ずっと真夜中でいいのに。 ACAねの歌と実験的な音楽性の繋がり

ポップミュージックにおける「歌」とは。アーティストの個性を形作るもの

音楽を聴く上で「歌の上手さ」を優先順位の上位において考えたことがない自分のような人間にとって、近年になって頻繁に見かけるようになったテレビの歌番組のアンケートやネットの記事などの「歌が上手いと思うアーティスト」ランキングみたいなものは、謎でしかなかった。え? 「歌の上手さ」ってそんなに大事? というか、そもそもどんな基準をもって「歌の上手さ」を判断してるの? 音域の広さ? ハイトーンの伸び? それって、カラオケ選手権みたいなものと何が違うの? あるいは一番大事なのが歌声の表現力だとして、それって限りなくリスナーそれぞれのテイストの領域なのでは?

いきなり前言を翻すようだが、自分が日常的に好んで聴いているアーティストは、結果的にほとんどみんな「歌が上手い」。それがラップだとしても、フロウの心地よさだけでなくそもそもの「地声」がいいアーティストばかりだ。でも、それはあくまでも「結果的に」であって、歌が上手いから、地声がいいから、表現力が高いから、そのアーティストを聴くという評価基準や思考回路は自分にはない。アーティストにとっての「歌」はその個人やバンドのアーティスト性と不可分であって、「歌」がアーティストの個性を形作り、アーティストの個性がそれに最も相応しい「歌」を引き出す。そういうものだと思っていた。

歌の上手さと展開の複雑さ。ずっと真夜中がいいのに。の音楽的ボキャブラリーの豊富さ

ずっと真夜中でいいのに。の音楽を最初に聴いた時、何よりもまずACAねのボーカリストとしての声質のよさと、その変幻自在の歌い回しの巧みさに驚愕させられた。要は、その「歌の上手さ」にぶっ飛ばされたわけだ。それは自分にとって非常に珍しいことで、そのメカニズムが知りたくて、ずっと真夜中でいいのに。の音楽をこれまで継続的にかなり頻繁に聴いてきた。

ずっと真夜中でいいのに。『潜潜話』を聴く(Spotifyを開く

ずっと真夜中でいいのに。と比較されることがあるいくつかのユニットの音楽に対しても、実はそれに近い感慨を抱いている。それは、よく語られる「ボカロ・カルチャー以降」というキーワードと同等に、彼女ら、彼らの共通点なのではないだろうか? もっと言うなら、ボカロ・カルチャーという送り手の顔が見せない、姿が見えない、「声」と「ソングライティング」だけに特化されたカルチャーを通過したことによって、この国のポップミュージックにおける「歌の上手さ」という概念が再定義されたのではないだろうか? もしそうだとしたら、そこで再定義された「歌の上手さ」は、カラオケ選手権的価値観が支配的だった旧来の「歌の上手さ」よりも、個人的に遥かにアクセスしやすくなったという実感がある。

もちろん、ずっと真夜中でいいのに。のソングライティング、そしてサウンド・プロダクションを語る上で、「ボカロ・カルチャー以降」という視点は欠かせない。アメリカのトラップ・ミュージックに象徴されるように、楽曲の構成においても、サウンドの構造においても、極限までミニマル志向に突き進んでいる現在の海外のメインストリームのポップミュージックとは正反対に、展開や転調の多さを競うかのように複雑化してきた日本のメインストリームのポップミュージックの一つの傾向は、ボカロ・カルチャーを経てさらに加速している。そして、それを最も先鋭化させているユニットの一つが、ずっと真夜中でいいのに。と言っていいだろう。

実際に、ずっと真夜中でいいのに。の音楽的な引き出しの多さは、多くの「ボカロ・カルチャー以降」のバンドやユニットのボキャブラリーを遥かに凌駕している。例えば、新作『朗らかな皮膚とて不服』に収録された“JK BOMBER”。ブルースロックのような重いビートで始まり、ファンク的な展開を経て、突然8ビートで疾走し始めたかと思うとシンセのソロが入って、終盤にはハードロック的なギターソロまで奏でられ、最後はピアノで終わる。それぞれのパートをもっと聴いていたいと思う、そんなリスナーの気持ちを置き去りにして、音楽的なフックを異常に歯切れよく過剰に詰め込んでいくその構成はちょっと「やりすぎ」とも思えるが、その「やりすぎ」をやれちゃうところがずっと真夜中でいいのに。のオリジナリティなのだろう。

ずっと真夜中でいいのに。『朗らかな皮膚とて不服』を聴く(Spotifyを開く

複雑な展開を心地よさに昇華する、ACAねの表現力

先行配信された“お勉強しといてよ”や“MILABO”でも顕著だったように、新作『朗らかな皮膚とて不服』には、その音楽的なセンスと体力をもってしたら、いくらでもキレイにまとめることができるにもかかわらず(実際に昨年発表されたいくつかの楽曲からはその傾向も見られた)、意図的にストッパーを外してポップミュージックの常識や制限を次々に打ち破っていく、ずっと真夜中でいいのに。の現在地が刻まれている。そして、そんな無謀な試みを音楽的に破綻させずに可能にしているのは、すべての技巧に溢れた音楽的フックや意外性に満ちたリリックを「心地よさ」へと昇華していくACAねの圧倒的な歌の表現力だ。ずっと真夜中でいいのに。の作品を聴き終えると、どれだけ濃厚で圧縮された楽曲に耳を翻弄されても、「なんだか今、すごい歌が耳を通り過ぎていったな」という充足感が残るのだ。

現状、ずっと真夜中でいいのに。のユニットとしての実態を体感できる唯一のルートだったライブが、現在の新型コロナウイルスの状況を受けて封印されてしまっているのは残念でならないが、5月に続いて再延期となった、8月5、6日に幕張メッセで予定されていたワンマンライブの最終日となるはずだった8月6日には、配信ライブ『オンラインライブ NIWA TO NIRA』がおこなわれる。きっとこれまで以上に数多くの人がACAねの歌声に「ぶっ飛ばされる」であろう、最高の機会がやってきたと前向きにとらえたい。

『オンラインライブ NIWA TO NIRA(有料)』ビジュアル
『オンラインライブ NIWA TO NIRA(有料)』ビジュアル(サイトで見る

リリース情報
ずっと真夜中でいいのに。
『朗らかな皮膚とて不服』初回生産限定盤(CD)

2020年8月5日(水)発売
価格:3,630円(税込)
UPCH-29366

1. 低血ボルト
2. お勉強しといてよ
3. Ham
4. JK BOMBER
5. マリンブルーの庭園
6. MILABO
7. Bonus Track - サターン[Acoustic ver.]
8. 低血ボルト(Instrumental)
9. お勉強しといてよ(Instrumental)
10. Ham(Instrumental)
11. JK BOMBER(Instrumental)
12. マリンブルーの庭園(Instrumental)
13. MILABO(Instrumental)

ずっと真夜中でいいのに。
『朗らかな皮膚とて不服』通常盤(CD)

2020年8月5日(水)発売
価格:1,980円(税込)
UPCH-20552

1. 低血ボルト
2. お勉強しといてよ
3. Ham
4. JK BOMBER
5. マリンブルーの庭園
6. MILABO
7. Bonus Track - 蹴っ飛ばした毛布[Bathroom Twin Piano Live(2020.05.06)
ver.]

イベント情報
『オンラインライブ NIWA TO NIRA(有料)』

2020年8月6日(木)20:00~配信予定
料金:2,800円



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