いとうせいこう×三浦康嗣 かつての新宿、変わりゆく東京の街を思う

新宿といえば、戦前戦後にわたってさまざまなカルチャーと人が交差してきた街だ。音楽、美術、演劇などのサブカルチャーやアングラ文化はもちろんのこと、芸術家や芸人まで、あらゆる人と物と事が混ざり合い、街のエネルギーをさらに増幅させてきた。

そんな街の歴史を背景にして行われるのが、新しい音楽祭『-shin-音祭(しんおんさい)』と『-SHIN-夜祭(しんやさい)』。「先進的」で「前衛的」なカルチャーを生んできた街=新宿の「文化的な多様性」と「最先端の文化」の融合をコンセプトに掲げ、30組近いアーティストを招聘する。そのなかの1組である□□□から、いとうせいこう、三浦康嗣を招き、新宿の文化と歴史を振り返ろう、というのが今回の主旨。長いアーティスト活動のなかで、折に触れ新宿に関わりを持ってきた2人は、新宿に、そして東京そのものにどんな可能性を見出すだろう?

新宿区偉い!(いとう)

―新宿は、昔も今もカルチャーの中心地として知られています。今日はお2人に「新宿とはどんな街なのか?」をうかがえればと思っています。

いとう:新宿というと……俺、2002年から2005年まで前任の小松沢陽一さんから引き継いで、『東京国際ファンタスティック映画祭』を主宰してたんだよね。最後の年は総合プロデューサーというかたちで、主催の新宿やコマ劇(新宿コマ劇場、2008年閉館)周辺の飲食店なんかを巻き込んで、割引サービスをしたり。

三浦:僕は新宿区民ですから、もうちょっと暮らしに近いところで関係してますね。10年ほど住んでいた初台は渋谷区ですけど文化圏自体は新宿と言ってよいし、ここ5年くらいは神楽坂に住んでるので。『-shin-音祭』に出るharuru(犬love dog天使)のことも、地域の広報誌でライブ情報を見て「お!」って思って高島屋に行きましたし。

□□□(クチロロ)左から:いとうせいこう、三浦康嗣
1998年に三浦康嗣を中心にブレイクビーツユニットとして結成。以降、徐々にポップス中心のスタイルへと移行。現在のメンバーは村田シゲ、いとうせいこうと、「契約社員」として募集したボーカリスト9名を含めた計12名。

―広報誌なのに尖った情報が載っている(笑)。

いとう:『-shin-音祭』のメンツ自体がとんがってるよね。行政主催のイベントでなかなかないよ。普通はもっと丸くなるじゃない。「区にまつわる人を出してください」とか言われて、いきなり演歌の人が入ってきたりする(笑)。

三浦:えてして行政がお金出すものって、誰も傷つかないかわりに誰も喜ばないものになりがちですから。上流から下流に流されるなかで石がどんどん削られて、なんの変哲もない丸い小石になるがごとく。

いとう:アルバム2枚同時にリリースして勢いのある国府(達矢)くんもいるじゃない。

三浦:国府くん、とあるツーマンで一緒でしたけどすごく面白い人でした。

いとう:夜にやる『-SHIN-夜祭』は、このタイミングで(石野)卓球も出るしさ。

三浦:素晴らしいですよ。

いとう:新宿区偉い!

有名な映画館やスポットがいくつかあって、そこが発信地・巣窟だったんだよね。(いとう)

―おふたりと新宿のゆかりというと、まだまだありそうですよね。

いとう:そうだね。スペースシャワーTVで『スペ中(熱血! スペシャ中学)』(2003~2006年)の収録をしてたのもスタジオアルタだったし。収録後はよく新宿で呑んでた。

三浦:そうだったんだ。当然見てましたよ。

いとう:□□□を呼んだのもスペースシャワーTVのクイズ番組だしね。そんなこと滅多にないんだけどMVを見て「これはいい! こいつら呼んでくれ!」っていうのが最初だから。

三浦:じゃあ、いとうさんはまさに新宿で□□□のMVを見た可能性がある、と。

いとう:そうそう、そしてメンバー加入にまで至ると。

三浦:無理やり新宿につなげましたね。加入を決めたのは渋谷の飲み屋でしたけど。

いとう:そこも新宿だったらなー(笑)。新宿にまつわる思い出といえば、まずは映画かな。『フリークス』(トッド・ブラウニング監督 / 1932年)の再上映とか、過激でヤバい映画はだいたい新宿で観てる。マルクス兄弟とか、古いコメディ映画を観たのも新宿。

三浦:演劇も盛んじゃないですか。花園神社でテント芝居やったり。そういうものとも関係してたんですか?

いとう:有名な映画館やスポットがいくつかあって、そこが発信地・巣窟だったんだよね。俺が大学生くらいのころだと、かつての全共闘世代が新宿の顔みたいな時代だから、正直「めんどくせえなあ……」って思いつつ距離を置いてた。

とはいえ、なにかに触れたいと思ったら新宿以外なかったからね。みうら(じゅん)さんもよく新宿に来てたと言ってたから、1980年代は絶対どこかですれ違ってたはず。同じ映画館で同じ映画を観てたかもしれない。

それから音楽に関しては、いちばん最初にライブハウスに行ったのも新宿。The Specialsが来日して、本当は中野サンプラザかどっかで公演するはずがキャンセルになったんだよね。それで場所がよくわからないライブハウスになって。なにも知らない大学1年生の俺はドキドキで足を踏み入れたよ。

三浦:小さいところは危険感ありましたよね。なにかあっても店員も味方になってくれなさそうな無法地帯。

いとう:よい意味で人の自立心を養ってくれるよね(笑)。そういった経験を経て、クラブやディスコに出入りするようになるわけだ。ツバキハウスで藤原ヒロシとか(高木)完ちゃんと出会ってね。一般的に、新宿の1980年代をすっ飛ばして原宿・渋谷文化に行っちゃいがちだけど、そんなことはないのよ。みんな新宿を経由してた。

三浦:地理的にも近いですもんね。

いとう:みんな新宿の匂いがあった。パンクにロック、それを経由したうえでのヒップホップ。

三浦:いきなりヒップホップが輸入されて「じゃあやろう!」じゃないですもんね。その衝撃を受ける前提として、それ以前のアンダーグラウンドなものに浸った経験があるわけだから。

いとう:みんなアディダスを紐なしで履いててB-BOY感あるけど、そのうえはボンデージパンツで、それってロンドンパンクじゃない。混ざってる(笑)。その流れでヒロシたちがヴィヴィアン・ウエストウッドの帽子をかぶってたわけだけど、それから数十年が経ってアメリカのやつらがそっくり真似てるのを見ると、感慨深いものがあるよね。

要は、ヒップホップ以前の豊かで過激なカルチャーはだいたい新宿から入ってきてた。というか、新宿ぐらいしか受け止める場所はなかったと思うんだよ。

この街には、「東京ジャマイカ」な感じがあるよ。(いとう)

―キーマンになるような人もいたんでしょうね。

いとう:そう思う。あとは、昔から拠点になるライブハウスがきちんとあったのが大きいかな。ヒップホップ全盛になってくると、アンダーグラウンドからメジャーを志向する動きも出てくる。そうするとオオバコが湾岸にできて、人の移動が起きる。懐かしいね。

三浦:そのあたりの1990年代がまさに僕の青春期というか。新宿の雑多な感じを体現するものとして新宿LIQUIDROOMは大きかったです。1000人ちょっとくらいの規模のハコに、海外の面白いやつらがライブをやってた。LIQUIDROOMは、のちに現在の恵比寿に移転するから、そのあたりにも新宿から渋谷へっていう流れが見える。

たぶん僕にとってのせいこうさんのThe Specialsにあたるのが、イギリス出身のRoni Sizeあたりで、バンドでドラムンベースをやるってやべえな、とか。そういう新しいものを見たくて通っていました。非アメリカ発という意味では、MCのラップみたいな感じもラガ(ラガマフィン)もジャマイカの移民文化から派生したものだし。

いとう:意外と新宿はジャマイカの雰囲気とつながってるのかも。ギャングスタ的な意味でも、路上にいるホームレスのおじさんとか(笑)。この街には、「東京ジャマイカ」な感じがあるよ。

三浦:「東京ブロンクス」って言ってたおじさんがこう言ってるんだから間違いない(笑)。

いとう:他には、僕よりも10年くらいうえの世代だとジャズ、「ズージャ(敗戦後の日本のバンドマンの間で使われていたジャズの隠語)」の文化も。はっぴいえんども出入りしてたレコード喫茶の新宿風月堂だと、当時のフーテン、ドラッグ文化とも絡み合うし、若き日の坂本龍一も通ってた。

三浦:commmons(坂本龍一が代表する音楽レーベル、プロジェクト。□□□もかつて在籍していた)までつながってきましたね(笑)。

いとう:あと、俺の嫌いな文壇バー! 銀座以外に新宿にもあって、本当に嫌なんだけど無理矢理つれていかれてさ。案の定カウンターで論争・ケンカしてる。

三浦:村上春樹といとうせいこうが嫌いなことでおなじみの文壇ですね。まあ、できるだけ関わり合いになりたくない。

いとう:もうそのアフターのしらけ世代だったからね。熱かった時代を冷ややかに見るという感じで、批判的に出てきたのが僕らだから。

新宿って、大きな街のわりに個人の集合体なんですよね。(三浦)

―当時と比べると、現在の新宿はどうでしょう? やっぱりおとなしくなった印象がありますけど。

三浦:そうですねえ。単純に言うと、もう新宿に行かなくなっちゃってるんですよね。飲み食いするのも御徒町とか上野あたりになっちゃって。

いとう:東京の東が強くなってるんだね。

三浦:神楽坂に引っ越したのも、古くからあった土地に惹かれるようになったからだと思うんですよ。ニュータウンではなく、オールドタウンに惹かれてる。

いとう:たしかに、たとえば演劇を観に行こうと思っても原宿や渋谷で公演やってます、と聞くと「それはチェックしなくても大丈夫かな。誰かがなにか言うだろう」ってなるもん。で、むしろ北区とかの怪しげな場所でやってる演劇のほうに足が向いちゃう。「なんでそこでやる?」って思わせるもの。

三浦:すげえ雑にまとめますけど、渋谷・原宿に行くものはいい意味でも悪い意味でも漂白されてて、商品っぽいものになりがちというか、むしろそうじゃないと勝負できないというか。

いとう:そうね。そういう意味でも昔の新宿は「漂白」って感じがしなかった。新宿騒乱のあった1968年、1970年代周辺の学生運動で大暴れしていた空気や匂いは、1980年代にもまだまだあった。フォークゲリラの残滓がすごくあったし、一世代上の人が書く小説にもそういうのが残っていたから。だからこそ逆に反発して僕らは「もっと漂白したものをやろう」と思ったんだよ。まさにポストモダン。

三浦:逆にね。

いとう:でもだんだんと歳をとってくると「ただのポストモダンもつまらないなあ」となって、どこか新宿的、政治的なものに意識が向いていく。だから最近は、それこそJAGATARA(江戸アケミを中心とする、日本のファンク・ロックバンド)まわりの兄貴たちと付き合いができてきて、そういう兄貴たちとも話せるようになってきた。

三浦:なるほどね。

いとう:東東京の話が出たけれど、最近はむしろ東京の東や北のほうが漂白され始めていて、『-shin-音祭』みたいなのはまずできなくなってる。行政や企業主導の大きな都市開発のなかで、オールドタウンのよさが失われている。やっぱりもっと小さいもの、個人、人がいて成り立つものが大事なんだよ。

特に新宿文化は、構造じゃなくて、とにかく人だったと思う。小さな映画館とかに名物オヤジが必ずいて、彼らは地域では文化人で、その人が頑固だからいつまでたってもヤバい映画しかやらない。そういうマインドが新宿にはあったし、今もある。

三浦:新宿って、大きな街のわりに個人の集合体なんですよね。

いとう:それが大事なんだよ。渋谷とか、プロジェクト単位の「構造」で動くじゃない。

文化人が必ずいた喫茶店も閉まっちゃったし、あの店もこの店もなくなってる。ちょっと驚くべき事態だよ。(いとう)

―駅があって、隣接してでかい商業ビルを建てて、っていう。

いとう:下町でさえそういう資本の力がずんずん入ってきてるから。俺が生まれ育った下町に戻って行ったのが30年くらい前だけど、そのときは観光客なんてまったくいなくてさ。浅草の人から「せいちゃん。ここはもうダメだから、作家として見届けてくれ」なんて言われてたんだよ。それが、テレビの取材とかでだんだんと人が増えてきて、今度のオリンピックの影響で外国の人がガーンと増えて、今はもうまともに歩けないくらいごった返してるんだから、驚きだよ。

で「このまま、うまくやっていけばいいなあ」とみんな思ってて、商店街の人たちはなるべく全国区のチェーン店を入れないようにして守ってたんだ。だからこそ、街の魅力に人が集まってきた。

三浦:うん。

いとう:それが今はもう抵抗しきれなくなってしまっている。一気にホテルは建つ、商業施設はできるってんで街並みが変わってきちゃってる。別の意味で終わってしまいそうだよ。せめて観音裏だけは守って、なんとか昔からの浅草らしさを残そうと頑張ってるけど、それもいつまでできるかわからない。文化人が必ずいた喫茶店も閉まっちゃったし、あの店もこの店もなくなってる。ちょっと驚くべき事態だよ。

三浦:戦(いくさ)みたいなことになってるんですね。

いとう:いまの浅草同様に新宿も同じような経験をしたわけだけど、それをどう跳ね返すか、隙間でとんでもない店を作り続けられるか、っていうのはあるよね。

街は人が作っているんだから。駅が作った街じゃないんだ。(いとう)

三浦:僕が御徒町あたりに通ってるのって、単純に夜中まで美味しい店がやってる、とかでもあるんだけど、よくよく考えてみると御徒町、湯島、末広町、上野、仲御徒町、上野広小路あたりって駅が多すぎて、むしろ駅が中心になってない街なんですよね。上野広小路の通りがめちゃくちゃ広いのは、延焼を防ぐための江戸時代の街作りの名残だし。デペロッパー的な、駅を中心にした文化圏じゃない街である、ってことが好きな理由なのかなと。

いとう:それは重要な指摘だね。

三浦:それから、普通にアジア系の店が多い。アメ横センタービルの地下に買い出しに行っても、いろんな国の人が集まっていて、日本じゃないような感じがある。多様性みたいなものがちゃんとあるんですよ。

ここ数年強く思うんですけど、日本の人って日本人とそれ以外って分け方をすごくするでしょう。白人だけど日本国籍って人もいるはずだし、南米系だけど日本人とか、いろんな人がいるじゃないですか。なのに、分けすぎるのは文化的に、ひいては経済的にもよくないことを招くと思う。その点でも、センタービルあたりの溶け合ってる感じはホッとするんですよ。

いとう:個人的に「浅草すげえな!」と思ったことがあってさ。まだ日本ではイスラム教徒向けの食品が一般的でない時期に、浅草観光連盟の会長が「いとうさん、今度ハラルを表示するようにしたから」って言ったとき「めちゃくちゃ進んでるよこの街!」って思った。詳しく聞くと「ハラル食の人が観光に来たのに、お土産買えないとかかわいそうだと思うんだよ」って。そういう人間的な理由でいいんだよ。街は人が作っているんだから。駅が作った街じゃないんだ。

どこの郷土料理を食べても、使っている醤油は結局、既製品じゃんっていう。(三浦)

―日本で都市論の本を読むと、沿線文化とか私鉄を中心にして語るものが多いですね。

いとう:デベロッパーの考え方だよね。浅草では有名な話だけれど、山手線が通るときに「上野か? 浅草か?」って論議があったんだって。で、浅草は断って上野に行ったと。「あのとき断っておいてよかった。もしも山手線が走ってたら自分たちの文化は軒並みやられてた」って言う人が今もけっこういるんだよ。もちろん、開発に耐えて上野は自分たちの街を作ったわけだから、そういう意味では双方面白い。

いま、日本全国どこに行っても面白くなくなっているのは、新幹線を降りたときの風景がどの地方都市もまったく同じだからだよ。デペロッパー主導の駅の文化。あんなの街じゃない。本当に勘弁してほしい。

三浦:食文化的にもそれはすごく感じる。どこの郷土料理を食べても、使っている醤油は結局、既製品じゃんっていう。本当はその土地の醤油で作ることに意味があったんですよ。たとえば演劇にしても、まったく同じものをぜんぜん違うハコでやっても意味をなさないことってあるじゃないですか。食文化にも同じことが起きている。

「新宿らしさってなんだ?」とか考えずに、勝手に人が集まれる街であればいい。(三浦)

いとう:新宿に話を戻すと、駅前は商業ビルばかりだけど、いろんな場所に点々と解放区があって、個人個人が好き勝手にできる領域が残ってる。きっとそれが、この街の生存のための戦略なんだよ。

三浦:そうですね。「新宿らしさってなんだ?」とか考えずに、勝手に人が集まれる街であればいい。それは新宿に限らずですけど。

いとう:でたらめさが中心化されてないのが新宿なんだよね。だから、新宿の面白い人たちには、このまま自分の魅力に気づかずにいてほしい(笑)。

三浦:めちゃくちゃデカい街であるってこともいいですよね。もうちょっと小さい街だと、騒音とかですぐにモメるけど、新宿はまあまあ、って感じがあるでしょう。コミュニティー的なものは点在してるけど結局は他人同士であって、都市っぽい距離感があるがゆえのよさがある。

絶対にネットに載ってない情報ってものがあって、そこに出向くことで鍵が開くんだよね。(いとう)

―いとうさんは葛飾区、三浦さんはニューヨークで少年期を過ごしてますよね。その経験も、今まで話したような都市への眼差しを支えているのかな、と思いました。

いとう:それは確実にあるよ。たとばファッションも面白くてさ、扇職人で、文扇堂主人の荒井修さんとずいぶん仲良くさせてもらってたんだよ。俺も刺激を受けて「真似したい! ほしい!」って思うぐらいかっこいいんだ。いろんなことを教えてもらったんだけど、亡くなるまでどうしても教えてくれないことがひとつあったの。

それは修さんがいつも履いてるかっこいい草履。真っ白な鼻緒が後ろに下がってて、かかとがほとんど出ちゃってる。それでつま先が上向きに反ってるっていう、もう不良の憧れが全部詰まってるようなスニーカーみたいな草履! 10数年にわたって毎年褒めてるのに、頑として教えてくれなかった(笑)。

三浦:いい話だなあ。

いとう:それで、ふとした偶然でその出どころを知ったんだけど、学校の指定上履きを扱ってるような小さい靴屋の職人さんが作ってたの。でも、俺が知ったときには職人さんがからだを悪くしちゃって注文を受けてもらえなかった。聞いたら、そのときも予約待ちの人が全国で何百人といるんだって。そんな流行、どの雑誌にも載ってないじゃん!

三浦:インターネットにも載ってない。

いとう:本当にそう。奇縁が重なって知り合いから一足だけ譲ってもらえることになったんだけどさ、そういう裏裏でつながっていく人間の情報こそが一番面白いんだよ!

下町がそうであるように、エリアの特色がちゃんとあれば面白いやつらは自然と集まってくる。だから今回の『-shin-音祭』もそういうことでしょう。どういうアーティストが参加してるかも大事だけど、それを聴きに来た人たちが面白いかも大事なんだ。そして、そういう出会いっていうのは、行ってみないと起こらないし、わからない。絶対にネットに載ってない情報ってものがあって、そこに出向くことで鍵が開くんだよね。そこからさらに世界は広がっていく。

三浦:地縁的な街の見方を身につける、ってことですね。

いとう:それはネットで検索しても出てこない情報! だから、この記事もネットで引っかからないといいね!

―これ、ウェブ記事ですけど(笑)。

イベント情報
『新宿フィールドミュージアム「-shin-音祭 2019」』

2019年10月5日(土)
会場:東京都 新宿区立新宿文化センター
出演:
GRAPEVINE
あらかじめ決められた恋人たちへ
bonobos
□□□
MONO NO AWARE
サンガツ
KAKATO(環ROY&鎮座DOPENESS)

国府達矢バンド
betcover!!

haruru犬love dog天使
Kaco
室井雅也
and more
料金:3,000円

『新宿フィールドミュージアム「-SHIN-夜祭 2019」』

2019年10月4日(金)
会場:東京都 新宿 LOFT、ROCK CAFE LOFT、MARZ、ACB HALL
出演:
石野卓球
菊地成孔(DJ) feat. FINAL SPANK HAPPY
三浦康嗣(DJ)
999999999
Compact Club
and more
料金:3,000円

プロフィール
□□□
□□□ (くちろろ)

1998年に三浦康嗣を中心にブレイクビーツユニットとして結成。以降、徐々にポップス中心のスタイルへと移行。現在のメンバーは村田シゲ、いとうせいこうと、「契約社員」として募集したボーカリスト9名を含めた計12名。2004年にHEADZ内のWEATHERより1stアルバム『□□□』をリリース。2006年には坂本龍一らが設立したcommmonsへ移籍、2007年にブレイクビーツアルバム『GOLDEN LOVE』をリリースする。2009年にはフィールドレコーディングオーケストラと銘打った『everyday is a symphony』、声のみで構成した『マンパワー』など作品毎にさまざまなコンセプトを提示している。2016年、the band apart主宰のasian gothic labelに移籍。the band apartのメンバー全員をボーカリストに迎えたコラボレーション作品『前へ』をリリース、2017年7月に移籍後初の単独音源『LOVE』を発表した。



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