橋本晶子が信じる絵の力。人の意識を遠くへ飛ばす、豊かな世界

毎年、3組の若手作家を紹介する展覧会『shiseido art egg』。その2番手である橋本晶子は、日本画を学び、そこで得た知見を通してインスタレーションを作る作家だ(第一弾は西太志。参考記事:西太志の止まらない創作。互いに結びつき伸びる絵画、立体、映像)。

プライベートな手触りを持つ小さな空間のなかに、植物やテーブルといった日常の品々を描いたドローイングを配置し、さらに鏡やカーテンなどの小物を加えることで、平面と立体物が繊細に関わりあう状況を生み出してきた。

これまでの自主展示と比べて、はるかに大きな資生堂ギャラリーの空間に、橋本はどのような状況を生み出そうとしているのだろうか。

「鉛筆はようするに粉なので、どんどん落ちてく。その儚さが好きなんです」

―橋本さんは大学で日本画を専攻なさっていますが、作品ではインスタレーション的なことを試みていますね。

橋本:そうですね。最初は上村松園(日本画家。1875~1949年)の色香が匂い立つような美人画に憧れて日本画学科に進んだんです。日本人だし日本画らしい日本画を描きたい、みたいな理由で(苦笑)。そこで使われている伝統技術や素材はずっと好きなんですけど、大学の途中から「どうも自分がやりたいことと、日本画の好きな部分がマッチしてないのでは?」と思うようになりました。

橋本晶子(はしもと あきこ)<br>1988年東京都生まれ。2015年武蔵野美術大学大学院 造形研究科修士課程 日本画コース修了。東京都在住。主な活動として、『Yesterday's story』Cite internationale des arts(2018年 / パリ)個展、『It' soon.』Little Barrel(2018年 / 東京)個展などがある。
橋本晶子(はしもと あきこ)
1988年東京都生まれ。2015年武蔵野美術大学大学院 造形研究科修士課程 日本画コース修了。東京都在住。主な活動として、『Yesterday's story』Cite internationale des arts(2018年 / パリ)個展、『It' soon.』Little Barrel(2018年 / 東京)個展などがある。

―マッチしていないというのは、色彩表現や花鳥図のような主題についてですか?

橋本:そう……ですね。素晴らしい筆を使って和紙に岩絵具で塗る、というところが好きな反面、自分の表現となると、色を塗り重ねることがずっと苦手で、単色のほうが自分に合っているじゃないかと。

だったら絵の具にこだわらず、アルミの粉を細い筆先につけて描けばよいし、それって要するに鉛筆のことじゃないか、と気づきまして。それでデッサンの勉強のためにずっと使っていた鉛筆に戻ってきました。そういう経緯で、筆を離れ、和紙を離れ、キャンバスやパネルを離れ、ってやっていたらいまのかたちになりました。

『It's soon.』(部分)2018 鉛筆、紙、部屋
『It's soon.』(部分)2018 鉛筆、紙、部屋

―童話『青い鳥』みたいに、最初のところにぐるっと戻ってきたような。では、日本画を好きになったきっかけはどうでしょう?

橋本:それはもっと小さい頃ですね。両親にいろんな美術展に連れて行ってもらっていたのですが、土田麦僊(日本画家。1887~1936年)の本画(完成した絵画作品)と下図(本画に至るまでのスケッチ、下絵のこと)を展示してるものがあって、その下図を観て「絵ってすごい!」と思ったんです。

家に帰ったあと、ちょうどリンドウの花があったので、それを一生懸命わら半紙に描いて、学校の先生に見せに行ったら、それに定着液(フィキサチーフやニス)を塗ってくれたんですね。そうしたら、自分の描いたものが突如として「絵」になったように感じました。それまでは普通に絵を描くのが好きなだけだった自分が、人に認められた感じがしたというか。その経験がすごく強かったように思います。

―なるほど。だとすると、やっぱり鉛筆のような細い線に最初から興味があったわけですね。

橋本:自分が線的なもののどこに惹かれているかといえば、線それ自体ではない気がするんです。鉛筆ってようするに粉なので、定着液をかけないとどんどん落ちていきます。その儚さが好きなんです。それは絵を観るっていう経験の儚さともつながってる気がしています。

日本画に魅了され、そこから抜け出し、いまも強く固執しているわけ

―「儚さ」は橋本さんのインスタレーションにも通じている気がします。自室やカフェといった日常の空間に作品をぽんと置いていったりだとか。

橋本:1年間だけパリで暮らしたことがあったのですが、そのときに展示をしたのが、まさに暮らしていた部屋でしたね。それ以前から小さな住空間でのインスタレーションは試していたんですけど、ごはんを作ったり眠ったりする自分の生活のなかで、展示の構想を組み立てていくことを本格的に行ったのはこのときでした。

『Yesterday's story』(部分)2018 鉛筆、紙、部屋(撮影:Watson studio)
『Yesterday's story』(部分)2018 鉛筆、紙、部屋(撮影:Watson studio)

橋本:部屋がどんな状態であるのかが全部頭に入っている状態なので、部屋にあった棚や小物と自分の描いたドローイングを使って、どんな動線を作ろうかとずっと考えていました。コップとか透明ガラスをよく使うんですが、白い紙の上に置くと光が当たって影ができるんです。それから、割れてしまうかもしれないというイメージも儚さを喚起する。それ以来、ガラスは私の展示のレギュラー入りです(笑)。

―ドローイングで描いた線と、本物の影の線が混ざり合ってリアルとイメージが混濁するような印象も受けました。

橋本:「日常」と言ってしまうと言葉として簡単すぎちゃうので別の言葉を見つけたいところですが……。些細なことやもの、些細な現象、そういうのが自分には大切ですね。

―それが空間を結びつけるというか。

橋本:はい。空間のことはいつも意識していますし、目標にもしています。

いまの制作は、だいぶ日本画から離れたところで行なっていますけど、やっぱり日本画に対する気持ちはいまも強くあるんです。1枚の画面に向き合って作品の完成度を高めていくというのが画家の一般的な姿勢だと思うのですが、なぜ自分はそれをできないんだろうかと。そんな気持ちを持ちながら大学を卒業して、しばらく後に円山応挙(江戸時代の絵師)の障壁画を兵庫の大乗寺に観に行ったんです。「応挙寺」の別名で知られているお寺で、彼やその門下が描いた襖絵があるんです。

―応挙たちの作品が、一種の立体曼荼羅を形成しているとも言われるお寺ですね。

橋本:そこに行って、ものすごく腑に落ちたんですよ。応挙は立体的にものを描ける人で、絵を右から見ても左から見てもそれぞれが成立するような特殊な技法を確立しています。でも、美術館の展示で襖絵を観ても、その特殊な技法を使っている意味がよくわからないんです。

ところが大乗寺では、部屋の柱に対して直角にそれぞれの絵が配置されていて、観ている側も立体的・動的な経験として応挙の狙った効果を理解できます。さらに全部の部屋、それらを結ぶ廊下も彼によってディレクションされているので、ゆっくり廊下を歩いて、障子窓があって、そして風景が見える、みたいな経験を通して「なるほど、絵画体験ってこういうことなんだな」ってすごく腑に落ちたんです。これまでずっと日本画を勉強してきたのに、なぜ私はいままでそのことに気づけなかったんだろう、ってかなり衝撃でした。

―1枚で世界が完結するのではなく、関係性や配置によって効果を生むものが日本の絵の歴史にはあったと。まさにインスタレーションですね。

橋本:そういう古くからあるスピリットに反応して、私は日本画を選び、そこから抜け出して、そしていまも強く固執しているんだってことがわかりました。それ以来、自信を持って作品を作れるようになったところがあります。

―応挙に背中を押されて。

今回のテーマは、「ここにいながら遠くを見る」。

―今回の資生堂ギャラリーでの個展は、どんな内容を予定していますか?

橋本:やはり空間のことを扱おうと思っています。ただ、コロナウイルスのことがあって「どうなるかな?」という気持ちもあります。自粛でしばらく資生堂ギャラリーの展示スペースを見れていなかっただけ、自分の妄想が広がりすぎちゃってるんですよね。

―なるほど(笑)。

橋本:図面でどういう配置にしようか、っていうのはいつも事前にかなり検討してるのですが、今回のケースはちょっと特殊でしたよね。展示スペースにはすごく大きな白い壁があったと記憶してるんですけど、本当はもう少し小さかったかも……とか。なので、この取材のあとに確認しにいきます。

展示のテーマとしては「ここにいながら遠くを見る」ってことを体感するための空間、というのが最初にありました。なんとなく中心になるのは、これまでの展示でも使ってきたカーテン、静物の絵、それから「道」の絵です。

―道ですか。

橋本:静物は、ここで観ている人が「ここにいる」ことを補強するものとしてあるのですが、道っていうのは遠くに行くことを示唆させるためのものとして使っています。

というのは、道自体にはそんなに物語ってないんですよね。例えば映画でも、道が出てくるシーンって、次の大きな物語のつなぎになることが多い。オープニングのタイトルバックに道が映っていて、登場人物が電話でもしながら車を運転して、到着したところで物語が始まったりしますよね。

―旅の行程を描くロードムービーではとくにそうですね。

橋本:つまり道自体には何も詰まっていなくて、ここにいる私と遠くを結ぶものなんです。以前、ある喫茶店で素敵なトマトジュースを飲んでいたんです。とても赤くて鮮やかな。そこでふっと壁に視線を移したら、なんてことない道を描いたスケッチ画が飾られていて「これは完璧な構図ですな」としみじみ思いました。トマトジュースを飲んでる私が、道の絵によってどこかに行ける、意識を飛ばせるという感じが。

それまでも展示の小物に電話を使ったりして、遠いところに行くイメージは意識していたんですけど、トマトジュースと道の絵を観て「これだこれだ!」と。

―実際に、橋本さんは旅をするのがお好きなんですよね。

橋本:旅は好きですね。まぁ、いまの話はネタの種みたいなものなんですけど、案外自分にとって重要なんですよね。

私は、作品を展示することでこの空間を支配したい、自分の言いたいことのほうに鑑賞者を誘導したい、って気持ちはまるでないんです。資生堂ギャラリーは銀座にありますけど、ここに来る人には、街を歩いていたときの気持ちのままに入ってきてもらって、例えば喜んでいたり、あるいは怒っていたりする、自然な感情のままでいられるような空間を作りたいと思っています。

地上から階段で降りていくアプローチがギャラリーにはありますけど、体感センサーで足元の明かりがぽんぽんぽんと点灯するんです。そういう感じが私は好きで、作品を観に来たというよりも、すっと入って来て、回遊して、また出て行く、みたいな経験をイメージして作っています。とはいえ、予約制になるそうなので、ちょっと経験は変わる気もしますけど。

―道の話が出ましたけど、道にもいろいろありますよね。都市の騒がしい道もあれば、田舎の道もあるじゃないですか。

橋本:そういえば私は、自然の道、並木道ばかり描いてますね。なんでだろう。あまり考えたことがなかったです。銀座には自然の並木道がないからでしょうか?

―自然の道って、どこか茫洋とした感じ、匿名的な感じがあります。そこも橋本さんの世界観に合っている気がしました。

橋本:たしかに。匿名性やなんてことのなさは重要かもしれないですね。

「プロジェクションマッピングのような視覚性の強い表現がありますけど、それらと比較しても、絵が持つ『人の意識を遠くへ飛ばす力』『その飛び方の方法の豊かさ』は負けてない」

―橋本さんは、絵から入ってインスタレーションに移行しつつ、でも先ほど話されたように日本画への執着もあって、どこかにつねに絵というものへの意識をお持ちですよね。橋本さんが考える「絵」って、どういうものなんでしょうか?

橋本:難しいですよね。『shisedo art egg』にはインスタレーションとして応募してますし(苦笑)。いちばんしっくりくるのは「風景」や「ランドスケープ」という言い方です。

いまのところ、絵について私が思っているのは「絵とは遠くを見るためのもの」だということです。絵の虚構性に注目しつつ、絵のかかる壁があり、その向こう側には次の空間がある、みたいなところから現在のような作品を作り始めました。そこで意識しているのは「観ているものは果たして本当なのかどうか」。それこそまさに絵の問題ですよね。そこがスタート地点です。

―「遠くに行く」という話もありましたが、絵が一種の媒介になっている?

橋本:媒介という言葉は感覚的に近い感じがします。二次元の絵って、素朴な表皮みたいなものですけど、ここにいる私たちを遠くへ行かせることを示唆するものでもあると私は思います。それって単純なことですけど、それを意識するたびに、私は「絵ってすごい!」と思っています。

いまは写真だけじゃなくて、たとえばプロジェクションマッピングみたいな視覚性の強い表現がありますけど、それらと比較しても、絵が持っている「人の意識を遠くへ飛ばす力」「その飛び方の方法の豊かさ」は負けてないと思っています。私が紙の表面をちょっとこすっただけでしかない絵によっても何かが起こる、っていうのはすごいことですよね。

―映像やプロジェクションマッピングなどの技術は日々進化して、人間の目をわかりやすく圧倒させてくれますが、瞬間のインパクトに力をかけているぶんだけ飽きちゃいますよね。その点、優れた絵や文章は噛めば噛むほど経験が持続するところがあります。

橋本:それから絵と個人の関係性も面白いですよ。たとえば、ドアの外側と内側にポスターを貼るときに、外側はちょっと公共性のある、誰から見られてもよいものを選ぶじゃないですか。それに対して、内側は本当に自分が好きなもの、毎日見たいものを貼ると思うんです。内側に貼られたものは、当然毎日目にすることになるし、それが経験として個人に影響を及ぼしていく。そういう内と外に私は関心があるんだと思います。

それから、最近気にしているのは「手元」のことで、それは今回の展示にも反映してくる気がしています。

―手元?

橋本:この数か月は、捉えきれないことがたくさん起きましたよね。そのなかで、大きいことに私自身も飲み込まれてしまった感じがあって、まったく遠くにいる人の怒りが、気を抜くと自分を攻撃してるように思ってしまったりする。ネットを見ていると本当にそういう気分になってしまいます。

そういう大きなうねりのなかにいるけれど、それでも実際に自分が見ているのは、手元とその周辺なんですよね。そこにふとあるようなものを作りたいという気持ちがあります。自粛時はすごく小さな道の絵を描いていたんですが、それをぽんとテーブルの上に置いてみたらどうか、とか。コップの下に隠しておいたらどうだろう、とか。

―個人と社会の関わり方は、いまの時代はとくに難しいです。橋本さんの話からそのことを思いました。

橋本:さっきも言ったように、鑑賞者には作品や展示をどう思ってもらっても構わなくて。ただ、私が作ったもので、自分がここにいる、ってことは感じてほしいとは思っていて、いろんな考えを持っている人たちの、その周囲の風景を作る人として自分はありたい、という感じでしょうか。

予約制になって、その自然さは少し薄れるかもしれないですけど、むしろ予約するって行為によって「自分がここにいる」という感覚は増す気もします。それは案外悪いことではないな、とも思うんですよね。

イベント情報
『shiseido art egg 14th』
橋本晶子展

2020年10月30日(金)~11月22日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日 11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料
事前予約制

作家によるギャラリートーク
橋本晶子展

作家本人が会場で自作について解説するギャラリートークを、各展覧会開始後に資生堂ギャラリーの公式サイトにてオンライン配信いたします。

※ご予約は10月23日(金)から開始となります。

プロフィール
橋本晶子 (はしもと あきこ)

1988年東京都生まれ。2015年武蔵野美術大学大学院 造形研究科修士課程 日本画コース修了。東京都在住。主な活動として、『Yesterday's story』Cite internationale des arts(2018年 / パリ)個展、『It' soon.』Little Barrel(2018年 / 東京)個展などがある。



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