「自分なんかのために会社は動かない」。後ろ向きだった「残念なアーティスト」時代を乗り越えるまで

現在と50年前、30年前、10年前とで、私たちの「働く」は大きく変わった。ひとつの会社に一生を尽くす終身雇用的なあり方は必ずしも前提ではなくなったし、YouTuberやインフルエンサーなど職業の枠も大きく広がった。

好きな働き方、そして好きな仕事。そういったものへの憧れと周りの理解は、ひょっとしたら、かつてよりも増えているかもしれない。けれど夏目漱石が『草枕』で「意地を通せば窮屈だ」と書いている通り、現実と理想のギャップはどこにでも、いつでもある。「好きなことを仕事に」は魅惑のコトバだが、現実には難しいのだ。

アーティストの芝辻ペラン詩子も、やはり同じ壁にぶつかった。大学で映像を学び、アニメーションやテキスタイル・スカルプチャーの制作でキャリアを築いていたが、本人によれば当時の自分は「残念なアーティストだった」と話す。

しかしその経験を経て、アートとの関わり方も少しずつ変化する。ギャラリースペースの運営や芸術祭の開催、現在は美術家支援の講師などを行なうなかで、彼女の意識も変わり、現在でも好きな世界に身を置き、キャリアを重ねている。今回は芝辻が自分の好きなことと自分のキャリア、それぞれをどう結びつけて来たのか、その背景を聞いた。

「何だこれは!」と衝撃を受け、人形アニメーション制作をするべくイギリスへ

―芝辻さんは大学で映像を学ばれ、イギリスにも留学されるなど、映像やテキスタイルの立体作品を手がけるアーティストとしてキャリアを積んでこられました。そもそもアートやカルチャーに興味をもったきっかけはなんだったのでしょうか?

芝辻:もともと映画やサブカルチャーが好きだったり、ものをつくることが好きだったりという性格的なこともありますが、特に影響として大きいのは通っていた高校だったかなと思います。

芝辻:いまでいう、ダイバーシティーを体現したような学校で、留学生もいるし、在日朝鮮・韓国の子もいるし、ミャンマーの子もいる。ギャルの子もいれば、私のようなサブカル好きな子もいて、さまざまな属性や背景の子たちが共存しているような学校だったんです。無理やり付き合わされているという感じでもなく、ただ当たり前のこととして、そうした環境がありました。

当時もいまも、現代美術にはそこまで明るくないんです。ただ、予備校のある立川にパブリックアートが設置されたことは現代美術に触れた原体験となっていると思います。美術予備校の先生のなかに、学生でありながら、アーティストとして活躍している方がいたので、美大に入ったら自動的にアーティストになるんだ、と思っていました。

その後大学では黒坂圭太さんというアニメーション作家のゼミに入り、いわゆるアートアニメーションと呼ばれる世界に進むようになりました。

―イギリスで学ばれていたのもアートアニメーションだったのでしょうか?

芝辻:そうですね。大学生のころに行った広島国際アニメーションフェスティバルで、ティム・バートン監督などの人形制作を請け負うマキノン&ソーンダースという、イギリスの会社を知ったのがきっかけでした。

もともと人形やぬいぐるみが好きで、小さい頃にコマ撮りで動くシルバニアファミリーのCMを見たときも印象が強かったんですけど、マキノン&ソーンダースの登壇で彼らのつくった人形が動いているのを見たとき、もう、何だあれは! と衝撃を受けました。

マキノン&ソーンダースでは近年、Netflixオリジナル『リラックマとカオルさん』の人形制作も行なった。

芝辻:それから調べていくと、イギリスが人形アニメーションに優れていること、かつイギリスが留学生の受け入れに積極的で制度的にも行きやすいということを知り、向こうへ行って学ぼうと決めました。

もともと高校が国際色ある学校で、私自身英語ができたこともあって「いつかは海外に」とも考えていて。なので卒業後に留学し、コスグローブ・ホール・フィルムスという老舗のアニメーション会社へインターンに行きました。マキノン&ソーンダースの設立者はこの会社の人形部門にいたんです。そのためここで働くことが、留学を決めたときからの目標でした。

「自分なんかのために会社は動いてくれないだろう」。後ろ向きだった「残念なアーティスト」時代

―国際的な環境で高校教育を受け、美術を学び、人形アニメというフォーカスする対象も把握し、かつ留学もされて。こう見ると順調にご自身のキャリアを築き上げているように見えます。ですが、芝辻さんはご自身を振り返って「残念なアーティストだった」と考えてらっしゃると聞きました。それはどういう意味なのでしょう?

芝辻:これにはふたつポイントがあって、ひとつは意識や気持ち、マインドの話になってしまうのですが、不可能に見えたり、難しそうに見えたりする選択肢へ積極的に向かっていくことができなかったことです。当時の私には「自分の人生は自分のもので、自分で決められる」という、いわば「主人公マインド」がなかったんです。

芝辻:イギリス留学のときの自分がまさにそうでした。日本の大学を終え、イギリスに留学し、夢だったコスグローブ・ホール・フィルムスにインターンへ行けることになった。次のアニメーターを育てるためのテストも合格し、代打のアニメーターとしてのポジションをもらいました。代打とはいえ日当も出ますし、待っていれば、チャンスはありました。でも、新しいプロジェクトが始まるタイミングでビザの取得のために半年ほど帰国をしてしまい、うまく噛み合わなかったんです。

ービザについて会社へ相談はしなかったのでしょうか?

芝辻:「自分なんかのために会社は動いてくれないだろう」と決め込んでしまっていました。就労ビザは、雇用主である会社が申請します。申請のためにはなぜ私を雇いたいのか、公的機関に書類を提出する必要もあり、とても大変で。EU拡大のタイミングでもあったので、非EU圏の人間が仕事を得ることも難しい時期でした。ただ、いま思えば残る方法はいくらでもあったんです。イギリス人の知人や友人は協力的だったので相談したり、語学学校に在籍したり、観光ビザで残れるだけ残ったり、あとは日本の企業に就職して就労ビザを取得したり……。

でも当時の私には「何がなんでもイギリスにいて、アニメーターとしてのチャンスをつかむ」というオプションが見えていませんでした。とにかくビザの問題に尻込みしてしまったし、後ろ向きになり、自分の人生を面白くする方向へ進むことができなかった。まさに「主人公マインド」が欠如していた状態だったんです。

待っていればいつか来る? チャンスを次に活かせなかった当時の考え方とは

―「残念なアーティストだった」という、もうひとつのポイントは何でしょうか?

芝辻:もうひとつのポイントとしては「ビジネス戦略を知らないこと」です。チャンスが目の前に転がっているのにそれを活かす方法を知らず、見逃してしまうことが、当時の私の問題点でした。

2006年に泣く泣く帰国し、2008年から作家活動をスタートさせ、縁あって洋服や雑貨ショップを展開するアパレル大手のH.P. FRANCE主催のroomsというイベントで展示をしないかとお声がけをいただくことができました。

2体の人形は芝辻さんの作品『人間ドッグ』。学生時代から制作をし、2008年に個展も行なった。
動く犬のおもちゃの皮を剥ぎ、人間の見た目にしている。スイッチを入れると歩く。

芝辻:そのあとはルミネのrooms SHOPという店舗で作品を扱っていただけることとなり、有名なアパレル企業の社長などに購入していただけたのですが、そのチャンスを次に活かすことができなかった。お礼状を書いて送ったり、ほかの作品をプレゼントしたりと、そういう発想がなかったんです。

―次に活かせなかったのは、どうしてだったのでしょうか?

芝辻:例えば、何かのコンペで入賞したとしますよね。その発表の場でいろいろな方に見に来ていただいて、名刺を交換する。そして「名刺を交換したから、きっと連絡をくれるだろう」と考えてしまうようなものかなと思います。当時の私も、ここまで大きな注目されたのだから、待っていれば来るだろう、と思ってしまっていました。

自分から連絡したり、定期的にメールマガジンのようなかたちで自分の情報を発信したりできていれば、もしかしたら次のチャンスにつながったかもしれません。チャンスが来たら、今度はそれを活かして自分から次のチャンスをつかみに行くべきなのに、当時の自分にはそうした考えがなかったんです。

何が好きで、何がしたくて、どうなりたいのか。自分と向き合って見えたアートに対する気持ち

―「残念なアーティストだった」とご自身を振り返る一方で、芝辻さんはそれでもなおアートと関わり続けています。ご自身の考え方にどのような変化があったのでしょうか?

芝辻:自分の考え方を見直し、変わらなくちゃと奮起したのは、じつはごく最近のことなんです。これまでアーティストとしての活動だけでなくギャラリーや芸術祭の運営なども行なっていたものの、なぜやっているのかきちんと言語化できていなかった。目標が定まらず、10年くらい迷走してしまっていたんです。

具体的なきっかけのひとつとしては、新型コロナウイルスによるパンデミックの最中、起業家向けのオンライン講座を受けたことでした。最近は女性向けにビジネスを教えるのが上手なコンサルタントの方も増えており、家にいながら、平日の昼間に受講できるという環境があったことは大きかったです。身銭を切って200万円ほど自己投資をし、講座ビジネスやライティング、それからお金に関する講座をとり、学んでいきました。

そうした講座や、苦手意識のあったビジネスや成功法則、自己啓発の書籍を手に取って読むなかで、ビジネスだけでなく、自分の人生をどう生きていきたいかを学び、イギリスから引きあげてきた過去の苦い思い出や、大きなチャンスを活かせなかった経験を自分のなかで再定義することができたんです。

以前は、お金に対する抵抗意識が特に強く、「お金を受け取る」ということができずにいました。ですが、例えば私自身が「無償でやるのはいいこと」と振る舞っていたら、周りの人たちまでお金を受け取ることに違和感を覚えてしまいますし、「アートでお金をもらうなんて!」と考えていれば、それこそ同じような考えの人たちしか集まらなくなってきてしまう。アーティストとして身を立てていくには、このお金に対するメンタルブロックとしっかり向き合う必要がありました。

―現在、芝辻さんはどのようにアートと向き合っているのでしょうか。

芝辻:現在は、これまでの失敗や気づきをベースに、アーティストのための起業塾を主催し、「アーティストとしてどう身を立てていくか」という課題に役立つナレッジの提供をしています。

そこではまず具体的に自分のゴールを定めてもらうのですが、この「具体的に」というのがとても重要で。死ぬ間際には自分をどのようなアーティストとして認知してもらいたいか、自分が後世に伝えたいレガシー、功績は何かという大きなゴールから始まり、直近の目的として「作家としてどれくらい収入が欲しいか」「どのギャラリーと契約したいか」「どの美術館で展示したいか」など、自分のキャリアを進めていくうえでの地図を描いてもらいます。また専門家もお呼びして企業と仕事をするうえで重要な姿勢や知識なども伝えるほか、仲間同士で切磋琢磨できる環境も提供しています。

これも私自身の体験から来た発想なのですが、オンラインの講座を受けているとき、たくさんの女性起業家の卵の人たちと出会い、お互いに応援しあう環境に励まされました。アーティストは特に孤立しがちですし、友人や同級生ともライバル関係になりやすいですから、よりそうした環境が提供できれば、と考えています。

―さまざまな挫折や困難を経て、それでもアートに関わり続けるモチベーションには何があると思いますか?

芝辻:「やらずにはいられない」からですね。長くアート活動を続けている方はみんなそうだと思います。やる、という選択肢しかないんです。好きで仕方ない。だからこそ、そんな思いをもつ方にはかつての私と同じような「残念なアーティスト」になって欲しくないんです。

「アートは役に立たない」と思われがちだと感じるのですが、私をはじめ、きっと多くのアーティストにとってアートとは、生きるための根源的なものなんだと思います。

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アーティストがもっと社会的に可視化されるためには? 自身の経験をもとにキャリア形成に貢献したい

―これまでを振り返ってみて、ご自身で作品制作をするだけでなく、ギャラリーや芸術祭の運営などアーティストやアートの振興に繋がる活動もされているのは、どういった課題感からだと感じますか?

芝辻:私自身もアーティストとして活動するなかで実感しましたが、アーティストとしてキャリアを築いていく過程では難しい局面も数多くあります。アーティストのキャリア形成の仕方はほかの職業と違って明文化もされていないし、具体的にどうやって食べていくのかを教えてくれる機会もごく稀だと感じます。そうした教育がないせいか、「アートは売れなくて当たり前」や「アートでお金をもらうことは不純」という空気がどことなくあり、みんなで仲よく売れない状況を作っているように思います。

ちゃんと自分の作品で生計を立てることができる人がもっと増えたらいいのにとも思いますし、だからこそ先ほども話に出たような「ビジネス戦略を知ること」など、アーティストだからといって蔑ろにしてはいけない領域を学ぶ機会が必要だなと思いました。

芝辻:よく「アーティストは弱い立場」と言われることもありますよね。個人的には必ずしもそうではないかなと思います。しかし一方では経済力がないと社会にプレゼンスする力が乏しいのが現実です。

―芝辻さんの今後の活動としてはどのようなプランを考えていますか?

芝辻:野望はいろいろあります(笑)。まず直近では、いま提供している講座を広めて、経済的に豊かなアーティストを増やすことです。そうすると、アーティストの社会的な存在感が増し、影響力も増えますよね。

私の作品テーマのひとつに「ユートピア」があります。20代のころは自分の作品のなかだけの話でした。けれどいまは、現実での自分の活動のテーマに広がっています。アート業界で課題を抱えている人を助けたいというのが、いまの活動の一番強いモチベーションかもしれません。

イベント情報
クリエーターと美術家のための起業塾「MUNI Lab. zero 2022」

11月19日(土)から6か講座を開催。

講座内容:
1.アーティスト・ステイトメント講座(言語化)
2.プロフィール講座
3.ポートフォリオ講座(自己PRツール作成)
4.アートと法律講座 著作権、契約、労働
5.マインドセット、心理学、潜在意識講座
6.補助金・助成金の基礎知識
7.経理、確定申告、お金の心理学
プロフィール
芝辻ぺラン詩子

武蔵野美術大学映像学科卒業後、イギリスに留学し、マンチェスターの人形アニメーションスタジオで研修を行なう。帰国後は映像ディレクターとなる。2007年頃から、アニメーションのみならず、動くぬいぐるみやオブジェを制作。2009年、結婚を期に独立し、府中の実家を改装したギャラリーカフェ「メルドル」をオープン。2015年に任意団体を設立して地域密着型の芸術祭を開催。現在は美術家のための起業塾を立ち上げ講師として活動中。



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