決して安住しないダンスの求道者 北村明子インタビュー

ダンスの求道者、という言葉がまさに似合う方だと思った。常に現状に満足せず、受け入れず、リスクを負ってでも絶えず新しい試みに挑戦していく。バレエとストリートダンスをルーツに持ち、90年代からコンテンポラリーダンスカンパニー「レニ・バッソ」を主宰。知性的な舞台とエッジの効いたダンスで日本のコンテンポラリーダンスシーンを牽引してきた北村明子。レニ・バッソを解散後、かねてから研究していたインドネシアのアーティスト達と深く交流し生まれた、3年ぶりの新作が9月に上演される『To Belong – dialogue -』だ。長く深い伝統芸能を持つインドネシアのアーティストとともに、北村が何を考え、何を受け入れ、何と戦っているのか。彼女の原初のダンス体験にまで遡って聞いてみた。

お互いの違いを認識し合うのが本当のコラボレーション

―3月に東京で行われた、本作のワークインプログレス(制作過程を試験的に公開し、観客の意見を取り入れながら、作品を練り上げていく手法のこと)を拝見しましたが、非常に面白かったですね。

北村:ありがとうございます。ステージ上でダンサーと意見が衝突したり、ある意味破綻していたかもしれませんが(笑)。

―普通はいくつか出来上がっているシークエンスを見せて、「続きは本番で」となることが多いと思うのですが、出演者同士が椅子に座ったまま「どうしようか」とマジ相談をしたり、ダンサーのミロトが「私はやりたくない」と言い出したり、かなりカオスな状況でした(笑)。

北村明子
北村明子

北村:まあ、出来上がっている部分だけをそつなく見せることもできたんですが(笑)。私は無意識で何となく分かり合うだけじゃなくて、お互いの違いを認識し合うのが本当のコラボレーションだと思っているので、先に進んで行くために、あえてぶつけてみたんです。

―いいことだと思います。分かりあえる部分だけだと最小公倍数的な作品になってしまいますからね。アーティストがどんなことに悩み、そして立ち向かっていくのか、その一端がリアルに垣間見られた、貴重な体験でした。

北村:私はインドネシアのダンサーがルーツとして持っている伝統舞踊などの、歴史に根付いた確固たるものに対しては憧れがあります。興味があるし、聞いてみたいし、イジワルしたくなっちゃうんですよね(笑)。

―日本人として生まれた北村さんと、インドネシアで育ったダンサーとは、どのような違いがありましたか?

北村:私は良くも悪くも、効率を優先する西洋的な考え方に慣れてしまっています。たとえばリハーサルの時には「ダンサーのためにも、限られた時間を効率的に使おう」と考えて動くわけですが、インドネシアのダンサーは「いやいや、そんな早く簡単にはいかないよ」という感じなんです(笑)。インドネシアの人って、基本的にイエス・ノーをはっきり言わず、それとなく態度で表したり、一見関係ない話を始めたりするんですね。

―「日本人の良くないところ」としてもさんざん言われてきたことですね。

北村:練習を進めたい時に、関係ない話を始められると、何で今こんな話をするんだろう? とその時はイライラしたりもしたんですが、それが後々考え直すと、意外に核心を突いている話だったりするんですね。大変なこともありますけど、そういう発見があるのは、ぶつかることを恐れないコラボレーションならではの収穫でした。

自分とは違う存在と本気で向かい合って作品を作っていく

―そもそも今回の『To Belong – dialogue -』プロジェクトは、どんなきっかけで始まったんですか?

北村:私自身が、7年前からインドネシアの伝統武術であるプンチャック・シラットを習い始めたというのもありますが、2010年頃から、私が教鞭を執っている大学の研究も兼ねて、インドネシアの伝統舞踊に関わる人々をインタビュー取材して回っていたんですね。その時に出会った人の中でピンと来たのが、今回出演するダンサーのマルチナス・ミロトでした。彼はインドネシアの伝統舞踊の重鎮、さらにコンテンポラリーダンスのパイオニアでもあるサルドノ・W・クスモという人の弟子で、80年代にはインドネシアのコンテンポラリーダンスの旗手と言われた人です。話を聞いていると、彼も新しい挑戦に大変意欲的で、私もレニ・バッソを休止して、これまでと違う人たちとやらなければ意味がないと思っていましたので、コラボレーションの話が進んでいきました。

©Witjak Widhi Cahya
©Witjak Widhi Cahya

―コラボレーションは初めからうまくいきましたか?

北村:Skypeで打ち合わせをしている間は快調でしたが、実際に稽古場で会って、身体を動かし始めると苦難の連続でした(笑)。言葉だけで話している間はコンセプトを理性的に話し合えるんですけど、身体の動きとなると、もう理性とは全く違うんですね。たとえば私は常に身体と空間の関係性を考え、「身体一つでパッションに至る」という作り方はこれまでしてこなかった。でもインドネシアの伝統舞踊では、「神々と身体の統一」というのが、ダンスにとって外せない大きな要素としてあります。だから私が振り付けを提案するとミロトは「ここには心がない。これはダンスじゃない」ということになるわけですよ(笑)。

―その溝は埋まりそうですか?

北村:本当に大変な思いをしていますが(笑)。だけどこうやって自分とは違う存在と本気で向かい合って作品を作っていくというのが、このプロジェクトの意義でもあります。今でやっと70%くらいまできたかな、という感じですが、この先作品がどんどん変化しながら完成していくことが自分でも楽しみです。

©Witjak Widhi Cahya
©Witjak Widhi Cahya

―今回ドラマトゥルク(作品に関する資料的なリサーチやアドバイスを担当する人)としてインドネシアの音楽家スラマット・グンドノの名前がありますね。

北村:グンドノさんとの出会いは大きかったですね。彼は本来パフォーマーなのですが、「ダラン」という語り部でもある方です。ユーモアの中に毒を混ぜて、社会風刺をするような歌を即興で歌ったりもします。彼の歌と演奏を初めて聴いたとき、言葉の意味もわからないのに何故か号泣してしまったんですよ。これまでの自分のダンス作品はテーマから出発して、物語性を排除したある意味抽象的な世界を作ってきましたが、今回は「ダンス創作をインドネシアの土地で聞いた語りから始めてみたい」と思い、ダランとして活躍するグンドノさんとのコラボレーションが重要だと感じました。今作品では映像での出演になります。

―他の出演者はどういった方たちですか?

北村:もう一人のインドネシアのダンサー、リアントは、バニュマス地方の五穀豊穣を願う「レンゲル・ダンス」の舞踊家です。彼は華やかな女形、ダイナミックな男形、さまざまなキャラクターの踊りをこなします。そしてリチュアル(儀式、祭礼的)なトランスダンスも彼の踊りの背景としてとても重要な要素です。日本人の出演者は、「カンパニー マリー・シュイナール」などで活躍中の今津雅晴さん、04年以降のレニ・バッソにずっと出演してくれていた三東瑠璃さん、ニューヨーク留学からもどった新進気鋭のダンサー西山友貴さん、という、実力のある方々ばかりです。

どうしたら確固たるものがある、と思えるのかが分からないんです(笑)。

―あらためて北村さん自身のこれまでのことをお伺いしたいのですが、そもそもダンスを始められたきっかけはなんだったのでしょうか?

北村:子どもの頃にバレエは習っていたものの、何故だか好きになれなかったんですよ。今は大好きなんですが、多分クラシック音楽のリズムの刻み方が嫌いで、なぜあんな音楽で動かないと行けないんだ! と当時は思っていたような気がします(笑)。あと小学校の頃から、ミュージカル映画をよく見ていて、フレッド・アステアとジーン・ケリーが大好きでした。アステアのちょっと妖怪っぽい身体、きっちりと足先の角度まで計算し尽くされているところなど、惚れ惚れして見ていました。一番正当派のダンスを感じましたね。そして中学生の頃にマイケル・ジャクソンにハマるというベタな展開があり(笑)、身体を動かす方法を色々探っていくなかで当時のストリートダンスを始めたという感じです。

北村明子

―今でこそヒップホップをベースにしたコンテンポラリーダンスは多いですが、20年前、プロフィールに「ストリートダンス」と書いていたコンテンポラリーダンサーは北村さんくらいでしたね。

北村:そうでしたか(笑)。といっても当時は、今のヒップホップのようにちゃんとしたものではなかったですよ。「一世風靡セピア」とかの曲で、和服を取りこんだ衣装を着て扇子を持って、ただ本当に道路で踊っている……。みたいなものでした。パワームーブとかもありませんでしたね。

―そして94年に自分のカンパニー「レニ・バッソ」を立ち上げ、刃物のような鋭さと激しいダンスの作品を次々と発表しました。そして日本のコンテンポラリーダンスカンパニーとしては異例なほど、多くの海外ツアーをやっていましたね。これだけのキャリアを積んで、世界的な評価を持ちながら、まだご自身のダンスを「雑種で確固たるものはない」とおっしゃっていましたが。

北村:逆にどうしたら確固たるものがある、と思えるのかが分からないんです(笑)。ダンスは不確かなものですから、「なにをもってダンサーと言えるのか」は、ずっと考えています。そして「これが私だ」と決まりそうになると、異物を採り入れたくなる。プンチャック・シラットを習い始めたのもその流れです。

―プンチャック・シラットの動きはレニ・バッソの作品『ゴーストリー・ラウンド』(2005年)にも出てきましたね。武術は「敵を倒す」という目的のもと、最も効率的な動きになるはずなのに、突き詰めると舞踊という「余分な動き」と近接してくるのが面白いですね。

北村:私が習っているプンチャック・シラットは近代シラットで、攻撃よりも相手の力を利用して避ける動きが多い、護身術的なシラットなのですが、いまだに60代の先生にスピードが追いつかないんですよ。だからこれは何か秘密があるな? と思って、ずっと取り組んでいます。

北村明子

「ダンサーのために」と思っていたツアーが、結果としてダンサーを苦しめていたことに気づかされました。

―2009年に15年間も続いたレニ・バッソが活動休止となりましたが、そのいきさつを伺えますか。

北村:一番大きいのは、古くから一緒にやっていたメンバーが、年齢や経済的な問題でダンスを継続するのが難しくなったからです。元々レニ・バッソは、ダンサーが胸をはって仕事だ、と言えるように、世界中のフェスティバルを回る「インディペンデント・ツアーリング・カンパニー」を目指していました。それを日本で成立させたくて、世界中を公演して回りました。しかしそれはダンサーにとっては長く日本を留守にすることになり、日本国内での仕事やアルバイトを失うことにもなりかねなかった。「ダンサーのために」と思っていたツアーが、結果としてダンサーを苦しめていたことに気づかされました。みんながハッピーでないとやっている意義がないし、続かないだろうと思い、09年に活動を停止しました。その後私はインドネシアへのリサーチを始め、これまでの興味の枠を広げながら今に至る、という感じです。

父の「本気の地団駄」が、めちゃくちゃグルーヴィーだった。

―北村さんのエッセイで「父の地団駄が『ダンス的な身体』との出会いだった」というエピソードを読んだことがあるのですが。

北村:そう、私のダンスのルーツはそこなんです(笑)。父は歴史学者で「大化の改新はなかった」という、当時は異端の説を唱えている人でした。だから学会からは受け入れられず、毎日酒を飲んでは暴れていたんです。大人が日常生活で、モノ破壊したりガラスを割ったりするほど暴れるのって、スゴイですよ(笑)。そしていよいよ憤りや悔しさが最高潮まで達すると、いわゆる「地団駄」を踏むんですね。音楽や舞踊の素養がない人でしたが、その地団駄を踏んでリズムを成す姿が、めちゃくちゃグルーヴィーなんですよ(笑)。人間の本物の感情ってこういうものなんだなって、初めて目にした経験かもしれません。心打つ身体の状態。まさにダンスのようでした。「人間の身体が紡ぎ出すリズムって面白いなあ」「言葉には出ない本物の感情ってこれだな」と子どもながらに感じたことが、私のダンスの根底になっていますね。

北村明子

―地団駄を踏む父上の姿は、まさに心と身体が完全に一致した、理想的なダンスの状態ともいえます。

北村:そうですね(笑)。実は父の存在は、今回の作品にも多少関係しているんですよ。今作品の語りで、グンドノさんの母親が亡くなったときの話が語られるんですが、その内容が「7年間も昏睡状態だった母親が、死ぬ間際にフッと元気になって歌を歌った、それはいつも母が歌っていたインドネシアの古い歌だった」というものなんです。実は私の父も亡くなる直前、実兄が来たときに昏睡状態からフッと醒めて挨拶をしたとか、似たような経験がありました。

―ちょっと不思議な話ですね。

北村:私は東京で生まれ育っているので、昔は「そんな不思議な話はあるわけがない」という反感がありましたが、インドネシアでは「死んだ人間が生き返った」とか、スピリチュアルといわれるようなことって、生活の中に自然にある。だからインドネシアで暮らしているうちに、人が死ぬ前に歌ったり元気になったり,呪術師が病気を治したりというのは、見方を変えれば、この生活の延長にある、普通のことなのかもしれないなと思うようになったんです。本作のタイトルにある「dialogue(対話)」とは、「見えないものとの対話」という意味を込めています。

©Witjak Widhi Cahya
©Witjak Widhi Cahya

―本作のタイトルについて、あらためてもう少し詳しくお伺い出来ますか。

北村:ダンスでもアジアでも何でもよいのですが、人が生きていく上で様々な物に所属していく(Belong)とはどういうことなのか、ダンスはどこに属するのか、ということを、それぞれのダンサーの身体を通して探っていきたいと思っています。もうひとつ大きなテーマは先ほど言った「見えないものとの対話(dialogue)」ということです。たとえば「亡父が残した銅鐸のレプリカを見ながら父と会話する」というのは、私にとっては普段から普通にしていることなんですね。また、ダンサーでも武術の方でも、「他者に身体を引っ張られる」というか、「自分一人で動いているわけじゃない」という感覚を一度は感じたことがあると思うんです。「見えない何かと対話することで、自分が持っている以上のパワーが湧く」「生きる力が湧く」ということを感じていただければと思います。

―タイトルの「Belong」には「所属する」と同時に、「ふさわしい場所に収まる」という意味もあります。現代の日本人にとって、身体と魂が本来あるべき場所にたどり着く道を、今作品は見せてくれるかもしれませんね。本日はどうもありがとうございました。

イベント情報
インドネシア×日本 国際共同制作公演
『To Belong ―dialogue―』

2012年9月21日(金)〜9月23日(日)
会場:東京都 三軒茶屋 シアタートラム
料金:一般3,500円 当日3,800円

2012年9月25日(火)OPEN 19:40 / START 20:00(受付開始19:15)
会場:兵庫県 新長田 Art Theater dB Kobe
料金:一般 2,500円 当日 2,800円 学生 2,000円

構成・振付・演出:北村明子
ドラマトゥルク:石川慶
音楽・音楽監修:森永泰弘
音楽提供:スラマット・グンドノ
出演:
北村明子
マルチナス・ミロト
今津雅晴
三東瑠璃
リアント
西山友貴

プロフィール
{アーティスト名など}

振付家・ダンサー、信州大学人文学部准教授。早稲田大学入学後、ダンスカンパニー「レニ・バッソ」を結成。95年文化庁派遣在外研修員としてベルリンに留学。2003年『Enact Oneself』が、『The Independent Weekly』紙、ダンス・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほか、代表作『finks』が、モントリオール『HOUR』紙、05年ベストダンス作品賞を受賞。海外のダンスカンパニーへの振付も意欲的に行うほか、演劇、映画、オペラなど他ジャンルへの振付も行っている。2010年からソロ活動を開始。11月Artzoyd企画、マルチメディアコンサート『The Black Particles』(CENTRE D'ENGHEIN LES BAINSにて世界初演)への振付・出演し、ダンサー、振付家として高い評価を得ている。



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