メイン写真:©Shu Tomioka
6月に新刊『SISTER “FOOT” EMPATHY』を刊行した、イギリス在住のライター兼コラムニストのブレイディみかこ。
現地で保育士の資格を取得し、保育園やボランティア活動などの経験から、市井の人々の視点から貧困や格差などの問題を見つめている。これまでも、生活者目線を軸にしたボトムアップな運動や、立場や考えの異なる他者とも連帯し、社会を変えていくことの大切さを発信してきた。
ファッション雑誌『SPUR』の連載コラムを収録した『SISTER “FOOT” EMPATHY』は、そんな「地べたでの連帯」や他者への想像力を働かせること、そして女性同士がつながって状況を変えていくことを意味する「シスターフッド」を、2022年からの出来事と関連させながら考えた内容になっている。
意見が異なる相手とも共存するために必要なこと、そしてそれらを後押しするカルチャーの可能性について、オンラインでインタビューした。
政治性もゆるやかな連帯もどちらも大事。散り散りにならないシスターフッド
ー新刊のテーマは「シスターフッド」です。最近は映画や小説のキャッチコピーにも使われていますが、ブレイディさんの考えるシスターフッドとは何なのでしょうか?
ブレイディみかこ(以下、ブレイディ):英英辞書でシスターフッドと引くと、大体2つの意味が出てきて、1つ目は「女性同士のつながり」や「姉妹のような関係」。そして2つ目には、同じ目的のために「女性同士が連帯して何かを勝ち取る」という政治的な意味が出てきます。
最近SNSを見ていると、シスターフッドが2つの意味の狭間に落ち込んで迷子になっているんじゃないかという印象があり、その問題意識がこの本の出発点でした。

ブレイディみかこ『SISTER “FOOT” EMPATHY』
ブレイディ:政治的意味が薄れてくると、ただ涙を拭い合うだけの関係になってしまう。癒しや慰めのほうにいきすぎると、つらい現実を変えていこうという方向にはなかなかいかないんです。
だからといって、政治的になりすぎるとお互いに糾弾し合ってバラバラになってしまうことがあるので、そこを結合させていくにはどうしたらいいんだろう? ということを考えています。

ブレイディみかこ 撮影:©Shu Tomioka
ー新刊でも言及されている、女性の90%が参加したというストライキは、政治的な意味もそうでない意味も取りこぼさないシスターフッドを実現しているのかなと思いました。
ブレイディ:アイスランドのストライキって、やっぱり奇跡的なんですよ。国の9割もの女性たちが一緒になったというのはすごい動員ですよね。どうしてそんなことができたのか調べているんですが、政治的なグループもそうでないグループも、みんなで何回も集まって、ひたすら話し合っていたんですよね。
当時は女性のほうが賃金が低いし、家事や育児をやっているのは女性ばかりだし、子供を預けられる場所もあまりなかったらしいです。

1975年10月24日におこなわれた、アイスランドの女性90%が参加しストライキ。女性たちは一斉に仕事や家事をやめ、男女の給与格差や性別の役割分担に反対するため集会やデモをおこなった。
撮影:Snorri Zóphóníasson 出典:Women's History Archives
ブレイディ:その問題意識はみんな共通して持っていたものの、なんとかするための方法としてストライキは「過激すぎる」という意見もあったようなんです。そこで、ストライキという言葉が過激なら、「女性の休日」と呼びましょう、という初老の女性の声でまとまったそうです。
この運動を率いたレッドストッキングという団体が面白くて、いま調べているんですが、メンバーの1人が「女性たちの政治的意見はどうでもよかった。重要だったのは女性のイシューだった」と言い放っている資料もあるんですよ。政治的意見では対立するかもしれないけれど、「子どもを預けるところがほしい」といった、日々の経験では女性たちはつながっている。
そうやって、「地べた」の経験を共有し、妥協できるところは妥協していったところが本当にすごいんです。
それから、当時の映像はいまでもYouTubeに上がっているんですけど、広場に集まった女性たちを見ると、やたら歌ってるんですよ。集まった人たちがみんなで合唱してる。デモというと、スピーチとかをイメージするけど、それだけじゃなくて、みんなで歌うことが人をつなげたんだなって思ったりしますよね。
1分25秒頃から当時のデモの様子。参加者の女性たちが歌っている様子がわかる
意見が異なる人とも共存するための「社交」と「小文字の政治」
ーアイスランドの事例のように政治的意見の対立する人とも分断せず、共存していくことは、実際にはすごく難しいのではと思います。日本では先日参院選がありましたが、SNSでは日々さまざまな意見が対立しています。ブレイディさんの著書を読むと、意見が異なるとしても連帯していくことの重要さを実感しますが、自分が尊重できない意見をもつ人ともつながっていくためには、何が必要なのでしょうか?
ブレイディ:「社交」じゃないかな。「Social」っていう英語、私たちは「社会」と訳すじゃないですか。もちろんその意味もあるんだけど、「社交」という意味もある。社交は、SNSのつながりとは違うんですよね。顔を突き合わせると、いくら分断している相手でも、「めちゃくちゃ反対」とか「お前が間違ってる」とは言わないで、「どういう人なんだろう?」「どうしてこういう考えなんだろう?」と探りますよね。
私は食品やおむつ、生理用品を無料で提供するボランティア活動をしているんですが、そこではリベラルな大学生と排外的なことを言うおっちゃんという、まさに政治的意見の異なる2人が同じシフトになったりするんですね。
イギリスのフードバンクの様子
ブレイディ:最初は意見も合わないしぎくしゃくするんだけど、最近そのおっちゃんが、「俺しかいない時間帯に来る女性は、生理用品があってもなかなか取りにくいんじゃないかな。ついたてとか立てたほうがよくない?」って言い出して、自分の家から持ってきたんですよ。
普段は女性を蔑視するような発言もするし、私も移民だからって最初は無視されたりしてたけど、この発言を聞いて、「おっちゃん変わったんじゃないか?」「私たちも気付かないところによく気づいた! Well done!」って思って。
やっぱり、字面でしか見えないSNSじゃなくて、生身の人間として社交していくことに希望があると思います。こんなふうに、生活に根差したところからボトムアップで変えていくことは、選挙や法律などの「大文字の政治」とは違う、「小文字の政治」ですよね。

ブレイディ:日本でもイギリスでも、SNSやメディアの状況をみていると、分断が進んでリベラルと極右がわかりあえない危機感がありますが、ボランティア活動では分断とは全然別のものが見えて、実は本当に意味があることが起きているのはこっちでは?って思ったりします。
ー今回の選挙での動きをはじめ、日本の「小文字の政治」についてはどう見られていますか?
ブレイディ:イギリスにあるような「小文字の政治」の場は日本には少ないのかもしれませんが、今回の選挙で感動したことがあって。新刊を読んでくれた方の、選挙のあとのある投稿です。
その方は、新刊『SISTER “FOOT” EMPATHY』を読んでアイスランドの女性たちのストライキを知り、選挙権がないけれども、周囲の人たちにある党への投票を呼びかけたそうです。実際にその党が議席を獲得したそうで、「微力だと思うけどやってよかった」って。
選挙権がないということは、外国籍の方かもしれないですよね。やっぱり危機感があったと思うんですよ。それで周りの人にどうしても話したくなったというのは、それこそ草の根なんですよね。そういう「足で稼ぐ政治」っていうものをバカにしちゃいけないと思う。

ブレイディみかこ 撮影:©Shu Tomioka
問いは足元に立っている。自分の問いに気付かせるカルチャー作品との出会い
ー「足で稼ぐ政治」や「小文字の政治」を日本で実現するためには、どうしたらいいでしょうか。
ブレイディ:最近は、「サードプレイス」という言葉もすごく聞きますよね。職場でも家庭でもなく、なんとなく人が集まって社交できる場所。サードプレイスがたくさんあるところは、民主主義がすごく発達するらしいんですよ。そういう場所を作り出すことが大事なんじゃないかな。
イギリスではパブがその役割を果たしてきたんですが、個人書店なんかはハブになる可能性を秘めていると思います。日本でも、チェーンではない独立系書店で読書会が行われたりしていますよね。

ー独立系書店だったり、アイスランドの「女性の休日」で合唱された音楽だったりと、小文字の政治にはカルチャーが大きく影響しているようにも感じました。ブレイディさんはブリティッシュロックに影響を受けたとお聞きしましたが、どのように影響されたのでしょうか?
ブレイディ:音楽好きが高じてイギリスに移住したほどで、音楽性はもちろんですが、そのメッセージに勇気をもらったというのが大きいんです。
当時(1970年代〜80年代頃)の日本は「一億総中流」という言葉があったくらいアゲアゲだった。でも、必ずこぼれ落ちる人はいますよね。そういった家庭の人は「いるのに認定してもらえない」ような状況で、非常に居づらかった。私も高校では自分の家の状況なんて全然話せなくて、疎外感がありました。
そんなときに「労働者階級こそがかっこいい! 金持ちはダサい!」と叫ぶイギリスのロックに出会って、自尊心と勇気をもらいました。「労働者階級として正直に生きていいんだ。労働者階級の人たちと一緒に生きてみたい」と思いイギリスに来た、という感じですね。

ー日本で女性たちの連帯がもっと広がり浸透していくためには、どのようなカルチャー作品が必要だと思われますか?
ブレイディ:日本にもいた、たくましく生きた女性の物語を描く作品が増えていけば、もっと声を上げる人が増えるんじゃないかと思います。
日本も歴史を振り返ると、100年前には伊藤野枝とか、声を上げてきた女性はいるんですよね。『SISTER “FOOT” EMPATHY』も、横のつながりだけではなく、昔の人たちとの縦のつながりも意識して書きました。例えばNHKの朝ドラとかでそういった声を上げてきた女性の物語を描くことで、例えば、高井トシヲ(※)とか取り上げたら、もしかしたら日本に労働運動が起きるきっかけになるかもしれない。
※高井トシヲ:明治時代から昭和にかけて実在した日本の労働運動家。事実婚関係にあった細井和喜蔵による、女工の過酷な労働環境を告発した書『女工哀史』の発行に協力した。
女性解放運動家である伊藤野枝の人生を描いた『風よ あらしよ』。NHKでドラマが制作され、劇場版も公開された。
ブレイディ:イギリスの話をすると、「よその国の話でしょ」「日本はそういうのできない」とよく言われるんですが、実際に日本にも声を上げ社会を変えてきた女性がいたと知ったら、視界が広がるんじゃないかなって。カルチャー作品がきっかけになって行動に移す人が増えたら、賃金が上がらないのは外国人のせいではないこと、自分たちが下から上に声を上げていかなかったせいだと気づく人も増えると思うんですよね。
ー視界が広がるような作品に出会っても、「感動した」で終わってしまい、行動に移せない傾向もあるように思います。カルチャー作品を受け取る側が行動に移すには、何が必要なのでしょうか?
ブレイディ:感動して終わってもいいと思うんですよ。そういう作品も全然あると思うし。
よく「問いを立てる」っていいますけど、問いって実は、すでに自分の足元に立っているものなんですよね。ものすごく刺さって、本気で何かを調べたり探求させるような作品は、「自分の問いってこれだったんだ」と気付かせるものだと思うんです。
そんな、足元に立っている問いに気付かせるような作品に出会ったら、人々は立ち上がるんじゃないでしょうか。そういう作品がもっとたくさんあったらいいと思うし、私もそういうことをやっていきたいと思います。

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- ブレイディみかこ
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ライター・コラムニスト。福岡県出身、1996年よりイギリスに在住し、現地で保育士の資格を取得。2017年に保育士としての経験から見えた課題を綴った『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から』で第16回新潮ドキュメント賞受賞。2019年に、人種も貧富の差もごちゃまぜな中学校に通う子どもの経験と成長を描いた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞、第2回Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。ほかにも『私労働小説ーザ・シット・ジョブ』『リスペクトーR・E・S・P・E・C・T』などの小説作品も執筆。2025年6月に新刊『SISTER “FOOT” EMPATHY』を出版。
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