アートとゴミの違いって? 高嶺格インタビュー

その美術家の名前「格」は、ものの「本質」を意味する言葉だ。高嶺格はしかし、高みから何かを説くよりも、生身の個人の目線から、人々が忘れがちな、または忘れたフリをしがちな問いをあぶり出す。2トンの粘土でつくったブサイクなジョージ・ブッシュに「God Bless America」を歌わせたり、在日韓国人の恋人から受けた問いへの葛藤を作品化したり。はたまた、英語が共通語の国際展であえて故郷の鹿児島弁(とエスペラント語!)を使った作品を発表したり。今回、横浜美術館で1月21日から3月20日まで開催される首都圏初の大規模な個展『高嶺格:とおくてよくみえない』は、美術館という存在そのものにも問いを投げかける展覧会になりそうだという。

(インタビュー・テキスト:内田伸一 撮影:小林宏彰)

アートを観に行く美術館なのに「よくみえない」っていう

―今回の横浜美術館での個展は、「とおくてよくみえない」という謎めいたサブタイトルがついていますね。そこに込めた意図とは?

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高嶺 格「とおくてよくみえない」
“Too Far To See”
※本展イメージ画像

高嶺:この展覧会は横浜美術館で開催したあと、広島市現代美術館にも巡回するんですね。最初に両方のキュレーターと集まって相談をした際に、どちらもいわば典型的な「美術館」だねという話が出て。所蔵コレクションがあってそれを展示したり、それとは別に企画展をしたり。

―たしかに一般的には、美術館って「アートの殿堂」ですよね。

高嶺:そんな美術館という存在自体を考える展覧会ができないかと話したときに、人々が作品と出会えるのが美術館だけど、そこでも見えない、見えづらい状況ってあるよね? という言葉が出てきて。

―混雑した美術館でよく思いますね、遠くてよく見えないよって。

高嶺:距離感のとりかたひとつでコミュニケーションが成立したり、だめだったりする。人と人、国と国の関係とかでも同じで…。今回の展覧会はそのあたりの問題意識からスタートしています。

―美術館での展覧会のあり方を、高嶺さん流にゆさぶる試みということですか。

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高嶺格

高嶺:いま(取材時)、この横浜美術館ではドガ展をやっていて、会場はすごくキレイに設営され、キャプション群もきっちりと丁寧に展示されています。たとえば、そのあつらえをそのまま使えないかと。ドガの生涯を解説したボードとかもそのままで、彼の名画があったところに別の物を置くとか。

―そうなるともう「よくみえない」というより「よくわからない」(笑)!?

高嶺:それはさすがにいろんな事情で実現できなさそうなのですが、なるべく自分の手で作ったものを減らそうと考えています。

―謎が多いですね。新作も登場予定だそうですが、どんなものになりそうですか?

高嶺:新作…あると思います。って実はまだ詳しくは決まってないんですが(笑)。僕はアトリエをもっていなくて、美術館なりフェスティバルなりに声をかけてもらった際に、現地に行って滞在制作することが多いんですね。滞在制作の中で生まれる新作と、過去に作った作品とが同時に展示されるので、過去の作品でも自然と違う見られ方をするだろうから、その流れをどうするかを考えています。

―では、出展予定の作品やこれまでの創作姿勢について伺いながら、この謎の(?)展覧会に、少しでも迫れればと思います。

「お客さん」が「当事者」に入れ替わる瞬間に関心があります

―出展作のひとつ『Baby Insa-dong』(2004)は、在日韓国人である恋人からの問い「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」に高嶺さんが戸惑いつつも答えようとする過程が、彼女との結婚式、そして生まれてくる子どもへのメッセージへとつながっていくインスタレーションです。さっき距離感の話が出ましたが、自分と絶対的に異なる相手とどう向き合うか、はテーマのひとつでしょうか。

高嶺:いや、決して「自分と異なる存在」だから作品で取り上げるわけじゃないんです。むしろ、違いを考えていった先に違いが消えていく可能性があるなと感じたときにはじめて扱えると思っています。本当に関係ない場合は最初から扱えない。

―誰もが当事者になり得るのでは、という意識ですか?

高嶺:作品を観た後に、誰かと誰かの違いが際立つというより、むしろ違いがどうでもよくなってしまうという地点を目指しています。個人的な話題って意外と汎用性のあるもので、自分には関係ないと思っていたものに巻き込まれてしまった末に、実はすごい自分に関係があったって気付かされることも多いですから。

―クレイアニメーション『God Bless America』(2002)にもそんな要素があるでしょうか。この作品では、巨大な油粘土がさまざまな顔に変わりながら「神よアメリカを祝福し給え」と歌います。一見コミカルだけどシニカルというか…当時大統領だったブッシュらしき顔も現れたりします。

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高嶺 格《God Bless America》 2002年 映像作品(8'18”)※本展出品予定

高嶺:これが生まれた直接のきっかけは2001年の9.11事件ですが、アメリカに対してはずっと複雑な思いがありました。9.11を伝えるメディアの偏狭さ、これはアメリカに限った話ではないと思いますが、なんか非常にヤバい感じがした。

―事件後にアメリカが掲げた「正義」へ疑問を投げかけるような内容です。ただ、やがてそういう自国中心主義的な危うさは、自分の中にもあるのではと気付いた、とも以前おっしゃっていましたね。やはり、誰もが当事者ではという問いかけになり得る作品ですね。

高嶺:国とかいう単位を扱う場合には常に慎重にならざるを得ない。つまり「自分がどの立場に加担しているのか」について、自分で正確に把握することは困難だからです。ただ、この作品のように、内的衝動に駆られて生まれるものは、僕にとってはむしろ珍しいケースなんですよ。

―というと、どういうことでしょう?

高嶺:僕の場合は、一緒に仕事する相手(僕を呼んでくれた人)がなにを欲しているかによって作品が変わるので。

「ゴミになり得るアート」をつくる葛藤も原動力なんです

―展覧会の企画者たちと話す中で作品のアイデアをつかむというお話でしたが、いつもはどんなふうに進めていくんですか?

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高嶺:僕はいつも「お客さん」としてそこに行くわけですよね。するとまず、企画担当者や出会った人たちと酒飲んだりして話しますよね。そうするとだんだん、そこの環境や状況が見えてきて、やがてそこでの問題とか、企画者が何を求めているのかがわかってくる。

―問題意識を探るカウンセラーみたいな?

高嶺:いや、「僕らにはこういう問題があるんですよ」と言われるわけじゃないんですけどね。言い方を変えると、この場所でどういうことが起こると面白いのか、といったことです。話しているうちに、その面白さが自分の中の何かに引っかかったとき、次の段階に行ける。そのテーマをどのように作品として成立させるかにフォーカスしていくんです。

―せんだいメディアテークでの個展『大きな休息』(2008)では、伊東豊雄の斬新な建築空間に、廃屋から取り出した材料を使って「ジャンクな聖域」のようなインスタレーションを出現させましたね。

高嶺:あそこは空間を貫く巨大なチューブの存在感がとても強くて、何か置くならかなりの物量をもってこないと成立しない。つまり、空間を「埋める」だけで苦労する。まずはその「箱を埋める」という発想から自由になる必要があった。一方で、展覧会のたびに新しいモノをつくること、そして終わったらたくさんの廃材が出ることについて、僕の中でいろいろ考えてしまうところがあって、それが、廃材を使いながら空間を埋めすぎない展覧会、という試みにつながりました。

―さらに、その展示を目の見えない方々が案内するという、前例のない形式でしたね。

高嶺:廃材とはいえ作品になったものについて、そのアーティスティックな要素を改めて打ち消してみることが目的でした。作家だって誰だって一生懸命モノをつくるんだけど、世の中にあるのは美術品もふくめてすべてゴミの予備軍だ、という考えも僕の中にあったんですね。実際に視覚障がい者と共にやってみると、予想もしなかったいろんな発見があったんですが。

―作品=ゴミ予備軍だとすると、高嶺さんはなぜ美術家という職業を?

高嶺:ここまで消費活動が肥大化したからには、これからの人間はどうしたってゴミに埋もれながら生きる運命にある。自分もゴミになり得るモノを作っていると自覚しつつ、消費と生産の間の葛藤に身を置こうと。大事なのは、それを自覚することです。

世界のすべてを見渡せる、という幻想を疑ってみる

―高嶺さんはパフォーマーとして、また演出家としても活動していますね。今回も会期中に公演が行われます。その際に未経験者や一般の人々をよく起用するのは、コントロールされたものを超えた何かを、作品へ意図的に取り入れたいからなのでしょうか。

高嶺:僕の一番大事な役割は、フレームを作ること。フレームさえできれば、あとは経験のあるなしに関わらず委ねることができます。あいちトリエンナーレ2010での作品『いかに考えないか?』もそうでした。お客さんがタッチパネル式のキーボードを叩くことで指示を出し、それに応じて影絵パフォーマンスを行うというものです。パフォーマーには、ひきこもりの人、車椅子の人、耳が聴こえない人、役者経験がある人、そのいずれでもない人…10名ほどのさまざまな方にお願いしました。

―今の話で連想したんですが、実際にビジュアルとして「全体が予測できない暗がりの中で、部分部分がおぼろげに浮かび上がる」という仕組みのインスタレーションもよく登場しますよね。横浜トリエンナーレ2005での『鹿児島エスペラント』や、大友良英さんとの共作『orchestras』(2008)など。誰も全体を把握できないけれど、それぞれの感性でそこに飛び込んでいくような。

高嶺:いろいろメディアが発達してきて、「世界は小さくなった」と言われますよね。その中で、僕らは世界の全体を見通せるような幻想を抱きがちです。でもそんな単純に他人と感覚を共有できるわけじゃない。ここにある小さなコーヒーカップだって、見る人によって違うものになり得ます。なのにとにかく全体を見渡すこと、そして他人より先に把握することが勝ちだという強迫観念がある。そういう変なバイアスがかかった世界に生きている、ということは感じています。

―『鹿児島エスペラント』では、英語が標準語といってよい国際展で、暗がりに現れるのはご出身地の鹿児島弁+エスペラント語(ユダヤ人眼科医ザメンホフが提案した国際共通語)だったり、ちょっと挑発的な匂いもありますね。同時に、そういったゆさぶりには、どこかイタズラ心も漂う気がします。

高嶺:笑いと涙は裏表みたいなものだから。たしかに小さいころはウケ狙い大好きな子どもで、パンツで作った筆箱を学校に持って行くような奴でしたが(笑)。

―「筆箱とはこうあるべき」の概念を疑う、ゆさぶり系アーティストの片鱗がすでに(笑)。

高嶺:世の中が頭の堅い杓子定規になっていくことへのせめてもの抵抗です。世界にはもっと面白いことがいっぱい起こるべきだといつも思ってますから。

―最後に、そんな高嶺さんにとって観客とはどんな存在ですか?

高嶺:僕はいつもお客さんを、ターゲットを特定してないんです。今回は横浜の美術館という場所がらもあるし、アートにあまり興味がなくても、なんとなく来る人も多いかもしれない。そういう人にも面白がってもらえたらいちばんいいかなと。もう少し言えば…(真顔になって)何かしらの影響を受けちゃったりとか、ね(笑)。そういうのがあると嬉しいです。

イベント情報
『高嶺格:とおくてよくみえない』

2011年1月21日(金)〜3月20日(日)

会場:横浜市 みなとみらい 横浜美術館

時間:10:00〜18:00(金曜は20:00まで開館、入場は閉館の30分前まで)
休館日:木曜

料金:一般1,100円 大学・高校生700円 中学生400円 小学生以下無料

『三木あき子(『横浜トリエンナーレ2011』アーティスティックディレクター)×高嶺 格クロストーク』

2011年1月22日(土)

会場:横浜美術館レクチャーホール

時間:15:00〜16:30(開場は開演の30分前)

定員:240名

料金:無料

『高嶺格 トーク』

2011年3月19日(土)
会場:横浜美術館レクチャーホール 

時間:15:00〜16:30(開場は開演の30分前)
定員:240名

料金:無料

『学芸員によるレクチャー』

2011年2月5日(土) 天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)

2011年2月12日(土) 太田雅子(横浜美術館 学芸員)
2011年3月6日(日) 木村絵理子(横浜美術館 学芸員)

会場:横浜美術館レクチャーホール

時間:各回15:00〜16:00(開場は開演の30分前)

定員:240名

料金:無料

高嶺格演出作品
『Melody♥Cup』

2011年2月19日(土)15:00〜、19:30〜
2011年2月20日(日)14:00〜、18:00〜
会場:神奈川県 横浜赤レンガ倉庫1号館 料金:一般前売3,200円 学生・ユース前売2,200円 一般当日3,700円 学生・ユース当日2,700円

プロフィール
高嶺格

1968年鹿児島県生まれ、滋賀県在住。美術家、演出家。京都市立芸術大学工芸科漆工専攻を卒業後、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS)卒業。1990年代初頭よりパフォーマンス活動を行い、ダムタイプの作品にも参加。現在は、インスタレーションや映像、写真、パフォーマンスやその演出など、多彩な手法で表現を展開する。バットシェヴァ・ダンス・カンパニー(イスラエル)や、金森譲などダンスや演劇とのコラボレーションも多く、演出家としても活動している。



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