特集 PR

砂原良徳×山口一郎 捨て身でシーンを変えた電気グルーヴを語る

砂原良徳×山口一郎 捨て身でシーンを変えた電気グルーヴを語る

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』
インタビュー・テキスト
柴那典
撮影:永峰拓也

サカナクション・山口一郎と砂原良徳。世代は違えど通じ合うところの多い二人の、初の対談が実現した。ただいま公開中の電気グルーヴ初のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』にも登場している二人。砂原良徳はかつてのメンバーとして、そして山口一郎は自分の思春期に決定的な影響を与えた存在として、電気グルーヴのことを語っている。

本対談で山口は、サカナクションのフロントマンとして「今の時代の電気グルーヴになりたい」と話した。テクノをメインカルチャーに持ち込み、日本の音楽シーンを変えた電気グルーヴがもたらした功績とは何だったのか? 彼らの足跡、石野卓球とピエール瀧の素顔、そして音楽シーンの未来について、改めて二人に語り合ってもらった。

90年代初頭、ヒップホップやハウスのような海外の新しい音楽のムーブメントにいち早く反応したのが電気グルーヴだった。(砂原)

―山口さんが電気グルーヴに出会ったのはどんなきっかけでしたか?

山口:僕が初めて買った電気グルーヴのアルバムが『ORANGE』(1996年)なんですよ。深夜のテレビで“Shangri-La”が流れているのを聴いて「この曲、すごい!」と思って。CDを買いに行ったら、何枚かアルバムがあって、きっと“Shangri-La”が入ってるのは最新作だろうと思って『ORANGE』を買ったら、最初の曲が“ママケーキ”だったんですよ。再生ボタンを押した瞬間に「ママケーキ~」って歌が始まって「あれ?」ってなって(笑)。

砂原:それは僕の声です(笑)。間違って違うアルバムを買っちゃったんだね。

山口:「なんだこの人たち?」って。自分が好きな曲がいつまでたっても再生されないし、3000円っていう当時の僕にとってすごく高いお金を払ったのに「詐欺だ」と思いました(笑)。でも、買ったからには聴くしかないと思ってひたすら聴いてたんです。

砂原:我慢して聴いてたんだ(笑)。

山口:でも、聴き続けていくうちに、今まで自分が触れたことのないサウンドにどんどんのめりこんでいって、そこから古い作品も聴くようになって。その後『A(エース)』(1997年)が出たタイミングでやっと“Shangri-La”に出会えました。

山口一郎
山口一郎

―その当時のことを、砂原さんは覚えていますか?

砂原:“Shangri-La”を作った頃のことですか? スタジオで僕が「最近、こんなの聴いてるんだけど」ってレコードをかけた中に“Shangri-La”のサンプリングの素材になった“Spring Rain”という曲があって、「これ使えそうだね!」って石野(卓球)くんが言ったんです。その曲に石野くんが反応すると思わなかったんですけど、そのとき「何かが起こるかも」と感じましたね。たしか『A(エース)』のセッションの初日だった。

砂原良徳
砂原良徳

山口:映画の中でも、曲が8割くらいできたときに「これはキテる」と思ったって言っていましたよね。あえてお互いそれを言わなかったけど、いつの間にか手に汗をかいてたって。僕らも曲を作っているときにメンバー同士で「これはいけそうだ」と感じることがあるので、そういう瞬間があの時代に“Shangri-La”でも生まれていたんだなって。

―砂原さんが電気グルーヴに加入したのは1991年のことですよね。出会いのきっかけは?

砂原:最初に会ったのはその前年ですね。当時やっていたバンドの対バン相手が人生(電気グルーヴの前身バンド)だったんですけど、当時はあまり好きじゃなかったんです。そしたら2回目の対バンのときに、向かいに座った石野くんから「こんにちは」って話しかけられて、後ろに誰かいるのかな? と振り返ったら誰もいなくて「あ、俺か」と(笑)。「去年も一緒でしたよね?」と言われて、ああ覚えてるんだなって。打ち上げでもいろいろ話したけど、まだメンバーを探しているという話にはならなくて、「今度遊びに行きます」みたいな感じで終わったんですけど。

―映画の中で砂原さんは「加入した当時から、日本のエレクトロミュージックの流れに電気グルーヴが影響を与えるのがわかっていた」と仰ってましたよね。あの頃の音楽シーンはどういう状況だったんでしょう?

砂原:90年代初頭は価値観の転換期だったと思いますね。80年代が終わって、『イカ天』とバンドブームも終わりつつある中、海外でヒップホップやハウスのような新しい音楽のムーブメントが起きていて、それにいち早く反応したのが電気グルーヴだった。当時は、そもそも「グルーヴ」という言葉自体が全然浸透してなかったんですよ。みんな間違えて「電気グループ」とか呼んでいましたからね。「グルーヴ」という言葉を使っている時点で、そのムーブメントに気付いているというサインだったし、彼らはすごく早かった。そして当時の海外の流れを汲むならば、自分たちに必要な楽器はターンテーブルだということになったんですよね。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―ヒップホップの流れが大きかったんですね。

砂原:そうですね。だからシンセを捨ててターンテーブルに変えないと、90年代という時代には乗れないのかなってなんとなく思っていました。実は僕はそっちに行くつもりはあんまりなかったんです。ただ、石野くんにいろいろ聴かせてもらって「なるほどね、こういう感じになっていくんだな」と。そういう時代の価値観の転換期に、彼らは非常に早く反応していました。

―1991年当時って、山口さんはまだ子どもですよね?

山口:小学校5年生くらいですね。当時はイルカさんや吉田拓郎さん、ザ・フォーク・クルセダーズのようなフォークソングばかり聴いていたんです。でも僕の両親が喫茶店をやっていて、フォークソングやビートルズと一緒に、クラフトワークとかも流れていたから、同年代の中では電子音楽に対する抵抗はなかったほうだと思います。それでも、電気グルーヴは衝撃的でしたね。バンドでも歌謡曲でもないし、エレクトロサウンドにメロウなメロディーが乗っかっていたり、突拍子もないことをやっていたりして、「なんだろう、この人たち? 自由だなあ」と思っていました。

砂原:たしかに自由でしたね(笑)。みんな楽器が演奏できないから、普通のバンドの真似事はどうやってもできないんだよね。それでどうしても自己流になっていった。あとは、前身の人生というバンドがさらに自由だったので、それがずっと続いてる感じもあって。曲作りの合宿に行っても、曲を作ろうというより、曲の素材になるようなできごとを起こそうという感じだった。それで三人でくだらないことを話したり、くだらない言葉をループさせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをやっていましたね。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

Page 1
次へ

作品情報

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』

2015年12月26日(土)から全国で2週間限定公開
監督:大根仁
出演:
電気グルーヴ
天久聖一
Andi Absolon
ANI(スチャダラパー)
Bose(スチャダラパー)
CMJK
DJ TASAKA
日高正博(株式会社スマッシュ代表取締役)
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
道下善之(株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ)
中山道彦(株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ代表取締役)
小山田圭吾
SHINCO(スチャダラパー)
砂原良徳
山口一郎(サカナクション)
山根克巳(LIQUIDROOM)
山崎洋一郎(『ROCKIN'ON JAPAN』総編集長)
WESTBAM
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン

プロフィール

砂原良徳(すなはら よしのり)

1969年9月13日生まれ。北海道出身。電気グルーヴに91年に加入し、99年に脱退。電気グルーヴの活動と平行して行っていたソロ活動では、95年にアルバム『Crossover』、98年にはアルバム『TAKE OFF AND LANDING』、『THE SOUND OF ‘70s』を2作連続リリース。01年に電気グルーヴ脱退後初となるアルバム『LOVEBEAT』をリリース。02年には幕張メッセで行われたフェスティバル“ELECTRAGRIDE”でキャリア初となるソロライブを披露。その他にもACOのシングル「悦びに咲く花」、映画「ピンポン」の主題歌となったスーパーカーのシングル「YUMEGIWA LAST BOY」などのプロデュースや数多くのCM音楽などを手掛ける。09年には映画「ノーボーイズ、ノークライ」(主演:妻夫木聡/ハ・ジョンウ)のサウンドトラック『No Boys, No Cry Original Sound Track』をリリース。2010年には元スーパーカーのいしわたり淳治とのユニット<いしわたり淳治&砂原良徳>を結成し、相対性理論のやくしまるえつこをボーカリストに迎えてシングル「神様のいうとおり」をリリース。2011年4月には10年振りのオリジナルアルバム『liminal』をリリース。2015年には高橋幸宏、TOWA TEI、小山田圭吾、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とともにMETAFIVEを結成し、2016年1月にアルバム『META』をリリースした。

山口一郎(やまぐち いちろう)

1980年生まれ。北海道出身。サカナクションのボーカリスト兼ギタリスト。2005年に活動を開始し、2007年にメジャーデビュー。日本語を巧みに扱う歌詞とフォーキーなメロディーを土台にロックバンドフォーマットからクラブミュージックアプローチまで様々な表現方法を持つ5人組のバンドとして活動を行う。2015年、クリエイター・アーティストと共に音楽に関わる音楽以外の新しい形を提案するプロジェクト「NF」を恵比寿LIQUIDROOMで定期開催。10月には11thシングル『新宝島』がリリースされた。リリースとほぼ同時に全国ツアー『SAKANAQUARIUM2015-2016 "NF Records launch tour"』がスタート。2016年3月まで各地をまわる。

SPECIAL PR 特集

もっと見る

BACKNUMBER PR 注目のバックナンバー

もっと見る

Got a minute ? 動画これだけは

Devendra Banhart“Saturday Night”

最新アルバム『Ape in Pink Marble』の収録曲“Saturday Night”のPVに映し出されるのは、赤ちゃんを抱き、犬と戯れるデヴェンドラ・バンハート。浮遊感の中に転がっていくオリエンタルな旋律と彼の柔らかい歌声、赤ちゃんのまっすぐな眼差しに釘付けになる。(飯嶋)