許された現実逃避 シグナレス インタビュー

USインディ・シーンの最新トレンドであるチルウェイヴ/グローファイとは、いわば「エズケーピズム(現実逃避)」の音楽である。ドリーミーでサイケデリックな世界に浸っている間だけは、日常を逸脱し、どこか違う場所へと連れていってくれる。それは音楽だけが持つ魔法の力だと言っていいだろう。
京都在住のシンガー・ソングライター=ゆーきゃんと、あらかじめ決められた恋人たちへのリーダー/トラックメイカー=池永正二によるユニットであるシグナレスが初のアルバム『NO SIGNAL』で鳴らしているのも、まさにそれ。美しく、ロマンチックなトラックは厳しい現実を一瞬忘れさせてくれるが、しかし、彼らはこの現実があるからこそ、その一瞬が光り輝くことを知っている。そして彼らは、この作品が海外のシーンに対する日本からの回答であることを明確に意識していたという。季節の匂いに溢れ、「引きの美学」を感じさせる本作は、まさに2011年の日本だからこそ生まれた作品なのである。

(インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:柏井万作)

(ゆーきゃんが)シナリオで、(自分が)演出みたいな。

―お2人の最初の出会いはいつ頃だったんですか?

池永:2000年ぐらい? 僕が勤めてたベアーズ(難波のライブハウス)にゆーきゃんが出てくれたんです。あのときギターも声もマイク1本でやってたんよな? それを見て「いいなあ」と思って。

ゆーきゃん:どっちかっていうと、僕が池永さんの一方的なファンだったんですよ。ベアーズは山本精一さんがオーナーで、ラブクライの三沢さんがブッキングをやってて、あら恋の池永さんがスタッフをしているハコだっていうことで、「出たいなあ」ってずっと思ってたんです。

許された現実逃避 シグナレス インタビュー
ゆーきゃん

―それ以降は対バンとかで交流を重ねていったんですか?

ゆーきゃん:僕は04年に『ひかり』っていうアルバムを出してるんですけど、その中で1曲どうしても池永さんに参加してほしい曲があって、お願いしたんです。それでレコ発のときにゲストで出てもらって、また一緒にやりたいと思ってるところに、今度はあら恋のレコ発に誘ってもらって、そのイベントの最後、明け方にまた一緒にやらせてもらって。そうやってちょっとずつ客演を重ねていったんです。

―ゆーきゃんさんから見てあら恋の魅力ってどんな部分だったんですか?

ゆーきゃん:言葉がないっていうことを逆に上手く使い尽くした物語というか、鍵盤ハーモニカとトラックで作り上げられた世界がとても圧倒的でした。池永さんを見てるはずなのに、その向こう側にいろんな景色が立ち上がっては引いていくっていう。圧倒的でありながら、逆に安心して身をゆだねられる、遊園地のアトラクションみたいな感じですね。

池永:でもディズニーランドじゃないんですよね。ディズニーランドって完全に作りこまれてるわけじゃないですか? 作りこまれ過ぎてないっていうのが俺のやりたいことで、あくまでリアルな部分からの延長線上にある遊園地なんですよ。遊園地で遊んでても、「飯どうしよう?」とか「ごみは持って帰らんとあかんよな」っていうとこまで含めてのアトラクションっていう(笑)。

ゆーきゃん:多分池永さんの音楽は映画から触発されていることが多くて、逆に僕は完全に文芸サイドから音楽の方に来ているので、その両方の出会う部分が、音楽で何かをするってことだったんじゃないかなって。

池永:(ゆーきゃんが)シナリオで、(自分が)演出みたいな。ゆーきゃんから出てきた言葉をどう演出して当てはめていくか、それが僕の仕事なんです。

池永さんとやってるときは、自分の中にある別の、一音楽ファンとしての扉が開かれている気がして楽しい。

―「ゆーきゃん meets あらかじめ決められた恋人たちへ」の名義で初めてライブをしたのは05年のボロフェスタでしたよね?

ゆーきゃん:そうですね。最初はただ一緒にやってみたいっていうのがあったんですけど、それからこの編成でイベントに誘われることも多くなって。

―ゆーきゃんさんは、色んな編成でライブをやっていましたよね。

ゆーきゃん:1人でやるときもあれば、「ゆーきゃん with his best friends」とか「ゆーきゃん meets あらかじめ決められた恋人たちへ」とか、いくつかのライブ編成があったんですけど、そうするとライブ・オファーを頂くときに「〜で出てください」って言われるんです。その中でも「あら恋さんと一緒にやってください」っていうのはたくさん言われました。

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池永正二

池永:なんか派手だったもんね、ゆーきゃんなのに(笑)。ゆーきゃんが歌ってんのに、手数の多いドラムがドカスカやって、キーボーディストも居ればトラックもあって、隣に完全に酔っ払ったベース、振り向けば猛烈な勢いのドラム、逆向けばギタリストがギター壊したりしてましたから(笑)。それで、ゆーきゃんもすごいテンション高くて、どっか登り始めたり、踊り始めたりしてね(笑)。


―(笑)。周りの音によってテンションが高められたんでしょうね。

ゆーきゃん:実はクラブとかすごく好きで、オールナイトのパーティーにも遊びに行くんです。もともとは自分の中に、ソロでやってるシンガーソングライターのゆーきゃんとは違った要素がたくさんあって、でも自分の声とか自分の持ってるメロディで一番よくできることはなんだろうって考えた結果が「ギターの弾き語り」だったんです。なので、池永さんとやってるときは自分の中にある別の、一音楽ファンとしての扉が開かれている気がして、それがすごく楽しかったんだろうなって。

最新型の音楽のモードに対して、日本語で回答するということが今の僕らの間で共通の意識だと思うんです。

―そして、09年から「シグナレス」としての活動を開始したわけですね。

池永:大阪から東京に出て来てからやな。なんで名前つけたんっけ?

ゆーきゃん:「ゆーきゃん meets あらかじめ決められた恋人たちへ」のままだと、ゆーきゃんとあら恋っていうアーティストが一緒にやってるっていうイメージが1人歩きしちゃうから。実際はもうそれぞれの音楽とは別もんやし、別の名前にしましょうかって。

池永:物語性が全然ない回答ですけど、一言「ややこしいやん!」っていう(笑)。

―バンドスタイルから、現在の2人のユニットに変わったのは何故なんですか?

池永:あら恋の他のメンバーが大阪にいたままやったんで、「できる範囲で2人でやろうか」って。だから必然的な流れですね。今多いじゃないですか?ブロークン・ソーシャル・シーンとか、10何人メンバーがいるけど、1人か2人中心人物がいて、周りは流動的っていう。それが今っぽいって言うと変ですけど、そういう感じですね。今はこうなってるけど、また増えるかもしれないし(笑)。

―「シグナレス」っていうバンド名の由来は宮沢賢治の童話『シグナルとシグナレス』からですよね?

池永:宮沢賢治の世界観って変なノスタルジーがあるじゃないですか? 厳しいっていうか、甘ったるいメランコリックじゃない感じ。それに言葉の響きがテクノっぽいなっていうのもあって。

―トラックの方向性はどうやって決まっていったんですか?

ゆーきゃん:元々はあら恋の世界観とゆーきゃんの世界観をかけ合わせようってところから始まって、そこからちょっとずつコンセプチュアルになっていって、ニュー・オーダーとかキュアーとか、あとダブ・ステップのリズムを取り入れようとか。それが今はもうちょっと、世界的な流行というか、最新型の音楽のモードに対して、日本語で回答するということが今の僕らの間で共通の意識だと思うんです。池永さんはすごくMySpaceで音楽をチェックしてて、「今これが面白いから聴いてみて」って。

池永:言わんでええのに(笑)。いろんなの聴いてみたら面白かったんですよ。今流行ってるチルウェイヴとかグローファイを友達から教えてもらって、チラッと覗いてみたら、僕らが昔聴いてきた音楽なんですよね。キュアーとかニュー・オーダーとかジザメリって僕の青春時代なんですけど、そういうのが今新装開店されてて、「こんなんやっていいんや!」って開き直れたっていう。だから今年のテーマは懐メロなんかなと思ってて(笑)。

「同時代性でたまたまリンクしました」とか言うやつは信じちゃだめですよ(笑)。

―(笑)。じゃあ、意識的に「今の時代の音」にしているんですね。

池永:意識的にやってますね。無意識ではそうはならないし、「意識してません」とか言うとるやつは嘘ですよ。普通に音楽が好きで聴いてたらそれはアウトプットされるわけですから、それを影響と呼ぶか、パクりと呼ぶか、その辺は言い方次第ですけど、「同時代性でたまたまリンクしました」とか言うやつは信じちゃだめですよ(笑)。

―ゆーきゃんさんもMySpaceとかYouTubeってよく使います?

ゆーきゃん:僕は自分で探すのがすごく苦手なんですよね。なので、人から教えてもらうものをできるだけ吸収しようと思ってて、京都に田中亮太っていうDJがいて、彼が月2回フリーパーティーをやってるんですよ。そこに行けば最新の音楽が流れてるし、あとはメトロっていうクラブがあって、そこでかかってる曲が面白いなって思ったら「これ何なん?」って聞いて、それをレコード屋さんに買いに行くとか。あとは、古典的ですが、なんだかんだ言って雑誌のレビューは今も信頼してます。信頼できるひとが勧めるものは、聴きたくなりますね。

池永:音楽キッズやな(笑)。若いよね。

―でも池永さんもそうですよね。お2人とも純粋に音楽ファンなんだなって。

池永:うん、それは大きいと思う(笑)。

許された現実逃避 シグナレス インタビュー

僕が好きな音楽に共通するものって、聴覚とは違ったものに流れていく可能性のある音。

―あと僕がシグナレスを聴いてて思うのが、打ち込みなのにすごくオーガニックだなってことなんですね。歌詞に季節を表す言葉が多く使われてたりするのもあって、言葉と音のリンクですごく季節感とか温かみを感じるんです。

池永:たぶん出身がバンドなんで、打ち込みでも無機質な感じにはならないんですよね。

ゆーきゃん:最初にしたあら恋の話もそうですけど、僕が好きな音楽に共通するものって、鳴っている音によって、何かが見えるような気がしたりとか、手触りがあるような気がしたりとか、聴覚とは違ったものに流れていく可能性のある音で、金子さんがおっしゃったことは、多分それに関係するんじゃないかと思うんですよね。

―なるほど、そうかもしれないですね。

ゆーきゃん:元々池永さんの音は鳴ると何か景色が見えてくるし、僕の声は「歌うと温度が二度下がる」ってよく言われるんです(笑)。そういう音じゃない部分が生きる音楽、そこにシグナレスの可能性があると思いますし、それは「大事にしよう」ってわざわざ確認しなくても、お互い大事にしてることなんじゃないかなって。

池永:それは俺も思いますね。うちらがやる場合の共通点は、温度がある音楽っていう。温度があると、景色も見えてくるんですよ。

―歌詞でも、そうしたことって意識されているんですか?

ゆーきゃん:歌詞は、何を書こうってことを決めないんですよ。例えば悲しいとして、そこに何か理由があるのかと聞かれたら、ないのか、あるけどわからないのか、そういう状況をそのまま書きたいと思うんです。「空が青かった」って言ったときに、そこには必ず「だから嬉しい・楽しい・悲しい・寂しい」っていう言葉が目に見えない部分でくっついてると思うんですけど、そういうものを積み重ねてひとつの歌にしたいと思ってて。

―なるほど。

ゆーきゃん:もちろん全て曖昧にしようと思ってもそれはできないですし、必ず自分の中のエモーショナルな部分がはみ出てくるんですけど、そこはかとないせつなさ、多幸感、祝祭感、焦燥感を、あるがままに、自分が書くというより、この辺から引っ張ってくるというようなつもりで、シグナレスの歌詞は書きますね。ポツンと置かれた寂寥とか祝祭を、池永さんがコンプをかけて上げてくれるような感じがするんです。

夜景とかはロマンチックやと思わないんですよ。人間の罪悪感しか感じないですよね(笑)。

―やはり直接的過ぎない表現、聴き手に余白を残すっていうのはお2人の共通点であり、シグナレスの色だと言っていいのかもしれませんね。

池永:確かにそうですね。決めない、押し付けない。

―「これだ」っていうのを提示する音楽ではないというか。

池永:声高らかに言う感じではないですね。ゆーきゃんがちっちゃな声でボソッと歌うのって、すごくロマンチックやなって。そう、ロマンチックな感じは結構テーマにありましたわ。夜景とかはロマンチックやと思わないんですよ。人間の罪悪感しか感じないですよね(笑)。昨日、なんかものすごい時計の音が聞こえる日やったんですよ。チックチックタックみたいな音が耳につく日って、なんかロマンチックじゃないですか? そういう意味合いでのロマンチックさって、宮沢賢治にも当てはまるんですよ。『銀河鉄道の夜』とかね、ああいうものすごい物悲しいロマンチックさ。

―うん、そういう感じはすごくします。

池永:『NO SIGNAL』っていうタイトルも、ないことのロマンチックさ、欠けてるから、足りないからこそ見えてくるもの、聴こえてくるもの、そういうものってロマンチックだなって。クラブで朝3時にものすごいメランコリックなハウスの曲がかかったりすると、明日も仕事やのに、でも帰りたくない、この場から消えたくないって思う、そういうロマンチックさを出したいなって。何故それがロマンチックかっていうと、翌日に仕事があるからなんですよ。仕事がなくって、そのままずっと踊っていられるならロマンチックじゃないんですね。帰る場所があって、明日から現実が始まる、だからこそドリーミーな今がロマンチックになっていくっていう。

ゆーきゃん:万葉集に出てくる、防人の歌や東歌がすごく好きなんです。「故郷に帰りたい」「どうしてこの子がこんなにいとおしいんだろう」、ただそれだけの歌なのに、背景がその奥でものすごく鳴っているから、いっそう美しく聴こえます。何かを言うっていうことには、時代の苦しみや悲しみ、自分の置かれてる状況が全部くっついてくると思うので、それをわざわざ言う必要はなくって。「秘すれば花」というか、隠してるものによって輝くっていうことがすごくあると思うんですね。シグナレスはそれだと思います。シグナルが鳴ってない部分にある、信号に変えられない輝きみたいなものが大事な気がします。

池永:物悲しくてやりきれないんじゃなくて、その悲しさがキラキラに昇華されたとき、すごいロマンチックなものになる。でもそれは嘘だよ、夢だよっていう。現実はもっと厳しいよって。でも厳しさを知ってるからこそ、逃避してもいいと思うんですよ。何もない希望に対して頑張るよりは、音楽ぐらい逃避してもいい。それをドリーミーなキラキラしたポップに落とし込む、そっちの方がいいじゃんっていう。『NO SIGNAL』って、そういうアルバムなんじゃないかな。

リリース情報
シグナレス
『NO SIGNAL』

2011年2月2日発売
価格:2,300円(税込)
FCT-1007

1. y.s.s.o.
2. ローカルサーファー(Album ver.)
3. 太陽の雨
4. パレード
5. LOST
6. 風
7. 星の唄
8. ローカルサーファー(やけのはらREMIX)

プロフィール
シグナレス

シンガー・ソング・ライター「ゆーきゃん」と、エレクトロ・ダブ・ユニット「あらかじめ決められた恋人たちへ」のリーダーであるピアニカ奏者/トラックメイカーの池永正二を中心としたプロジェクト。2010年、ライブハウスやクラブといった従来の枠組みから飛び出し(はみ出し)、オフィス、映画館、Tシャツショップなどでのショウをスタート。10年12月、12インチ・ヴァイナル『local surfer』をJET SETよりリリース、300枚の限定プレスは発売前にすべて出荷終了。そしてついに11年2月、felicityよりファーストアルバム『NO SIGNAL』をリリースする。



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