『テラスハウス』は「あんなのヤラセじゃん」をはね除けて、なぜ映画で挑み直すのだろうか?

『テラスハウス』の劇場版が公開されます

キュンキュンした恋をしている皆さん、今年こそそんな恋をしたいと思っている皆さん、こんにちは。そして、さようなら。皆さんは、急いで劇場に駆け込んでください。

そうではない人、改めましてこんにちは。2月14日のバレンタインから公開される『テラスハウス』の映画『テラスハウス クロージング・ドア』を前にして、キュンキュンとは程遠い私たちは、この映画をどう受け止めるべきなのかを議論してみたい。

「あいかわらず、台本はございません」

『テラスハウス』を「しっかり論じる」のは簡単ではない。この番組については「あんなのヤラセじゃん」と事情通気取りで論じた気になっている人があまりにも多く、その投げやりな見解とは同化したくない。この番組は本当に「ヤラセじゃん」の一言で論じきれるのだろうか。巨大マグロが必ずロケの最終日に釣れることや、ロケで偶然入ったケーキ屋でパティシエがばっちりスタンバイしていることと、同じ作りをしているのだろうか。

昨年9月でテレビ放送が終了したリアリティーショー『テラスハウス』。シェアハウスに集った男女の恋愛群像を追った『テラハ』の終了にファンはざわめき、一方でアンチな人々は週刊誌等で相次いだヤラセ報道に便乗して辛口コメントを自由気ままに上乗せしていった。

テレビでの最終回、メンバーそれぞれがテラスハウスを出ていき、最後に出ることになったのが2年間ずっとテラスハウスに住んできた菅谷哲也。彼がドアを開けると、そこには1人の女性が立っていた……。放送は9月で終わったが、テラスハウスは2014年いっぱい続いていたのだ。「用意したのは、素敵な家と素敵な車だけ。あいかわらず、台本はございません」と銘打たれたテラスハウスの日々が再び始まる。



強いイライラと強い羨望に二分されていく

メンバーは、その菅谷哲也、そしてドアの向こうに立っていたグラビアアイドル兼会社員の松川佑依子、ストーリーはこの二人を中心に進む。トレンディーな振る舞いで人気を博した島袋聖南が出戻り、新メンバーとして、桑沢デザイン研究所でデザイナーを目指す和泉真弥、『クイック・ジャパン』の編集者の小田部仁、バスケットボールコーチの吉野圭佑が加わり、計6人で再びテラスハウスでの暮らしが始まる。

『anan』(2015年2月10日発売号)で、コラムニスト・辛酸なめ子が『テラスハウス』に惹かれる人が多い理由を「イライラとうらやましさのバランス」と見事に分析している。ナイスな男女たちがナイスな恋愛を繰り広げるこの番組に対する反応は、強いイライラと強い羨望に二分されていく。心酔するファンだけなく、イライラするアンチの声も淡々と引き受けてきた。

「プロフェッショナルな自然体」はヤラセなのか

今回の映画、テレビでの放送回を全く知らない人が観に行くことはほぼ無いだろう。ファンを確実に満足させるために、テレビと同じ構図を貫き通す。スタジオにいる芸能人がテラスハウスの動向を見守るという構図も一緒で、メンバーたちの揺れ動きをああだこうだ観察していく。この構図は、番組の成功と無関係ではない。視聴者に「んなアホな!」と突っ込ませる前に、同じ画面の中で芸能人に突っ込ませてしまう。今回の映画では、哲也や聖南がかつて参加していたメンバーの元へ行き、「実はまだテラスハウスが続いてて、今、住んでるんだよね」と驚かせるシーンが散見されるが、そこで返ってくる「マジで?」との反応が、スタジオでの芸能人の突っ込みと重なり、ますますファン以外の外部から突っ込みにくい内輪の体制を強固に築き上げる。かと思えば、『テラスハウス』についてのムック本を作りたいという編集者を、外部の目線を持たせながらメンバーに取り込んだ判断も見事だ。

『テラスハウス クロージング・ドア』 ©2015 フジテレビジョン イースト・エンタテインメント
『テラスハウス クロージング・ドア』 ©2015 フジテレビジョン イースト・エンタテインメント

例えば女性の部屋に入ってくる男性を撮る場合、『テラスハウス』では、ドアが開く瞬間と、その瞬間の女性達の表情を漏らさず撮る。広くはない部屋の中で、3つか4つのカメラが向けられている状態では、人は自然体ではいられない。だからこれはヤラセだ……と言うわけではない。ドキュメンタリー映画監督・作家の森達也が頻繁に言うが、人にカメラを向けた時点で、それはリアルではないのである。つまるところ、この着眼に基づけば、世の中に存在するいかなるドキュメンタリーもすべてヤラセになる。

「ヤラセに決まってんじゃん」という放言だけで済まそうとする態度が浅ましいのは、逆説的だが「そんなのヤラセに決まっている」からである。ハナから分かっている。カメラを向けられれば、人は高揚する。ましてや俳優やモデル志望やグラビアアイドルがカメラを向けられれば、そこでの振る舞いは、不自然を振り切った上での自然体になる。今回登場する6人のうち1人は殆ど恋愛模様に絡んでこない。おそらく、周りが作るプロフェッショナルな自然体から取り残されたのだろう。その1人にだけ、とても好感が持てた。



贅肉の無い対話だけを繰り返す力

ライターという仕事柄、誰かにインタビューをしてまとめる機会が多いが、どんなに饒舌な、或いは理知的な話者であっても、ひとまず文字起こししてみると、要らない相づちや不明瞭な論理展開が必ず含まれている。話したまま記事が公開されてしまっては、支離滅裂な話者になってしまう。『テラスハウス』に出てくる話者は、とにかく明晰である。その場その場を動かす、目的に一直線で向かう言葉ばかり発する。編集作業で建設的な会話だけを抽出しているとはいえ、その場で求められている言葉を、各々が適確に投じてくる。

用意されたのは家と車だけで、台本はない、と言う。ふむふむ。ならば、この物語に参加した出演者の咄嗟の演技力には、目を見張るものがある。贅肉の無い対話だけを繰り返す力。それぞれの端的な言葉が奇跡的に連鎖していく。野球の攻守が、ずっとトリプルプレーで終わり続けるようなイメージ。「急なんだけど、今日の夜、空いてる?」「うん、今日は仕事が夕方までだから、夜は空いてるよ」「じゃあ、ご飯、行こっか」「行きたい行きたい、楽しみ」、無駄が全くない。

「劇場という閉ざされた場所で、想いをシェアしていただきたい」

ブログやInstagramにアップされた芸能人のすっぴん写真を見る。最低限のメイクが施されていることくらい、さすがに誰だって分かる。でも、その事をわざわざ指摘するよりも、素直に受け止めたほうが、その芸能人を好きになることができる。意地悪く指摘したところで、そのコミュニティーから排除されるだけだ。『テラスハウス』も同じ作りをしている。この物語って本当に「すっぴん」なのか、と問うだけ無駄なのだ。たちまち置いてけぼりにされてしまう。

試写会で配られたパンフレットにはこんな言葉があった。「『テラスハウス』は恋人や友人はもちろん、または見ず知らずの人々とSNSなどで互いの感想をシェアしながら見ることが出来る番組でした。でも、最後の最後は、劇場という閉ざされた場所で、大切な人とともに、または『テラスハウス』を好きでいてくださる方々同士で、同じ時間と空間で想いをシェアしていただきたい」。

2013年のYahoo!のテレビ番組検索ワードランキングは、1位「あまちゃん」、2位「半沢直樹」、3位が「テラスハウス」だった。先の2つほど視聴率が高くなかった『テラスハウス』は、確かに、鑑賞しながら生まれた感情をその都度誰かとシェアすることで、大きなムーブメントを作っていった。

『テラスハウス クロージング・ドア』 ©2015 フジテレビジョン イースト・エンタテインメント
『テラスハウス クロージング・ドア』 ©2015 フジテレビジョン イースト・エンタテインメント

ああだこうだと語らせっぱなしにする度量

今回の映画も、テレビと同様、とにかくプロの仕事の集積である。唐突だが、例え話をしたい。結婚式に参加した日、その夜に続けて開かれた二次会で、即座に編集された結婚式の模様が上映されることがある。結婚式のツボを知り尽くしたプロが編集した映像を見ると、(大変失礼ながら)「あれ、ここまでロマンチックな式だったっけ」と思うことがしばしばある。なぜ、そういう仕上がりになるのか。それは、ベタを恐がらない撮影者と、カメラを向けられて、不自然を通り越したところに自然体を用意できた特別な出演者、この緊張関係が作るロマンチックの集積が過不足なく編集されているからだ。『テラスハウス』という空間にも同じことが言える。

キュンキュンする場面がこんなにも露骨に鎮座する2時間の映画を摂取しても、少しもキュンキュンできなかったこちら。それはおそらく、(とっても忸怩たる思いだけれど)こちらに問題がある。キュンキュンにイライラしながら、あっという間に2時間が過ぎる。うらやましさはない、とひとまず書いてみるものの、もしかしたら隠しているのかもしれない。ついつい議論をふっかけたくなる映画だ。しかし、いくらふっかけても、この手のイライラを受け入れて、ああだこうだと語らせっぱなしにする度量がこのプロジェクトには根付いているのである。

作品情報
『テラスハウス クロージング・ドア』

2015年2月14日(土)から全国東宝系で公開
監督:前田真人
テーマ曲:テイラー・スウィフト“We Are Never Ever Getting Back Together”
出演:
菅谷哲也
島袋聖南
ほか
配給:東宝

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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