インタビュー

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

インタビュー・テキスト
大石始
写真提供:久保田麻琴 編集:山元翔一(CINRA.NET編集部)

日本最古の部類に入る、アシッドフォーク『まちぼうけ』はいかにして生まれたのか?

―『まちぼうけ』の発売は1973年3月。曲はいつごろからつくり始めたんですか。

久保田:1972年にはつくり始めてましたね。アメリカから帰ってきてラリーズもふたたび手伝うようになっていたので、ラリーズと同時進行でやっていました。曲ができたので、デモをつくったんですよ。ザ・フォーク・クルセダーズが東芝から出てたので、フォークルのセクションにデモを送ったんです。

そうしたら新田(和長)さんというフォークルのディレクターから返事があって、「東京に来ることがあったら会いにきなさい」と。行ってみたら新田さんは忙しくて、代わりに池田(壮平)という別のディレクターとつくることになった。

最初はとあるところが半分原盤を持つという話だったんだけど、私の様子を見て「このヒッピーはダメだな」と思ったのか、途中で降りちゃったんですよ(笑)。でも、半分録音してたんで、半年ほど期間を開けたあとに追加録音をして、結局東芝の原盤で出すことになったんだね。

―松任谷正隆さんはどういう経緯でプロデュースすることになったんですか。

久保田:ディレクターの池田が知り合いだったんですよ。あと、(松任谷が参加していた)フォージョーハーフがバックバンドを務める小坂忠さんのコンサートを観たんです。そのコンサートにいたく感動した。

1972年だから、はっぴいえんどは解散状態だったし(編註:1972年10月に翌年リリースの『HAPPY END』をアメリカでレコーディング、同年12月31日に、はっぴいえんどは解散。1973年9月21日に文京公会堂で解散コンサートを開催した)、池田に「フォージョーハーフ、いいねえ!」と話した記憶がある。それでマンタ(松任谷正隆)と会ったんでしょうね。

向こうも「レアなやつが出てきたなあ」と思っていたみたい。そのころマンタはピーター・ゴールウェイあたりの洗練された音楽を聴いてて、イメージが当時の私と重なるところがあったらしいんだよね。アメリカから帰ってきたばかりだからアメリカっぽいし(笑)。

ピーター・ゴールウェイ『Peter Gallway』(1972年)を聴く(Apple Musicはこちら

―では、松任谷さんとは最初からウマが合ったわけですね。

久保田:そうだね。彼は学生時代、カントリーをやっていたんじゃないかな。そういう意味ではアメリカーナ的な背景もあるし、キーボードだけじゃなくて、マンドリンも上手い。私たち世代は子どものころからハンク・ウィリアムズ(編註:1923年生まれ、アメリカのカントリー音楽における最重要人物のひとり)とか聴いてるし、私もカントリーが大好きだった。

―久保田さんの世代は、ある意味でいま以上にアメリカ文化の影響力が強かった世代ですよね。

久保田:うん、そうかもね。なにせオキュパイド・ジャパン(占領下日本)生まれだから。特に私の場合、(幼少時代を過ごした石川県の)小松には米軍基地があったし、洋画もかかる映画館で育ったわけでね。

―では、久保田さんにとってのアメリカとは、憧れの異国ではなく、もっと身近なものだったのでしょうか。

久保田:憧れの場所ではあったけど、横浜、立川、岩国なんかと同じでもう少し身近なものだった。『まちぼうけ』に関していえば、7か月アメリカをふらふらしたあとの音なんで、アメリカに対する憧れと実体験がない混ぜになっているというか。当時の私はこんなやつだったからね(と、封筒に収められた当時の写真を見せる)。アメリカに行く前はマッシュルームっぽい髪型だったんですよ。で、アメリカから帰ってきたらこうなっていたという(笑)。

久保田麻琴

―写真を見るとそんなに昔のものじゃないような感じもするんです。高円寺あたりにはいまもこういう人はいくらでもいますよ(笑)。

久保田:そう、だからわれわれは未来人だったのかも(笑)。

―冒頭の話に通じますよね。「価値観の切り取り方がモダンだった」という。

久保田:そうかも。なぜそういう切り取り方になったのか、私も本当にわからない。

「私はスピリチュアルでもないし、霊的でもないからね。ただ、どこかにそういう部分はあると思う」

久保田:でもね、当時はまったく評価されなかった。ゼロ。ひとりだけ評価してくれた人がいたんですよ。三橋一夫さんという音楽評論家で、神秘的な古代史や古神道のことも書いているような人。そういうスピの元祖みたいな人しか『まちぼうけ』のことがわからなかったのかも。

―『まちぼうけ』をつくっていたとき、久保田さんのなかにはスピリチュアルな意識があったんですか。

久保田:いやいや、私はスピリチュアルでもないし、霊的でもないからね。ただ、どこかにそういう部分はあると思う。そこは細野さんも同じ。私のじいちゃんは大正時代に映画館をつくったんだけど、その父親、つまり私のひいおじいさんはカトリックの伝道をしていたんですよ。北陸のキリシタンだった。

―久保田さんの家系はカトリックなんですか。

久保田:江戸末期にすでにカトリック、一種の隠れ。前田藩がそれじみてた。私も生まれてすぐに洗礼を受けてる、教会にはあまり行かないけど。そういう家で育ったことが、世界のどこを見るかという自分の視点と関係があるのかもしれない。

神概念というと変かもしれないけど……宮古島だって神歌を探しにいったわけではないんですよ。自分が掴まれるというか。これは自分が求めることというより、仕方がないことなんです。

―意識していないにもかかわらず、スピリチュアルな領域に足を踏み入れてしまうということでしょうか。

久保田:そういうことですね。

沖縄県・宮古島に残る古謡(アーグ)と神歌を歌い継ぐ人々の姿を捉えたドキュメンタリー。本作は、久保田自身が宮古島でこうした歌に出会い、その貴重な歌たちが消え絶えようとしているのを知ったことが出発点となった。なお久保田は、出演のみならず、原案・監修・整音までを手がける

―夕焼け楽団にせよサンセッツにせよ、あるいは細野さんとのHarry & Macにせよ、『まちぼうけ』以降の久保田さんの活動にはどこかに「リズムの探究」というテーマがありますが、『まちぼうけ』にはそうした側面がそこまで出ていませんよね。

久保田:あまりないですね。

―「歌のアルバム」という感覚が強いですよね。

久保田:私の根っこはジャズなんです。10代の多感なころに自分に突き刺さったのはデューク・エリントンやマイルス・デイヴィス、キャノンボール・アダレイで、身体の深いところを動かす音楽が根っこにあった。

フォーク的な要素というのはあとから入ってきたものだったんだけど、サンフランシコに行ってみたらみんな踊りながら聴いていて、「やっぱりこういうもんだよな」とは思っていました。

リズムについて本格的に意識するようになったのは、Dr. Johnの『Dr. John's Gumbo』(1972年)ですね。ファンクというのは理屈を超えた真実だと思ったし、深い納得があった。『まちぼうけ』は『Dr. John's Gumbo』に出会う前の作品なんです。

Dr. John『Dr. John's Gumbo』を聴く(Apple Musicはこちら
編註:同作はルイジアナ州・ニューオリンズの音楽文化をショーケース的に提示した作品として知られ、久保田のみならず、大滝詠一や細野晴臣らも魅了した。なお、細野の「トロピカル三部作」における、ごった煮の音楽観「チャンキーサウンド」の影響源のひとつとして語られる作品でもある

1977年に「THE SEAS MUST LIVE」のメッセージのもと開催された『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』より

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リリース情報

久保田麻琴
『まちぼうけ』(LP)

2021年4月21日(水)発売
価格:4,180円(税込)
PROT7103

[SIDE-A]
1. あさの光
2. かわいいお前
3. 汽車
4. ひとごみ
5. 山田氏の場合
6. 丸山神社

[SIDE-B]
1. まちぼうけ
2. 休みの風
3. Make Love Co.
4. 時は近ずいて
5. Poor Boy
6 .挽歌

プロフィール

久保田麻琴(くぼた まこと)

1949年、京都府生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。同年、軽音楽部の1学年上だった水谷孝らと「裸のラリーズ」を結成しベースを担当。大学を1年休学して渡米後、松任谷正隆プロデュースのソロアルバム『まちぼうけ』を発表。その後、夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ヒッピーカルチャー、アロハ、琉球・沖縄音楽などを独自のグルーブで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、ユニットHarry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。ライ・クーダー、レボン・ヘルムとも作品で共演している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行うほか、宮古島の古謡を題材とした映画『スケッチ・オブ・ミャーク』(2011年)の原案・整音・出演を担当。著書に『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記』(2006年、岩波新書刊)がある。

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