アジアのアート&カルチャー入門

カンヌ受賞監督メンドーサが語る、母国フィリピン映画の黄金期

2015年10月に行われた『第28回東京国際映画祭』(以下『TIFF』)は、国内外の多彩な映画と関係者が集まる日本最大の国際映画祭。そのなかのアジア映画を特集上映するプログラム「CROSSCUT ASIA」では、「熱風!フィリピン」と題し、フィリピン映画が特集された。

10年ほど前から「第3黄金期」を迎えているといわれるフィリピン映画シーン。その中心人物がブリランテ・メンドーサ監督だ。2005年、45歳で映画監督デビューを果たし、『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』(2009年)で『カンヌ国際映画祭監督賞』を受賞。今年の『TIFF』でワールドプレミアが予定されている、行定勲監督、カンボジアのソト・クォーリーカー監督とのオムニバス映画共同制作プロジェクト「アジア三面鏡」への参加も決まっている。今回はそのメンドーサ監督を迎え、初参加となった『TIFF』の印象、フィリピンの映画事情、映画作りについてなど、広く話を聞いた。

(メイン画像:©2015 TIFF)

自然災害や困難を何度もくぐり抜けてきた、日本人とフィリピン人の意外な共通点

―まずは10日間の長い日本滞在、おつかれさまでした。今回はじめて日本で大々的に作品が紹介されたわけですが、いかがでしたでしょうか?

メンドーサ:『TIFF』でフィリピン映画が特集され、自分の作品をはじめ、注目すべきフィリピン映画が日本や世界の観客に向けて上映されたのは大変光栄なことです。「CROSSCUT ASIA」のような特集上映は、フィリピンの映画監督にとっても、新しいチャンスを得ることができる良いプラットフォームだと思いますし、作品に皆さんが興味を持ってくださったことも嬉しく思っています。

『フォスター・チャイルド』(2007) ©Seiko Films
『フォスター・チャイルド』(2007) ©Seiko Films

―トークセッションでのお話を伺ったり、作品を拝見していると、映画を通じて、フィリピンの情勢や文化を伝えたいという思いが強く感じられました。

メンドーサ:映画はエンターテインメントだけでなく、国や社会を映し出すものだと信じているからです。フィリピンの文化を知ってもらう機会は滅多にないと思うので、映画を通して皆さんが新たな知識を得たり、ユニークな体験をしていただけたら嬉しいと思っています。そして、フィリピンの映画監督たちが、世界的にもっと知られることも願っています。

―監督自身、外国の映画、たとえば日本の映画を観る機会はおありでしょうか? お好きな日本人監督はいらっしゃいますか?

メンドーサ:黒澤明は、アジア映画の重要な柱の一人だと思います。彼はアジアの映画監督にチャンスを与えただけではなく、アジアの映画制作に、ある基準を確立した存在だと思います。また、メインストリームであるハリウッドの表現手法からも離れて、日本固有の文化と伝統をうまく表現しています。

ブリランテ・メンドーサ監督 ©2015 TIFF
ブリランテ・メンドーサ監督 ©2015 TIFF

―フィリピン全体で、日本映画の印象はどうですか?

メンドーサ:ここ10年ほど、フィリピンの人たちは特に日本のジャンル映画(アクション、ホラーなど、スタイルが分類できる映画)を好んで観ています。ポップカルチャーの視点で言えば、『リング』(中田秀夫監督)に登場するキャラクター、貞子は、ほとんどのフィリピン人が知っている。マニラでは毎年『日本映画祭』が開催されていて、映画関係者や学生たちが招かれ、日本映画を学んでいる状況もあります。アジアの国はそれぞれが多様な文化を持ちながらも、家族の絆の強さや年長者に対する尊敬、伝統や固有の慣習、お米文化など、共通している部分もあるので、日本映画にフィリピン人が共感するのは驚くことではないと思います。

―フィリピンと日本において、特に似ていると感じられる部分はありますか?

メンドーサ:あらゆる困難から立ち直り、くぐり抜ける力を持っているところではないでしょうか。現状を受け入れる能力、苦しい状況であってもゼロからまた築き上げようとする意志は、フィリピン人が人生に立ち向かう際の、特有の性質でもあると思います。

―お互いに台風や地震、津波など、強大な自然災害を何度も経験している国ですね。

メンドーサ:ただ、日本と違って、85パーセントのフィリピン人は貧しい暮らしをしています。それと同時に、いい暮らしをしている15パーセントの人たちも描くことで、フィリピンの「本当の良さと美しさ」が伝えられるかもしれないとも思っています。私が描きたいものはフィリピンにおけるスラム街やマニラ市の景観ではなく、フィリピン人の心と、社会階級を超える伝統と文化の美しさなのです。

徹底したリサーチを経て、ドキュメンタリーではなく、あえてオリジナルな物語を描き出す、メンドーサ監督の映画術

―メンドーサ監督は、以前は広告業界で仕事をされていて、45歳で映画監督デビューされたそうですが、そのきっかけは何だったんでしょうか?

メンドーサ:大学卒業後、広告業界で美術デザイナーとして働いていたのですが、そのなかでさまざまな映画の美術セットを手がけるうち、いつかは自分で映画を撮りたいと思うようになりました。当時、いろんな映画監督と一緒に仕事をさせていただいたことは、ものすごく貴重な学びの機会でした。あの頃に学んだことすべてが自分の頭のなかでリメイクされ、いまの映画に活かされていると思います。

『罠(わな)~被災地に生きる』(2015)
『罠(わな)~被災地に生きる』(2015)

―子宝に恵まれない夫婦の第2夫人探しを描いた『汝が子宮』(2012年)、2013年に起きたヨランダ台風の被災地を舞台とした『罠(わな)~被災地に生きる』(2015年)など、実際に起きた出来事をベースに物語を作られることが多いそうですが、どのようにリサーチされているのでしょうか?

メンドーサ:物語を作るためにあちこち旅して回るのは、長くて疲れる時間でもありますが、リサーチはもっとも好きなプロセスで、制作の半分くらいを費やしています。『汝が子宮』のときは、設定に近い対象を見つけるため、フィリピン中に足を運びました。そして、南フィリピン出身で、現在はマニラでホームレス生活をしている方に出会うことができました。

『汝が子宮』(2012) ©CENTER STAGE PRODUCTIONS CO.
『汝が子宮』(2012) ©CENTER STAGE PRODUCTIONS CO.

―リサーチからスタートされ、そこから物語のヒントを得ていくスタイルなんですね。

メンドーサ:そうですね。『罠(わな)~被災地に生きる』のリサーチの際は、災害から生き残った人たちと一緒に被災地を訪れることで、その体験がよりよく理解できるようになりました。物語を作るとき、まず自分自身がその物語のなかに存在するように心がけています。

―現場を詳細にリサーチした後、そこでドキュメンタリー映画を撮るのではなく、あえてオリジナルな物語を立ち上げていくのが監督の映画の特徴ですが、主人公が街を歩くシーン1つをとっても、カメラや演技の存在を感じさせないほどリアルな描写が印象的です。リサーチの際に気を付けていることや、演出方法として好んでいる手法はありますか?

メンドーサ:街全体をエキストラとして捉えるようにしています。撮影前にキャスト、スタッフで街のそこかしこを訪問して、慣れ親しむようにしているんです。その地域全体を巻き込んだプロジェクトにすることで、自然体に撮れるようになる。映画館を舞台にした『サービス』では、映画館という建物自体もキャストの一人として捉えています。空間や街、地域の人々を巻き込むことで物語が生きてくると思うんです。作品では俳優たちだけでなく、地元の人たちもたくさん参加してくれましたし、『罠(わな)~被災地に生きる』では、実際に台風ヨランダを経験して生き延びた方も出演しています。

『サービス』(2008)
『サービス』(2008)

―キャストの自然な演技を含め、劇映画でここまでドキュメンタリーの雰囲気を感じられるのは、やはりメンドーサ監督ならではのマジックだと感じました。

メンドーサ:私の作品は、社会問題や社会的リアリズムを通してフィリピン人の物語を描写していることから、多くの場合「ドキュドラマ」にカテゴライズされます。たとえば『罠(わな)~被災地に生きる』では、台風の生存者を演じてもらうために経験の多い役者をキャスティングしていますが、役者には、被災地の様子や生存者が苦しい状況に耐えるリアルな姿を間近に見てもらっています。ドキュメンタリー風のストーリーテリングを通して、すべてのシーンを生き生きと見せるのは、作品を作る上でとても重視している部分です。

―俳優に台本を渡さず、そのシーンで起きる状況と必要なワードのみを説明して撮影するスタイルを取られていると、女優のルビー・ルイスさんがおっしゃっていました。「暗記した台詞に頼らず、創造性に制約のない自由な表現ができる」「俳優たちの化学反応によって成り立つ非常に効果的な方法」だと。俳優は台詞も自分で考え、リハーサルも一切ないそうですが。

メンドーサ:リハーサルをしないことで、なにかが起きたときのリアクションをそのまま撮影することができ、非常に生々しい演技を捉えることができます。俳優は台本を読み、解釈して演じることに慣れているわけですが、私が俳優に期待したいのは、物語のキャラクターを演じるだけでなく、そのシーンの「状況を経験して反応すること」。その状況に身を置いて自分をオープンにすることで映画のシーンに溶け込んでいく。それによって観客も映画的な経験ができると思います。

―長回しによる手持ちカメラの臨場感も、よりドキュメンタリータッチの演出を増長しているように感じました。

メンドーサ:ただ、カメラワークに関してはあまり綿密に計画しているわけではないんです。形式よりも内容が大切であって、「どう撮るか」に重きが置かれるべきではないと思っています。まず、自分自身が作品に没頭することが大切。単にロケハンをするのではなく、リサーチを念入りにして、「自分がその環境に身を置く」ことこそが重要なんです。

フィリピン映画、第3黄金期の中心人物メンドーサが語る、インディーズ映画シーンの真実

―フィリピン映画には3つの黄金期があると言われていて、最初がメジャー映画会社により娯楽映画が量産された1950年代。1970、80年代に第2黄金期が訪れ、「アジアインディペンデント映画の父」と称されるキドラット・タヒミックのような、表現ジャンルを横断するアーティストが登場します。この第2黄金期を代表する監督リノ・ブロッカは、メンドーサ監督と同じ社会派として知られていますね。

メンドーサ:リノ・ブロッカ監督は、フィリピン映画を海外に知らしめたパイオニア的な存在で、フィリピン映画に与えた影響、功績は計り知れず、若手監督のほとんどが彼を尊敬していると言っても過言ではありません。その作品はフィリピンの社会問題を捉えていると思いますし、私の作品にも通じるところがあると思います。

キドラット・タヒミック監督『お里帰り』(2008) ©Kidlat Tahimik
キドラット・タヒミック監督『お里帰り』(2008) ©Kidlat Tahimik

―メンドーサ監督は、デビュー年である2005年から現在まで続く、フィリピン映画「第3黄金期」のきっかけとなった中心人物とされていますが、そのことについてご自身はどう思われますか?

メンドーサ:ワールドシネマのなかで存在感を示しはじめたフィリピン映画のムーブメントに乗ることができたのは、とても幸運なことでした。映画監督としてキャリアを歩みはじめたのは少し遅かったのですが、タイミングが良かったのでしょう。デビュー作『マニラ・デイドリーム』が『ロカルノ国際映画祭 ビデオ部門金豹賞』を受賞するなんてまったく予想していなかったので、大変嬉しい驚きでした。

―「第3黄金期」以降、アート志向の映画が増え、デジタル時代へと突入し、若いインディペンデント作家たちが増えはじめます。フィリピン・インディーズ映画の祭典である『シネマラヤ映画祭』などを通じて若手監督が台頭し、世界的にも注目を集めていますが、実際のインディーズシーンはどうなっているんでしょうか?

メンドーサ:現在、企業などの第三機関からも支援が増え、フィリピンシネマの再活性化に力が注がれています。映画監督に補助金を出す映画祭が8つもある国は、おそらくフィリピンだけではないでしょうか。こうした映画祭は、新進監督が自分たちの才能を披露できる場にもなっているので、新たな展開が期待できるプラットフォームだと思います。

『グランドマザー』(2009) ©The Match Factory
『グランドマザー』(2009) ©The Match Factory

―さらに最近フィリピンでは、メジャーな商業映画とインディーズ映画が融合した「メインディーズ」と呼ばれるムーブメントも起きているようですね。

メンドーサ:正直、メジャーのストーリーテリングと、インディペンデントの映像制作を組み合わせることは、インディペンデントの予算で商業映画を作りましょうと、プロデューサーに強いているようなものです。商業映画の新たなビジネスモデルということ以外には、特に「オルタナティブ」と言える部分はありません。

―なるほど。これまでインディーズ映画を中心に活躍されてきた監督ご自身は、このようなフィリピン映画シーン全体について、どのようにお考えでしょうか?

メンドーサ:メインストリームの映画は、フィリピン映画業界の推進力として常に存在し続けます。一方でインディーズ映画には、商業映画の慣習に倣わない独自のストーリーテリングがあります。フィリピンでインディーズ映画が急激な成長を見せているのは良い兆候です。これにより、政府機関が映画を社会的意識と文化的覚醒を促進するための効果的なツールとして見なすきっかけとなるといいなと思います。

「映画が若い世代の観客のニーズをもっと受け入れるべきだと思います」

―日本の映画環境は、ネット配信が本格的に普及しはじめていたり、作り手もネット動画から新しい才能が生まれてきたり、これまでと違う動きが目に見えはじめています。フィリピンでも似たような傾向はあるのでしょうか?

メンドーサ:映画が若い世代の観客のニーズをもっと受け入れるべきだと思いますね。いまではオンライン上のプラットフォームが若い人たちの日常に浸透し、映画を観る行為自体も変えています。若い観客の関心はめまぐるしく変化し、見ているものもクリック1つで簡単に変わります。一方で、新しいテクノロジーが制作コストを減らし、映画作りがますます一般化することで、大きなポテンシャルを持った才能を呼び寄せているのも感じます。近い未来にはオンラインであろうが、映画館であろうが、より多くの監督や観客たちがショートフィルムに傾倒する日が来るのではないでしょうか。

ブリランテ・メンドーサ監督 ©2015 TIFF
©2015 TIFF

―ご自身も、若手監督作品のプロデュースや映画祭の支援にも積極的に携わり、次世代へ目を向けた活動をされていらっしゃいますが、今後取り組んでいきたいこと、撮りたい作品などがあれば教えてください。

メンドーサ:世界の映画界から認められたのもここ10年のことですし、映画監督としての自分は大器晩成型ではないかと思っています。そして、いま私が果たすべき役割は、自分が得た知識や経験を次の世代に伝えること。若い人たちの可能性を養い、私たちが前世代から引き継いだフィリピン映画の遺産を継いでもらうことです。もちろん、映画自体が持つ魅力がこれからも私に映画を撮り続けさせます。ただ、正直に言いますと、残りの人生で映画をずっと撮り続けられるとは思っていません。その後のなにかを探さなければいけない時期がいずれ来るでしょう。それが何であれ、どのような目的であれ、時間が教えてくれると思います。

―常にリサーチを繰り返しながら、深く掘り下げ、自然の流れに身をゆだねていく監督の作品作りにも通じる考え方のような気がします。監督の作品をはじめ、フィリピン映画が日本でも多くの人の目に触れる機会が増えていくことを願います。ありがとうございました。

イベント情報
『国際交流基金アジアセンターpresents「CROSSCUT ASIA #02 熱風!フィリピン」』

2015年10月22日(木)~10月31日(土)
会場:東京都 六本木ヒルズ
上映作品:
『罠(わな)~被災地に生きる』(監督:ブリランテ・メンドーサ)
『フォスター・チャイルド』(監督:ブリランテ・メンドーサ)
『サービス』(監督:ブリランテ・メンドーサ)
『グランドマザー』(監督:ブリランテ・メンドーサ)
『汝が子宮』(監督:ブリランテ・メンドーサ)
『お里帰り』(監督:キドラット・タヒミック)
『バロットの大地』(監督:ポール・サンタ・アナ)
『インビジブル』(監督:ローレンス・ファハルド)
『キッド・クラフ~少年パッキャオ』(監督:ポール・ソリアーノ)
『奇跡の女(デジタル・リストア版)』(監督:イシュマエル・ベルナール)

プロフィール
ブリランテ・メンドーサ

1960年フィリピン出身。2005年インディペンデント映画プロダクション「センター・ステージ・プロダクションズ」を設立。同年の監督デビュー作『Masahista (The Masseur)』で、『ロカルノ国際映画祭ビデオ部門金豹賞』を受賞。2007年『TIRADOR(Slingshot)』で、『ベルリン国際映画祭カリガリ賞』を受賞。2009年『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』で、『カンヌ国際映画祭監督賞』を受賞。2012年『Thy Womb』(『TIFF』上映タイトル『汝が子宮』)で、『ヴェネチア国際映画祭the La Navicella Venezia Cinema Award』を受賞。最新作『TAKLUB(Trap)』(『TIFF』上映タイトル『罠(わな)~被災地に生きる』)は、『第68回カンヌ国際映画祭』「ある視点」部門に出品された。



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