スクリプカリウ落合安奈が、初期写真に隠された歴史の事実を探る

東京都写真美術館では、毎年3月から5月にかけて、写真が誕生・普及しはじめた19世紀をテーマにした展覧会を行なっている。現在開催中の企画は『写真発祥地の原風景 長崎』。江戸時代とともに始まったとされる「鎖国」状態のなかで、数少ない外国との接点であった港町・長崎には、医学や芸術など外来文化がたくさん伝わったが、写真技術もそのひとつで、同展は、その伝来、発展を振り返るものなのだ。

さて、同展を楽しみに美術館にやって来たのは、20代の新進アーティスト、スクリプカリウ落合安奈さん。古写真などを素材に作品を作っている落合さんは、昨年から長崎のリサーチをスタートさせたばかりだという。同展を企画した学芸員・三井圭司さんの案内で、長崎と写真をめぐる歴史ツアーのはじまり!

「主観」と「客観」の対比から、当時の長崎を浮かび上がらせる

全4章構成の『写真発祥地の原風景 長崎』。その第1章は、開国前の長崎の様子を知るところから始まるのだが、写真美術館であるにもかかわらず、このコーナーに出品されているのは、ほとんどが書籍や版画などの紙ものばかり。写真・映像を専門分野とする美術館にとって、この状況はかなりレア。写真以外の展示物の量でいうと、これまでの展示のなかでダントツなのだそう。

そんななかに混じってさりげなく展示されている写真作品が、長崎湾に停泊したオランダ船をとらえた『オランダ軍艦メデューサ』(1863年頃)。これと併置するかたちで並ぶのが多色刷木版の『阿蘭陀船図』(江戸後期)だ。同じオランダの船をモチーフにしているにもかかわらず、この2点の印象はだいぶ違って見える。

スクリプカリウ落合安奈。『オランダ軍艦メデューサ』(1863年頃)を鑑賞中
スクリプカリウ落合安奈。『オランダ軍艦メデューサ』(1863年頃)を鑑賞中

『阿蘭陀船図』(江戸後期)と見比べ、驚いた様子
『阿蘭陀船図』(江戸後期)と見比べ、驚いた様子

右から:『オランダ軍艦メデューサ』(1863年頃)、『阿蘭陀船図』(江戸後期)(撮影:東京都写真美術館)
右から:『オランダ軍艦メデューサ』(1863年頃)、『阿蘭陀船図』(江戸後期)(撮影:東京都写真美術館)

落合:ダイナミズムが全然違いますね。木版のほうは、イメージの「船」っていう感じでとても勇壮だけど、写真のほうはとても静かでリアル。

三井:やっぱり誰かしら「描いた人」がいる絵は、主観が強く出るんですよ。だから現実よりもはるかにダイナミックで、ドラマティックに描写される。それが写真になると視点が冷静・客観的になるんです。この「主観」と「客観」という問題は、じつは今回の裏テーマでもあって、まずはその対比を感じてほしいと思います。

学芸員・三井圭司さんの解説を、ノートにメモをとりながら鑑賞
学芸員・三井圭司さんの解説を、ノートにメモをとりながら鑑賞

長崎と写真の歴史を知ることが主要な目的であるはずの展覧会なのに、裏テーマとはいったい……? 謎を残したまま、三井さんは落合さんを一枚の古地図の前に導きます。

三井:『肥州長崎之圖』(1764年)は、当時の長崎の土地感がよくわかる地図です。これが描かれた1764年は外国人居留地も大浦天主堂(長崎市にある教会)もない時代ですが、現在の長崎を知る人がいちばん驚くのは、陸地と海の関係ではないでしょうか?

『肥州長崎之圖』(1764年)
『肥州長崎之圖』(1764年)

落合:今はほとんど埋め立てられていますよね? 去年、作品のリサーチで出島(出島和蘭商館跡)にも行ったんですけど、完全に陸続きだし、ちょっとしたテーマパークみたいになっていました。

三井:そうなんです。今の長崎駅の位置も、この時代だと海の中。日本が近代化するなかで都市の姿が大きく変わってきたのがわかると思います。

もうひとつ、別の地図を見てみましょう。『長崎新地絵図』(江戸後期)では、中国の唐の人たちが使っていた蔵がずらりと並んでいる様子が見てとれます。これだけ見ると、この浮島が唐人専用のようにも見えますが、数棟あるだけの幕府管理の「御用米蔵」があります。これにより、新地蔵が完全に唐人用というわけではないことがわかります。

『長崎新地絵図』(江戸後期)
『長崎新地絵図』(江戸後期)

三井:というのは、当時公的なルールでは唐人専用の蔵を作ることは禁止されていたから。あくまでも幕府が管理している浮島に、唐人の物品をしまっておく蔵があった、という態(てい)なんです。もちろん、これは建て前なんですけどね(笑)。

「鎖国」という言葉は、江戸時代の日本が厳格に異国・異民族との関わりをブロックしていたような印象を与える。しかし実際には、長崎の出島だけでなく、対馬では朝鮮と、薩摩では琉球と、松前ではアイヌとの交易を行なっていた。さらに、公式にはオランダ人と唐人だけが取引相手に指定されていた長崎では、実際はロシア人も寄港していた。

三井:それが江戸時代の特徴なんです。表のルールは厳しいけれど、それを通さずフレキシブルにやろうという意識がかなりあった。だから「鎖国」と言っても、現代の人がイメージするものとはだいぶ違うものだったんです。

写真の登場によって移り変わる、侍や江戸時代のイメージ像

長崎の基礎知識をインプットしたあとは、いよいよ写真が登場する第2章「長崎と写真技術」へ。ここでは、長崎で活躍した日本写真史の超重要人物がたくさん登場する。

三井:長崎を代表する写真家と言えば、写真館をオープンし、幕末の志士たちの撮影もした上野彦馬(1838年生まれ)が有名。でもじつは、その父である上野俊之丞(1790年生まれ)が最初のキーマンなんです。幕府の御用時計師だった俊之丞は、出島に出入りする自由が認められていて、洋学の知識が深く、日本ではじめて写真機材を輸入した人物です。

そして、彼が最初に輸入したカメラで撮られた最初の日本人が、薩摩藩の名君・島津斉彬。いま放送しているNHKの大河ドラマ『西郷どん』で渡辺謙さんが熱演していますね。

展覧会ではポートレートのレプリカを展示していますが、鹿児島県の尚古集成館に秘蔵されたオリジナルは、写真として最初に重要文化財に指定されたんですよ。

このコーナーには、当時使われていた写真機や、撮影された写真などが数多く並ぶ。

『蛇腹式テールボード型カメラ』(1870年頃)
『蛇腹式テールボード型カメラ』(1870年頃)

左から:スクリプカリウ落合安奈、三井圭司

そのなかにはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(ドイツの医師、博物学者。江戸時代、出島に来日して博物学的研究を行った一人)の息子と侍たちが並んで撮ったものもある。その一枚を見て三井さんは「何か違和感を感じませんか?」と問いかける。

スクリプカリウ落合安奈

『アレクサンダー・シーボルトほか』(1859年)(撮影:東京都写真美術館)
『アレクサンダー・シーボルトほか』(1859年)(撮影:東京都写真美術館)

落合:なんだろう……。あ、背の高さがほとんど同じ?

三井:そう。当時の日本人の成人男性は、シーボルトの子供と同じくらいの身長だったんですよ。幕末期の装束を見るとあまりにも小さくて驚きますが、写真で見ると本当に着ていたんだとわかります。

あと、写真で見ると侍たちが全員なで肩に見えるのも面白いポイントです。じつは、彼らはなで肩じゃないんです。刀の稽古などで、当時の侍は首から肩にかけての筋肉が異常に発達していた。『北斗の拳』のケンシロウみたいな体型が、当時の侍のスタンダードだったんですよ!

客観的に写し取ることを特徴とする写真によって、これまでイメージしてきた侍や江戸時代の像が移り変わっていく感覚が面白い。

「なんてことのない平凡な資料写真でも、歴史を知ることでまったく違った意味が浮かびあがってくるわけです」(三井)

三井:第3章「長崎鳥瞰」では、長崎港や長崎市内をとらえたパノラマ写真を中心に構成しています。ここで注目したいのは、プロイセン東アジア遠征団写真班が撮影した『長崎のパノラマ写真』(1861年)。当時の写真は「引き伸ばし」たり、出力サイズを自由に変えるようなことはできなかったので、縦横約30cmを超える巨大なカメラで撮影することが普通でした。稲佐側から長崎を写すために少しずつカメラ位置を変えて撮影した7枚を組み合わせたこの写真も、撮影するために多くの人員を必要としたんです。

左から:三井圭司、スクリプカリウ落合安奈

プロイセン東アジア遠征団写真班《(長崎パノラマ)》(部分)  1861年  東京都写真美術館蔵
プロイセン東アジア遠征団写真班《(長崎パノラマ)》(部分) 1861年 東京都写真美術館蔵

落合:今だったら、デジカメで簡単に撮れちゃいますよね。アシスタントは何人くらいいたんでしょうか?

三井:最低でも4人。ひょっとすると、現在の映画やテレビドラマのロケ現場くらいのスタッフがいたかもしれません。この時代の写真は、いまみたいに自由に持ち運びできなかったんです。その場でガラス板に薬品を塗布して、撮影して、すぐに現像。重たい撮影機材のほかに、野外で暗室作業をするための機材も必要だから、持ち運びの力仕事のためのスタッフも必要でした。

落合:なんでも全部1人でするようになった今のカメラマンとはぜんぜん違うんですね。でも、人件費とかものすごくかかりそうです。

三井:そうですね。でもそれだけお金をかけても採算がとれるくらい高給取りだったのが当時の写真師なんですよ。商売上手だったら年収は今で言うと1億円はあったかも知れません。それは、写真が「国家的な重要プロジェクト」にかかわることも多かったからでもあるんです。

スクリプカリウ落合安奈

稲佐側から長崎のほぼ全景をとらえたこのパノラマ写真の右側をよく見ると、煙突らしきものが見える。これは当時の最先端技術が導入された長崎製鉄所だ。三井さんは推測する。プロイセン東アジア遠征団が目的としたのは、港の全景を撮るだけでなく、港における製鉄所の位置を把握することにあったのではないだろうか、と。

三井:つまり戦略的な目的、軍事転用のための写真だったかもしれません。現代のように、ある美しさを求めて風景写真が撮られるようになるのは明治中期からで、この頃の写真には撮影するべき必然的な理由があったんです。なんてことのない平凡な資料写真に見えるかもしれませんが、歴史を知ることでまったく違った意味が浮かびあがってくるわけです。

まるでミステリーハンターのように写真を読み取り、解説していく三井さん。東京都写真美術館で、初期写真にかかわる展覧会を10年以上企画してきた「匠」の鋭い眼に、リサーチをしてから作品を作るアーティストである落合さんも思わず唸ってしまう。

スクリプカリウ落合安奈

遠く離れた2つのルーツが私の身体のなかで一緒になっていることの奇妙さに惹かれた。(落合)

展覧会でもっとも出品数の多い第4章「クローズアップ長崎」には、ハンター三井さん垂涎の、ピエール・ロシエが撮影した出島の写真(これをもとに描かれたとされる絵画が先に発見されており、その元ネタである写真探しに研究者たちが血眼になっていたらしい)や、緻密に装飾された青貝細工の『長崎風物図箱』、日本の写真表現に多大な影響を与えたフェリーチェ・ベアト(1832生まれ、イタリア生まれのイギリスの写真家)が、鶏卵紙を自作していた事実など見どころは数多いが、話がマニアックすぎるので詳細は割愛! 興味のあるディープ志向の読者はぜひギャラリートークに参加してほしい。

ということで、ここからは落合さんの作品を紹介しながら、展示との関わりを探っていこう。

落合:古い写真を作品に使いはじめたのは偶然で、部屋に放っておいた自分の証明写真の上にたまたまビニールが落ちて重なった瞬間に、プリミティブな衝撃を覚えました。

子どもの頃にビニールをかぶって遊んでいたりしたんですけど、そのときの呼吸がギュッと詰まる身体的な感じが、写真とビニールの組み合わせから突然よみがえったんです。自分の経験と写真の情報がリンクして、呼吸が可視化されたみたいで。結びつく可能性の低いものが結びつくことの不思議さや驚きが、その後の制作のモチベーションになりました。

空気はどこでもつながっていて、他人が吐いた空気を自分が吸い込むことで「相手の成分」が自分の一部になる可能性があることを、この体験から作品で表現しました。自分と相手の「境界線」は曖昧で、自分は当事者ではないと思える事柄だって実際に関係ないとは限らないと暗示しています。

『明滅する輪郭 / Outline to flicker』(素材:映像、サウンド、写真、ビニール袋、息 / サイズ可変 / 2015〜2018)
『明滅する輪郭 / Outline to flicker』(素材:映像、サウンド、写真、ビニール袋、息 / サイズ可変 / 2015〜2018)

『明滅する輪郭 / Outline to flicker』(素材:映像、サウンド、写真、ビニール袋、息 / サイズ可変 / 2015〜2018)
『明滅する輪郭 / Outline to flicker』(素材:映像、サウンド、写真、ビニール袋、息 / サイズ可変 / 2015〜2018)

スクリプカリウ落合安奈

「結びつき」への関心は、やがてユダヤ系ルーマニア人と日本人の血を引く落合さん自身のアイデンティティーの交点へと至る。

落合:私の母方の家系は日本人、父方の家系はユダヤ系ルーマニア人です。遠く離れた2つのルーツが私の身体のなかで一緒になっていることの奇妙さに惹かれて、ルーマニアと日本を行き来するようになりました。

その過程で、長崎の精霊流しを訪ねたんです。観光的な「祭り」というよりも、「過去と現在」や、「見える世界と見えない世界」がつながる瞬間が垣間見える、土地に根づく行事への自分の興味が大きいのです。同時に、「見えないけれど確実に存在するもの」や祈りや信仰など形ないものがそれぞれの土地や民族の哲学によって可視化されたものへの関心もある気がしています。

第4章に展示された川原慶賀の『長崎出島之図』(江戸後期)には、奇妙な描写がある。日本人の女性が立ち入ることを禁じられたはずの出島に、着物姿の女性が描かれているのだ。

『長崎出島之図』(江戸後期)
『長崎出島之図』(江戸後期)

おそらく彼女はオランダ人を相手にした遊女ではないか、と三井さんは推測する。実際、オランダ人男性と日本人女性の間に子どもが生まれることもあったという。第2章で写真のなかに登場したシーボルトの息子、アレキサンダーもその一人だった。

落合:出島では恋愛結婚もあったのでしょうか? この時代の日本で、異国の片親を持つものはかなり大変な目にあったのではないでしょうか?

三井:たしかに。ある資料には「混血児を処分した」という記述もありますから、ひどい目にあった人もいたと思います。一方で、知識人や権力のある人の助力でその後も日本で暮らした人もいます。最初に言ったような、日本の「本音と建前」によって生きる道を得る可能性もわずかにはあったのだと思います。

左から:三井圭司、スクリプカリウ落合安奈

どんな写真にも介在する、撮影者の主観。優れた写真に隠された、撮影者の意思や狙いを考える

写真との偶然の出会いを通して、自分のなかに引き継がれる歴史の結びつきに関心をもった落合さん。同様に、三井さんも初期写真を通じて、歴史に対する独特の視点を獲得していったという。それは、まさに「主観」と「客観」にかかわる視点だ。

三井:写真についてよく思い込まれているのが「カメラの機材が高価であれば、よい写真が撮れるはず」という考え方です。それは、個人の技術が評価の基準として考えられがちな絵画と比べると、写真が客観的に事物をとらえるメディアであるという理解が広く流通しているゆえのものだと思うのですが、はたしてそうでしょうか?

この章にあるベアトの『眼鏡橋』の写真には「1587年にポルトガル人が(橋を)作った」というメモが残されているのですが、これは根も葉もない嘘。誰かから教わった情報を、ベアトはそのまま書いてしまったようなんです。でも、こういう歴史的な資料に具体的な数字が書いてあると、特に疑いもせず、事実として受け入れてしまいますよね。

これは写真が持つ客観性や歴史的な文物が持ちがちな「罠」です。初期写真の研究をしていると、当時の事実とは異なるストーリーが伝えられていることはとても多いんです。写真の説得力は、じつはすごく脆い。

フェリーチェ・ベアト『眼鏡橋』の前で解説する三井さん
フェリーチェ・ベアト『眼鏡橋』の前で解説する三井さん

落合:それは、写真と版画のオランダ船の落差でも感じました。私自身の制作でも思い当たることがあって、長崎の精霊流しを撮影していて、迫力のある「いかにも」な写真を撮ってしまうと、祭りの説明で終わってしまい、その向こう側にある祭りを通して伝えたいもののリアリティーが失われてしまうんです。見えないものを可視化することが作品のテーマでもあるので、どう撮ればよいのか試行錯誤を繰り返しているところです。

『KOTOHOGI』シリーズより(写真、インクジェットプリント / 70cm×100cm / 2018年)
『KOTOHOGI』シリーズより(写真、インクジェットプリント / 70cm×100cm / 2018年)

『KOTOHOGI』シリーズより(写真、インクジェットプリント / 70cm×100cm / 2018年)
『KOTOHOGI』シリーズより(写真、インクジェットプリント / 70cm×100cm / 2018年)

三井:それがわかると写真は面白くなりますよね。多くの人が、写真は「真を写すもの」と考えているのは、写真は機械が撮っているものであって、人が撮っているのではない、という思い込みがあるからです。

今回の出品作に、上野彦馬が撮った『長崎くんち』のシリーズ写真(1891年)があります。これはちょっと不思議な写真で、長崎市諏訪神社の祭礼として有名な「長崎くんち」をタイトルにしているのに、すべて定点観測で同じ橋を撮っています。それぞれの町の顔である傘鉾を見せたいなら、もっとクローズアップした構図にすればいいはずなのに、彦馬はそうしていない。

『長崎くんち 興善町』(1891年)(撮影:東京都写真美術館)
『長崎くんち 興善町』(1891年)(撮影:東京都写真美術館)

三井:その理由は、写真を見る長崎の人たちにとって傘鉾も祭りの様子も馴染み深いもので、あえていかにも「祭り」風に撮る必要がなかったからなんです。毎年、あえて同じ位置、同じ状況で撮るほうが、町民は「長崎くんち」をイメージしやすいと彦馬は考えたんですね。

三井圭司

落合:なるほど。

三井:そこで僕が思い至るのは、写真はやはり誰かの主観が介在しているということです。優れた写真には、撮影者の明確な意思、狙いがある。裏を返せば、ものを客観的に見れるというのは大嘘で、そんなことができる人間はどこにもいないんです。

初期写真を扱っていて面白いのは、優れた写真、特に日本で写真を始めた世代の写真には、試行錯誤の末に明快になった目的意識を強く感じるからです。そういう写真は、一見単調に見えたとしてもじつは強い。

落合:私の母はカメラマンなので、デジタル化したことで変化した写真の状況を肌で感じることがあります。でも三井さんの話を聞いていると、写真家の価値がまた向上してくる気がしています。

右:スクリプカリウ落合安奈

百数十年前の写真をたどってきた三井さんと落合さんの対談は、テクノロジーに取り囲まれた現代の表現をめぐる考察へと至ったようです。古きを温(たず)ねて、新しきを知る。記憶装置である写真は、過去と未来を結びつけるものでしょう。

落合さんは古写真だけでなく、幻灯機などクラシックな機材も作品に取り込んで活動しています。『写真発祥地の原風景 長崎』をめぐる今日の体験は、彼女のアーティスト活動にどんなヒントを与えるのでしょうか? その影響を知るのは、けっして遠い未来ではないかもしれません。

イベント情報
『写真発祥地の原風景 長崎』

2018年3月6日(火)~5月6日(日)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:毎週月曜日
※ただし、4月30日(月・振休)、5月1日(火)は開館
料金:一般700円 学生600円 中高生・65歳以上500円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料

長崎をめぐる初期写真シンポジウム―オリジナルとデジタルアーカイブ

2018年4月7日(土)14:30~17:30(14:00開場)
会場:東京都写真美術館 1階ホール
定員:190名
※当日10:00より1階ホール受付にて整理券を配布。番号順入場、自由席

古典技法ワークショップ:コロディオン湿板制作デモンストレーション

2018年4月14日(土)14:00~16:30(13:30開場)
会場:東京都写真美術館 1階スタジオ
講師:田村 政実(田村写真代表)
定員:50名、入場無料、先着順

担当学芸員によるギャラリートーク

2018年4月13、27日(金) 14:00~
2018年4月29日(日・祝) 14:00~
2018年5月3日(木・祝) 14:00~
2018年5月5日(土・祝) 14:00~
会場:2階展示室入口(要展覧会チケット[当日印])

プロフィール
スクリプカリウ落合安奈 (すくりぷかりう おちあい あな)

現代アーティスト。フランスのシャンボール城(世界遺産)、韓国の大邱大学校国際交流展、逗子トリエンナーレなど国内外で作品を発表。現在は、土地にまつわる祭・儀式を研究し作品を制作中。1992年生まれ。埼玉県出身。2016年に東京藝術大学大学油画専攻首席、美術学部総代として卒業。同大学美術研究科グローバルアートプラクティス専攻修士課程に在学中。



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