変わらないものと、変わったもの salon musicインタビュー

熱心な音楽ファンでなければ、salon musicがFLIPPER'S GUITARのプロデュースなどで渋谷系の形成に大きく寄与していることをご存じではないかもしれない。若い音楽ファンにとっては、Spangle call Lilli lineやアナログフィッシュ、SISTER JETのプロデューサーとしての吉田仁の名前の方が有名かもしれない。それも致し方ないだろう。何せ2002年の『new world record』以来、9年間にわたってsalon musicの新作はリリースされていなかったのだから。しかし、この9年間は、2人がsalon musicを続けるために、もっと言えば、音楽を楽しむために必要な期間だったことは、インタビューを読んでもらえればきっとわかってもらえるはず。そして、このひさびさの新作『Sleepless Sheep』は、羊を数えても眠れないぐらいの不安を抱えたまま生きる僕たちに、何らかのインスピレーションを与えてくれる作品であることも、間違いないだろう。

多分ね、人のをずっとやってたから、心の中でたまってるものがあったんだと思うんですよね。衝動みたいなものが(竹中)

―『Sleepless Sheep』、実に9年ぶりの作品になりましたね。

吉田:9年空いてる実感はなくて、あっという間に時間が経ってしまったという感じなんですよね。

竹中:仁くんはプロデュースで立て込んでたけど、その間私はちょっと体調が悪かったんですね。音楽好きの人って、「このプロデューサーがやってるから聴いてみよう」とか、「この人の新しいアルバムが出たから買いに行こう」とか、そういうのを習慣で何十年もやってるわけじゃないですか?

―はい、僕もやってます(笑)。

竹中:それがちょっとしんどくなってきて、このままだとおばあさんになったときに「音楽HATE!」みたいな感じになっちゃいそうで(笑)、それがすごく嫌で。ここはちょっと一呼吸して、自然に入ってくる音で好きなものを普通に聴こうっていう風にわざとしたんです。それが何年か続いて、すごく楽になってきた頃に、急に(吉田が)「作るぞ」って(笑)。

―音楽を一切拒絶していたわけじゃなく、追いかけずに、自然に入ってくるものだけ聴くようにしてたんですね。

竹中:そうですね。もちろん、仁くんのプロデュース作品とかは聴いてましたし。「聴かねばならない」じゃなくて、普通に聴いて、口は出そうって(笑)。一時期は試聴機も嫌だったんですけど、何年か経つ内に、またショップに行って試聴機も聴けるようになって。

―吉田さんが制作に向かったのは何か理由があったんですか?

吉田:制作モードに入るときって、ある程度まとまった時間が必要で、1~2週間だとそういう感じにはならないんですよね。たまたま2年前の春ぐらいに、一個入ってたプロジェクトがずれたんで、1ヶ月半ぐらい時間ができたんですね。普段ワーカホリック気味に仕事してると、一週間何もしないと「何かやらなきゃ」って思い始めて、試しに3曲ぐらい作ってみて、それで(竹中に)「作らない?」って。

竹中:多分ね、人のをずっとやってたから、心の中でたまってるものがあったんだと思うんですよね。衝動みたいなものが。

写真左から:竹中仁見、吉田仁
写真左から:竹中仁見、吉田仁

―吉田さんはプロデューサーとしての自分と、アーティストとしての自分のバランスってどうお考えなんですか?

吉田:あんまり意識したことはなくて、僕がプロデュースしてるアーティストって、salon musicの音楽性とは違っても、salon musicのことが好きだったり、聴いてるもののベースが、特に60年代から80年代ぐらいは一緒だったりするので、極端にsalon musicと変わってるつもりはないんですよね。

―最近プロデュースされてるバンドで一番若いのっておそらくSISTER JETだと思うんですけど、彼らも古い音楽好きですもんね。それこそ、10代のバンドのプロデュースとかだと変わるかもしれませんね。

吉田:たまにテレビで若いバンドの登竜門的な番組とか見ると、音楽的な蓄積とかボキャブラリーが薄かったり、ないバンドが多いなって思うことがあって。若いって言っても、もう18~19だろって思っちゃうんですよね。自分のその頃を考えると、もっとあった気がするし。

竹中:たぶん今の子たちって、バンドをやってることが第一義で、聴いてることが第一義じゃなかったりすると思う。私たちとかもうちょっと下の世代までは、リスナーから派生してバンドを組むっていうパターンの方が多くなかった? それが今の子たちは、まず楽器を持ってから始めるっていう子が多い気がする。楽曲的にはパターンが一個だったりするかもしれないけど、その子の個性で行くっていう。

―それ、すごくわかります。4年前ぐらいの『MUSIC MAGAZINE』の渋谷系の特集で、小西(康陽)さんが渋谷系の定義を「音楽より自分が好きな人ではなく、自分よりも音楽が好きな人が作る音楽」って言っていたのを思い出しました。

竹中:ああ、そうかもしれない。でも、音楽より自分が好きな人も何人かいましたけどね(笑)。

2/3ページ:ニューウェイブの時代にカセットで音楽を聴いてたような感覚がそこにあったんですよ(竹中)

ニューウェイブの時代にカセットで音楽を聴いてたような感覚がそこにあったんですよ(竹中)

―先ほど竹中さんが吉田さんについて「たまってるものがあったと思う」とおっしゃっていましたが、実際いかがですか? 9年の間に、「salon musicをやりたい」って思っていた時期もありました?

吉田:漠然となんだよね。そう思っても、やるかっていったら結構腰が重かったりもするし。やったらやったで大変なのはわかってるんで。

吉田仁

竹中:時間が空いたときに作った素材がよかったんですよ。「こういうことをやりたかったんだな」っていうのが、わりと直に伝わってきて。1枚目を作ってた頃の衝動みたいな、音の感じじゃなくて、ニューウェイブの時代にカセットで音楽を聴いてたような感覚がそこにあったんですよ。

吉田:イメージがすごく明確で、そのとき作ってたのは1978~79年のイギリスのポストパンク、特に意識してたのが、当時徳間ジャパンから出てた『Clear Cut』っていう、ラフトレードとかインディのアーティストのシングル盤を集めたコンピレーションがあって、それが当時2人ともすごく好きで。そのイメージで作り始めたから、だから(竹中が)そう感じたんだと思う。

竹中:うん、仁くんがプロデューサーからそこに戻ったことで、衝動を感じたんだと思う。それで私も、「いいじゃん」ってすぐに言ったんですけど、そこから「じゃあ作ろう」とはならなくて。でも、その頃ブルックリンとかあの辺から出てきた音楽が面白くて、素直に聴けてたから、ちょっとずつ作れるかなって感じにはなって。

吉田:とはいえ、空いてた1ヶ月半は意外とすぐに過ぎちゃって(笑)。

竹中:「作ります」って宣言してからほったらかしになってて(笑)。ただ、そのときにまず仁くんに言ったのが、「仁も歌いましょう」ってことで。初期は半々ぐらいで歌ってて、それがすごくよかったんですよ。当時好きだった人も仁の声が好きだったっていう確信はあって、90年代はあんまり歌わなくなってたけど、「私と同じぐらいのボリュームで歌ってみよう」って言って、「うん」って言ったから…

吉田:そこがオッケーじゃないと作れない気がして(笑)。

竹中:それが70年代後期~80年代の気分が投影される基本だったかもしれない。

最初は「2~3曲叩いてくれない?」って言ったんですけど、スタジオが迫ってくるに連れて、「この曲も、この曲も」ってなって、最終的に「ちなみに8曲1日で叩ける?」って、叩いてもらいました(笑)(吉田)

―ブルックリンもそうだし、00年代以降ニューウェイブやポストパンクのリバイバルがあったわけで、そういうものに背中を押されたような側面もあったんでしょうか?

吉田:背中を押されたっていうか、そこは芯からリスナーとして楽しんでいたので、いつの間にか影響されたっていうのはあるかもしれない。初期のポストパンクと、今のブルックリンの音と、ずっと並行して聴いてたから、そこは自然と入ってるかなって。

竹中:既視感もあったよね。かつて見た景色みたいな。聴いたことはある感じだけど、何かがあった後に出てきた今の音の感じっていうか。

吉田:みんなそういう感じだよね。DIRTY PROJECTORSとかもそうだし。

―アナログフィッシュに取材させてもらったときも、吉田さんとVAMPIRE WEEKENDの話で盛り上がったと言ってました。

吉田:一緒に仕事するまでアナログフィッシュがそんなに聴いてると思ってなかったんですけど、全く聴いてるものとか好きなものが一緒で、スタジオに行く車の中でもそういうのばっかり聴いてましたね。

―アナログフィッシュの斉藤州一郎さんがドラマーとして参加してるのは、そこでのシンパシーも大きかったわけですか?

竹中:言語が通じるのがまず大事ですからね。でも、ずっとプログラミングで録音してて、ホントに最後にドラムを入れたんですよ。

吉田:結構細かく作ってたので、最後まで打ち込みで行きたい気持ちもあったんですけど、アナログフィッシュのドラムを聴いてたらすごく合うような気がして。実は最後の"WAKE UP SISTER"を生ドラムに差し替えたいと思ったのが発端なんですね。この曲は2年前に最初に作った曲で、時間が経って新鮮味がなくなってきちゃってて。で、僕が「生ドラムにしたい」って言ったら、「前々から言ってたでしょ!」って言われて(笑)。

竹中:叩けるドラマーがいれば入れたいとは言ってて。それで、アナログフィッシュを仁くんがやったのを聴いて、「彼なら叩ける」と思ったんですよね。

吉田:最初は"WAKE UP SISTER"含めて、「2~3曲叩いてくれない?」って言ったんですけど、スタジオが迫ってくるにつれて、「この曲も、この曲も」ってなって、最終的に「ちなみに8曲1日で叩ける?」って、叩いてもらいました(笑)。ちゃんと事前に「スタジオに入って合わせてみました」ってファイルも送ってくれて。

竹中:そのファイルが曲なしのドラムだけのファイルで(笑)。でも合わせて聴いたら、ばっちりでした。

3/3ページ:塊をみんな飲み込んじゃってるっていう、そういうことだと思う(竹中)

塊をみんな飲み込んじゃってるっていう、そういうことだと思う(竹中)

―今のファイルの話もそうですけど、この9年というと、制作の環境も大きく変わったと思うんですね。その変化についてはどう感じていますか?

竹中:中間の流通が全くなくなってるわけじゃないですか? ファイルが送られてきてドラムを合わせられる代わりに、今までそこにはスタジオを使ったり、配達する人がいたり、ショップで買ったりとか、そういう中間が削除されてるわけですよね。だから、全体の相対的な量は縮小していて、それが単純にものすごく不安に感じますね。

吉田:音楽だけじゃないってことだよね?

竹中仁見

竹中:そうそう。音楽だけじゃなくて、こんなに人がいるのに、いらないものがいっぱいできちゃった。YouTubeとかもそうだけど、色々なものがすぐ近くに並列で部屋の中にある状態っていう。いい悪いじゃなくて、そうなってきてる。で、これから更にそうした状態が形作られていくから、みんなそれに備えなきゃいけないってすごく思います。大変だと思いますよ、若い人たち。


―今の話って、『Sleepless Sheep』というタイトルにも関わってたりしますか?

竹中:そこはやっぱり震災のことがあるんですよね。体の調子が悪かったときも不安感はずっとあったんですけど、震災以降はその不安感がより大きな形になって、日本を覆いましたよね。東京も、一日一日死ぬまで生きるみたいな共通項が心の中に芽生えませんでした? それなんですよね。

―Sleeplessな、漠然とした不安感はありますもんね。吉田さんは震災以前と以後でどんなことを感じられました?

吉田:音自体は全然影響を受けていなくて、最終的な仕上がりもタッチも変えてないし、詞の世界観は3月以降に書かれたような内容になってるけど、実は震災以前に書いたものなんですよ。

―アナログフィッシュもそうでしたもんね。『Sleepless Sheep』のアートワークを見て、アナログフィッシュの『荒野 / on the wild side』っていうアルバムタイトルを思い出したりもしました。

竹中:感じてる人は、震災以前からずっと不安を感じて生きてきたんだと思うんですよ。

吉田:プロデュース作業をしていても、震災が一人一人の中にいろんな意味で影を落としてるっていうのは感じて。それをてらいなく押し出そうっていうことを、特に詞を書く人、歌ってる人からは感じて、一緒に仕事してるとそういう人たちの気分が乗り移ってくるっていうか。だから、気分とか取り組む姿勢は変わってるんだろうけど、このアルバムの音がそれによってどう変わったっていうのはないんですよね。

竹中:多分みんなそうだと思う。普通にテレビに出てるような人たちも、お笑いの人とか、仕事にそれが出てるわけではなくて、でも何か塊(かたまり)みたいなものがみんなどっかに一個あるっていう感じの共通項なんだと思う。

―表出はしていなくても、共通のムードは抱えてると。

竹中:塊をみんな飲み込んじゃってるっていう、そういうことだと思う。

結局変わんないんだよね。でも、意識としては、3月以降の気分がどこかにあるっていう(吉田)

―竹中さんは一時期音楽を楽しめない時期があったとのことですが、salon musicとしてひさびさに作品を作り終えた今はどうですか? 今後も音楽を楽しめそうですか?

竹中:どうなんだろう…わかんないな。これからは世の中の空気とわりと連動してくる気がしますね。自分と世の中の。

吉田:その周期は前からあるんだよね。80年代からあるの。それがどれだけ重いか長いかは色々あるけど、でも最終的に音楽を嫌いになってはないもんね。

―音楽への愛情はもちろん根底にありつつ、世の中の空気とも連動していく。『Sleepless Sheep』に関しては、震災後の空気が反映されたと。

竹中:最後の詰めがおのずと丁寧になったというか、一日一時間、いい加減にはしたくないっていう感じですね。最後の方は、微に細に詰めていく感じがあったと思います。

吉田:でも『MASH』(1995)の帯にも「念には念を入れて」ってあったよね。

竹中:そうなんだよね!

吉田:それもディレクターの櫻木くんが僕らの制作姿勢を見て書いてたわけだから、結局変わんないんだよね。でも意識としては、3月以降の気分がどこかにあるっていう。

竹中:今日やりたいと思ったことはやっておこうっていう感じかな。その感じは今何となくみんな持ってますよね。

リリース情報
salon music
『Sleepless Sheep』

2011年11月16日発売
価格:2,500円(税込)
PECF-1034 / felicity cap-130

1. SLIDER
2. IT'S A LITTLE THING
3. BEDROOM
4. MY STRUGGLE
5. TELL ME YOUR THOUGHTS
6. SIGNS OF WATER
7. RAINCOAT
8. JUST IN THE SUMMERTIME
9. IMMATURE CREATURE
10. RAINSTORM
11. WAKE UP SISTER

プロフィール
salon music

1981年、英国SOUNDS誌ジャパニーズテクノポップチャートで、セルフレコーディングのカセットテープ「hunting on Paris」がNo.1に。82年、英国フォノグラムレコードよりリリースの「Tokyo mobile music」に収録され、のちにシングルカットされる。90年頃から吉田仁は他のアーティストの作品のプロデュースやミックスを多数手がけている。現在までに13枚のオリジナルアルバムをリリース。



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