胸元のあいた服や、身体のラインが出る服を着ただけで、女性の身体はときに性的なまなざしに晒される。痴漢などの性犯罪にあったとき、そういう格好をしていれば、「女のほうも不注意だった」といわれのない非難を受けることもある。自分自身の身体であるにもかかわらず、女性たちがそれを本当の意味で自由に扱うことはとても難しい。
今回インタビューしたのは、ストリッパーの黒井ひとみさん。現在、女性向けの入門漫画や自主制作のZINEがつくられるなど、女性客が徐々に増えつつあるストリップ劇場において、特に女性からの支持を集め、個性的なステージで観客を魅了する踊り子さんだ。
取材をしてみると、黒井さんは小さい頃から「パンツが見えちゃうから脚を閉じなさい!」と女の子だけが言われることに疑問を感じていたという。そんな彼女は、身体について、裸について、どんな思いを持ちステージに立っているのか。話を聞くうちに、黒井さんのステージに心揺さぶられる理由が見えてきた。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
いまあるこの顔、身体は、ただの入れ物なんだってことに気づいたんです。
——黒井さんはどうして、ストリッパーになったんですか。
黒井:ひとつのきっかけになったのは、いまはもう閉館してしまった船橋の『若松劇場』というストリップ劇場で、ベテランのストリッパー・牧瀬茜さんのステージを観たこと。海みたいだな、って思ったんですよね。
——何か、包み込まれるような……?
黒井:すべてが許されているような感覚というか。「なんかすごいことがいま起こったな」と、超常現象みたいに思いました。
黒井:もともとエロやショーは好きで、ストリップにも興味を持っていて。やってみたい気持ちもありました。でも、親は厳しかったし、周りに性産業に関わっているような人もいないしで、やっぱり「しがらみ」のようなものを感じて、踏み切れなくて。
でも、牧瀬さんのステージを見た直後に、当時おつき合いしていた恋人が突然亡くなりまして。目の前で人が死ぬのを見て、いまあるこの顔、身体って、本当にただの「入れ物」なんだなって気づいたんです。
死んだ恋人が、昨日見た姿のままだったんですよ。そのことがすごく衝撃的で。死んでも変わらない私たちの姿形、それを「生きている」ことにしているものはなんだ? と思ったときに、私が何かを考え、何かを志して動く、その「意志」が、私を生きていることにしている、それだけなんだって気づいて。それで、「私は生きなくては」という気持ちにかられた。意志を持って動かなくては、ただ息をして存在しているだけでは、私は生きていることにならない。「しがらみ」は、自分が生きることに関係ない、って思えたんです。
単なる裸よりもっと人に見せたくない、恥ずかしいものはほかにあるぞ、と。
——人前で裸になることには、最初からあまり抵抗がなかったのですか?
黒井:そうなんですよね……これが。もともと小さな頃からピアノやバレエをやっていて、まず、人に見られることに抵抗はなかったです。中学校からは演劇を始めて、大学在学中や、卒業後も役者だけをやっている時期があったりしたんですが、そのなかで脱いで演じたこともありました。
女優さんのなかには、脱ぐことを極端に嫌がる人もいたんですけど、私、それがすごく不思議で。たとえば、「お色気シーンでお客さんにサービスする」みたいな目的で脱がされるのなら、そういうことに自分の身体を使われたくないって気持ちはわかります。ただ、芝居で描きたいことのために必要があって脱ぐ、というのを嫌がる理由がわからなくて。
——なるほど。
黒井:「そこに何があるの?」って思ってしまったんです。「そんなに大事なものがあるの?」って。私には、単なる裸よりもっと人に見せたくない、恥ずかしいものはほかにあるぞ、と。たとえば、「好きな人とセックスしているところを、大勢の人に見られる」。それは私も恥ずかしいです、見られたことなんかもちろんないですけど(笑)。でも、フラットな状態の、なんの意味づけもされていない自分の身体には、別に何もないと思って。普段はダメとされているから、隠しているだけ。
子どもの頃から、それはわりと疑問でしたね。「パンツが見えちゃうから、座るときは脚を閉じて!」とか、親に言われたりするじゃないですか。
——ありますね。
黒井:それで、パンツの上から「紺パン」を履かされたり。私、あれがすごく嫌で、履いてませんでした。だって、たとえば小さい男の子が真っ裸で公園にいたとして、みんななんにも思わないじゃないですか。周りがギョッとするとか、ヒャッてなるとか、何もないじゃないですか。だからものすごく疑問だったんです。男も女も、おんなじじゃないかと。「女の子はパンツが見えたら恥ずかしい」なんて、ひとつの「刷り込み」に過ぎないんですよ。
……でも私、男性のお客さんに人気がないんですけど、裸を恥ずかしがらないこともひとつの原因かなと思ってます。
——「裸になるのを恥ずかしがっている女の子が可愛い」という気持ちが、一部の男性のなかにはあると。
黒井:そうなんです。けど、そういう男性たちの「うぶな女の子が好き」という気持ちって、単にそれだけじゃない気がして。さらに深掘りしていくと、「裸を見せるときに恥ずかしがってほしい」という男性自身の欲望に素直に従ってくれる、自己主張をしない女性が好きってことに行き着くんじゃないかなと思うんですよね。
本人がどんな身体を望んでいても、胸が大きくなる人はなる。
——黒井さんは身体というものを、すごくフラットにとらえていらっしゃるのだな、と感じました。でも世の中では、そもそも男性の視線がそのようにフラットではないし、多くの女性も子どもの頃から「パンツを見せちゃダメ」と言われたりすることで、自分で自分の身体に意味づけをしてしまう。
黒井:そうですね。でも一方で、私がこういった考えで生きてこられたのは、自分自身があまり「女性らしい」身体ではないためもあるかもしれないと思います。私はこの身体でしか生きたことがないから、本当のところはわからなくて、あくまで周りを見ていて思うことですけれど。
私って、わりと平らな身体をしていて。よく言えば「中性的」ということになるんでしょうけど、一般的に「女性らしい」と世の中で定義されるような、曲線とか、胸が大きいとかそういった、いわゆる「女性の象徴」とされるような特徴が、自分の裸にまったくなかった。けっこう骨格もしっかりしていて、肩幅もあるし。
でも、それって自分で望んだことじゃないじゃないですか。どんな身体を望んでいても、胸が大きくなる人はなるし、何もしなくても腰がくびれた、男性に好まれるボディラインになる人もいる。もし、自分がそういう「女性らしい」身体を持っていたら、こんなふうにフラットではいられなかったのかもしれないです。
おっぱいが大きかったりする子って、はたから見ていてもセクハラな言動をされることがすごく多い。もちろん自分も、嫌な思いをしたり、痴漢にあったりしたことがゼロではないけど、ほかの女性と比べるとだいぶ少ないほうだと思うんですよ。
——たしかに、「曲線」とか「胸が大きい」という特徴を持った女性が、男性から性的な視線を向けられるせいで自分の身体を好きになれないことってありますよね。また、逆に、本来はただ単に「男性に好まれやすい特徴」というだけなのに、女性自身が「曲線美こそ素敵な身体」と思い込まされてしまうケースもあったりして、苦しいです。黒井さん自身は、自分の身体が好きですか?
黒井:うーん、それはすごく難しいですね……。普段生きていくうえでは、好きです。だけどストリッパーをしていくうえで、この身体があまりにも不利だって感じることが、ものすごくたくさんある。売上を上げなくてはいけない、お客さんを呼ばなくてはいけない、写真を売らなくてはいけない……そういう目的と日々向き合っているなかでは、「こんなの最初から負け戦じゃないか」って、「だったら豊胸でもなんでもして、有利な身体に変えれば?」って、自分の声が聞こえてくるときもあります。
でも、仕事のことがないとしたら、そういう身体になりたい自分はいないんですよね。むしろ普段生きている私にとっては、この身体でいることはすごくしっくりくるんです。だからそれを変えるのはやっぱり難しくって。あいだに挟まれて苦しい気持ちになることが、毎日毎日ありますね。
最終的には主人公の女性が主体となってエロいことをする、それは心がけています。
——私自身、ストリップ劇場で黒井さんの演目を拝見しました。黒井さんのつくられるステージは物語仕立てのものが多いと思うのですが、そのストーリーに登場する女性からは、主体性のようなものを強く感じます。それは、意識して演目をつくっているんでしょうか。
黒井:たしかに、物語のスタートはどうあれ、「最終的には主人公の女性が主体となってエロいことをする」ということはすごく心がけてつくっています。男性の側から一方的にやられるとか、そういうのは絶対しないですね。
黒井:もちろん最初は、「女性の主体性を表現するようなステージをやろう!」とか「社会をこんなふうに変えたい!」とか思って踊り子になったわけではなくて。始めた頃は、「人よりはちょっとジェンダー問題に興味があるほう」くらいだったと思います。でも、踊り子になって、日々男性のお客さんを相手にステージを披露するうちに、強く考えるようになっていきました。
——じつは、私がストリップ劇場で最初に見たステージが、黒井さんのつくられた『東京へ連れてって』という演目だったんです。
黒井:え! そうだったんですね、嬉しい。『東京へ連れてって』は、じつは男性のお客さんたちからの評判があまりよくなくて。早々にお蔵入りしてしまったんですよ。
——そうだったんですか!? 本当に素敵な演目だったので、驚きです。
黒井:あの演目は、芝居をやっていた時代に小劇場で見た、Mrs.fictionsという劇団の二人芝居をストリップに翻案したものなんですよ。芝居自体が『東京へ連れてって』というタイトルで、中嶋康太さんという方が脚本を書いていて。ずっと、いつかストリップにしてやってみたいと思っていて、中嶋さんにご連絡して快くOKいただき、喜んでつくったものでした。
主人公は、明るくて可愛くて、周りからはちょっとおばかさんって思われているような……それこそ男性に好かれそうな女。彼女がどこかの田舎のバス停で、バスを待っているところから始まります。「好きな男が東京に行ったから、私も行きたい。あなたのためになんでもしてあげるから、お嫁さんにしてほしい」と。しかし、じつは男は東京でほかの女性との結婚を決めていて、彼女との結婚式の招待状が届いてしまう。それで、化粧をしてきれいな自分になって式に乗り込み、「ばかやろう、ふざけんな」と、ブーケを地面に叩きつけるんです。
主人公の女性が自分のために、自分で運命を変えに行くってストーリーをやりたかったんです。
黒井:やりたかったことを、全部やった演目でした。「男を待つのをやめる」「自分のために化粧をする」「夫に捧げる初夜のために用意していた白い下着を、自分のために着る」……主人公の女性が自分のために、自分で運命を変えに行くってストーリーを、やりたかったんですね。
でもこれが、まったく受け入れてもらえなかった。もちろん普段から、演目が受けないときはあります。「つまんない」とか「眠い」とか、そういう視線には慣れている。だけど『東京へ連れてって』をやったときは、空気がピリついていて。お客さんたちはこれを受け入れまいとしているんだな、と強く感じました。
でもきっと嫌がった方たちは、「ストーリーのこういうところが嫌だ」とか、自覚しているわけではないと思うんですよ。きっともっと感覚的に、「この女はあんまり可愛げがないな」とか……そう、「怖い」という感想はけっこう言われましたね。でもそれはきっと、ブーケを叩きつけるからじゃない。「女が待つのをやめる」「自分の意志を持つ」。それが怖かったんじゃないかと、私は思うんですよね。
——なるほど……。
黒井:それで、お蔵入りにしてしまいました。自分としては好きな演目だったし、準備もがんばってしたんですけど。この演目で男性のお客さんを惹きつけるには、まだまだ私の力が足りないんだな、と。でも同時に、もっと前の時代だったら、そもそもこんな演目をストリップでやろうとすら考えられない空気だったかもしれない、とも思います。
いかに本当の裸をステージに載せられるか、ということをやっている。
——お芝居とストリップの大きな違いに、ストリップでは絶対に最後に裸になる、ということがあると思います。黒井さんが、ストリップという場を選んでステージに立っているのは、なぜなのでしょうか。
黒井:そうですね、それは言語化がとても難しいんですが……まず、私のやりたいことやつくりたいものと、裸になることはすごく相性がいいなと思います。
——そうなんですね。
黒井:ほかの踊り子さんはさておき、私がストリップで見せている身体って、こうして見せるとこのラインがきれいに見えるだろうとか、セクシーだろうとか、「姿形としての裸」を意識したものではないんですよ。ステージの様子を写真や映像で記録することもあるんですが、自分ではぜんぜん見なくて。「写真によいものなんて写ってしまったら終わりだ」くらいに思ってるんです。
私が見せたいのは、人間が裸になっているときにしか出てこない、気持ちというか、温度、空気みたいなもの——それは、普段は社会通念上、隠しているものなんですけれど、それこそをお客さんに見せたい……というより、共有したいんです。
……三浦大輔さんが主宰する「ポツドール」という劇団をご存知ですか?
——すみません。私、演劇に詳しくなくて……。
黒井:いわゆる「ハイパーリアル」といわれるスタイルで、お客さんからしたら、台本がないのではと思うくらいリアルなんです。舞台上で起こっている現実を、いかにお客さんに観察してもらうか。性や暴力も、同じリアリティーで正面から描写されています。私はずっとそういったスタイルの芝居をやっていたので、舞台の上では嘘をついちゃいけない、本当のことを見せなきゃいけない、という気持ちが強いんです。
これをストリップに当てはめると、このポーズをしたらセクシーに見える、というのは「嘘」。そうじゃなく、たとえば舞台上で相手を想定して、その人にここを触られたから、私はいま気持ちがいい、その反応そのものを見せる、ということ。そのときに、「身体の形」自体は、もしかしてぜんぜんきれいじゃないかもしれない。お客さんに股間が見えないかもしれない。それでもそこにある、私が「嬉しい」「気持ちいい」という気持ちを、いかに本物にできるか、「いかに本当の裸をステージに載せられるか」ということを、いつもやっています。
100回踊って1回くらいですけど(笑)、その瞬間は、あるんですよ、確実に。
——そこで黒井さんがお客さんと共有したい、と考えている感覚って、黒井さんがストリッパーになるきっかけになった牧瀬茜さんのステージから感じたものに近かったりするんでしょうか……?
黒井:いや、それはぜんぜん違うかも(笑)。自分がやっていて思うことと、先輩のお姐さんや後輩のステージを見て思うことは、また違いますからね。自分が志していることと真逆のことをやっているお姐さんのステージに、ものすごく心を動かされることもあるし。
——踊り子さんそれぞれに、それぞれの考え方があるんですね。ストリッパーの方々は、それこそ黒井さんの言う「姿形としての裸」を意識しているのかなと勝手に思っていたので、意外でした。
黒井:私のようなタイプの踊り子は、珍しいかもしれないですね。だから毎日、丸腰で戦争に行っているような気分です。ストリップは望んでやっていることだけど、ストリップに殺されるかも、という思いも同時にあるんですよ。
——それでも、続けている原動力というのはどこにあるのでしょうか。
黒井:うーん、なんででしょうね……。でもやっぱり、伝わった、と思う瞬間があるからじゃないでしょうか。100回踊って1回くらいの感じですけど(笑)、その瞬間は、あるんですよ、確実に。
ステージを見ているときは、お客さんは無言じゃないですか。そのあいだに目が合ったり、あるいは合わなくても、「この人はいまものすごく私との空気を共有してくれているな」って思えることがあるんですよね。そういう瞬間を、私はきっと本能的に望んでいて。ああ、やっぱりあるんだなって思う。それで続けてしまうんだと思います。
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