようなことをなんとかして実現したい。そんな矛盾したことと言われそうだけれども、目で見なくても、手でも口でも、「見る」ことができると思うし、そうしないと自分自身が納得できない段階に入っている気がします。

イベント情報
『第22回神奈川国際芸術フェスティバル』『鴻池朋子展「根源的暴力」』

2015年10月24日(土)~2015年11月28日(土)
会場:神奈川県 日本大通り 神奈川県民ホールギャラリー
時間:10:00~18:00(入館は閉館の30分前まで、11月21日はアートコンプレックスのため17時までとなります)
料金:一般700円 大学生・65歳以上500円 高校生以下無料

プロフィール
鴻池朋子 (こうのいけ ともこ)

東京芸術大学日本画専攻卒業。玩具と雑貨の企画、デザインの仕事に携わった後、絵画、彫刻、アニメーション、絵本などの手法を駆使したインスタレーションで現代の神話を描き続ける。近年では『鴻池朋子展 インタートラベラー神話と遊ぶ人』(2009年)、ウェンディ・ノリスギャラリーでの個展(2014年)などの他、『広州トリエンナーレ』(2008年)、『釜山ビエンナーレ』(2010年)、ドレスデン州立美術館でのグループ展など、国内外で活躍。秋田では『東北を開く神話展』『美術館ロッジ』『物語るテーブルランナー』などの継続的なプロジェクトを行っている。



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