寒川晶子×山下洋輔 現代音楽の入門編「聴いて爆笑したっていい」

現代音楽家の寒川晶子が、9月24日に、『ロームシアター京都セレクション 寒川晶子ピアノコンサート~未知ににじむド音の色音(いろおと)~』を開催する。彼女が演奏するのは、「ド音ピアノ」と呼ばれる特別なピアノ。88あるすべての鍵盤を「ド」の音に調律し、「ド」から「ド#」までのグラデーションだけを使って、音が空間の中に滲んでいくような演奏を行う。

今回CINRA.NETでは、日本にいち早くフリージャズを持ち込み、一柳慧ら現代音楽家とも深く交流してきた山下洋輔と、寒川の対談を実現。なんとなく堅苦しいイメージを持たれがちな「現代音楽」が、いかに楽しく面白く、驚きのある分野であるかをたっぷりと語り合ってもらった。

ピアノを全部同じドの音に調律したっていうから、「なんて人だ!」と思って(笑)。(山下)

―まずは、お二人の交流のきっかけを教えてください。

山下:粟津潔先生(グラフィックデザイナー、2009年に死去)の追悼会で、初めて聴いたんです。一柳慧先生(1933年生まれ、作曲家・ピアニスト)の超難曲と言われている“タイム・シークエンス”を見事に弾かれた。軽やかで、僕の感覚では「スウィング」していた(笑)。実際、ちょっとジャズに似ているというか、低音でずっと同じことを繰り返しながら、右手がどんどん展開していく。素晴らしかったです。びっくりして、演奏が終わるなり飛んで行って話しかけたんです。それが寒川さんでした。しかも、こんなに可愛らしい方だったので二度びっくりでしたよ。

左から:寒川晶子、山下洋輔
左から:寒川晶子、山下洋輔

寒川:私の方はもう、山下さんのことは存じ上げていましたので、出会えたことがとても嬉しかったです。そのあとも何度かお見かけして。2010年に初めて「ド音ピアノ」の演奏会を行なったときに、山下さんにお越しいただいたんですよね。あの演奏会は奇跡が起きたのか、一柳先生含め、西江雅之先生(文化人類学者。2015年に死去)や山下さんと、他にも私が尊敬する方が何人もお越しくださっていました。

山下:そのときのこともはっきり覚えていますね。僕はその頃、「寒川さんはすごい!」と何度も一柳先生に話していましたから。「どんなことをするのだろう?」と思って観に行ったら、ピアノを全部同じドの音に調律したっていうから、「なんて人だ!」と思って(笑)。忘れられない存在となりました。

―当時の「ド音ピアノ」はまだ、試行錯誤の段階だったのですか?

寒川:そうですね。「このまま続けられるのかな」なんて、ちょっと半分背中に冷や汗をかきながら演奏していた覚えがあります(笑)。でも、その場にいらしてくださった多くの方から「これ、面白いよ」と言っていただいて。中でも特に背中を押してくださったのが、一柳先生や西江先生でした。西江先生も変わった方ですよね?(笑)

山下:それは奇遇だ! 西江先生は、僕にとってはものすごく前からお付き合いのある方です。文化人類学者、言語学者としては異端で正統な方なんですね(笑)。アフリカの村に住んじゃって、そこでトーキングドラムを習得したり。きっと西江先生は、文化人類学者の視点で寒川さんを面白がってたんじゃないかな。「新種が出てきた!」って(笑)。

寒川:他の方から聞いたのですが、西江先生は私のこと、「せっかく彼女が持っている『芽』を潰すようなことをしてしまってはもったいない」とおっしゃってくださっていたそうです。目指すべき目標に近づこうとして鍛え続けていると、「芽」まで潰してしまうことがある。もしかしたら、その「芽」をなくした方が、社会には適応しやすいのかもしれない。でも、「芽」は個性なんだって。

私は不器用だったが故に、クラシック作品を弾こうとすると、ときに呼吸のバランスを崩す部分があって思うように演奏できず、「芽」が残っていたみたいなのですが(笑)。

寒川晶子

―自分の中の「芽」を大事に育てていけば、唯一無二の花が咲くのかもしれない。現代音楽は、そういう「芽」を大事にしてくれる場所なんですね。

寒川:西江先生はアフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者として知られていて、様々な言語が混ざり合う文法が定まらない土地で、ほぼ解読不可能な言語を耳と感性で理解し、現地の人と会話できてしまう方でした。だから西江先生には、私自身も知らない自分と潜在的なイントネーションを見抜かれた気がしています。

山下:「芽」というのは、面白いことを面白がれる心、驚くことを喜べる心のことじゃないでしょうか。「自分にはジャズしかない」と思って一心不乱に進んでいた二十歳くらいの僕に、現代音楽の面白さを教えてくれたのは一柳先生や、僕にとってジャズの師匠である相倉久人さん(ジャズ評論家)でした。

―今日はお二人に、「現代音楽の面白さとはなにか?」について聞いてみたいと思っていたんです。

山下:例えばジョン・ケージの“4分33秒”。ピアノの前に4分33秒間座ったまま、なにも弾かないで帰っていく。それを「音楽」と主張しているのだから、まず爆笑ですよ。「なんだそれ?」って思うじゃないですか(笑)。

相倉さん経由で聞いた一柳先生のコンサートのエピソードもあります。ステージの袖からバイオリンを持った女性が現れて。蓋の開いたグランドピアノの中に潜り込み、足をぶらぶらさせたかと思ったら、そのままなにも演奏しないで帰っちゃった。それも「音楽」だって(笑)。しかもあとからわかったことですが、その女性がオノ・ヨーコさん(オノ・ヨーコの最初の結婚相手が一柳慧)だったんです。

未知のものに出会う喜び。それが今、一番必要とされているのではないでしょうか。(山下)

―現代音楽って、なんとなく堅苦しいイメージもありますが、そこで爆笑していいというのは、ひとつハードルが下がった感じがします。

山下:ハードルなんて最初からなにもない。感じたままでいい、爆笑したって当然いいんです。西江先生がおっしゃっていた「芽」、すなわち人間が幼い頃から持っている「うわあ、なんだこれ!」という素直なリアクションを、お互い尊重しつつ交換できるのが現代音楽なのではないかと、今、分かってきた(笑)。だって、端から端までドに調律をしたピアノを弾くなんて、とんでもない発想、まず、笑うしかないじゃないですか!(笑)

左から:寒川晶子、山下洋輔

―今の時代、現代音楽はどのように必要とされていると思いますか?

山下:それはもう、すごく貴重な意味があると思うんですよ。なにもかもが均一化されていくのが今の世の中の傾向だとすれば、そうではない、出会ったことのない、未知のものに出会う喜び。それが今、一番必要とされているのではないでしょうか。今の時代こそ、未知なものの存在がすごくスリリングだと思います。

寒川:もしかしたら、若い人ほど、ステージ上で生まれている新しいものに対して素直に反応できるのかなと。すでに「現代音楽」という言葉では追いつけないくらい、豊かでワクワクすることが起きている分野だというふうに認識してくださっている気がします。

山下:あ、それはあるでしょうね。「現代音楽を聴きに行く」っていうのではなく、「なにか新しいこと、未知なことを目撃して驚きたい、面白がりたい」という気持ちで観に行くと、きっと楽しめますよ。僕が「ド音ピアノ」を聴いて、微分音を感じ取る耳を開発されたように、眠っている感性を呼び起こされるはずです。

ジャズだけでは、物事が全部わからないと思ったんです。(山下)

―お二人が現代音楽やフリージャズに傾倒していった経緯を聞かせていただけますか?

寒川:山下さんは、国立音楽大学の作曲科をお受けになられたのですよね? 受験のときに、ベートーヴェンの“ピアノソナタ第6番”をお弾きになったとか。

山下:母親がピアノが好きで家にあったので、子どもの頃からピアノに触れていたんです。高校生の頃からプロのジャズミュージシャンとして活動していたのですが、音大の作曲科受験のために、付け焼刃でクラシックピアノをやりました。先生が「“6番”を弾きなさい」と提案してくださったんです。“6番”は、途中で3連音符が出てきて、僕のノリ方がジャズみたいになっちゃうんだけど、「この曲なら、スウィングしても大丈夫です」と(笑)。

寒川:そんな提案をしてくださる先生も素敵ですよね。

山下:ベートーヴェンは、スウィングしちゃってもいいんです(笑)。ジャズマンの中のジョークで、「ベートーヴェンは黒人だった」っていうのがあって(笑)。オランダ人で、ご先祖がアフリカを支配したこともある。もしかしたら、黒人がちょっと混じっていたのかも、なんてね。だからああいうシンコペーションのリズムが出てくる(笑)。

山下洋輔

―そもそも、なぜ音大を受けてクラシックをやろうと思ったのですか?

山下:やろうというより、知りたい、ですね。ジャズだけでは、物事が全部わからないと思ったんです。クラシックという音楽は、西洋の一角で生まれたものだけど、ものすごく長い歴史があって世界中に広まっている。あらゆる要素を含んでいる。これを知らないままジャズ一辺倒でいったら、一生不安だろうって思ったんです。とりあえず、一瞥でもいいからクラシック音楽というものを見てみようと。その上で、自分のやりたいことをやろうと思ったわけです。

私は、ローリン・ヒルをきっかけに自己表現に対する模索が始まり、譜面を再現する脳から変わっていきました。(寒川)

―一方、寒川さんが現代音楽にのめり込んでいったのは、ローリン・ヒルがきっかけだったと聞きました。とても意外ですね。

寒川:そうなんです。私は、実は黒人音楽から多様性を持った音楽に入っていったんです。おそらく、学校で習っていたクラシックを順に追っていただけだったら、現代音楽の世界がわからないままだったでしょうね。ローリン・ヒルというのはR&Bシンガーで、ボブ・マーリーの息子さんのお嫁さんなんですよ。

山下:おお(笑)。

寒川:最初に聴いたのが『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998年)というアルバムで、その中の“To Zion”という曲が、とにかく違和感がすごかったんです。90年代当時、日本で流行っていたポップスとはまったく流れが違ったというか。

日本のポップスって、メロディーさえつかんでいれば、自分の頭の中で伴奏が聴こえてきて、コードをつければそこそこ様になるくらいピアノで再現できたんです。でも彼女の歌は、調性はあるのにコード感がない。ビートは循環しているのですが、その上でノイズ混じりの太い声が、節をつけながら上にいったり下にいったりする。ベースやギターもボーカルと同様、ものすごく立体的に動いていて、いわば“カノン”みたいな構造になっている。エンディングもまた唐突で、「え、こんな終わり方するの?」って。

―これまで寒川さんが聴いてきたものとは、まったく別次元の音楽だった。

寒川:ええ。確か“To Zion”はDマイナーなんですけど、いわゆる私がクラシックで知っているDマイナーとはまったく違う聴こえ方がして。「なんだこれは?」と。一体どこがサビなんだろう、聴き手としてどこにカタルシスを感じたらいいんだろうって、最初は気持ちの持っていき方がまったく分からなかったんです。でも聴いているうちに、じわじわと盛り上がって、気持ちよくなっていく感じがあって……まるで、ラヴェルの“ボレロ”みたいだなと。

山下:なるほど。

寒川:それから、同じことを繰り返しながら段々気持ちよくなっていく音楽が好きになっていったんです。大学はピアノ科を専攻したのですが、学内で作曲を学ぶクラスや授業などを見学して、ジョン・ケージや、ノイズを音楽のように扱ったりする曲を知りました。そのときには、まったく違和感なく現代音楽に入っていけるようになっていたんです。

―ローリン・ヒルを気持ちよく聴ける耳があったからこそ、現代音楽に入って行けたと。

寒川:そう、ローリン・ヒルのおかげ(笑)。

山下:それはとても興味深いなあ。ちゃんとローリン・ヒルを聴いていないで言うのもあれなんですが、もしかして「ブルーノート現象」ってやつかもしれないですね。「ブルーノート」という、独特の節回しが黒人音楽にはあって。それに西洋の和音をくっつけると、むちゃくちゃクラッシュするんだけど、かっこよくなるんです。そんなところをうまく使ったのが、ジョージ・ガーシュインの“ラプソディ・イン・ブルー”。

寒川:ああ! 確かに。

寒川晶子

山下:ジャズは、西洋音楽とアフリカ音楽、和音とメロディー、ふたつの違う原理が共存できるんですよ。右手はアフリカ、左手は西洋、みたいな。もしかしたら、ローリン・ヒルの音楽でも同じことが起きていたのかもしれないですね。これも言語に詳しい西江先生の世界です。西江先生は、ジャズの演奏を聴いて、その奏者の人種や出身国までわかってしまう。

寒川:なるほど、私もそう思います。私は、ローリンをきっかけに自己表現に対する模索が始まり、譜面を再現するクラシックの脳から作る側に変わっていきました。「一体どうやればひとつのコードだけで1曲を作れるのだろう」とか、「調性感のない音楽って、どうやって作れるんだろう」って。次第に、自分のイントネーションから音を探すようになったんです。

1960年代後半から70年代始めというのは、壊せばよかった時代でした。(山下)

―寒川さんの場合、ピアノの音階や調律そのものを見直して、そこから表現を始めたというのは、まさにゼロからのスタートですよね。

寒川:それはもう、山下さんがもっと前に切り開いてくださった道でもあると思うんです。それこそ、1960年代の日本にすごく私は影響を受けています。

山下:確かに60年代後半から70年代始めというのは、壊せばよかった時代でした(笑)。ゲバ棒(ゲバルト棒。学生運動が盛んだった頃、デモや武力闘争に用いた武装)を持って暴れていた学生たちのあいだで、「なにか音楽でも壊している奴がいる」と噂が広がり、「じゃあ呼ぼう」ってことになって呼ばれることも多かったです。その一例が、バリケード封鎖されていた早稲田大学の一画で、大隈講堂から勝手に持ってきたピアノを演奏したりね。

寒川:その時代に生きていたかったなって、すごく思います。50年代くらいから日本が新しい時代へ向かおうとしていたと思うんですけど、その辺りからの日本がとにかく好きで。

山下:そんなふうに言ってもらえるのは、ありがたいですね。僕がフリージャズをやり始めたのが、1969年。その前にジョン・ケージには触れていて、おそらく彼の影響から「ジャズだってなにをやってもいいんだ」っていう気持ちになっていたんです。

でも、単に海外のフリージャズプレイヤーたちを真似しても仕方ないので、「日本人としての表現はどこにあるのか?」ということはすごく考えました。自分は日本人なのだから、自由にやれば、なんの真似でもないものが出てくるはずだと。そのためには、あらゆる制限を取っ払わなければならない。

左から:寒川晶子、山下洋輔

寒川:私も、「アイデンティティーはどこだ?」みたいな気持ちが少なからずあって。「自分の表現」を考えたときに、「日本」ということをものすごく意識していたときがあったんですね。でも山下さんが、「異文化同士が出会うからこその面白さがある」とよくおっしゃっていて、「ああ、そうだよなぁ」と改めて思い直したんです。

「日本」ということにとらわれて、突き詰めていってしまうと、誰とも出会わず鎖国状態になってしまう……でも、それだとつまらない。山下さんのお言葉で、自分が開かれた気分になりました。

山下:その辺はやっぱり西江先生の影響なんです。とにかく面白いことが好き。自分がわからないことは、常に好奇心を持って接する。異文化への強い関心ですよね。

小学校の授業で、水混じりの墨汁で習字を書いたのが印象に残っていて。それが「ド音ピアノ」のきっかけでもあります。(寒川)

―鍵盤を全て「ド」に調律して演奏しようという発想は、どこから生まれたのでしょうか?

寒川:小学校の頃に習字の授業があったんですけど、授業時間が限られている中、すずりで墨を擦るところから始まったんです。なかなか黒い墨汁にはならないんですけど、すずりを擦れば擦るほど透明な水が灰色になっていく。その、水混じりのグレーの墨汁で習字を書いたことが印象に残っていて。それを音でやってみたいと思ったのが、「ド音ピアノ」のきっかけでもあります。

―透明な水から墨汁のあいだのグラデーションは、実は無限にあるということで、「ド」と「ド#」のあいだの音も実は無限のグラデーションがあるはずですよね。

寒川:そうなんです。ピアノって、ある意味ではスイッチなので、「ド」の隣は「ド#」や「レ」であって、そのあいだの音は本来は出せない。そのデジタル感を「ド音ピアノ」ではなくして、グラデーションを作っていくということをやっているんです。

山下:たった2音のあいだの微分音を聴いているだけなんですけど、全然飽きないんですよね。8オクターブあるし、打鍵のニュアンスで音色に変化をつけているし。それに、半音のあいだのグラデーションを聴き分ける能力が、自分にもあるんだということに感動しました。ほんと、「ド音ピアノ」は世界的な発明だよね。

寒川:ありがとうございます。このままやり続けて、名を残せるくらいにならなきゃなっていう気持ちではあります。でも、無理やりピアノを調律したり、弦も切れそうになったりしているので、自分に凶暴なイメージが付いてしまいそうなんですよね。私は、「破壊」というより、音色の美しさを追求したくて。そこに、どこか湿気のある日本の肌を思わせるような音も創造していきたいんです。

私はショパンが好きなんですけど、彼の作る曲は「まるでピアノが歌っているようだ」と評されているんですね。それってすごく素敵だなって思うんです。今後も「ド音ピアノ」を突き詰めていくなら、ピアノを内部改造すべきなのかもしれないですが、別の楽器にしてしまっては意味がないですし。

―ピアノそのものが持っている可能性も引き出していきたいと。

寒川:そうですね。

左から:寒川晶子、山下洋輔

言葉で説明すると難しくなりがちですけど、実際にステージで繰り広げられる音は、とても身近な気がするんですよね。(寒川)

―『寒川晶子ピアノコンサート~未知ににじむド音の色音(いろおと)~』では、檜垣智也さんが演奏する音響装置「アクースモニウム」で「ド音ピアノ」を鳴らすそうですね。

寒川:そうなんです。当日は、会場に設置されているものも含めて、大小様々なスピーカーを30台くらい用意しています。ステージ上だけでなく、客席の後ろや横と、四方から音が聴こえてくる。立体空間を作るためにその場で音響操作をしていくので、「スピーカーのオーケストラ」と言われています。

―寒川さんが以前から行っていた、「空間を作る」というテーマにもつながりますね。さらに、布を織りながら音を奏でる「音の織機」を演奏する伊藤悟さんとの共演もあります。

寒川:機を織っている人の姿って、ピアニストに似ているじゃないですか(笑)。実際、織機の音を楽しむ文化が、中国の雲南省にあると聞いて。いい結婚をするために、若い女性はより一層、織るための音を磨く文化があるんですって。実際に織りあがった完成品はもちろん大事ですけど、その織っている過程も大事にしているという希少な文化を、少しでも多くの人に知っていただきたくて、伊藤さんをお迎えします。

伊藤悟
伊藤悟

山下:実際に織機が出てくるのですか? すごい! それこそまさに驚きですね(笑)。

寒川:そうなんです。コンセプトとか、言葉で説明すると難しくなりがちですけど、実際にステージで繰り広げられる音は、とても身近な気がするんですよね。

「ド音ピアノ」も、ガムランのように様々な倍音が混じり込んでいて、一種のノイズやうねりをともなっているので、「催眠術がかかったみたいな気持ちよさがある」とも言われます。ピアノは本来、倍音をなるべく排除して、鳴るべき音だけを研ぎ澄ませていく楽器ですが、「ド音ピアノ」に調律することで倍音を取り込み膨張させて、いろんな響きやうねりを生じさせる。さらに織機の音も気持ちいいので、驚きと爆笑だけでなく、安心感もある演奏会になると思います。

イベント情報
『ロームシアター京都セレクション 寒川晶子ピアノコンサート~未知ににじむド音の色音(いろおと)~』

2016年9月24日(土)
会場:京都府 ロームシアター京都 サウスホール
出演:
寒川晶子(ド音ピアノ)
檜垣智也(アクースモニウム)
伊藤悟(音の織機)
料金:
S席 一般3,000円 学生1,500円
A席 一般2,000円 学生1,000円

プロフィール
寒川晶子
寒川晶子 (さむかわ あきこ)

1982年京都市生まれ。18歳まで京都市にて過ごす。フェリス女学院大学音楽学部卒業。これまでにピアノを黒川浩氏、中川賢一氏らに師事する。音楽による空間づくりに積極的に取り組み、現代美術作品とのコラボレーションやプラネタリウムを舞台にした演奏会など、自らも創作に関わりながら演奏を行う。2010年に全鍵盤を「C」(ド)音に特殊調律したピアノを使用し各界から注目を集め、ファッションショーでの生演奏や小学校での芸術教育授業に招聘されるなど、その斬新な試みに高い評価を得た。また、2013年9月に禅と茶文化で著名な京都・大徳寺塔頭王林院にて、トイピアノによる演奏会を行うなど、日本文化を意識するようになる。2015年より現代音楽を下地にピアノと織物を繋ぐ演奏会を伊藤悟、野中淳史と展開。博多織に関わる作曲家の藤枝守氏ともピアノと織物の長期プロジェクトを計画している。女子美術大学アートプロデュース表現領域非常勤講師。

山下洋輔 (やました ようすけ)

1969年、山下洋輔トリオを結成、フリーフォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に大きな衝撃を与える。国内外の一流ジャズアーティストとはもとより、和太鼓やシンフォニーオーケストラとの共演など活動の幅を広げる。88年、山下洋輔ニューヨークトリオを結成。国内のみならず世界各国で演奏活動を展開する。99年芸術選奨文部大臣賞、03年紫綬褒章、12年旭日小綬章を受章。国立音楽大学招聘教授。演奏活動のかたわら、多数の著書を持つエッセイストとしても知られる。



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