難しい時期に来ている「美術館」の歴史を、建築家・内藤廣に聞く

北陸新幹線の開通以降、観光地としても注目を集める富山県に、2017年、新しい美術館がオープンする。長らく愛されてきた富山県立近代美術館を改称し「富山県美術館」として生まれ変わるのだ。ロケーションも大きく変わる。富山県民・市民の憩いの場であり、世界一美しいスターバックスがあることでも有名な富岩運河環水公園の敷地内に、屋上も含めて全四層のフロアを擁する建物が現れる。

その設計を担当したのが、内藤廣である。海の博物館(三重県)、牧野富太郎記念館(高知県)など数多くの文化施設を手がけ、東京大学の教授、副学長を歴任(2001~2011年)した内藤は、表層的な造形よりも構造を重視する建築家として知られ、土地ごとの特長、素材の個性に寄り添う人物である。そんな彼に、富山県美術館にかける想いを訊ねてみた。その問いの答えからは、アートと社会の関係が見えてくるかもしれない。

富山県美術館は、技術的には最高難度の設計なんです。あまりにも構造にこだわりすぎて、その大変さがほとんど伝わらない(笑)。

―富山県美術館は2017年の開館を目指して、現在工事が進んでいます。内藤さんは同館の設計をどのように構想したのでしょうか?

内藤:富山県とは『雅樂倶・茶室』(2001年)、『リバーリトリート雅樂倶ANNEX』(2005年)でもご縁のある土地なのですが、とても美しいところですよね。立山連峰の眺望は雄大ですし、それを一望できる富岩運河環水公園もゆったりとして気持ちのいい公園です。その眺望と地形を生かすというのが第一のミッションでした。都市のランドマークになることを目指すのではなく、公園の全体構想のなかで生きる美術館にしようと思いました。

富山県美術館(完成予想図)
富山県美術館(完成予想図)

―内藤さんの作品は、切妻型の屋根やアーチ状の内部構造などが特徴だと思うのですが、今回はそれらとかなり異なっていますね。平たい三層のフロアが積み上がって、屋上には大きな庭園がありますから切妻型の屋根も見当たりません。

内藤:ぼくにとってはかなりの挑戦なんですよ。30年以上の経験があれば、おおむねやり方は見えるし予測もできる。でも、ぼくもクリエイターですから、未知の新しい領域に力を入れていきたいんです。屋上を庭園にしたのは、美術館が建設される場所にもともと「ふわふわドーム」という子どもたちに人気の遊具があったからなんですね。県知事から「ぜひ残してほしい!」という希望をいただきましたが、ぼく自身も子どもたちが遊んでいる後ろに立山連峰がそびえる風景は残したいと思っていました。だから今回は建築家としての個性はなるべく出さず……というか見えないようにしたわけです。

内藤廣
内藤廣

―これは内藤さんの建築の最大の特長だと思うのですが、表層的なデザインよりも建築全体の構造を重視していますよね。代表作の『海の博物館』(1992年)はその顕著な例で、素材の特性を徹底的にリサーチして、無駄を限界まで排して設計されました。その結果、コンクリートを用いた美しいアーチ状のデザインが生まれた。1990年という日本がバブル景気の真っ最中に、装飾的な奇抜の美ではなく、機能からシンプルな美を導き出すという、反骨精神に驚かされます。

『海の博物館』(三重県) 写真:内藤廣建築設計事務所
『海の博物館』(三重県) 写真:内藤廣建築設計事務所

『海の博物館』(三重県) 写真:内藤廣建築設計事務所
『海の博物館』(三重県) 写真:内藤廣建築設計事務所

内藤:あまりにも構造にこだわりすぎて、毎回設計は大変ですけどね(苦笑)。今回も技術的には最高難度なんですよ。これ見よがしに構造を見せていないだけで、かなり難しい構造体です。

―難しい部分というと?

内藤:メインの展示室がある2階は、巨大な空洞みたいなもので、そこに柱はほとんど立てません。前面のガラス張りになっているところに柱があるくらい。その上に3階、屋上と乗っかっていて、耐震性も当然確保しないといけないですから、本当に大変なんです。

―そうするといつものごとく、ある種の素っ気なさがありつつも、ムチャクチャ高度なことをやっている建物というわけですね……!

内藤:やればやるほど大変なのに、その大変さがほとんど伝わらないという感じです(笑)。

たくさんの期待を背負いはじめた美術館は、少し難しい時期に来ていると思います。

―内藤さんは、1990年代から数多くの美術館・博物館を手がけてきました。当時から現在まで、日本の美術館は、デザイン面でも、社会的な役割の面でも大きく変化してきたと思いますが、内藤さんの目に美術館というものはどのように映っているのでしょうか?

内藤:昔の美術館は所蔵品を中心に展示していましたから、特定の絵画や彫刻が一番よく見えるなら、個性のある展示室でもよかったわけですね。それと作品を保存し、後世に伝えるための堅牢な箱としての収蔵庫があればよかった。でも、いまは大型の企画展が中心の時代ですから、国内外からどんな作品を借りてきてもニュートラルに見せることができて、かつ想定しうるトラブルから作品を完全に保護しなければいけないというミッションも負っています。その他にも、地域におけるコミュニティーの拠点としての役割も期待されたりする。たくさんの期待を背負いはじめた美術館は、少し難しい時期に来ていると思います。

環水公園や立山の眺望が楽しめる、富山県美術館(完成予想図)
環水公園や立山の眺望が楽しめる、富山県美術館(完成予想図)

―しばしば観光の目玉としても期待されますから、アートツーリズムの経済効果も意識しないといけない。

内藤:明治初期に国内最初の博覧会が開催されて、その後、帝国博物館(現在の東京国立博物館)などが整備されたころは、日本画にしても洋画にしても「新しいものをたくさんの人に見てもらおう」という明快なメッセージがありました。そして第二次世界大戦後は、新しい時代の空気を感じたいという人が美術館を訪れました。ぼくは鎌倉で育って、先日閉館した神奈川県立近代美術館の鎌倉館には中学生のころから通っていましたけど、美術館が存在する理由や意思を子どもながらにビビッドに感じることができた世代です。ところが、ある程度みんな豊かになって、昔だったら画集を手に入れることすら難しかった作品がインターネットなどで簡単に見られる時代になると、美術館の役割というのは明快ではなくなってくる。

―海外の有名作品が来日する機会はいまだに特別だとしても、多くの人たちにとって実物の作品を見る意義が薄れているんですね。

内藤:やはりなんらかの価値の転換が美術館に求められている気がします。また美術館そのもののあり方とシンクロするようにして、現代美術も迷路に入り込んでいると思うんですね。たとえばダダイズム(1910年代に起こった芸術運動。既成の秩序や常識に対する否定、破壊を大きな特徴とした)の登場によってそれ以前のアートの価値観が破壊されたとすると、表現の可能性が成層圏までぶっ飛んでしまって、ついには依って立つ根拠もない場所にまで現代美術は到達してしまった。その反動として、村上隆のような具象性の強いアートに回帰したりもする。

内藤廣

―村上隆の作品はさまざまな解釈が可能と思いますが、ポップなアイコンを用いたり、日本美術のコンテキストを戦略的に利用する点では、たしかに反動的とも言えますね。

内藤:それも、現代美術がまだ着地点を見出せていないことの表れだと思うんです。その意味で、富山県美術館が「デザイン」を大きな柱に据えようとする試みは、うまくいけば一つの答えになるかもしれません。

―それはどのような?

内藤:アートは人の心の内面に向かうものでしょう。ですがデザインは、基本的には他者に対してなにができるかという点に目を向けています。富山県美術館には数多くのポスターとデザインチェアーのコレクションがあります。ポスターは多くの人にメッセージを伝えるためのデザインです。デザインチェアーも「人間をどう座らせるか?」という、他者への興味を秘めているわけですね。アートとデザイン、この二つが混ざり合うことによって、新しいなにかが生まれてくるような気がします。

『世界ポスタートリエンナーレトヤマ2015』展示風景
『世界ポスタートリエンナーレトヤマ2015』展示風景

デザインチェアーのコレクション展示
デザインチェアーのコレクション展示

―「自己(アート)」と「他者(デザイン)」という二つのテーマ。

内藤:それに加えて、未来に向かう時間軸のベクトルとして「子ども」も大切な要素になっています。屋上庭園やふわふわドームがその象徴ですね。「自己」と「他者」、それを貫く「子ども」っていう図式が、ぼくはなかなかいいんじゃないかなと思っています。新しい時代の、新しい美術館の姿かたちを示せるかもしれない。

―二つのテーマのあいだを「子ども」が貫いている、というのは未来への意識を感じさせますね。

内藤:東日本大震災、つまり「3.11」の存在が大きいです。復興のお手伝いで三陸に行くたびに思うのですが、そこでは人間の存在や文明の意義が問われていると感じます。日本全体、あるいは世界全体が問い直しの時期に来ています。そういうときに、単に立派な美術館を建てればいい、という話ではまったくないと思うんです。こんな時代だからこそ、アート(自己)、デザイン(他者)、子ども(時間軸)の問題を同じテーブルの上に置いてみて「なにが起こるだろう?」と考えて実践することは有効ではないでしょうか。そして建築家はそれをサポートするような場作りをすればいい。建築は主役じゃない。背景であればいいんですよ。

すごく深刻な心の状態に置かれた人が、人生を救われるような作品と出会うための美術館があってもいい。

―新しい美術館を語るシンポジウムで、内藤さんは「100年間残る美術館を作りたい」とおっしゃっていました。それは、100年後の未来まで機能する、社会的な場としての美術館を作る、という意味でもあるのでしょうか?

内藤:そうですね。ただ「100年間変わらず残す」ということではなくて、その間にどんどん変わっていけばいいと思っています。100年後はアートの領域が拡張しているかもしれないし、デザインが拡張しているかもしれない。あるいは子どもの数や概念も拡張しているかもしれない。テーブルの上に置いたどれが育つのかは、これから次第でしょう。だから建築もその変化に対応するように、ある部分は作り替えて、ある部分は更新されて、そして未来に残っていけばいい。

富山県美術館(完成予想図)
富山県美術館(完成予想図)

―建築に手を加えても構わない?

内藤:全然構わないです。たとえば、『安曇野ちひろ美術館』(1997年)は2回増築して、当初から2.5倍くらいの大きさになっています。『海の博物館』だって、収蔵品の増加に合わせて手を入れてますからね。建築が永遠にあり続けるっていうのは誤解ですよ。建築のミッションは、「変わっていくものをどこまで支えられるか」ということだと思います。そして、ついに支えきれなくなったときにダメになる。普遍であることにぼくはあまりこだわっていません。

『安曇野ちひろ美術館』(長野県) 写真:内藤廣建築設計事務所
『安曇野ちひろ美術館』(長野県) 写真:内藤廣建築設計事務所

『安曇野ちひろ美術館』(長野県) 写真:内藤廣建築設計事務所
『安曇野ちひろ美術館』(長野県) 写真:内藤廣建築設計事務所

―どんどん変えていけるという意識で作られた美術館は、そう多くないですよね。

内藤:パリにポンピドゥー・センター(1977年)が登場して以降、オープンな空間構造を持ち、市民のさまざまな文化活動をサポートする箱としての美術館が世界中に増えました。それらは時代の要請に対応した好例だったと思います。ただその一方で心の内側に深く染み入るようなアートの体験を提供する場としては、少し物足りない気もするんですよ。すごく深刻な心の状態に置かれた人がいて、その人の人生を救ってくれる作品と出会うための美術館……そういう場所を求める人はごく限られた数かもしれないですが。

―それは教会のようなイメージの場でしょうか?

内藤:ある意味ではそうですね。最近の美術館は文化のコンビニエンスストアになりつつあるかもしれないですが、もっと心の深いところで作品と出会える場所でもありたい。富山県美術館には、マルセル・デュシャンやジャスパー・ジョーンズ、フランシス・ベーコンといった20世紀を代表するアーティストの良質な作品を所蔵しています。激動の20世紀を生きた彼らの作品は、心のかなり深いところをえぐってくるものが多い。その作品を見せる場所としても、それなりの空間を用意したいですね。

富山県美術館(展示室イメージ)
富山県美術館(展示室イメージ)

―なんとなくですが、内藤さんの理想とする美術館の姿が見えてきた気がします。

内藤:先日、NHKテレビのドキュメンタリーで倉敷の大原美術館に毎日通っている近所のおばあちゃんが紹介されていて、とてもいいなと思いました。普通の人が、なんとなく通って「この絵、気に入ってるんだよね~」とか言って、アルフレッド・シスレー(19世紀印象派の画家)の絵を説明したりする。あれが美術館の本来あるべき姿かなと。オープンな、生活と地続き感のある場所であると同時に、それぞれの人がそれぞれの深度で愛着を持つことができる美術館。「アート」と「デザイン」と「子ども」をテーマに掲げた富山県美術館は、そうなれると思うんです。

―なるほど。

内藤:アートはなんとなく物怖じしちゃうけれど、永井一正さんのデザインした動物のポスターは好き、って人。あるいは横尾忠則さんの超未来みたいな絵に助けられたって感じる女子高生。子どものころにふわふわドームで遊んでいて、何十年後かに「よくここで遊んだなー」って記憶を大事にしてるお父さんとか。興味を持つ入り口はたくさんあっていいと思うんです。そこからリンクを辿るようにして、自分なりの美術館、自分なりの表現との出会いを紡いでいく。

―リンクを辿るというのは、インターネットの世界を想像しますね。

内藤:まさにクラウドみたいにフラットな場所だと思います。

 

―内藤さんの建築作品って、切妻型の屋根という特徴はあるとはいえ、外見はかなり素っ気なくデザインされているものが多いじゃないですか……。

内藤:ぼくも自覚してるんです。すみません(笑)。

―批判しているのではなくて(笑)。その内部に入ったときに、視覚や体験の広がりを感じさせてくれる空間だと思うんですね。それはつまり「建築とは外よりも中を作っていくものだ」という哲学が通底していることの表れだと思うんです。そういう意味では、クラウド的とおっしゃった富山県美術館も、これまでの内藤さんの建築の特徴とは異なっていますが、やはり延長線上にあるものではないでしょうか?

内藤:つながっていると思います。じつは、かなりすごい空間になるという自信はあるんですよ(笑)。なにがすごいかというと「見た目がすごい!」「構造がすごい!」とかではなくて、「まわりの空気の取り込み方がすごい!」みたいな美術館になると思います。屋上から見る立山連峰は間違いなく富山イチのビューポイントになるでしょうし……。

―背の低い建物で屋上が緑地ですから、遠くから見ることで環水公園の風景にも一体化するでしょうね。タワーのようなモニュメンタルなかたちをしてないところもいいですよね。

内藤:そうなんです。文化のハブになる場所ですから、建築家のエゴや主張は見えなくていいんですよ。

イベント情報
『水をめぐって その豊かな表情』

2016年3月12日(土)~4月3日(日)
会場:富山県 富山県立近代美術館
時間:9:30~17:00
休館日:月曜
料金:一般500円 大学生400円

『スター・ウォーズ展 未来へつづく、創造のビジョン』

2016年4月16日(土)~6月26日(日)
会場:富山県 富山県立近代美術館
時間:9:30~18:00
休館日:月曜
料金:一般1,000円 大学生750円

プロフィール
内藤廣 (ないとう ひろし)

神奈川県出身。建築家・東京大学名誉教授。「海の博物館」(三重県・1992年)で芸術選奨新人賞、日本建築学会賞など、「牧野富太郎記念館」(高知県・1999年)で毎日芸術賞、村野藤吾賞など、多数受賞。富山県美術館の設計を担当。



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