
建物をロープで倒す加藤翼 政治や経済を揺るがす芸術の力を語る
『未来を担う美術家たち 21st DOMANI・明日展 文化庁新進芸術家海外研修制度の成果』- インタビュー・テキスト
- 島貫泰介
- 撮影:垂水佳菜 編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)
社会の動きとアートは無関係ではいられない。巨大な構造物を制作し、それを大勢の力で「引き倒す」プロジェクトを手がけてきた加藤翼は、それを体現するアーティストのひとりだ。東日本大震災以前から各地で活動を積み重ねてきた彼は、震災の発生によって自らのプロジェクトを大きく方針転換した。自らの意思で破壊を起こす「引き倒し」から、協働によって構造物を慎重に動かす「引き興し」へ。それは、アーティストとしての震災・カタストロフへの意思表明であっただろう。
そんな加藤は、2015年から2年間、文化庁新進芸術家海外研修制度を利用してアメリカのシアトルに滞在。奇しくもトランプ現大統領の選挙に全米が揺れた時期。彼は、アメリカの現在と未来になにを感じたのだろうか? 滞在の成果を紹介する『未来を担う美術家たち 21st DOMANI・明日展 文化庁新進芸術家海外研修制度の成果 平成の終わりに』の参加者、加藤に話を聞いた。
震災を経験し、なにもないところにスペクタクル性を求めようとする自分自身が変わらないといけないと思いました。
—加藤さんは、巨大な構造物を大勢で倒す「引き倒し」を行ってきました。これは、どういう背景から生まれた作品なのでしょう?
加藤:そもそもアートに関わる原点は、子ども時代から見てきた東京の風景です。満員電車に乗って中学に通っているあいだ、ずっとここには刺激が足りないと思っていました。それは、人と人とが触れ合ったりぶつかり合ったりする「コミュニケーションの希薄さ」に起因するものであって、ゼロ年代の東京は見ていて寂しく感じるものでした。だからこそ、「公共」「集団性・参加性」を作品のテーマにしたんです。構造物を動かしたり壊したりすることが、刺激のない世界に自分が切り込んでいくためのイメージとしてあったんです。
―その「引き倒し」は、「引き興し」に名称が変わりました。それは、2011年の東日本大震災が関係しているのでしょうか?
加藤:震災を経験して、なにもないところにスペクタクル性を求めようとする自分自身が決定的に変わらないといけないと思いました。震災当日は関西にいて、3月12日、13日と大阪城の前で「引き倒し」のイベントをする予定で。でも、そんなことしてる場合じゃなくなり、1日目は中止にしたんです。
—いま思い出しても、3月11日はなにをしたらよいかわからない1日でした。それでも、東北の震源から距離のある西日本では、あまり影響はなかったと聞きましたが。
加藤:たしかに距離があると想像することしかできず、それも難しい。だからこそ中止にすべきだと思いました。自分たちの「想像のできなさ」を来てくれた人たち、プロジェクトを手伝ってくれた人たちと会話しながら、見えない世界、遠くの場所のことを想像しながらパフォーマンスするべきだろうと考えて、2日目は極力音を立てないように、構造物をゆっくり動かすことにしました。
力任せに「引き倒し」をすると、「ドーン」とか「メキメキ」とか、巨大な音がどうしても出てしまう。だからいろんな方向からロープを張って、全員で繊細にコントロールしながら倒す方向を調整していって、ゆっくり動くものごとをともに体験するというか……。震災直後は、みんな余震で起こる音に敏感でしたから、とても慎重に。
―その時点から「引き倒し」が「引き興し」になった?
加藤:プロジェクトの意味がはっきり変わったのはそのときですね。壊すことで生じる瞬間的なカタルシスと、そこで生まれる共体験ということだけを作品の武器にするのはもうやめようと思いました。
イベント情報

- 『未来を担う美術家たち 21st DOMANI・明日展 文化庁新進芸術家海外研修制度の成果』
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2019年1月23日(水)~3月3日(日)
会場:東京都 国立新美術館 企画展示室 2E
料金:1,000円
プロフィール
- 加藤翼(かとう つばさ)
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お互いにロープで縛られたグループが国歌を演奏する、巨大な構築物をロープで動かす、といった集団的なパフォーマンスの作品で知られる。私たちに集合を促すもの、私たちを分け隔て、傍観者にするもの、というテーマのもと、近年では、環太平洋地域(東南アジア・オーストリア・北・中・南米)のアーティストたちとのコラボレーション作品も発表する。各地を移動しプロジェクトを実践していくなかで、「集団行為を行う屋外/その記録を再生する美術館」という枠組みを設定しながら、一つのその場かぎりの出来事が、遠く離れた場所のインスタレーション空間によって、物語へと変容する仕組みについて模索している。