遺品を撮る写真家・石内都 「他人の痛みは誰にもわからない」

2004年、メキシコを代表する女性画家、フリーダ・カーロの死後50年を経て彼女の遺品が封印を解かれた。身体の不自由や、近代化するメキシコに翻弄されながらも「生きること」そのものを力強く描き続けた女性。その遺品を撮影するプロジェクトの依頼を受けた写真家・石内都に密着したドキュメンタリー映画が、『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』である。はじめはフリーダに特別な感情を寄せていなかった石内だが、3週間にわたる撮影を通して、フリーダの「痛み」と向き合い、様々な物語を纏った重苦しい彼女のイメージを解きほぐし、一人の女性としての鮮やかなフリーダ・カーロ像を生み出していく。それは、広島の被爆者たちの遺品を撮影した近年の代表作『ひろしま』での仕事にも共通する、彼女ならではの「対象を特別視しない」まなざしだ。世の中に氾濫するイメージにとらわれずに、いかに自らの目で見るか? 出会いやチャンスをどのように自らのクリエイションに結びつけるのか? メキシコシティのフリーダの庭にあったのと同じ花が咲くという青々とした庭を臨む、横浜の自宅で話を聞いた。

フリーダ・カーロに対する世の中のイメージというのは、大きく膨れているんです。でも実際に作品と遺品を目にしたら、前もって仕入れた情報が全く役に立たなかった。

―この映画は、石内さんがメキシコでフリーダ・カーロの遺品を撮影する様子が1つの軸となっています。映画化について、小谷忠典監督からはどのようにオファーがあったのでしょうか?

石内:メキシコに行く10日くらい前に彼から電話があって、私の映画を作りたいので取材させてほしいと言われたんです。でも、もうすぐメキシコに行っちゃうから、難しいんじゃない? って。

石内都
石内都

―むしろ断ったんですね。

石内:そう。でもなかなか電話を切らないから、「メキシコまで来るなら来てもいいわよ」って。まさか本当に来るとは思わなかったんだけど、彼はスタッフを揃えて来たんです。メキシコまで来て断るわけにはいかないじゃない?(笑) 実際には小谷さんはすごく優しい方で、全然ジャマにならなかったんですよ。映画を撮られていることを気にせずに、自然な感じでフリーダの遺品を撮影する仕事に集中できました。

―映画の中でもおっしゃっていますが、石内さんは当初、フリーダにそれほど関心がなかったそうですね。

石内:そうですね。彼女の作品や人柄に興味を持っていたわけではなかったので、ごく一般常識的なことしか知りませんでした。でも仕事の依頼をいただいたから、日本で読めるフリーダの関係書を全部読んだのね。それで、「ああ、こういう人か」と頭に入れてから向かったんだけど……。

フリーダ・カーロ ©ノンデライコ2015
フリーダ・カーロ ©ノンデライコ2015

―実際はどうでしたか?

石内:まったく役に立たなかったの(笑)。やっぱり、フリーダにまつわる世の中のイメージというのは、大きく膨れているんです。ポリオにかかって子どもの頃から右足が不自由だったことや、10代の頃にバスで大事故に遭って重傷を負い、晩年は寝たきりの生活だったこと、夫のディエゴ・リベラだけでなくイサム・ノグチや(レフ・)トロツキーとの奔放な恋愛のエピソードも含めて、彼女をとりまく物語が山のようにあるんですよ。その物語性というのは、女性アーティストの場合はどうしたってスキャンダラスに取り上げられがちで、そこばかりが大きくなっていく。私もフリーダのことをそうしたイメージでしか見ていなかったんだけど、実際は全然違ったんです。

写真家というのは、本物を目の前にすればいろいろなことが自ずと見えてくるものだと思います。

―石内さんの中で、フリーダ・カーロへの理解はどんなふうに変化していったのでしょう?

石内:まず、これまでフリーダの実物の絵を見たことがなかったんです。印刷物だとイラストっぽいというか、テーマ性が強く出過ぎるせいで、逆に軽く見えちゃうんですよ。でも油絵の筆づかいを目の当たりにしたら、絵画的な存在感が強く迫ってきて、ちょっとびっくりしちゃって。非常に完成度が高くて、感動してしまったんです。

©ノンデライコ2015
©ノンデライコ2015

―ガラリと印象が変わった。

石内:慌てて情報を集めて現地に行ったわけだから、私自身もやっぱり先入観でフリーダを見ていたわけです。それが、現実に彼女が住んでいた空間と、彼女の着ていたもの、描いた絵を目にしたときに「わあ、これはすごい」と。

―映画の中でも、石内さんのフリーダに対する思いの変化が、撮影にも影響していく様子が見てとれます。

石内:写真はフィルムで撮っていますから、撮ってる最中はどう写ってるかわからないじゃないですか? 最初は珍しく緊張していて、前半は自分でもよくわかってないところがたくさんあったんだけど、途中で一度現像所に行ってプリントを見たときに、「ああ、フリーダはこういう人だったんだ」とわかって感動したんです。やっぱり写真家というのは、本物を目の前にすればいろいろなことが自ずと見えてくるものだと思います。それでもう一度、気持ちを変えて撮らなければと思ったのが後半ですね。

©ノンデライコ2015
©ノンデライコ2015

―自分が撮った写真に気づかされるというのが、写真の面白いところですよね。無意識で捉えていたものが写り込んでいたり。

石内:だからなんだろう、フリーダが呼んでくれたように思えました。彼女はもういないけれど、遺品を通して、彼女の匂いや体のかたち、皮膚感覚、身体的なものも含めて感じることができたというか。やっぱりそういうリアリティーがないと、シャッターが押せないですから。

―フリーダを好きな人というのは、熱狂的に好きな印象がありますが、石内さんは撮影後もそういう感情とはまた少し違いそうですね。

石内:彼女に熱狂しているわけではなく、同じ女性として、表現者として、しっかり生きた一人の女性に出会ったということが一番大きかった。そういう実感が写真には出ているのかなと思います。だから結局、私はすごく得しちゃったのよ(笑)。

遺品は何もしゃべらないわけです。だから独断と偏見で撮るしかないのですが、それを自覚した上で、その「独断と偏見」をはっきりと自分の中に持つことが大事。

―この仕事の前に取り組まれた『ひろしま』(2008年)のシリーズは、広島で被爆して亡くなった市民たちが着ていた衣服を撮影されています。フリーダの遺品を撮影した作品同様に、それまでの広島に対するイメージを一新するものとして大きな反響を呼びました。石内さんの写真からは、遺されたものの「声」を聞くという姿勢を強く感じます。

石内:現実的には遺品は何もしゃべらないわけですよね。だから、ある種の思い込みと、こうあってほしいという願望……言ってみれば独断と偏見で撮るしかないわけですよ。それをはっきりと自分の中に持って、関わるときにはきちっと全責任をもって、中途半端にしないということ。だから私が撮影した写真に対して、何を言われても私の責任です。

石内都

―石内さんがいざフリーダを撮り始めたときに、まず最初に靴とコルセットを撮影しましたよね。

石内:やはりそこにフリーダの特質が表れていると思ったからです。彼女は6歳で小児マヒに罹り、後遺症で右足が短かった。身体的なハンディキャップをどうやって補えばいいかをすごく考えていたので、靴も左右でかかとの高さが違いました。さらに18歳のときに、乗っていたバスに電車が衝突するという大事故に遭ったんですよね。折れた鋼鉄の手すりがフリーダの下腹部を串刺しにするような凄惨なものだったそうなのですが……。そうやって傷ついた体を支えるためのコルセットは、実は使ってないものがいっぱいあったんです。

Frida by Ishiuchi #34 © Ishiuchi Miyako
Frida by Ishiuchi #34 © Ishiuchi Miyako

―ああ、そうなんですか。

石内:あれだけのコルセットを全部使っていたとはちょっと思えなくて。じゃあなぜあんなに集めていたかというと、たぶんそれが彼女の希望であり、夢だったんだと思うんです。だから世界中から取り寄せたんじゃないかと。コルセットをギュッと締めることで、痛みが止まるかどうかはわからないけど、何か夢を託す象徴として集めていたんじゃないかというふうに、私は勝手に考えたの。

Frida by Ishiuchi #109 © Ishiuchi Miyako
Frida by Ishiuchi #109 © Ishiuchi Miyako

―なるほど。

石内:映画にも出てくるけど、封印されていたバスルームにはモルヒネや薬がたくさん残っていたんです。フリーダにとって「痛み」というのは一生つきまとったものであって、その痛みを乗り越えるのはすごく大変なことだったと思います。絵を描くことは、痛みから逃れることでもあったかもしれない。

Frida by Ishiuchi #46 © Ishiuchi Miyako
Frida by Ishiuchi #46 © Ishiuchi Miyako

―石内さんの写真というのも、遺品という「重たい記憶」を写しているはずなのに、その「痛み」を劇的に演出することはせず、むしろその手あかのついた記憶を浄化するような、風通しの良さを感じます。映画の中でも、35mmのNikonのカメラ1台を手で持って自然光の中で撮影している様子がとても軽やかで。

石内:撮影では、当時のフリーダが着たらこんな格好になるんじゃないか? ということを想像して、立体的にととのえて撮るんです。だから私の写真は創作なんですよ。遺品という現在のかたちをただ単に素直に撮っているわけじゃない。それは『ひろしま』でも同じです。

初めて広島に行って、タクシーの窓から原爆ドーム見たら、思っていたより小さくて、本当に健気で、こんなにかわいいんだって。これなら撮れると思ったの。

―『ひろしま』のときも、撮影に行くまでは一度も広島を訪れたことがなかったそうですね。フリーダ・カーロの仕事も、それまで縁のなかったメキシコからのオファーでした。在日米軍の影響が濃い地元・横須賀の街を撮影した『絶唱・横須賀ストーリー』(1978年)や母の遺品をおさめた『Mother's』(2003年)など、デビューから私的なテーマを作品にしてきた石内さんが、ある時期から依頼された仕事を引き受けるようになったのは、何か理由があるのでしょうか?

石内:まず、1979年に女性として初めて『APARTMENT』という作品で『木村伊兵衛賞』をもらって、あらゆる雑誌から仕事がきました。でも依頼仕事をしたことがないので、その中で1社だけ1回やろうと決めて、やってみたけどつまらなかったの(笑)。全然ダメで、もうノイローゼになっちゃって、それから頼まれた仕事で写真撮るのは一切やめたんです。

石内都

―そうだったんですか。

石内:私は写真を独学で撮り始めたから、現場を知らないということもあったんだけど、とにかくくたびれるし、緊張するし。それで80年からはずっと自分の好きな写真しか撮ってこなかったんですけど、『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の凱旋展を東京都写真美術館でやったとき(2006年)に、そこで作品を見たある編集者から電話がかかってきたんです。電話では、ただ「会いたい」としか言われなかったんですけど、その編集者というのが以前1回だけ仕事して失敗したのと同じ出版社の所属で(笑)、とにかくすぐ断ろうと思って翌日会いに行ったら、「広島を撮りませんか?」って言うわけ。えっ、なんで私が広島を撮るの? って。

―予想もしてなかった依頼だったと。

石内:でも、広島と言われたときに、断る理由というか、断る言葉が見つからなかったんです。それで1週間くらい考えたんですけど、とにかく行ってみようということで、広島で被爆した跡地を2日くらいかけて全部ロケハンして回ったんですね。その中に原爆資料館があって、地下のスタジオで遺品を見せてもらい、持っていったライトボックスに乗せたら、何だかいいなと思って。それで原爆資料だけで1冊作ろうと決めました。

―それも不思議ですね。最初は断ろうと思ってたら……。

石内:それもまあ、広島に呼ばれたんだなと思いましたけどね。初めて広島に行って、タクシーの窓から原爆ドーム見たら、思っていたより小さくて、本当に健気で、こんなにかわいいんだって。これなら撮れると思ったの。

―それもやっぱり行く前は広島に対するある種のイメージがあったと。

石内:もちろんそうです。だから、私もイメージに毒されている人ですよね。行ったことないもの、見たことのないものに対しては、世間一般の常識レベルでしか理解できないわけだから。

石内都

―でもそこで、現物を見てもイメージをトレースして終わってしまう人も多いと思うんです。

石内:現物を見たときに、私の中の今まで間違っていたことがとってもはっきりするんです。それはフリーダのときもそうでしたし、それが私の特性かもしれないわね。まあ、素直馬鹿みたいな(笑)。それが自覚できると「あ、撮れそうだ、私にも撮るべきものがある」って思えるんです。広島はたくさんの人が撮っているわけだけど、今までは土門拳(1909年生まれ。リアリズム写真を標榜した日本の写真家)から始まって、ずっと男たちの被写体の歴史なんです。それと私が驚いたのは、広島ってモノクロームのイメージでしょ? でも遺品の色はすごく綺麗だし、模様はかわいいし、デザインも素敵だし。何だ、違うじゃん! って。もんぺ履いて防災頭巾被って……という想像をめぐらせていたので、びっくりしてしまって。

―石内さんの写真を見て、私たちも初めて気づいたと思います。

石内:一番最初に撮った黒いワンピースがあるんだけど、これはパッと見て、まるでコム・デ・ギャルソンみたいだと思いました。あとでファッション関係の資料を読んで知ったんですが、川久保玲(コム・デ・ギャルソンのデザイナー)が初めてパリコレに行ったときに、「原爆ルック」とも言われたそうです。だから逆説的だけど、私の感じたことは正しかったんだなと。それは本当に嬉しかった。

他人の痛みというのは究極的には誰にもわからないものだと思います。

―フリーダの服も原爆資料館の遺品も、当時の服は皆手作りですよね。映画の中では服のことを「第二の肌」という言葉で言い表していましたけど、ファストファッションが全盛の時代に、あらためて服の意味を考えさせられました。

石内:結局、人間の肉体っていうのは非常に軟弱で危ういものなんですよ。フリーダの場合はそれが顕著で、自分の体の痛みをフォローしてくれるのが洋服でありコルセットや靴だった。お洒落かどうかも大事だけど、それは二次的なものでね。彼女の痛みはちょっと極端だったというだけで、別に他の人間だって同じですよ。基本的には肉体というのは滅びるものだから。

Frida by Ishiuchi #59 © Ishiuchi Miyako
Frida by Ishiuchi #59 © Ishiuchi Miyako

Frida by Ishiuchi #28 © Ishiuchi Miyako
Frida by Ishiuchi #28 © Ishiuchi Miyako

―身体や傷というのは、石内さんがずっとこだわっているテーマですが、続ける中で見えてきたものはありますか?

石内:他人の痛みというのは究極的には誰にもわからないものだと思います。私もフリーダの遺した薬や、広島の被爆者たちを見て、「想像を絶する」という言葉の意味が初めて実感としてわかったんです。つまり想像を絶するということは、「わからない」ということなんだと思う。その意味が、なんとなくわかってきた。「絶対に私にはわからない」ことがたくさんあるんだということがね。当事者と非当事者間の問題もそうで、その溝はどうしても埋めることはできないけど、そこに気づくことからようやく始められることがあるというか。

―小谷監督はこの映画でメキシコの「死生観」というところにも焦点を当てていますが、石内さんにもメキシコ滞在中に親しい友人の思いがけない訃報が飛び込んできます。

石内:はじめはこの映画と直接関係ないことだと感じたので、映像を見たときに外してほしいと思ったんです。でも、やっぱりドキュメンタリーも写真と同じで、現場で出会うというのがかなり大きいことだから、小谷監督にとってはすごく意味があったんだろうと思います。2回目に見たとき、私も友人がこういうふうなかたちで映画の中に生き残ったんだなと思えるようになりました。ま、一度撮影の許可をしたんだから、文句言わないで最後まで彼に任せようと(笑)。

石内都

―監督は、これまで強い影響を受けてきた石内さんの映画を撮ることが自分にとって必要だったみたいですね。「石内さんと対決しないと次に進めないと思った」という言い方をされていました。

石内:あら、そう? でも監督は学生の頃からずっと私の作品をよく見ていてくれたみたいで、この映画を見た人が「監督は石内さんに対する愛があるね」って言ったの。なんだかそれは言い当てているというか、第三者がそういうふうに言うということは、伝わっているんだなという感じがしますね。一方的に誰かと出会うことはできないから、出会いというのは相手も反応しないと起きないわけですよね。今回の映画もフリーダ・カーロと小谷監督、私のタイミングが合って、いろいろな人の想いみたいなものが1つのかたちになった作品なのだと思います。

作品情報
『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』

2015年8月8日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開
監督:小谷忠典
出演:石内都
製作・配給:ノンデライコ

プロフィール
石内都 (いしうち みやこ)

写真家。1947年群馬県生まれ、横須賀育ち。初期三部作「絶唱、横須賀ストーリー」「APARTMENT」「連夜の街」で街の空気、気配、記憶を捉え、同い歳生まれの女性の手と足をクローズアップした「1・9・4・7」以後身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。'79年第4回木村伊兵衛賞。 '99年第15回東川賞国内作家賞、第11回写真の会賞、'06年日本写真協会賞作家賞受賞。'05年「Mother's 2000-2005 未来の刻印」でヴェネチア・ビエンナーレ日本代表。’08年に発表した写真集「ひろしま」(集英社)、写真展「ひろしま Strings of time」(広島市現代美術館)では、原爆で亡くなった人々の衣服を撮影。衣服をまとっていた人々がいまそこに在るように写し出したその作品群は話題を呼んだ。‘14年、日本人で3人目となるハッセルブラッド国際写真賞を受賞し、各方面で更なる注目を浴びている。



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