三潴末雄が語る、アート作品のアプリ化が生む美術の新たな可能性

東日本大震災を機に3年以上の歳月をかけて生まれた、池田学の巨大かつ細密なペン画『誕生』。3×4mの画面を覆うように描かれた巨木は、大波のなか花を咲かせる。さらに絵に近づけば、それが自然の花々ではなく、全てが池田によって創造された人工の花々であることに気づかされる。その細部には無数の想いを宿した描き込みがちりばめられ、つながり合うことに驚くだろう。

2017年、この『誕生』を軸にした国内各所の池田展は累計約30万人を動員し、池田の出身地である佐賀県の県立美術館にコレクションが決まった。近い将来にはアメリカでの巡回展示も計画されている。

その『誕生』を超高精細データで隅々まで鑑賞できるアプリが、『Hi-Res ART 池田学「誕生」のすべて』だ。アプリ制作の発端は、会田誠や山口晃らを支えてきたミヅマアートギャラリーの三潴末雄が、池田のこの傑作を最良のデジタルデータで記録したいと考えたことだった。

相談を受けたのは、国内外の貴重な文化財のデジタルアーカイブやVR作品の製作・公開でも知られる凸版印刷株式会社。自社開発の文化財専用大型スキャナーで超高精細にデジタルアーカイブするだけでなく、さらに、誰もが『誕生』の世界へ潜り込めるアプリ制作を逆提案し、実現させた。今回、彼らがみた池田ワールドの魅力や、新しいアート鑑賞の可能性について話を聞いた。

21世紀は、培ってきた文化を逆に世界へ向けて翻訳し、伝えていくことが必要になる。(三潴)

—「コンセプト勝負一辺倒になった現代アートの閉塞の中で(中略)ダイレクトな“絵”の力を確かに備えている」。三潴さんは自著『アートにとって価値とは何か』(2014年刊、幻冬舎)の一節、「池田学の求道と超越」で彼をこう評していますね。

三潴:池田の技法は、丸ペンにアクリルのカラーインクを付けて紙に描くというもので、色面もすべて細かい描線の集積から成っています。それをあの大きさと細密さとでやり切るには、構想力と同時に修行僧のような忍耐力も必要。『誕生』も、完成までに約3年半かかりました。

『誕生』2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 佐賀県立美術館蔵 デジタルアーカイブ:凸版印刷株式会社 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
『誕生』2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 佐賀県立美術館蔵 デジタルアーカイブ:凸版印刷株式会社 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore

三潴:僕の別の著書『手の国の鬼才たち』(2015年刊、求龍堂)でも書きましたが、日本は農業国家であったから、すごく手を使うわけです。だから、手を非常にたくさん使うもの作りは、日本らしさのひとつではないでしょうか。江戸期は特にそうだし、戦後も車や機械のもの作りで世界をリードしてきた。

池田はそこに通じる精神性を持ちつつ、「神は細部に宿る」的な表現と、絵画を全体として成立させる構想力も持ち合わせているのが特徴だと思います。

—三潴さんの率いるミヅマアートギャラリーは、日本独自の風土や歴史に根ざした表現で、世界に発信できるアーティストを発掘・支援しようという姿勢が強い印象です。

三潴:日本の明治以降の美術は、多くが欧米の模倣から始まっています。欧米の知性の翻訳によって自分たちの日本を分析し、生き方を構築してきた面があり、美術もその流れのなかにあった。

ただ、そういう時代は20世紀で終わったのではという気持ちがあります。21世紀は、これまで日本が培ってきた文化を逆に世界へ向けて翻訳し、伝えていくことが必要になる。すでに企業はそうして輸出を続けていますが、ある意味、文化も同じだと思うのです。

たとえば、わびさび、不完全の美、婆娑羅(ばさら。粋で華美な服装や振る舞いを好む、日本の中世の美意識)など、古くからの価値観の魅力に気づいた人たちから、新しいものが生まれてきている。チームラボなどはその一例ですね。

三潴末雄
三潴末雄

三潴:一方で、欧米的知性の行き着いた結果は、豊かさを生んだ反面、公害や格差も生み出し、世界中で若い人たちが不安に苛まれている。そして、日本は残念ながらその最先端にいるとも感じます。でも、だからこそ生まれた独特な表現もあって、たとえばアニメーションやマンガの作品にはそれが顕著なものもありますね。

こうしたこと全体を、安っぽいナショナリズムにはならないかたちで考えていくべきだと思います。僕のギャラリーの扱う表現は、10年位前はアートフェアでも「ドメスティックすぎる、国際的な現代アートではない」など散々言われてきましたが、最近はむしろ歓迎されている感があるんです。

三潴末雄

池田は世界にインパクトを与え得る才能だと、私は思っています。(三潴)

—そのなかで、池田さんの存在をどのようにとらえていますか?

三潴:池田は東京藝大(美術学部)のデザイン科卒で、担当の先生は日本画家の中島千波さんでした。中島さんの作品でよく知られるモチーフのひとつに桜がありますが、池田は『誕生』の制作に臨む際、改めて中島さんの桜を見直したと聞いています。彼には、そういう日本の先達との興味深いつながりがあります。

『誕生』を制作中の池田学(撮影:Clayton Adams)
『誕生』を制作中の池田学(撮影:Clayton Adams)

三潴:他方、池田の本格的な評価は、むしろ海外のほうが早かった感もある。『誕生』が生まれた場所は、アメリカのチェゼン美術館で、深見陶治(1947年生まれの陶芸作家)の作品なども収蔵する、日本の芸術に関心の高い施設。

ここの館長がニューヨークでの『バイバイキティ!!! 展』(2011年、ジャパンソサエティギャラリー)で池田に注目したことが、3年間の滞在制作のきっかけになりました。これを経て、数年後にはアメリカでの巡回展示も計画されています。世界にインパクトを与え得る才能だと、私は思っています。

完成したての現代美術作品をデジタルアーカイブするのは、初と言って良い試みです。(奥窪)

—『誕生』の超高精細データを自在に拡大し、隅々まで鑑賞できるアプリ『Hi-Res ART 池田学「誕生」のすべて』を開発したのは、凸版印刷の奥窪宏太さんたちです。凸版印刷の皆さんは、どんな想いからこのプロジェクトに臨んだのでしょう?

奥窪:これまで我々は、主に歴史的な文化財などを対象にデジタルアーカイブやVR作品の製作・公開を行なってきました。ですから、完成したての現代美術作品をデジタルアーカイブし、コンテンツ化するのは今回が初と言って良い試みです。

凸版印刷が開発した文化財専用の大型オルソスキャナーを使った『誕生』のデジタルアーカイブ。12分割で画像を歪みなく取得、約30億画素でのデータ化を実現した。(写真提供:凸版印刷)
凸版印刷が開発した文化財専用の大型オルソスキャナーを使った『誕生』のデジタルアーカイブ。12分割で画像を歪みなく取得、約30億画素でのデータ化を実現した。(写真提供:凸版印刷)

奥窪:最初はシンプルに、あの緻密な描写の『誕生』を高精細にデジタルアーカイブするなら、絶対に拡大してじっくり見たくなるだろうな、という考えがありました。実物を見る体験は、何よりも重要かつ感動的ですが、その一方で、線の一本が見えるほど拡大して、じっくり隅々まで見ることで、一層作品の凄さが伝わる部分もある。そこで、誰もが手元から作品世界に潜り込めるようなものができたらと考え、アプリ開発に至りました。

奥窪宏太(凸版印刷株式会社)
奥窪宏太(凸版印刷株式会社)

—アプリが生まれた発端は、三潴さんが『誕生』のデジタルアーカイブをきちんと残しておきたい、と考えたことだと聞きました。

三潴:ギャラリストとして何をすべきかは、常に考えています。偉そうなことを言うと、自分としては池田のような人間との出会いを通じて、歴史に残る作家たちを輩出していきたいんです。ただ、この先の歴史は今までとも違う。たとえばこの先にAIの時代がやってきて、人々が今以上に手を使わなくなっていくとすると、どうでしょう。

我々はヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲル(それぞれ15、16世紀の画家。奇想あふれる細かな描き込みが特徴)の絵を見て、「500年前の絵がスゴイ!」と驚くけれど、たぶんこれから100年後、もしかしたら50年後には、池田の絵が「コンピュータではなく人間がやってたの?」と驚かれる時代がくると思うわけです。そのとき、作家がどのように考え、どう作ったのかを記録に残していくのも、自分の仕事かなと思ったんですね。

描いた池田自身も、あのアプリで隅々まで見直すことで発見があったんですよ。(三潴)

—特に『誕生』のような作品はその必要性を感じた?

三潴:そうですね。それに3×4mの大作ですから、普通に展示したら上部のディテールは近くで見てもらえない。そこに対して何かできたら、というのもありました。ですから、凸版印刷さんからアプリ制作の逆提案をもらったとき、「これはいいね」となった。

見えないところまで描ききっているのを伝えられるし、描いた池田自身も、あのアプリで隅々まで見直すことで発見があったんですよ。これはアプリにも映像が収録されている池田とのトークイベントで起きたことで、彼も忘れかけていたディテールや、その背景にあったものを思い出したようです。彼は下絵なしで描き始め、どんどんアイデアがわき出すタイプなので、そういうことが起きるわけです。(特集:池田学インタビュー「池田学が明かす、桁外れな緻密さと圧倒的スケールで描く制作の裏側」を読む)

左から:奥窪宏太、三潴末雄

奥窪:利用者に豊かな発見をもたらしたいと思いアプリ制作を行いましたが、その体験が作家さん自身にも生まれたというのは、想定外ながらすごく嬉しいですね。

三潴:絵のなかに発見があるというのは、実はなかなか得難い体験です。池田が『誕生』で描いた花々は、よく見ればどれもそれぞれ違う。全て人工的な花々で、ひとつひとつ池田のアイデアが詰め込まれています。手の形になっていたり、キャンピングテントだったり。大波もよく見ると人の姿だったりして、それは災害で亡くなった方々を思って描いたそうです。ですからそこには単に再生ということだけでなく、祈りに似たものもあるし、東日本大震災はもちろんですが、世界中のことを思いながら描いたのでしょう。本人もそのなかで気づかされ、描かされたことがあるわけです。

アプリで『誕生』の一部を拡大する様子

アプリで『誕生』の一部を拡大する様子
アプリで『誕生』の一部を拡大する様子

三潴:だからこそ、この作品は今まで以上に多くの人に評価されるだろうと思いました。実際、故郷の佐賀(県立美術館)で展示したときは、9万5千人が見に来ました。金沢21期美術館では15万人を超え、東京は日本橋髙島屋で、13日間という短い会期ながら5万2千人。3会場で30万人が見たというのはとてつもないことだと思います。

『Hi-Res ART 池田学「誕生」のすべて
『Hi-Res ART 池田学「誕生」のすべて』 / Google Playでアプリをダウンロードする / App Storeでアプリをダウンロードする

新しい技術が新しい表現を生むということはあり得ると思う。(奥窪)

—そうした状況もふまえ、このアプリを鑑賞方法としてどうとらえるかについては、いかがでしょうか。たとえば、作品実物の展示と組み合わせるなども有効かも?

奥窪:実は今春、佐賀県立美術館の企画展『温故維新-美・技のSAGA-』に『誕生』が展示されるので、そうした試みを予定しています。実物鑑賞では作品全体の迫力や魅力を体感し、アプリでは拡大表示をすることで、精細な表現を鑑賞していただきたいですね。美術作品を扱うアプリにおけるこうした役割の違いも、今回の開発を通じて気づかせてもらえた点です。

三潴:私に関していえば、海外のディレクター、コレクターなど関係者に説明する際にも重用するツールです。特に池田の絵は、全体像がこうで、よく見るとこうした要素が隠れている、といった説明がとても重要ですから。アプリを見せるとよく「これ、実物を買える?」と聞かれて、もう所蔵先が佐賀県に決まったので困る反面、嬉しくもあります(笑)。

左から:奥窪宏太、三潴末雄

—今回のアプリの試みは、あくまで実物ありき、鑑賞の補助ツール的な機能が主だと思います。今後、こうした高精細でスキャンし拡大表示できるという前提をふまえた新しい表現が生まれてくる可能性もありそうでしょうか?

奥窪:我々は印刷会社なので、展覧会図録や画集の制作の知見があり、さらにデジタルを活用することで新たな作品鑑賞の手法として今回のようなアプリ開発にも取り組んでいます。今後、おっしゃるような新しい表現にも関われるチャンスがあれば嬉しいですね。

それこそ印刷技術の発展がグラフィックデザインの領域を発展させたように、新しい技術が新しい表現を生むということはあり得ると思っています。先ほど三潴さんが挙げられた、チームラボさんのような実例もありますね。リアルとデジタルを横断するような作品にも貢献できるのなら、ぜひ挑戦できればと思います。

三潴と凸版印刷のアプリ開発メンバー 左から:八木克人(クリエイティブディレクター)、三潴末雄、奥窪宏太(プロジェクトリーダー)、安西慧(テクニカルディレクター)
三潴と凸版印刷のアプリ開発メンバー
左から:八木克人(クリエイティブディレクター)、三潴末雄、奥窪宏太(プロジェクトリーダー)、安西慧(テクニカルディレクター)

商品情報
『Hi-Res ART:池田学「誕生」のすべて』

池田学氏の絵画作品「誕生」高精細デジタルアーカイブデータを、そのままの品質で鑑賞できるスマートフォン・タブレット端末向けアプリです。好きな箇所を実物以上の大きさに拡大することのできるビューアの他、池田氏の制作日記やこのアプリを用いて開催されたトークイベントの収録動画、作家インタビュー動画もコンテンツとして搭載されており、ビューア機能と合わせて多角的な絵画鑑賞体験を提供します。

イベント情報
肥前さが幕末維新博覧会特別展『温故維新-美・技の SAGA-』

2018年3月17日(土)~5月13日(日)
会場:佐賀県立博物館、佐賀県立美術館
時間:9:30~18:00
料金:一般500円
※高校生以下無料

プロフィール
三潴末雄 (みづま すえお)

ミヅマアートギャラリー エグゼクティブ・ディレクター。東京生まれ。成城大学文芸学部卒業。1980年代からギャラリー活動を開始、94年ミヅマアートギャラリーを東京・青山に開廊(現在は新宿区市谷田町)。2000年からその活動の幅を海外に広げ、インターナショナルなアートフェアに積極的に参加。日本、アジアの若手作家を中心にその育成、発掘、紹介をし続けている。また、アジアにおけるコンテンポラリーアートマーケットの更なる発展と拡大のため、2008年に北京にMizuma & One Galleryを、2012年にシンガポールのギルマンバラックスにMizuma Galleryを開廊した。批評精神に溢れた作家を世界に紹介するとともに、ジパング展等の展覧会を積極的にキュレーションし、その活動の幅を広げている。著書に『アートにとって価値とは何か』(幻冬舎刊)、『MIZUMA 手の国の鬼才たち』(求龍堂刊)がある。

凸版印刷株式会社 (とっぱんいんさつ かぶしきがいしゃ)

1900年創業。1990年代から、印刷テクノロジーで培ったデジタル画像処理技術やカラーマネージメント技術、立体形状計測技術を核に、文化財の高精細デジタルアーカイブに取り組んでいる。さらにデジタルアーカイブデータの公開手法としてVR技術を用いた「トッパンVR」の開発に取り組むなど、新しい文化財の鑑賞手法の開発も行なっている。近年では、デジタルアーカイブデータを用いた多ジャンルのゲストによるトークイベント「VR Visionary Talk」もシリーズ展開。先端技術を活用した、現代ならではの文化財の魅力発信を行なっている。



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