わざわざ足を運んで観ることの意味ってどこにある?「劇場」入門

アートや映画、音楽に興味のある読者でも、劇場には久しく行っていない、という人もじつはいるだろう。どこか敷居が高く、入りにくいその建物。日本全国、様々な自治体で立派な劇場が作られているにも関わらず、映画館、コンサートホール、美術館などとは違って、万人が利用しているとは言いがたい。

劇場は、古代ギリシャの時代から人々が集う公共の場所として機能しており、ヨーロッパでは現在でも町の中心に位置する場所に設置されている一方、日本においては1980年代以降、全国に数多くの公立劇場が設置されてきたものの、どこかよそよそしさを感じてしまうのは何故なのだろうか?

舞踊家・演出振付家の金森穣は、2004年から新潟市の公共劇場「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」の舞踊部門芸術監督を引き受けている人物。10年にわたって、舞踊家としてヨーロッパの名門カンパニーを渡り歩いてきた彼は、新潟から世界に誇れる劇場文化を作ろうというチャレンジを試みている。では、金森がチャレンジの場としている「劇場」とは、本来どのような空間なのだろうか? そして、そこで舞台芸術に触れる意味とは? 金森と社会学者の大澤真幸に、日本の劇場文化の可能性について聞いた。そして、この記事を読んだ後には、ぜひ近くの劇場に足を運んでみてほしい。

僕が若いころは舞台芸術が、ものを考えたり、世界に関わろうとするときの1つの重要な通路というか、「趣味以上のもの」だった気がします。(大澤)

―今日は「劇場文化」をテーマに、お二人にお話を伺いたいと思っています。金森さんは、10代半ばでヨーロッパに留学され、複数の世界的カンパニーで活躍された後、現在は「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」舞踊部門の芸術監督を務め、劇場専属舞踊団Noismを立ち上げるなど、劇場と共に人生を歩んでこられました。一方、社会学者である大澤さんはどうして劇場に足を運ぶようになったのでしょうか?

大澤:僕が若いころは今と少し違っていて、特に演劇が好きな人じゃなくても劇場に行くことが普通だったんです。ものを考えたり、世界に関わろうとするときの1つの重要な通路というか、舞台芸術が「趣味以上のもの」だった気がします。だから、何か気になる作品があれば、観に行くのが日常的なことでした。1970年代終わり、野田秀樹の「夢の遊眠社」が有名になる少し前くらいのタイミングですね。

左から:金森穣、大澤真幸
左から:金森穣、大澤真幸

―劇場に足を運ぶのが日常的で、演劇やダンスを観るのが「趣味以上」のものだったというのは、今では想像しにくい感覚ですね。その状況は、その後どのように変わっていったのでしょうか?

大澤:舞台芸術がだんだんと細分化されて、趣味的なものになり始め、力を失っていきました。それで僕も劇場から足が遠のくようになってしまったんです。しかし2000年ごろに、鈴木忠志(唐十郎、寺山修司らと共に1960年代アングラ演劇の担い手とされる演出家)さんと知り合ったこともあって、ふたたび劇場に足を運ぶようになり、まだ可能性があるぞと再確認してからは、観に行くようにしています。その中で出会ったのが、金森穣さんだったんです。

金森:そうだったんですね。でも、今お話いただいたような社会における舞台芸術の変化には、どのような要因があったと考えられていますか。1960年代から今にかけて、社会の何が変わったんでしょう。

大澤:僕の社会学の先生だった見田宗介さんは、1945年からの戦後の歴史を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」という3つの時代に分けて考えていました。その中で言うと、舞台芸術が最も力を持っていた時代は「理想の時代」が終わりかけて「虚構の時代」に入りかけた1960年代末から1980年代初めにかけて。60年代の学生運動が終息し、一般人が政治的な目標を立てることに欺瞞を感じ始めつつ、精神や文化的な立場から社会をプロテストするというような時代であり、そのころに演劇が若い人に受け入れられていたんです。

大澤真幸

―鈴木忠志さんが、早稲田小劇場で活躍していた時代ですね。

大澤:他にも、寺山修司、唐十郎などが活躍し、「理想の時代」を「虚構」によって相対化しようとする力が演劇にはありました。それを徹底的にやりきったのが野田秀樹でしょう。彼はすべてを言葉の力で笑い飛ばして、古典的な理想にこだわるものを嘲笑していく。当時の人々はその軽やかさに感動したんです。けれど、野田さんの後にはどんどん趣味っぽい演劇が多くなっていったように思います。逆に、金森さんは今の日本のシーンをどのように捉えていますか?

金森:私は17歳でヨーロッパに渡り、1992年から2002年までの10年間は日本の状況にコミットしていませんでしたが、ここ20年の間に「大きな社会性のある作品」が減り、「小さな個人的作品」が増えていったように感じます。それは作品規模のみならず、舞踊団の規模、集団性に対しても言えることですね。

―具体的にはどのような部分でしょうか。

金森:日本では、ヨーロッパのように近代的なスタイルや文化が確立されていないにも関わらず、それを相対化しようとしたコンテンポラリーな感性だけを真似ようとしてしまったことが問題だと思います。そのことによって踊れない舞踊家がさらに踊らなくなったり、集団活動も満足にできていないのに集団性を否定してみたり、一見するとコンテンポラリーだけど、内実は迷走している感じを受けます。もちろん日本の場合、舞踊家たちが望んでも、独自のスタイルを確立したり、集団活動ができる環境がないことも事実です。意識が先か、環境が先かといったところでしょうね。

ヨーロッパから日本に戻ると、アイデアは面白いけれど質の低い公演ばかりが上演されていました。そんな状況に対して、トレーニングで身体と徹底的に向き合うことで、舞踊の社会性を提示しようとしたんです。(金森)

―金森さんが見てきたヨーロッパのシーンはどのようなものだったのでしょうか?

金森:ヨーロッパでもトレーニングをしない舞踊家が増えたり、集団性が否定されたり、劇場文化自体が崩壊しつつある面もありましたが、それでもやはり、一流の舞踊団であれば舞踊家の基礎レベルは非常に高いし、劇場や舞踊団が社会的な役割を持って存在していて、国家に必要なものとしてまだ認められていました。しかし日本に戻ってみると、アイデアは面白いけれど、質の低い公演ばかりが上演されていて、舞踊家たちはバイトをしながら生計を立てているなど、舞踊は相変わらず趣味の営みに過ぎなかった。自分としては、そんな日本の状況に対して、舞踊芸術の専門性を確立し、トレーニングで身体と徹底的に向き合うことで、お稽古事ではない舞踊の力を社会に提示する必要性を感じました。そうすることでしか、ヨーロッパのような劇場専属の舞踊家のあり方や、公的支援は求められないと思っていましたから。

金森穣

―日本ではあまり前例のないことに取り組まれたんですね。

金森:そんなときに刺激を受け、心の支えになったのは、同世代や前世代のアーティストではなく、鈴木忠志さんであり、1970年代の思想とエネルギーであり、「大きなもの」に戦いを挑もうとするその強い意志でした。あの時代から何かを学んだ上で、自分たちの時代を構築できないか。後に誰かに相対化されて無効化されたとしても、この趣味だらけの細分化された時代に、1つの専門性、基盤のようなものを作る必要がある。それが自分の野心として芽生えてきたんです。

大澤:今お話をうかがっていて、金森さんはかなり自覚的に、すばらしい状況認識をされているなと思いました。欧米の舞台芸術シーンは1度スタイルを確立してから相対化を始めている。でも僕らは8合目まで登ったところで、頂点から降りてきた欧米の人たちと出会って、「なんだ同じ高さじゃん」って思っちゃった。まだ登ってないのに「勝ってる」と思って一緒に降りて来ちゃったんだよね(笑)。

金森:まさにそうなんですよ(笑)。

他者との関係を刺激されるような芸術体験というのは、パフォーミングアーツ以外にはないんです。(大澤)

―お二人は、長年舞台芸術に関わってきたわけですが、わざわざ足を運んで、劇場で舞台作品を観ることの意義はどのように考えていますか?

金森:舞台は実演芸術であり、見ず知らずの人と隣り合わせで、目の前で生み出される表現、刻一刻と変化していく一回性の出来事を身体的に共有します。それは絵画や彫刻を観るのとはまったく別次元の体験なんです。個人的に作品を受け止めると同時に、多くの他者と同じ出来事を体験する。これはとても強烈なことです。非身体的な情報体験がどんどん幅をきかせていく時代に、観客に対してそのような体験の価値をどう提供していけるか、専門家の必要性をどう認めてもらえるかが、舞台芸術関係者、そして劇場関係者の抱えている課題ではないでしょうか。

大澤:「身体の体験」というのは「関係の体験」でもあるんですよ。他者との関係を刺激されるような芸術体験というのは、パフォーミングアーツ以外にはないんです。目の前でダンスや芝居が行われているときは、パフォーマーが直接自分の世界に関わってくるような感覚になります。また、隣に座っている人の息づかいが聞こえてくるなど、観客相互でも関わりを持っている。劇場はパフォーマーや他の観客との関係も享受すべきものなんです。ただ、その関わりはSNSのように心地良くて便利なものばかりではなく、衝撃を受けたり、傷つくようなものでもあります。それくらいでないと、本当の良さは感じられないんです。そのためにも同じ空気の中でパフォーマンスを観ることは重要だと考えています。

大澤真幸

―近年では映像技術も発達し、DVDやインターネット動画配信など、劇場に足を運ばずとも舞台作品を楽しめる環境が生み出されていますが、そういった「関係性」は映像では味わうことができませんね。

金森:だから劇場に足を運ばないと、本当に「観た」という経験にはつながりません。身体、あるいは衣裳や照明、美術などの質感、その気配はその場に居合わせないと感じられないものだし、なにより不可逆な時間的緊張感は映像では表現できない。そして圧倒的な身体性は同じ空間でしか体験できない。それがなかなか理解されないんですよね。じつはNoismでもDVDを出したり、ダイジェスト映像をウェブ上に公開したりしているんですが、あくまでも映像としての作品であって、別の作品だと考えてもらったほうがいい。劇場に足を運ぶきっかけになればと思っているんですけど、「劇場では観たことがないけど、映像で観たことがあります」で終わってしまう人が結構いるんですよね。

―しかし、舞台芸術というと「体験する」のではなく「鑑賞する」というイメージが強いですよね。だから、映像でも「観た」と言えてしまうわけで……。

金森:ライブを観るという行為には、視覚以上の情報がある。目で見ているだけのつもりでも、肌で感じ、伝播してくるエネルギーを全身で受け止めている。聴覚だって、ライブなら実演家の足音や呼吸も聴こえるでしょう。だから、見たか見ないかの議論が視覚に限ったこと、記録された映像と同質なものと考えられていることに、現代人の身体的危機を感じます。そして観客だけではなく、劇場を運営する側にも問題があると思います。劇場とは「非日常的な体験」を提供する場所、そのための身体や作品を創造する場所であるはずなのに、日本では市民への「サービス施設」と考えられている。趣味の営みをサポートする場を提供し、有名人の公演を鑑賞できる施設。それは公民館の役割です。自治体が専門家を雇用して「現代社会においてこういう身体表現、舞台作品を身体的に享受すべき」という文化政策を創造、発信するための場が劇場なんです。日本の劇場はその前身である公民館の機能を引き継いでますから、その棲み分けがいまだにできていないんですね。

望んでいたものを手にしたときの喜びと、予期せぬ感動に出会ったり、新たな価値観を発見したりすることの喜びは同じものでしょうか?(金森)

―金森さんが芸術監督を務める劇場「りゅーとぴあ」でも、先ほどのような問題は起こっているのでしょうか?

金森:もちろんです。「りゅーとぴあは市民が利用するために建てたんであって、Noismのために建てたんじゃない」と前の支配人にはっきり言われましたからね。そして新潟から独自の舞台芸術を世界に創造発信するんだという目的でNoismを立ち上げたのに、「難しいことばかりやっていないで、市民が喜ぶものをやってほしい」という無言の圧力がある。市民のための「サービス施設」として劇場があるから、できるだけ多くの市民が楽しめるものを、という発想です。しかし、その発想だけでは大澤さんの言うように、作品体験という衝撃を通じて自分自身と向き合ったり、新しい価値観に出会うことはできません。望んでいたものを手にしたときの喜びと、予期せぬ感動に出会ったり、新たな価値観を発見したりすることの喜びは同じものでしょうか?

金森穣

大澤:でも、その論理を納得させることは難しいですよね。地方経済や社会が上手くいっている状況ならまだ良いですが、現状は上手くいっていません。欧米と日本を比較した場合、地方都市の雰囲気はまるで異なります。ヨーロッパは人口1,000~2,000人の町でも、人間が生きている感じがありますが、日本では人口10万人くらいの地方都市に行っても「死んでる」と感じることがしばしばです。だからこそ、文化が必要なのではないかと思います。

―文化があることによって、地方の町が活性化する?

大澤:文化を持つということは、共同体の根幹の部分と結びつく問題です。たとえば、政治や外交と舞台芸術は一見関係無いように見えますが、とても深く結びついています。政治家が外交の場で何か強く言わなければいけないときに、究極的には日本人として、自国の文化について自信を持っているかということが重要になってくるんです。交渉で強く発言するための最後の一押しとして、「日本人」としてのアイデンティティーをしっかり持てるかが鍵となる。富山県の山奥で、独自の演劇メソッドによる作品を作り続け、世界的に影響力を持つ鈴木忠志さんの劇場には、なぜか多くの政治家の方が通われているのですが、たぶんそういうことを求めているんですよ(笑)。

金森:それを国家として徹底してやったのがフランスですよね。1920年代に、それまで培ってきたクラシックバレエの伝統がアメリカで相対化され、モダンダンスという新しい潮流まで生み出されてしまいました。そこでフランスでは、国策として地方の劇場に専属舞踊団や振付家を雇用して、現在のコンテンポラリーダンスにつながる下地を作ったんです。フランスが1980年代にそれを成功させたことで、舞踊の歴史は大きく変わりましたし、フランスは自信を取り戻した。

大澤:日本でも今、それをやらなければいけないんです。1980年代までは経済大国としての自尊心を見出していましたが、経済成長が止まり、中国が勢いを増していったことで、その自尊心は崩れていきました。たとえばオリンピックやワールドカップでの盛り上がりを見ていても、ちょっと期待しすぎ、喜びすぎじゃないかと思うんです。自信がないから、たまに日本人スポーツ選手が頑張っているのを見るとものすごく喜ぶわけです。ああいうときのナショナリズムは自信のなさの裏返しでもあるんですよ。だからこれからやるべきことは、経済以外でのプライドを持つことなんです。

今の時代に面白いことをやりたいなら、自分の人生が終わった後のことまで考えるようなスケールじゃないとつまらなくなるよね。(大澤)

―自分たちの文化への意識が弱いと精神的な軸がなく、ひいては政治の場面にも関わる状況となってしまうわけですね。

大澤:そのためには根っこの部分から変えていかないといけません。日本が国連の常任理事国になりたいのなら、地方においても、自分たちが発信すべき価値観を見つけたり、精神的な自立をすることが必要なのではないでしょうか。そのためには、劇場にお金を投じることも大事だと思います。もちろんすぐに効果が出るものではありませんが、20年ほど続ければ世代も交代し、社会も変わっていくはずです。

大澤真幸

―金森さんは、りゅーとぴあの舞踊部門芸術監督や、新潟市文化創造アドバイザーとして行政とも積極的に関わりを持つ立場でもあります。アーティストとして独自の世界を追求することと、芸術監督やアドバイザーとして社会的な責任を負うことには、どのように折り合いをつけているのでしょうか?

金森:社会に対して何かを発信・表現するというアーティストのスタンスと、芸術監督やアドバイザーとして社会における劇場のあり方を考えることはつながっています。ヨーロッパでも20世紀の巨匠たちは、芸術監督を務めながら名作を発表し続けてきましたよね。当然、公的な仕事も増えますが、自分がやっていることを言語化・意識化することで、社会性を持った表現に結びついていくという効果もあるんです。そもそも市のアドバイザーなどをやっているのは、社会における劇場の問題など、行政の文化政策から変えていかないといけないと思うからです。

―折り合いどころか、プラスになっている。

金森:だから、他の舞踊家たちもやったほうがいいと思う。少なくともそういった問題意識は持った方がいい。舞台芸術と社会との接点が感じられなくなっている現在の状況では、「自分はこう感じる」といった自己吐露的、自己完結的な作品が多くて、それは趣味の合う仲間たちでやっていれば、当然そうなってくる。でも、社会に対して何か言おうとしたり、世界と関わっていこうとすれば、自分がどうこうだけじゃなく、いろんな人と価値観をぶつけ合いながら、自己の一線を超えなければいけない場合がどうしても出てくるんです。そうやって自分の限界に向き合ったとき、制約を通して新しい可能性が見えたり、発想も自由になれたりする。そして劇場に来たことがない人、舞踊に興味がない人にも「これはすごい!」と感じてもらえる身体、そして作品を作らなければなりません。そのためには他者との交わりが必要だし、居心地の良い環境でやるだけでは立ち行かないんです。

金森穣

―同じようなビジョンを共有できたり、期待しているアーティストはいらっしゃいますか?

金森:同年代だと他分野にはいますが、舞踊界となると……。私がNoismを始めたころに比べれば、少しずつ状況も変わってきているので、可能性としてはどこかにいるとは思っているのですが……、なかなか出会わないし、諦めているのかもしれないですね。後輩たちには期待しているし、応援もしているんだけど、みんなビジョンが短いと思うんですよ。

―短い?

金森:社会と関わっていくつもりで活動するなら、自分たちが死んだ後に何を残せるか、残したいかということも意識せざるをえません。もちろん現時点では夢のような話かもしれませんが、それぐらいのビジョンを持たないと変わっていかないと思うんです。まあ自分の場合、そう意識しておかないと辛くて耐えられない、というのもありますけど(笑)。でもみんな目先の成功、今のうちに有名になりたいとか、自分で好きなように活動したいとか、野心の持続性や目標への距離が短いんですよ。

大澤:今の時代に面白いことをやりたいなら、自分の人生が終わった後のことまで考えるようなスケールじゃないとつまらなくなるよね。まあ、金森さんはまだだいぶ先まで生きると思うけど(笑)。

僕らは日本の伝統の中にいるし、欧米にも魅了されています。そのどちらかではなく、両方を肯定して引き受ける方法があるのではないでしょうか。(大澤)

大澤:欧米と日本の話がありましたが、金森さんはヨーロッパでバレエという西洋文化を学びながら、表現では日本的な面も強く意識していますよね。12月の新作公演『ASU~不可視への献身』でも、広い意味での東の文化・西の文化というものをテーマにされるそうですが、金森さんとしては、日本と欧米との関係をどのように考えているのでしょうか?

『ASU ~不可視への献身』チラシビジュアル
『ASU ~不可視への献身』チラシビジュアル

金森:2002年に日本に帰ってきたとき、舞踊界では欧米の最先端に触れてきた人として扱われました。ヨーロッパで学んできたものを切り売りすれば、目新しいからとても喜ばれるんです。けれど私は舞踊家としてもっと学びたいし、表現の可能性を見出したい。ヨーロッパでは得ることができないものを学び、さらに高い質の表現を生み出したいと思って帰国したんです。ヨーロッパで活動していると、どんなに一流の振付家に認められても、「東洋の舞踊家」という視点がどうしても絡んでくるし、劇場を出れば移民に対する眼差しがある。長く向こうにいると、アイデアや価値観がいくら西洋化されても、身体や精神は日本人であることを感じるものなんですね。だから一度日本に帰って自分と向き合う必要を感じたんです。そして、新潟で舞踊団を立ち上げることになって、日本人の舞踊家たちと活動するようになった。そこで「日本人舞踊家としての表現とは何なのか?」を意識し始めたんです。ようやく西洋を相対化できるようになったことで、自然と日本人の身体や、そこから生まれる表現に意識が向き始めたんだと思います。

大澤:金森さんが見つめた「日本人としての表現」とはどのようなものだったんでしょうか?

金森:ただ、欧米の真似をするだけではないものです。たとえば、新国立劇場バレエ団は、「日本独自のバレエ」を確立することができておらず、未だにロシアやイギリスの真似をしているような状態です。イギリスも、フランスも、ロシアも、アメリカも、独自のクラシックバレエを確立してきたのに、日本は「源氏物語をテーマに振付する」といったレベルで終わってしまう(苦笑)。そうではなくて、身体のあり方や技術のレベルで「日本のバレエ」を考えなければいけません。『ASU~不可視への献身』は2部構成になっていて、1部で『Training Piece』という、Noismのトレーニングを構成演出し、作品として上演します。西洋のクラシックバレエは身体を外に開いていくものですし、運動の軸は垂直にありますが、日本の舞踊は身体を内側に閉じていて、軸は水平にあります。それは形式だけの問題ではなく、日本の伝統的な生活様式や精神性の結果なんです。われわれは、西洋文化からの影響と東洋の身体文化をふまえながら、現代日本人としての身体表現を生み出していこうとしています。

金森穣 撮影:篠山紀信
金森穣 撮影:篠山紀信

大澤:『Training Piece』はすごく楽しみなんです。舞台芸術におけるメソッドとは、役者やダンサーの身体を改造することを意味しますが、どういう方向に改造するのか? という明確な方向性や自信を持っている日本の演出家・振付家は少ないんです。鈴木忠志さんの「スズキ・トレーニング・メソッド」を見ると、その工夫をこらした改造方法に感心してしまいます。日本の演出家が自信を持てないのは、日本の伝統と西洋からの影響、どっちつかずになっているから。僕らは日本の伝統の中にいるし、欧米にも魅了されています。そのどちらかではなく、両方を肯定して引き受ける方法があるのではないでしょうか。

金森:もしかしたら『Training Piece』は、20世紀を代表する西洋の振付家のたちの影響を受けた作品だと思われる人もいるかもしれません。彼らは20世紀の新しいバレエを作るために、日本を含めた東洋の文化からインスピレーションを受けて、動きや身体性を発見していきました。私たちが必死に西洋から学ぼうとしている間に、向こうはこちらから学んでいたんですね。しかし重要なのは、今回Noismが身体を内側に閉じたり、水平軸を意識するのは、その影響を受けているのではなく、われわれ日本人にとっての本質的なものにもう一度立ち返っているだけということです。

大澤:金森さんの場合、バレエダンサーとして訓練されてることもわかるし、結果的に西洋に向かうベクトルと日本の伝統に根ざすベクトルとの緊張感が最高度に達している状態。その金森さんがどういうふうにダンサーを作っていくのか、ものすごく楽しみ。そこにはダンスだけじゃなく、文化的レベルから日本をマトモにしていくためのヒントがあると思いますね。

もっと野性的で、直感的な舞踊の根源に触れたい。西洋とか東洋とかいう以前の、動物的な身体感覚としての「何か」が立ち現れてくるのでは、という期待がある。(金森)

―そのような、Noism独自の『Training Piece』を観せた後に、第2部『ASU』が上演されます。

金森:アルタイ共和国(ロシア南部の自治共和国)で、2000年以上伝えられてきた「カイ」という「喉歌」からインスピレーションを受けた作品です。21世紀にこの音楽を聞いたとき、われわれの身体が何を感じ、どのようなコミュニケーションを提示することができ、その身体を観たお客さんがどんな精神的な旅をできるのかということにすごく興味がわきました。今年6月に上演した劇的舞踊『カルメン』は、ある種のエンターテインメント性を内包した物語性の強い作品だったため、その反動としてわかりやすさや言語性に依存しない、舞踊の根源的な領域に飢えていたんです(笑)。物語に寄り添うものではなく、もっと野性的で、直感的な舞踊の根源に触れたいと考えています。そこに見える身体を通じて、西洋とか東洋とかいう以前の、動物的な身体感覚としての「何か」が立ち現れてくるのでは、という期待があるんです。

劇的舞踊『カルメン』より 撮影:篠山紀信
劇的舞踊『カルメン』より 撮影:篠山紀信

―その「何か」とは、タイトルにもある「不可視への献身」を意味するのでしょうか?

金森:それが私にとっての舞踊なんです。舞踊は身体の動きで表現するもので、観客は舞踊家の身体を見て表現を受け取りますが、そこにある身体、可視な身体は、空間、重力、エネルギー、緊張感など、不可視なものを可視化しているんですね。そして舞踊の起源が祭儀やシャーマニズムにあるように、われわれのこの身体は、精神世界、想像力といった不可視な領域と現前する世界との架け橋なんです。身体の運動しか表現できないのであれば、舞踊の専門家とは言えないし、その精度の優劣の問題だけであればスポーツでいい。それにNoismは日本で唯一、公的に支えられて活動しているのだから、「この人たちの身体は何かが違う」と一般市民が感じられるもの、日常生活では出会えない身体の可能性、あるいは本来身体に備わっているけれど、近代化された社会において見失われている根源的なものを表現できなければいけない。今回の作品では、その「違い」や「可能性」を技術面だけでなく、精神的なものとしても表現したいと思っています。

大澤:ダンスや演じることは少なくとも言語と同じくらい古い。人類で言葉を話さない文化がないのと同じで、人間の本質的な欲求に根ざしていて、それはおそらくコミュニティーとも結びついていたんです。現代の日本では、形骸化した伝統芸能には興味が持てなくなり、西洋のモノマネ文化も今一つになって、本来的な欲望を満たせる場所が空白になっている。そこを埋めるものが必要なんです。それはまさに今、金森さんたちがやっているようなことだと思います。これが全国で観られるようになれば、舞台を観るの当たり前だよねという生活ができてくると思う。本来ダンスや演劇を観に行くって難しいことじゃない。小説を読むより普通の欲求なんです。

イベント情報
Noism1『ASU ~不可視への献身』

新潟公演
2014年12月19日(金)~12月21日(日)全3公演
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館<劇場>
料金:
一般 S席4,000円 A席3,000円
学生 S席3,200円 A席2,400円

神奈川公演
2015年1月24日(土)、1月25日(日)全2公演
会場:神奈川県 KAAT 神奈川芸術劇場<ホール>
料金:一律5,500円

演出振付:金森穣
衣裳:宮前義之(ISSEY MIYAKE)
出演:Noism1
音楽:
第1部『Training Piece』
Steve Reich “Drumming” & Ryoji Ikeda “supercodex”
第2部『ASU』
Bolot Bairyshev “Kai of Altai / Alas”

プロフィール
金森穣 (かなもり じょう)

演出振付家、舞踊家。りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督 / Noism芸術監督。ルードラ・ベジャール・ローザンヌにて、モーリス・ベジャールらに師事。ネザーランド・ダンス・シアターII、リヨン・オペラ座バレエ団他を経て帰国。2004年4月、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督に就任し、日本初の劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。近年では『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』での小澤征爾指揮によるオペラの演出振付を行う等、幅広く活動している。2014年6月より新潟市文化創造アドバイザーに就任。平成19年度『芸術選奨文部科学大臣賞』ほか受賞歴多数。

プロフィール
大澤真幸 (おおさわ まさち)

1958年長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』刊行中、「群像」誌上で評論「〈世界史〉の哲学」を連載中。



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