満島ひかり主演『海辺の生と死』が描いた奄美という特別な場所

満島ひかりを主演に迎え、島尾ミホと島尾敏雄という伝説的な作家夫婦の瑞々しい出会いの日々を描いた話題の映画『海辺の生と死』。島尾ミホの原作小説群と実際に夫婦が出会った昭和10年の奄美群島・加計呂麻(カケロマ)島をモデルに、満島ひかり演じる国民学校教員のトエと、永山絢斗が演じる海軍特攻艇隊の隊長・朔(さく)中尉の二人が、奄美の麗しい風景のなかで、若き生を燃やそうとする。太平洋戦争末期のリアリティーに満ちていながら、私たちが暮らすいまの社会にも、彼らのような恋人たちがいるだろうと思わせるほどの、ビビッドな現代性をたたえている力作だ。

その胸に迫る様を、そして彼らをとりまく奄美の手ざわりそのものを、画面と音に見事に捉えた本作で監督2作目となる越川道夫。『海辺の生と死』の作品の核心を担う“奄美島唄”の歌唱指導にあたった、奄美出身の唄者(ウタシャ)のレジェンドにして、同じく奄美にルーツをもつ満島ひかりに島唄の魂を注ぎ込んだ朝崎郁恵。

物心ついたころから唄と共に生き、御年80を超えた島唄界の母と、越川監督の間で紡がれた対話は、なぜこの映画がこんなにもいまを生きる私たちの心に訴えかけるのかを明らかにし、そして島唄と奄美から世界を捉えることが、現代を真摯に生きることにつながるのだということを、優しく教えてくれるだろう。

思い入れの強さゆえなのか、奄美はあまりうかうかと行ってはいけないところだと思ってきたんです。(越川)

―『海辺の生と死』はかねてより越川監督がお好きで、映画化のお話が出る前から、満島さんに「この主人公はあなたの役だ」とお話しされていたそうですね。昨年に発表されたノンフィクション(梯久美子『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』2016年 新潮社)によって、島尾敏雄・ミホ夫婦の情念に満ちたあり方に新たにスポットがあてられるようにもなっていますが、まずは監督の長年の思いから伺えますか。

越川:島尾敏雄と島尾ミホの小説は、20代のころから大好きで読んできたんです。特に原作の『海辺の生と死』のように、島尾ミホさんの故郷である加計呂麻島の押角(オシカク)という地域を舞台に描いたものが、なぜか本当に好きで。若いころに奄美大島のほうに立ち寄ったことはあるのですが、それ以来、思い入れの強さゆえなのか、奄美はあまりうかうかと行ってはいけないところだと思ってきました。

朝崎:そうなんですか? そんなところでもないですから、大丈夫ですよ(笑)。

左から:越川道夫、朝崎郁恵
左から:越川道夫、朝崎郁恵

越川:覚悟がないと行けない場所だと思い込んでいて……(笑)。加計呂麻島には今回の映画で、はじめて行くことができました。いずれにしても、それくらい島尾ミホの作品も、奄美の島々も僕にとっては大事なものでしたし、この映画にもそうした思いを込めて作りました。

朝崎:島尾ミホさんの作品は、島に住み、島のご飯を食べて、島の水を飲んで生きたことがある人でないと描けない感覚が書かれているなあと思います。島尾ミホさんは私より10歳以上年上だと思うんですが(島尾ミホは1919年生まれ、朝崎は1935年生まれ)、私たちがまだ幼くて右も左もわからなかったころに、いろんなことを経験されたのではないかと感じますね。

作品のなかに書かれている唄にしても、手毬唄なんかは、私の母の世代がうたっていたものがあるんですね。島の水を飲んで暮らしていた人が書いた、私たちがまだ幼かったころの、島尾ミホさんたちの時代——そんな感触があるんです。そうした奄美ならではの感覚を、満島さんは本当によく体現してくれていましたね。

『海辺の生と死』場面写真 満島ひかり演じる国民学校教員のトエと、永山絢斗が演じる海軍特攻艇隊の隊長・朔(さく)中尉 ©2017島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ
『海辺の生と死』場面写真 満島ひかり演じる国民学校教員のトエと、永山絢斗が演じる海軍特攻艇隊の隊長・朔(さく)中尉 ©2017島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ

以前に一緒にうたったUAのことを思い出しました。やっぱり、「血」というのはそういうところがありますね。(朝崎)

―そもそも、越川監督は映画化の話以前から満島さんを想定されていたわけですが、なぜ満島さんだったのでしょうか。

越川:なぜといわれても、わからないですね……、だってなにをどう考えても、満島さんしかいないでしょう?(笑)そう思っていました。もちろん演技力もふくめていろんな要素がありますが、そうしたことを抜きにしても、僕のなかでは最初から満島さんでしか、この映画はありえませんでした。

朝崎:あの子はね、やっぱり「血」ですね。これは本当にすごいものなんですよ。お稽古で唄を覚えるのも、とても早かったですね。

『海辺の生と死』場面写真 ©2017島尾ミホ/島尾敏雄/株式会社ユマニテ
『海辺の生と死』場面写真 ©2017島尾ミホ/島尾敏雄/株式会社ユマニテ

―現在、横浜にお住いの朝崎さんのもとに、満島さんが何度も通われたようですね。

朝崎:一曲を覚えるのに、1年かけてもうたえない子もいるんですが、あの子はとにかく早かった。映画には出なかった唄も含めて、10曲は覚えたんじゃないかしら。

そして熱心。以前に一緒にうたったUAのことを思い出しました。やっぱり、「血」というのはそういうところがありますね。(満島)ひかりちゃんも、島唄と心も体も合っている気がしましたね。

唄によって、どんなつらいときも奄美の人々は乗り越えてきたし、また唄を生み出していったんです。(朝崎)

越川:朝崎さんに満島さんを稽古していただいたのは都内のカラオケボックスです(笑)。その練習の場に参加すると、その日は一日、朝崎さんの唄と声がグルグルと僕の体のなかをめぐって大変なんです。ハッキリ言って仕事にならない(笑)。それくらい、朝崎さんの歌う島唄というのは力のあるものなのだと思います。

越川道夫

―唄者(ウタシャ)の方の体のなかも、まさにそうした声や記憶がめぐるのでしょうね。

越川:今回の映画で用いた朝花節(アサバナブシ)は、もともと台本にあった歌詞ではなくて、朝崎さんがお母さんのうたっていらした歌詞を教えてくださったんです。島尾ミホさんの生きていたころの押角の言葉はもう再現不可能ですが、息子の島尾伸三さん(写真家)が、覚えていらっしゃる母・島尾ミホさんの言葉や周囲で耳にしていた言葉をもとに、テキストを朗読してくれました。役者たちはその音声をもとに演技しています。

そんなふうに、朝崎さんの記憶、島尾ミホさんの記憶、そして満島さんのもっている記憶といったものを、ひとつの花束みたいに束ねていくと、映画という虚構なりの、ひとつの「場所」がたちあらわれてこないか、と思いながら作っていました。

―島唄そのものが、すでにそうした「記憶の束」のようなものですよね。

朝崎:奄美の人というのは、不安があったり、困難に出くわしたり、悲しいことがあったり嬉しいことがあったり、というときにいつも唄をうたってきましたし、唄は常にそうしたなかで生まれてきたんです。ですから、島唄にはいろんな歴史や記憶が刻まれているんですよ。

朝崎郁恵

朝崎:江戸時代に薩摩の支配を受けていたころには、奄美の古い記録や文書が処分されて失われてしまっていますが、それ以前から島唄はうたい継がれてきました。私たちは唄の「背景」に残っているものから、その内容がいつの時代のものなのか、大体わかるんですね。唄によって、どんなつらいときも奄美の人々は乗り越えてきたし、また唄を生み出していったんです。

自分の目で見た奄美の色とか、島で耳にした音を、なるべく映画に「定着」させようと頑張りました。(越川)

―そうした豊饒な場にカメラを構えることには、困難が予想されますね……。

越川:スタッフが照明を立てたり、小道具を置いたり、準備が終わってカメラをまわしていると、そこはもう島ではなくなっているんです。どこかで僕らは島を踏み荒らしてしまっている。分かりやすい例では蝶やトンボが飛んでいたのに、みんないなくなってしまっているので、俳優たちに「ハイ、じゃあ演技をしてください」といっても、画面には島は映らない。

ですから、僕は2~3分待ってくれと言って、その間に僕は島と話をします。「もういい?」「いや、まだかな」って(笑)。「もういいんじゃない?」「まあ、いいんじゃないの」という空気になってきたら、ようやくカメラを回して撮影をはじめる。そのころにはだんだん、島という場所に役者たちの体も馴染んできて、蝶やトンボも戻ってきているんです。

『海辺の生と死』場面写真 ©2017島尾ミホ/島尾敏雄/株式会社ユマニテ
『海辺の生と死』場面写真 ©2017島尾ミホ/島尾敏雄/株式会社ユマニテ

越川:作中に本土から来た兵隊たちが、奄美の座敷にあがって “同期の桜”をうたうシーンがあるんですが、あれは奄美に乗り込んでいって映画を撮影している僕たちの姿を、自戒を込めて描いたつもりです。

―そうした姿勢だからこそ、豊かな世界が込められた映画になっていると感じます。

越川:そうであれば嬉しいです。自分の目で見た奄美の色であるとか、島で耳にした音を、なるべく映画に定着させようとしました。島があって、そこに人がいて、島唄がうたわれている——そういう映画を作っているのだから、そこは裏切ってはいけないポイントだとずっと思いながら作っていました。

映画ですからもちろん画も見てほしいんですが、この作品ではぜひ、耳をそばだてて音を聞いてほしいです。そうすると、たくさんの音が聞こえてくるはずです。そして、トエ(満島ひかり)と朔(永山絢斗)が生きていた時代に鳴っていた音も響いていると思うんです。打ち寄せる波の音は、きっと彼らの耳にも届いていたはずです。

最近の若い人たちは世界中の音楽を聴いているから、本当に耳がいいし、感性が豊かなんです。(朝崎)

―この作品を映画館で観た人は、暗闇から路上に出たときに、普段耳慣れている周囲の音がまったく違って聞こえるはずだと思います。この映画では、木々や風の音、鳥や虫の鳴き声、そして波の音、どんなシーンでも常に島の騒めきが入り込んできていますよね。

越川:島唄の世界も、そうした島の音と共にあるはずなんです。トエがうたっていると向こうでリュウキュウコノハズクが鳴くシーンがあるんですが、あれはあとから処理してつけた音ではなくて、シンクロの音なんです。ほんとうにトエさんが歌うと向こうの森の奥で、島唄に呼応するようにリュウキュウコノハズクが鳴く。人と鳥が寄り添っているというよりは、基本的にはバラバラにいるはずのものが、一瞬、唱和する瞬間がある。

左から:越川道夫、朝崎郁恵

朝崎:とてもよくわかるお話です。動物がみんな集まってくるんですよね。

越川:そしてまたバラバラに戻るということを、あの場所は繰り返しているのだと、ずっと撮影中は考えていました。鳥は鳥の都合で鳴く、カエルはカエルの都合で鳴く、物語のためになんか鳴かないと、よく言っていました。

朝崎:私は長年、奄美の外の方々とかかわって、奄美を扱おうとするテレビ番組であるとか、様々な人と出会ってきましたが、越川さんほど熱心に奄美を語られる方に出会った記憶は、ちょっとないですね。

私個人としても、そういう方がこの映画を作られたことを、本当に嬉しく思います。それこそ(満島)ひかりちゃんも含めて、皆さんを奄美の島の神様が引き合わせてくださったんでしょうね。

左から:越川道夫、朝崎郁恵

―だからこそ、若い世代も体感できる瑞々しさになっているのだと思います。

朝崎:最近の若い人たちは、世界中の音楽を聴いているからだと思うのですが、本当に耳がいいし、感性が豊かなんです。私のライブには若い方々も多く来てくださって、人によっては涙まで流してくださる。

私が25歳で結婚して上京し、こちらでうたいはじめたころに、渋谷のレコードショップに、自分の唄を吹き込んだカセットテープを持って行ったんです。そこの店の人に「朝崎さん、言葉の意味もわからない唄を聴くのは、3曲が限界だよ」と言われて……、ショックでしたね。それがいまでは、皆さんちゃんと唄を聴いてくださる時代になっている。そんな若い人たちが生まれて育つまで、私も生きてこられてよかったなあと思っているんです。

戦争に裏打ちされたロマンティシズムなんて、肯定するわけにはいかないんですよ。(越川)

―若い人の感性というと、この映画の背景にある戦争というテーマも、また違って感じられる気がします。1926年生まれの作家、故・河野多惠子さんに取材したとき、「私は家事が本当に好き。そんな豊かな家事の時間を、戦争は奪う」とお話をされていたんですが、そうした感覚はいまの若い世代も生き生きと感じられると思います。

越川:はっきり言えば、戦争に裏打ちされたロマンティシズムなんて、肯定するわけにはいかないんですよ。結局は戦争が好きなんじゃないか、と思えるようなロマンティックな恋愛は、撮りたくない。

越川道夫
越川道夫

越川:僕はこの映画のなかでどのシーンが好きかと言われたら、かまどの火を熾すシーンが好きです。火を熾し、火種を絶やさず、朝食を作る。こうした日常の暮らしを紡いでいくことが感覚は戦争に限ったことではなく、震災時でもやはり人にとって大事なのではないかと考えています。

ご飯を作る、唄をうたうといった行為は、そういう状況に対する抵抗になりえる。あるいは、木々が芽吹く、蝶が飛ぶといった、そうした一つひとつを戦争に対峙させていくことに、僕は希望を抱いています。

朝崎:島唄というのは、本当に日常の生活の唄なんです。先ほど薩摩の時代の奄美の話をしましたが、そのころの奄美ではサトウキビ栽培をして砂糖を作り、薩摩に納めていたんですね。大変な負担と抑圧だったんですが、その時期から残る島唄の歌詞には「心配だ、心配だ、砂糖作りは心配だ」とうたわれている。下手をすると手枷足枷、打ち首や島流し、という時代です。その日常を唄にうたうことで、人々は困難を乗り越えてきました。

でも、そうしたことを紙に残すと焼き捨てられてしまうんです。だから唄にして、親から子へ、子から孫へと口伝えしてきた。だから普段うたっている唄は、日常の会話なんですよ。

越川:そうした島の日常、この世界のあり方すべてを、目で、そして耳をそばたてて、いまの若い世代の人たちに感じてもらえればいいなと思います。

左から:越川道夫、朝崎郁恵

作品情報
『海辺の生と死』

テアトル新宿ほか全国順次公開中

監督・脚本:越川道夫
原作:島尾ミホ『海辺の生と死』(中公文庫)、島尾敏雄『島の果て』ほか
出演:
満島ひかり
永山絢斗
井之脇海
川瀬陽太
津嘉山正種
上映時間:155分
配給:フルモテルモ、スターサンズ

プロフィール
朝崎郁恵 (あさざき いくえ)

1935年11月11日、奄美・加計呂麻(カケロマ)島・花富生まれ。奄美群島で古くから唄い継がれてきた奄美島唄の唄者(ウタシャ)。島唄の研究に情熱を傾けた父・辰恕(たつじょ)の影響を受け、また、不世出の唄者と謳われる福島幸義に師事し、10代にして天才唄者といわれた天性の素質を磨きかける。千年、あるいはそれ以上前から唄われてきたともいわれる奄美島唄の伝統を守り、その魂を揺さぶる声、深い言霊は、世代や人種を超えて多くの人々に感動を届けている。

越川道夫 (こしかわ みちお)

1965年生まれ、静岡県浜松市出身。立教大学を卒業後、助監督、劇場勤務、演劇活動を経て、映画の宣伝・配給に従事。1997年に映画製作・配給会社スローラーナーを設立。『洗濯機は俺にまかせろ』(1999、篠原哲雄)、『孤高』(1974、フィリップ・ガレル)、『太陽』(2005、アレクサンドル・ソクーロフ)などの配給・宣伝に携わる。主なプロデュース作品に、『路地へ 中上健次の残したフィルム』(2001、青山真治)、『幽閉者 テロリスト』(2007、足立正生)、『海炭市叙景』(2010、熊切和嘉)、『ゲゲゲの女房』(2010、鈴木卓爾)、『かぞくのくに』(2012、ヤン・ヨンヒ)、『ドライブイン蒲生』(2014、たむらまさき)、『白夜夜船』(2015、若木信吾)など。本作『アレノ』は第28回東京国際映画祭にてプレミア上映された。新作『月子』も8/26から新宿K’s cinemaにて公開される。



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