尾崎世界観が「ひとり」を救う理由。孤独や悲しみも笑えるように

4月よりTBSラジオで始まる夕方の新番組『ACTION』。月曜日~金曜日の5日間、日替わりのパーソナリティが出演するこの番組で、火曜日のパーソナリティを務めるのが、クリープハイプのフロントマン・尾崎世界観だ。

本音を人に伝える、ということは本当に難しいことだ。ありのまま過ぎては乱暴だし、整え過ぎたら、それは本音ではなくなる。ラジオは、そんな「本音を伝える」という繊細なバランス感覚を擁することを、テレビやインターネットよりも上手くやってのけるメディアだ。そして、それはクリープハイプの音楽も然り。彼らの歌は、いつだって「言えなかったこと」や「言いすぎたこと」ばかりを抱えて生きる私たちに、その狭間にある「本音」の存在を思い出させてくれる。誰しもが、自分だけの悲劇や喜劇を生きている。その中で、常に寂しさや不安と一緒にいる「本音」という厄介者の頭を、クリープハイプの歌はそっと撫でてくれる。

何故、尾崎世界観の奏でる本音は、人に届くのだろう? このインタビューでは、「ラジオ」を大きなテーマとしながら、彼が描く泣き笑いの本音が一体どこから生まれ、どこへと向かっていくものなのか、じっくりと語ってもらった。

音楽は、いわば走っているようなもの。ラジオは「歩いている」という感覚がしっくりくる。でも、歩き続けることはなにより難しいことなんですよね。

—クリープハイプには『When I was young, I'd listen to the radio』というタイトルのミニアルバムがあり、“ラジオ”という曲もあり、これまで音楽のモチーフとしても「ラジオ」が使われてきましたよね。そもそも尾崎さんにとって、ラジオとはどのような存在なのでしょう?

尾崎:中学生の頃に、成績が悪すぎてテレビを禁止されたことがあって。それで仕方がなく、テレビの代わりにラジオを聞き始めて、それから好きになりました。捻くれている子供だったので、周りが知らないものに触れたいという気持ちも大きくて。そういう意味でも、ラジオはうってつけだったんです。

夜眠れないときに聞くと、「まだ、どこかで誰かが起きているんだ」という安心感もあるし、たとえ生放送ではなく、収録されたものでも、ラジオには不思議な「近さ」があったような気がします。それは、いまでも感じますね。

尾崎世界観(おざき せかいかん)
バンド「クリープハイプ」のボーカル、ギター。自身が編集長を務める雑誌の発行、小説家としての活動や書評コラムでも頭角を表すなど、多岐に亘って活躍中。音楽に止まらず、その言語表現にも注目されている。

—たしかに、ラジオには特有の聞き手との距離感があるような気がしますね。

尾崎:ラジオは想像することができるんですよね。テレビだと、目と耳で捉えた情報がそのまま飛び込んでくるけど、ラジオの場合、話している人の姿が見えないから、自分の想像で補完しなければいけない。例えば、パーソナリティが言う「これ、いいな」のひと言が、純粋に発せられた言葉なのか、皮肉として発せされた言葉なのか、聞く人それぞれの感性で受け止めなければいけないんですよね。つまり、余白があるんです。

自分も参加できるというか……おこがましい言い方をすれば、自分がいないと、喋っている人の話は成り立たないという。そういうところが、自分には合っているのかなと思っていました。

クリープハイプ“ラジオ”

—どんなラジオ番組がお好きでしたか?

尾崎:最初は野球中継から聞き始めたんですけど、だんだんと『オールナイトニッポン』なども聞くようになりました。

—やはり中高生の頃は、夜~深夜帯のラジオに親密なものを感じたりしますよね。

尾崎:そうですね。でも最近は、自分も大人になってきて、お昼の番組のよさも、わかるようになってきました。子供の頃は、お昼の番組があまり好きではなかったんです。

—なぜですか?

尾崎:中学生の頃よりも前の記憶ですけど、よく行っていた床屋で、お昼のラジオがいつも流れていたんです。そもそも、髪を切りに行くのが嫌だったんですよ。自意識過剰な子供だったので、少しでも髪を伸ばしたかったんです。でも、親に「切ってきなさい」とお金を渡され、床屋に行かされ、すごくダサいスポーツ刈りにされる。それがいつも嫌で。

店内に漂っている髭剃りのクリームの匂いも嫌いだったし、それに引っぱられて、流れているラジオも嫌いでした。男の人と女の人が喋りながら、ハガキを読んでいて……いかにも「床屋にいるなぁ」という気分にさせられるんですよね(笑)。

—床屋で聞くラジオって、たしかに独特の存在感があるような気がします(笑)。

尾崎:でも最近は、子供の頃に床屋で聞いていたような番組のよさもわかるようになってきました。『たまむすび』などを聞いていると、「こういうことだったんだ」と理解できるようになってきて、自分も大人になったのかなぁと思います。

—いまの尾崎さんから見て、『たまむすび』のようなラジオ番組には、どんな魅力がありますか?

尾崎:生活と地続きにあるものだと感じます。あのような聞き手とフラットな関係を保ちながら、「なんとなく聞いていられる」空気感を作るのは、そう簡単なことではないと思うんです。たとえば音楽は、やる方も聴く方も一生懸命になるじゃないですか。もちろん一生懸命なにかを伝えて、一生懸命なにかを受け取るということはすごくいいことだし、必要なことだと思うんです。でも、ずっと継続することはできない。いわば、走っているようなものなので。

でも、ラジオは「歩いている」という感覚がしっくりくる。歩き続けることは、なにより難しいことなんですよね。特にお昼の番組は、そういった要素がすごく強いと思うんです。聞いている人の生活の隣で、一緒に歩いているような感覚があります。

—たしかに、「歩き続けること」の難しさは、自分自身が経験を積むことでわかってくるものでもありますよね。

尾崎:「走る」ということは、いつか終わることが前提になっているぶん、ある意味では楽なんです。でも、「歩く」ということは、終わりが見えないぶん、過酷なことです。僕は今年35歳になるんですけど、最近になってようやくわかるようになってきました。

「本当に伝わっているのかな」という不安は、ラジオも音楽も通じている。でも、そういうものを持っていないと、人になにかを伝えることはできないんじゃないかと思います。

—ラジオを聞く側ではなく、出演される側になったときに、気づいたことや感じたことはありますか?

尾崎:ラジオで話すというのは、不安なことなんだなと思いました。リスナーとコミュニケーションをとることを目的としているけど、ラジオのスタジオにいる自分には、直接リスナーは見えていない。「ただ喋っているだけ」の状態でもあるので、一方通行な気分になることもあります。そういった面での心細さや心もとなさはあって、それは、ライブをやっているときにも近いんですよね。

—ライブの場合は、お客さんが明確に見えているのでは?

尾崎:もちろん、お客さんの反応はありますけど、「本当に伝わっているのかな?」と疑い始めたらキリがないです。最近は特に、フェスに出演するときも、みんなが当たり前のように手を挙げてくれるんです。でも、それが型になりすぎていて、「本当にいいと思ってくれているのか」と、疑ってしまいます。いい音楽だから手を挙げるのではなくて、みんなが手を挙げているから、その音楽はいいものだという、本来とは逆の順番で判断されているような気もします。

—なるほど。

尾崎:そういう「本当に伝わっているのかな?」という不安は、ラジオにも音楽にも通じていると思います。でも、寂しさや心配、不安な気持ち……そういうものを持っている人じゃないと、人になにかを伝えることもできないんじゃないか、とも思います。

—クリープハイプは既に大きな認知を獲得しているバンドですが、それでも根底にある寂しさや不安は変わらないですか?

尾崎:変わらないです。歌うことが楽しいと思ったことは一度もなくて。「届かないかもしれない」という不安と、届かなかったときの悔しさ、それしかないです。自分が作品を作るときの一番根底にあるものは、知ってほしい、見てほしい、相手にしてほしい、という気持ちです。それがなければ曲を作ったりはしないですね。

—歌詞を読んだりしていて、もはや「わかられてたまるか!」くらいの感覚が、尾崎さんにはあるのかなと思っていました。

尾崎:やっぱり、わかってもらえた方が嬉しいですよ(笑)。でも、逆に「聴いている人の気持ちなんかわからないよ」と思いながら作った曲が、「私の気持ちを歌ったような歌です」なんて言われることもある。でも、そこにあるズレも、救いなのかなと最近は思います。

幸福な気持ちには、あまり種類がない。だからこそ大勢で共有できるけど、負の感情でつながるときは、いつも1対1だなと思う。

—聴き手とのズレも、救いですか。

尾崎:はい。音楽は、伝わるときもあれば伝わらないときもあって、すごくもどかしいものなんですよ。だから小説を書いたり、音楽以外の仕事をしたりするのかもしれません。もっと細かく説明したくなってしまうから。

「音楽があれば、説明なんて一切しなくていい」という人もいますけど、でも、「やっぱり言いたいことはあるな」と思ってしまいます。最近は特に、「歌詞って短いな」と思うんです。短いぶん、逃げ道があるし、ボロも出ない。だから、伝わりすぎなくらい伝わってしまうときがある。

—お話を聞いていて思ったのは、ラジオも音楽も、発信する側は「届いているかな?」という不安と常に隣り合わせでありながら、受け取る側は、余白のなかで想像を働かせながら、自由に解釈することを余儀なくされている……一方通行と一方通行が交差するようなコミュニケーションが、そこには成り立っているんですよね。そうやって生まれる関係性って、限りなく「1対1」の状態なのかなと思います。

尾崎:そうですね。そして自分の場合は、1対1でつながりたいときに歌ったり語ったりするのが、悲しかったり悔しかったり、腹が立ったりするときなんだと思います。ラジオでも、自分の不幸な話をすることが多いし、音楽でも「あなたが最高です。大好きです。いつまでも一緒にいたいです」という歌を歌うよりは、失ったことに後から気づいて、「なんで、こんなことを繰り返してしまうんだろう?」という気持ちを歌いたくなります。

幸福な気持ちには、あまり種類がないんですよね。だからこそ大勢で共有できると思うんですけど、負の感情やネガティブな気持ちでつながるときは、いつも1対1だと思います。

一人ひとり紐解けば、それぞれの事情があり、みんな自分勝手に怒っている。「理解できない」「理解されていない」というもどかしさの根源は、どこまでいっても「ひとり」だと思います。

—「悲しさ」や「寂しさ」といった負の感情は、「みんな」で共有できる全体的なものというより、「ひとり」のなかにある個人的なものなんだっていうことですよね。ただ、最近は「怒り」が大勢の人をひとつの方向に突き動かしていく光景が目につくような気もして。僕はそこに、少しばかり恐怖を感じたりもするんです。

尾崎:なるほど。でも、どれだけ群衆が「怒り」によって集まっていても、案外、それぞれ言っていることはバラバラで、足並みも揃っていないと思います。「怒りをぶつけたい」という理由で塊になることはあっても、一人ひとり紐解いていけば、それぞれの事情があり、みんな自分勝手に怒っているんじゃないでしょうか。「理解できない」「理解されていない」というもどかしさの根源は、どこまでいっても「ひとり」だと思います。

僕自身、昔から不器用で、勉強も運動もできないし、音楽を始めてもなかなか上手くいかなくて。「できない」ということにずっと怒りがあったんです。でも、それがすごく大事なことだったんですよね。頭に血が上って、全部を放り投げてしまいたくなるような衝動……そういうものは、僕にとって表現をするうえですごく大事なことだったので。

—尾崎さんにとって「怒り」は、とても個人的な表現衝動の源だった。

尾崎:それに「怒り」も結局は、すごく寂しいものだと思います。怒ったあとは、ひとりになるじゃないですか。怒りを我慢していても、結局、ひとりになるし。そう考えるとラジオは、そういう感情を解決してくれるわけではないけど、近くにいてくれる感じがします。同じ空間にいてくれるというか。話しかけてほしくないけど、一緒の場所にいてほしいと思うときもあるじゃないですか。

—ありますね。

尾崎:それに最近は、同じようなことをやっていても、評価される人と、されない人がいたり、叩かれる人と、叩かれない人がいたり……「これ、誰が選んでんだろう?」と思うことが多い気がするんです。

—曖昧で暴力的な、時代や世間の「気分」のようなものを感じることは、たしかに多いです。

尾崎:そう、世間の気分。そこから弾かれたらやっていけなくなる。でもラジオは、そういう「世間の気分」のような天秤には乗らない、離れた場所にあるものと感じるんですよね。でも、そこにも人はいて、広い世界があるという。

恥ずかしさや自意識、そういうものを真っ先に救ってくれるのが「笑い」。自分の不幸も、笑ってもらえることで救われる。

—ラジオと親和性の高いもので、「笑い」も、すごく個人的なものなのではないかと思うんです。「笑い」でつながる関係性も、1対1のものなんじゃないかなと。尾崎さんの表現にも、常に「笑い」の要素、「喜劇性」が含まれているような気がします。

尾崎:「笑い」は救いだっていう感覚はあります。「恥ずかしい」という感情とか、自意識とか、そういうものを真っ先に救ってくれるのが「笑い」だと思います。たとえば階段で転んだとき、一緒にいた人が笑ってくれるだけで救いになるじゃないですか。自分の不幸も、それを誰かに話して、笑ってもらえることで救われることがある。「笑い」は助けてくれるものだと思いますね。「笑いにしてもらう」という感覚です。

自分がラジオで、日々の失敗や不幸の話をすると、すごく救われた気持ちになるんです。それを聞いて喜んでもらえているのなら、自分の負の感情は昇華されるし、一番理想的な感情のサイクルなんじゃないかなと思います。

—尾崎さんは落語や講談もお好きなんですよね。特に落語は、「笑いによる救い」という側面も強いのかなと思います。

尾崎:そうですね。落語も、登場人物にはダメな人間が多くて、でも、それを肯定してくれるものですよね。あと、僕は音楽で上手くいかなかった頃から、町田康さんの小説が好きなんですけど、あそこにも笑いがありますよね。主人公がどんどんダメになっていくんだけど、それがすごく笑えて。

ただ、そういう笑いとは対極に、人を蔑むことで生まれる笑いというのもあると思うんですけど、僕は誰かを下げたり落としたりしてとる笑いが好きではないです。そういうのを見ると、「本来、笑いは人を助けるものなんだけどな」と思ってしまう。自分を下げるんだったらいいんですけどね。

—散々笑わせた挙句、最後には自分で泥をかぶるような人を見ると、かっこいいなと思います。ハードボイルドさすら感じる。

尾崎:それができるのは強い人ですよね。

嫌いな人にダメなところは見られたくないけど、好きな人には、ダメなところを見られたい。

—尾崎さんの表現にも、そうして自分で泥をかぶれる強さがあるのでは?

尾崎:う~ん、そこまでできている気はしないですね。「人を傷つけずに、人をすくい上げたい」という気持ちはあるけど、なかなかそれができない。でも、正直ではありたいとは思っています。音楽でもラジオでも、「できない」ことは「できない」と言いたいし、「自分はこういう人間なんですよ」ということは全部さらけ出したい。取り繕っていても、結局、いつかはバレるので。それなら、バレる前に自分から正直に言いたいんです。

僕は、好きになった女の人にも、「過去に女の人とこういうことがあった」とか、「こんな情けないことがあった」とか、全部話しますから。それを知ってもらったうえで、全部引き算してもらって、残った部分だけ見てもらいたいです(笑)。

—(笑)。

尾崎:嫌いな人には自分のダメなところは見られたくないけど、好きな人には、自分のダメなところを見られたいですね。ラジオでも、自分が担当させてもらっている時間は、そういうものでありたいです。

—2016年のアルバム『世界観』から去年のアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』にかけて、尾崎さんの「結局、ひとりなんだ」という部分が、とても明確に伝わってくるような感覚があったんですけど、ご自身で意識されることはありましたか?

尾崎:ずっと「ひとり」だったと思うんですけど、それが聴く人にもちゃんと伝わるようになってきたということだと思います。最近は、バンドとしての状態がすごくいいんです。でも、バンドらしくなればなるほど、「個々が集まってこそのバンドなんだな」と改めて気づかされるんです。バンドの状態がよくなるほど、「4人でひとつだぜ!」とはならない。

むしろ僕は、「4人でひとつ」みたいな空気感はすごく嘘臭いと思います。「いつ誰がいなくなるかもわからない」という緊張感があった方がいいと思うし、バンドも、お客さんも、「ひとり」の集まりだから。

—そうですよね。

尾崎:結局、自分は自分だけなんだという。でも、そういうことを明確に理解できるようになってからは、それを悲しむ余裕もなくなりました。4人が絶対に交われないからこそ、バンドというものが存在していることが尊いような気がします。

—今日のお話を聞いて、4月から始まる『ACTION』で、尾崎さんがどんなふうにリスナーをすくい上げるのか、楽しみになってきました。時間帯も夕方ですからね。床屋でも流れるかもしれない(笑)。

尾崎:話していると緊張してきました(笑)。パーソナリティのなかで、ひとりだけ真っ先に降板させられたら嫌だなぁ。

—(笑)。

尾崎:……でも、よく考えるとラジオは、いつも「ここから始まる」というコミュニケーションで終わるんですよね。メッセージが届いて、それを読み上げて、それに対して僕がなにか喋って……普通だったら、そこからなにかが始まるはずだけど、ラジオはそこで終わってしまう。コミュニケーションとしては、すごく中途半端なんです。すごく不思議なメディアですよね。

—たしかに、そう考えるとすごく不自然ではありますよね。

尾崎:なんとも言えない始まりと終わりを繰り返している。だからこそ、伝わるものがあると思っています。

番組情報
TBSラジオ「ACTION」

よりワクワクする明日がくるように。 より楽しい日々が過ごせるように。この番組は、パーソナリティ、ゲスト、スポンサー、リスナーが 「やってみた / やってみたい」という様々な「ACTION」を持ち寄り、呼びかけ、 連鎖していくプラットフォーム。なんでも受け身じゃつまらない! 「やってみたい」を「やってみる」情報エンタテインメントプログラムです。4月1日スタート。

放送時間:毎週月曜~金曜 15:30~17:30
パーソナリティ:
月曜日 宮藤 官九郎
火曜日 尾崎 世界観
水曜日 DJ松永(Creepy Nuts)
木曜日 羽田 圭介
金曜日 武田 砂鉄

プロフィール
尾崎世界観 (おざき せかいかん)

バンド「クリープハイプ」のボーカル、ギター。自身が編集長を務める雑誌の発行、小説家としての活動や書評コラムでも頭角を表すなど、多岐に亘って活躍中。音楽に止まらず、その言語表現も注目されている。



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