KID FRESINOが伸ばした手の先で追い求める、素晴らしき音楽

ヒップホップは、全世界の才能がしのぎを削り、日進月歩で目覚ましく進化している音楽であるが、2018年1月リリースのシングル“Coincidence”で打ち出した変拍子を用いたバンド形態による先鋭的な楽曲がヒップホップのみならず、幅広いリスナーに衝撃を与えたラッパー / ビートメイカーのKID FRESINO。日本のヒップホップシーンにおける2018年の最大の話題作である彼の新作アルバム『ài qíng』が完成した。

この作品はバンド形態による5曲と自身によるビートを軸に、Seiho、ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)、BACHLOGIC、VaVa、Aru-2がヒップホップとダンスミュージックを横断する楽曲を提供。さらにJJJ、C.O.S.A.、ISSUGI、Campanella、5lack、鎮座DOPENESS、ゆるふわギャングのNENE、Ryugo Ishidaというシーンを代表するラッパーを招き、先進的な作風を鮮やかに切り開いている。そして、音楽面での劇的な進化と共に、日本語と英語が混在し、過去2年における彼の精神の変遷が投影されたリリックが圧倒的なセンスとスキルを併せ持ったラップとなって押し寄せてくる至高のアルバムとなっている。

今回のインタビューでは、今や伝説のグループとなったFla$hBackSの一員として、2013年に19歳でデビューを果たした彼がソロアーティストとして、その才能の全貌を明らかにした現在に至るまでの軌跡を追いながら、中国語で「愛情」を意味するタイトルがつけられたアルバム『ài qíng』の奥深い世界を紐解いていただいた。

どうせ聴いているヤツなんか誰もいないだろうと思っていたから、人の目もクオリティーも気にせず、どんどん曲を作っていた。

—まず、フレシノくんのキャリアを振り返るところからはじめたいんですが、Fla$hBackSのビートメイカー / バックDJとしてデビューしたのが2013年。そして、その前年からラップをはじめて、ラップ歴10か月でリリースしたアルバム『HORSEMAN'S SCHEME』からソロとしても活動をはじめて、2014年にはAru-2との共作アルバム『Backward Decision for Kid Fresino』とフリーのミックステープ『Shadin'』を矢継ぎ早にリリースして、留学のためにニューヨークに渡ったんですよね?

KID FRESINO:はい。当時は、Fla$hBackSのリリースライブなんて客は20人くらいだったし、どうせ聴いているヤツなんか誰もいないだろうと思っていたから、人の目もクオリティーも気にせず、どんどん曲を作っていたんです。テキトーだったんですよね。ニューヨークに渡ってから出した3枚目の『Conq.u.er』(2015年)、C.O.S.A.くんとの共作アルバム『Somewhere』(2016年)まで、今考えるとそういうノリでやってたからこそ、作品は簡単に作れたんです。

KID FRESINO
KID FRESINO『Conq.u.er』収録曲

—当初はラッパーになるつもりはなく、試しに遊びでラップしてみたら、アルバム『HORSEMAN'S SCHEME』を作ることになり、自分としては新しい遊びが増えて、楽しくて制作に没頭してた?

KID FRESINO:うーん、楽しかったのかな。それはよくわかりませんけど、何をやっても長く続かなかった自分は常に何かを探していて、その一方で、唯一、14歳からはじめたビートメイク、ヒップホップに関することは理由もわからず長く続いていたんですね。日本で活動していた最初の2~3年は没頭していたと思います。

—ニューヨークではレコーディングエンジニアの学校に行くために、まずは語学学校に通っていたんですよね?

KID FRESINO:そう。将来、何やって食っていこうと模索していて、ラップは片手間といえば片手間でした。というか、そういういい訳ができたから、ラップもテキトーでしたし、そのラップを批評してくるヤツを笑ってましたね。「俺のラップを批評するの? ウケる。ヒマなんだね」って(笑)。そういうスタンスだったから、自由にどんどんリリースできたのかもしれない。でも、今はそうはいかないですね。

KID FRESINO『HORSEMAN'S SCHEME』を聴く(Apple Musicはこちら

—でも、2017年に間もなく通うことになっていた学校が廃校になってしまうという。

KID FRESINO:トランプ政権の影響から廃校になってしまって、帰国を機に、今まで続けていたラップを生業にしようと思ったんです。

—ニューヨークで生活していた間に、日本に対する見方はどう変わりましたか?

KID FRESINO:当初は日本の不自由さや生きづらさ、若者はダメだとか、ネガティブな部分ばかりが目について、インタビューでもそういう発言をしていたんです。でも、今振り返ると井の中の蛙だったというか、若さゆえの独善的な考え方に陥っていたんだと思います。

だから、ニューヨークでの時間が経つにつれて、そういう気持ちは徐々に薄れていって、住んでいる場所が問題なのではなく、捉え方次第だと思えるようになっていって。いい場所、いい人は東京でもいくらでも見つけられるのに、そこには目を向けず、自分の周りだけが東京のすべてだと勝手に思っていて、そりゃ、つまらなくもなるわなって。

「ラッパー・KID FRESINO」をいろんなもので構築できることに気づいて、それ以前、どうでもいいと思っていた音楽以外のことも積極的に吸収するようになった。

—そういう若さゆえの独善的な考え方が変わるきっかけは何かありました?

KID FRESINO:ニューヨークで知り合った写真家の川西ユウタくんと、そのお兄さんで「LANDLORD」というブランドで洋服を作ってる川西遼平さんたちとの出会いですね。彼らが紹介してくれる人たちはみんな東京にいて、同じ世代だったのに、日本にいるとき、そういう人たちに目を向けることなく、自分は生きてきてしまったんだなって気づいて。

彼らとの出会いで、ラッパーは音楽だけじゃなく、あらゆるものを表現できるし、音楽を作るうえでは、音楽だけじゃなく、ファッションであったり、映画や写真、アートやグラフィックデザイン、本であったり、あらゆるものが必要だということを学びました。「ラッパー・KID FRESINO」をいろんなもので構築できることに気づいて、それ以前、どうでもいいと思っていた音楽以外のことも積極的に吸収するようになったんです。

—それがモデルであったり、ここ最近は自分で撮った写真を発表されたり、表現の幅の広がりに繋がっているわけですね。

KID FRESINO:そう。やろうと思えば、いろんな形に還元できるんだなって。

—アートワークに関しても、その意識の変化が『Salve』以降の作品にははっきり表れていますし、今回のアルバムのアートワークは現在のフレシノくんが表現したい作品世界が美しく結晶化しているように思いました。

KID FRESINO:アルバムのアートワークに関して、まず、写真は自分の嫁、フィッシュ・チャンに撮ってもらったんですね。

—アルバムタイトル『ài qíng』(アイチン)も奥さんに教えてもらった言葉だとか?

KID FRESINO:はい。日本語で「愛情」という意味なんですけど、「ài qíng」は日本語の「愛情」とは違って、ひとりの相手にしか使わない言葉というところが気に入ったんです。もちろん、そこには嫁のことも含まれているんですけど、そのことだけを考えて、アルバムタイトルをつけたわけではないです(笑)。

話を戻すと、今回のアートワークは、自分のなかにクリアなものが作りたいというイメージがあって。なおかつ、なかに入っているブックレットや冊子はサイズを小さくして、振ったら、音がカタカタする仕様にしたかったんです。そのアイデアを俺の1つ年上の若手デザイナー、山田悠太朗さんが素晴らしいセンスで形にしてくれたんですけど、モノとして、いいものが仕上がったと思います

みんな必死になって聴いているのかな? って思うんですよね。

—他方で、中学生の頃からヒップホップの現場に出入りしていたフレシノくんから見て、ニューヨークから帰国後、以前より遥かに盛り上がっている今のヒップホップシーンの現状はいかがですか?

KID FRESINO:うーん。みんな必死になって聴いているのかな? って思うんですよね。というのも、自分が10代の頃はMONJU、ISSUGIくんとかBESさんの音楽をホントに必死になって聴いていたし、高校生の頃、MONJUを聴こうと思ったら、そこに辿り着くまで一筋縄ではいかなかったんですよね。でも、今は音楽がすぐ手に届くから、若い子の多くはすぐ手に届くものを聴いてるだけという気がする。

—今はSNSで流れてきた膨大な情報をキャッチして、何かを選択しているようでいて、行為としては受け身であって、その流れから積極的にはみ出して、探し出した新しいものではないんですよね。

KID FRESINO:当時、自分が必死になって見ていたラッパーのミュージックビデオをこないだ改めて見てみたら、再生回数が3万回だったんですよ。だから、5年前はその何分の1くらいだったんだろうし、でも、当時はそういう音楽が自分にとってはすべての世界だったんですよ。そういう感覚は今の若い子のなかにあるのかなって。

KID FRESINO:どうせ、俺がアルバムを出しても、1週間で消費されちゃうわけだから、そういう懸念はもちろんあるんですけど、でも、それが今の時代ということなら、しょうがないのかなと。自分の伸ばした手の先にあるものを探しに行くのは楽しいと思うんですけどね。

—伸ばした手の先にあるものを探しに行こうというフレシノくんのスタンスは、バンド形態の楽曲やヒップホップとダンスミュージックのクロスオーバーなど、音楽的に新しい試みを果敢に実践した新作『ài qíng』の根幹をなす重要なものだと思うんですよ。ニューヨークから帰国して、1週間で音楽が消費されてしまう今の日本で真剣に音楽をやっていこうと決意したことで、自分のマインドはどう変わったと思いますか?

KID FRESINO:どうなんでしょうね? こと音楽に関して言えば、俺はヒップホップだけじゃなく、いろんな音楽を聴いていて、ラッパー・KID FRESINOを構成する要素は他とは違うと思うし、よくも悪くも異質な存在としての自覚があって。だから、そのまま新しいことをやっていくだけなんです。

あと、ニューヨークにいたときにDJをする機会があって、かつてのヒップホップでサンプリングされていたようなビンテージなソウルをかけたんですけど、向こうの若い人にはウケが悪かったんですよ。もっとコンテンポラリーな音楽が求められている空気を感じて、その経験からコンテンポラリーな音楽により意識を向けるようになりました。

KID FRESINO『ài qíng』収録曲

KID FRESINO:それはもちろんビンテージなソウルが悪いわけではなく、ブラックミュージックの本場、アメリカでソウルミュージックをかければ、いい感じになるだろうというのは固定概念であって。TPOをわきまえて選曲する必要もあったんでしょうし、そう考えるようになったことで、音楽に対して、より柔軟になったとも思います。今回のアルバムもあらゆる時間と場所、場合を自分なりに考慮した作品を作ったつもりですね。

バンド編成の楽曲とトラックものが共存したチャンス・ザ・ラッパーのミックステープ『Coloring Book』のような作品の先をずっと作りたかった。

—では、アルバムのオープニングナンバーであり、先行シングルの段階から大きな話題となった“Coincidence”はどのように作られたんでしょうか? この曲は変拍子を用いて、緻密に構築された楽曲はポストロック的とも評されましたよね。

KID FRESINO:この曲の着想のきっかけは、UKのポップシンガー、Will Joseph Cookの“Plastic”っていう曲なんですよ。BPMが速くて、スティールパンを用いているその曲をリファレンスとして、みんなで聴いてから、バンドでゼロから曲作りをはじめました。

KID FRESINO:その時点では(小林)うてなさんがいなかったので、キーボードの佐藤(優介)さんにKORGのシンセでスティールパンの音を弾いてもらったんですけど、そこから先の作業は変拍子のリズムも含め、斎藤さんがYasei Collectiveでやってることを持ち込んでくれたんです。そのリズムを石若(駿)くんがあの超絶的なドラムで叩いてくれて。

そのあとスティールパン奏者として、うてなさんが加わって、ラップのヴァース部分に関しては佐藤さんがキーボードで作ったスティールパンのループなんですけど、それ以外の部分に関しては、うてなさんが自由に弾いてくれました。特に間奏部分の着地のさせ方はみんな舌を巻いていましたね。

—その楽曲で変拍子を乗りこなす、ラップの研ぎ澄まされたセンスとスキルは突き抜けたものを感じました。

KID FRESINO:変拍子に変化していく曲に対して、ラップは最初から最後まで一気に考えたわけではなく、4小節単位で考え、構成していったので、自分にとっては、そこまで難しい作業ではなかったです。

リリックに関して、この曲の<例えば~>っていう歌い出しは、映画『NANA』(2006年)の劇中歌の伊藤由奈“ENDLESS STORY”から引用していて。その曲のフックが<たとえば誰かの~>っていう一節からはじまるんですけど、その<例えば>を曲の頭に持ってきたら、新しい曲になるんじゃないかなって感じで、“Coincidence”は作っていきました。

KID FRESINO『ài qíng』収録曲

—リファレンスとなる音楽と引用の仕方のユニークさというか、リファレンスや引用があったとしても、真似したり、そのまま引用しているわけではない、と。

KID FRESINO:曲作りにおいては、そのスタンスこそが一番重要だったかもしれないです。今回のアルバムでは、バンド編成の楽曲とトラックものが共存したチャンス・ザ・ラッパーのミックステープ『Coloring Book』(2016年)のような作品、その先をずっと作りたかったし、ここ1~2年で気づいたダンスミュージックの面白さを反映しつつ、自分のなかではヒップホップの歴史において、一番の傑作だと思っているケンドリック・ラマーの『good kid m.A.A.d city』(2012年)が念頭にあって、あのアルバムのクオリティーを目指したいなと思いました。

ケンドリック・ラマー『good kid m.A.A.d city』を聴く(Apple Musicはこちら

『HORSEMAN'S SCHEME』を出したときから「全部終わってもいいな」っていうことをずっと考えていて。

—リリックに関して、2016年に発表したC.O.S.A.との共作アルバム『Somewhere』では、彼のラップに触発されて、日本語のメッセージ性を追求していましたけど、今回のリリックは英語の割合が増えていますよね。

C.O.S.A. × KID FRESINO『Somewhere』収録曲

KID FRESINO:今でも日本語を使いたいという気持ちは大きいんですけど、自分のラップをするためには頭のなかにあるラップの音像を形にする必要があって、今回は拙くても英語を使わざるを得ない場面が多かったんです。ただ、初期の作品で使っていた英語はノリ重視で意味性が希薄だったのに対して、今回は英語でも自分の言いたいことは言えているので、そういう意味でラップも今までとは違ったものになっていると思います。

—さらにその内容も、初期の作品は勢いにまかせた攻撃的なものでしたけど、今回の作品は内面を掘り下げたシリアスなトーンが一貫して流れているところに大きな違いがありますよね。

KID FRESINO:うん。シリアスですし、結構ネガティブですよね。まぁ、こういう機会もあまりないので正直にお話すると、『HORSEMAN'S SCHEME』を出したときから「全部終わってもいいな」っていうことをずっと考えていて。だから、これまでの作品も今回の作品も死について言及した曲が多かったんです。

でも、今回のリリックがネガティブではあってもバッドにはなっていない理由としては、アルバムの制作をはじめて少し経った頃、「死とは尊いものである」と考えることにしようと決めたからだと思う。死はネガティブなものであるけれど、尊いものだと考えれば、意味合いが反転するよなって。

そう考えるに至ったのは、大岡昇平の小説『野火』(1951年、創元社刊行)がきっかけになりましたね。そこに書いてあったのは、自分は死には値しないということ。つまり、死は尊いと。自分は解釈しました。

今でも刹那的でシニカルなところはあるんですけど、そう考えることによって、自分を守っていたというか、逃げていた。

—死が尊いのであれば、そのために生をどう高めていくか。

KID FRESINO:「アルバムも出来たことだし、もう全部終わってもいいわ」と思った『HORSEMAN'S SCHEME』も、今振り返ったら、あのアルバムは全てを終わらせるに値するような作品ではないですし、その頃と比べて、考え方は根本から変わったと思いますね。

—かつてのインタビューでは、「自分はそのうち消えるだろうし、やめたくなったら、音楽なんてすぐやめる」という投げやりな発言をしていましたよね。そもそも、そういう考え方自体はどこからきていたんだと思いますか?

KID FRESINO:今でも刹那的でシニカルなところはあるんですけど、そう考えることによって、自分を守っていたというか、逃げていたんだと思います。そういう意味で考えが覆されるきっかけとなった『野火』は自分にとって大きかったです。

—今回の作品は、近しい間柄のJJJ、ISSUGI、C.O.S.A.、Campanella、そして、5lack、鎮座DOPENESS、ゆるふわギャングのNENE、Ryugo Ishidaと、ラッパーのフィーチャリングが多いことも大きな特徴ですが、C.O.S.A.やRyugo Ishida、JJJがラップでフレシノくんのことを気にかけているのは、フレシノくんのある種の危うさを敏感に感じ取っているからという気がするんですよね。

KID FRESINO:はははは(笑)。どうしてなのかな。まぁまぁ、でも、そんなことないというか、そんなに心配してないと思いますよ。

—逆にフレシノくんはSoundCloudにアップした“Easy Breezy”(『ài qíng』には未収録)では、<Ryugo Ishidaのone lineに救われた>と歌っていますよね。

KID FRESINO:RyugoくんとNENEちゃんがやってるゆるふわギャングは出てきたときから知っていたんですけど、自分が好きなタイプの音楽をやってるなと思っていたから、あえて聴かないようにしていて。でも、俺が去年5月にFla$hBackSを辞めて、その当時の現状や気持ちを曲にするつもりは全くなかったんですけど、そのタイミングで『Mars Ice House』(2017年)を聴いて、“大丈夫”という曲から“Easy Breezy”を作る勇気をもらったんです。

ゆるふわギャング“大丈夫”を聴く(Apple Musicはこちら

—かつてフレシノくんはインタビューで、「SNSですぐ口にせず、辛いこととか思い出を心にとどめる強さを持つべきだ」と発言しています。今はそれについてどう考えていますか。

KID FRESINO:それを音楽にするなら、ありなのかなと考えるようになりました。だから、我々ラッパーはそういう思いを昇華する音楽という手段があってラッキーなんだなと思いますし、他の人にとって、その手段がSNSなのかもしれないわけで。俺が音楽でやっていることとSNSをやってる人たちが言ってることはそんなに変わらないし、今はそんな説教臭いことを言う気はないですね。

—これまで何度もインタビューさせてもらって、かつてのフレシノくんは言いたいことがあっても、あえて口にしないタイプの人間という印象を持っていたんですけど、そう考えるとその意識の変化は大きい気がします。

KID FRESINO:かもしれないですね。嫌なことがあっても、それを音楽にできると考えると救われるんですよ。だから、表現に頼っているだけなんですけどね。

—それから、特にアルバムの後半、“not nightmare”以降の流れは、死について、もっと言えば、フレシノくんの小学生からの幼なじみで今年2月に亡くなったラッパーのFebbくんのことが頭に浮かびます。

KID FRESINO:“Way Too Nice”でも<Rest In Peace but it's not nice>って歌っているんですけど、まぁ、俺はそういうことが言いたかったんですよね。人間は<living to suffer>、つまり、苦悩するために生きているんだけど、まぁ、でも、人間それぞれ許容範囲があるから、人に押しつけるつもりは全くないんですけどね。

—そして、アルバムの最後で辿り着く“Retarded”はハッピーエンドでは終わっていませんね。

KID FRESINO:「死とは尊いものである」と考えることによって、死に値する生をどう高めていくかというスタンスに反転はしても、ポジティブに振り切ったわけではないですからね。ただし、ネガティブだけど、バッドじゃない。このアルバムはそういう心持ちで締め括りました。

KID FRESINO『ài qíng』収録曲

KID FRESINO:それもこれも、この2年間であらゆるもの、価値観から事象からすべてをたくさん受け入れた結果だと思うんです。その間にもたらされた変化は、自分のことながら、本当に大きかったと思いますね。

結婚して、子どもが生まれたり、安井(Febb)が死んだり、そうやって生も死も経験して、自分なりに理解しようと努めたことで、ここ最近は以前のように思い悩まず、日々を過ごせるようになりましたし。そんな日々のなかで心が動くことがあっても、今の自分にはそれを昇華できる音楽がありますからね。この先も止まらずにその表現を更新していきたいと思います。

リリース情報
KID FRESINO
『ài qíng』(CD)

2018年11月21日(水)発売
価格:2,916円(税込)
DDCB-12103

1. Coincidence
2. Cherry pie for ài qíng
3. Arcades ft. NENE
4. Ryugo Ishida interlude
5. Winston ft. 鎮座DOPENESS
6. CNW
7. Fool me twice ft. 5lack
8. Attention ft. Campanella
9. not nightmare ft. ISSUGI
10. Aru-2 interlude
11. Nothing is still ft. C.O.S.A.
12. Way too nice ft. JJJ
13. Retarded

イベント情報
『KID FRESINO ài qíng Release Tour』

2019年1月14日(月・祝日)
会場:愛知県 名古屋クラブクアトロ

出演:
KID FRESINO(DJ SET)
Campanella
C.O.S.A.
JJJ

2019年1月18日(金)
会場:大阪府 梅田TRAD

出演:
KID FRESINO(DJ SET、BAND SET)
ゲスト:
Campanella
C.O.S.A.
JJJ

2019年1月25日(金)
会場:東京都 渋谷TSUTAYA O-EAST

出演:
KID FRESINO(DJ SET、BAND SET)
ゲスト:
Campanella
C.O.S.A.
ISSUGI
JJJ
NENE
Ryugo Ishida
鎮座DOPENESS

2019年2月1日(金)
会場:福岡県 福岡DRUM Be-1

出演:
KID FRESINO(DJ SET)
Campanella × C.O.S.A. × RAMZA

『AFTER PARTY「Off-Cent」』

2019年2月1日(金)
会場:福岡県 福岡KEITH FLACK

出演:
KID FRESINO(DJ)
CH.0
and more

プロフィール
KID FRESINO (きっど ふれしの)

1993年生まれ24歳。埼玉出身のラッパー、トラックメイカー、DJ。JJJ、Febb とともに結成したヒップホップ・ユニット「Fla$hBackS」として活動。2013年、『Horseman's Scheme』でソロデビュー。NYでの活動期間を経て、現在日本に活動拠点を戻す。C.O.S.A.とのWネームアルバムのリリース、バンド編成での楽曲制作/ライブ、パーティー『Off-Cent』を始動させるなど、フリーフォームかつジャンルにとらわれない柔軟な活動に注目が集まっている。



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