『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和×西島秀俊×寺島進

黒沢清・是枝裕和、2人の映画作家が傑作トークを繰り広げたセッション1。次なるセッション2では西島秀俊・寺島進という現代日本映画を代表する俳優陣が参入。「撮る」者と「撮られる」者、そしてそのどちらもが「観る」者として語った「映画の未来」は、曲がり角を迎えた日本映画界がじっくり耳を傾けるべき内容となった。豪華メンバーによるトークイベントをレポートする。

(テキスト:松井一生 撮影:小林宏彰)

自分の心の中で、映画俳優としてぶれてなきゃいいかなって(寺島)

―それでは早速ですが、寺島さん・西島さん、それぞれの10年を振り返っていただきましょう。とにかく映画俳優にこだわってきたお2人の歩みを知ることは、現在の映画の動きを知ることでもある気がします。

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和×西島秀俊×寺島進
寺島進

寺島:10年前は「俺は映画俳優として生まれて、映画俳優で死ぬ。俺の体の中には映画が住んでるぞ」なんて言ってましたけど…この10年、まるっきりテレビ俳優でね(会場笑)。黒沢清監督も呼んでくれませんしね(会場爆笑)。

―(笑)。寺島さんは以前、「これまでは映画を軸足にやってきたけど、テレビに出るようになったことで、新たな人々に見てもらえる。そして、そんな人たちに次は映画で自分を見てもらいたい」と仰っていましたね。

寺島:今はもう、完璧にぶれちゃってますけどね(笑)。でも、さっき(セッション1)フィルムとデジタルの話がありましたけど、フィルム作品に出演する時の緊張感は忘れないようにはしたいね。自分の心の中で、映画俳優としてぶれてなきゃいいかなって。

―でも、むしろ寺島さんは最近になって、よりコンスタントに映画へ出演されてらっしゃるように思えるんですが。

寺島:そんなことはないですよ。今はもうテレビ欄しか見なくなっちゃったもん(会場爆笑)。でも、映画の世界を傍観者として見られるかなって。

―西島さんには、4年前の第6回フィルメックスにて、審査員をお願いしていますよね。映画を観ることもお好きだそうですが、そんな西島さんの10年はいかがでしたか?

西島:僕はちょうど10年前に、黒沢さんの『ニンゲン合格』に出演していたんです。テレビ出身なので、やっと映画に出演できるようになったな、と感動していました。映画の俳優さんとテレビの俳優さんは、当時の僕には違って見えていたので、なんとか映画の演技に近づきたいなと、そんなことばかり考えてましたね。

10年前は映画に出ている俳優さんが、皆不可思議に見えました(西島)

―是枝さんもテレビのご出身で、映画に進まれましたよね。映画とテレビで、何か違いは感じますか?

是枝:違う…と思います。だから最近、自分の作るものをより映画に近づけるためにどうすればいいのか、スタッフワークなども含めて考えています。

―この10年で、映画はさまざまな面で変化したように思います。寺島さん西島さんは、映画の現場に俳優として参加されていて、何か感じた変化などはありますか?

寺島:監督は増えたんですけれども、助監督さんが育っていないから、撮影現場のリズムが悪くなったかな、とは思いますね。

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和×西島秀俊×寺島進
西島秀俊

西島:俳優の立場からすると、さっきも言ったように、10年前は映画に出ている俳優さんが、皆不可思議に見えました。演技も独特ですし、真面目そうに見えるのにチャランポランだったり、変なところにこだわったりもするんですよ。セットの引出しを開けて「物が入ってない!」と怒ったりだとか(会場笑)。とにかく異様な人たちだったんですよね。でも今は、テレビに出るより映画に出るほうが簡単になってるんじゃないかな。ここでいう「映画」が何かって話はさて置き。俳優のみならず芸人の方も、テレビ・映画の垣根なしに出ている気がします。

―黒沢さんは、テレビ作品や、テレビ局と絡んで映画を撮った経験はありますか?

黒沢:あります。連続ドラマではなく、2時間ドラマですが。映画を撮るのとそんなに違いは感じませんでしたねぇ。

テレビ局と作った映画もあります。『回路』(2000年)がそうですね。プロデューサーの方も、僕にいわゆるテレビっぽいものを撮らせる気はなかったみたいで、お好きにどうぞって感じでした。テレビでは出来ない変わったこと…ゴールデン枠で上映できないようなことをやってくれという依頼で、今考えると幸福な時代でしたね。テレビ局主導の映画が大ヒットするのは、その少し後の時期でしょうか。

1999年の『降霊』もテレビのプロデューサーさんに撮らせてもらいましたが、テレビなのに16ミリフィルムで撮影していい、という異例の事態でした。

―『降霊』はロカルノ映画祭で、35ミリの映画作品として、日曜日の昼間の時間に3000席もある会場で上映されましたね。終映後、どんよりした雰囲気が漂っていました(笑)。

黒沢:(笑)。16ミリで撮ったテレビ番組を、こんな大音量で流しちゃっていいのか、と冷や冷やしていましたよ。

―是枝さんは主にドキュメンタリーをテレビで作っていらっしゃいましたが、ドラマの経験はありましたか?

是枝:あります。とある深夜番組を…。キャリアからは封印しているのですが(会場笑)。やらせてもらえるのであれば、じつは連ドラをやってみたいんですよね(笑)。

日本でも海外でも、現場は同じです(西島)

―西島さんは外国人監督ともお仕事をされていますよね。日本の監督と、仕事の仕方に何か違いはありますか?

西島:いえ。監督と交渉する時も、撮影現場は基本的には日本と同じです。でも、撮影期間が大幅に延びたりすることはありますね。

―寺島さんは日本映画に出演されることに、こだわりを持っていらっしゃるんですよね。海外の映画から出演依頼も来ていると思いますが、出演はされないんですか?

寺島:別に海外でやるのも日本でやるのも変わらないので、ジャッジはいつも同じですよ。ホン(脚本)がいいかどうかですね。

『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和×西島秀俊×寺島進

映画館って、やっぱり特別な場所だった(寺島)

―お二人を見ていると、すごく自由なように思えるんです。テレビであろうとデジタルであろうと海外であろうと、ご自分の軸足をぶらさず、やりたいからやるという感じがします。そんなお二人の映画の観方・楽しみ方などをご紹介していただきたいのですが。

寺島:スケベ心で観ているような感じですね。暗闇の中の緊張感から、不思議な集中力が生まれて、お客さんの呼吸とか、笑いのタイミングを感じることができる。そこにライブ的な楽しさを感じます。同じ作品でも、上映される場所によって観客の反応は全然違いますし。

子どもの時から、映画館ってやっぱり特別な場所でした。学校をサボる口実というか(笑)。それが映画と出会うきっかけだったかな。まだ高校生だった頃、何も知らないで観た『もう頬づえはつかない』(1979年)という映画…桃井かおりさんと奥田瑛二さんが出ていて。カッコいいことやってるな、大人のカップルだな、と思ったのを覚えています。

西島:僕はこの世界に入る前は、普通に映画を観ている程度だったと思います。でも、色々な監督にお会いしたり、現場でスタッフの方々とお話する際に、いろんな作品を紹介されて。最初の頃は「なんだこれ? 全然わからん」ということが多かったんです。でも、恐らくこの作品は何かが面白いんだろうと。そう考えて、自分の価値観と闘わせていき、だんだん面白さがわかってきた感じですね。

―その作品が、つまらなかったりわからなかったりした時に、そう感じた自分とどう向き合うかで、以後の映画の観方が変わってきますよね。

黒沢:僕が大学生の頃、映画評論家の蓮實重彦さんに教わった今でも忘れられない一言があって…。「映画を観ていて、あれ? とか、おや? とか、なんだこれは? と思う瞬間。それこそが、まさに映画を観ている瞬間なんです。それに気づいたら、もうたまらない」と。以来、映画を観る時に「あれ? うわ?」と思うことが快感になりましたね。

一年の内に、こんな一日があったらいい(黒沢)

―映画を作る側の努力もさることながら、観る側にも覚悟が課せられていると思います。そのことが、より豊かな映画経験をもたらすことに繋がるんじゃないかと。映画祭に参加する体験は、そうした面から見ても面白いのではないでしょうか?

是枝: 映画祭において、映画の持つ多様性を見せていくことは、参加する側としてとても重要だなと思います。作品を直線上に並べて、受賞結果などで価値を判断するだけじゃなくて、なるべく広い面として配置してみる方がいい。自分なりの観方で映画を観られればいいんです。フランスの観客なんかは喋るのが大好きで、上映後の質問コーナーでは、僕をほったらかして観客どうしで延々議論していたんです(会場笑)。こういうのって面白いなと、見ていて思いました。

黒沢:スイスのとあるファンタスティック映画祭では、子どもから大人、おじいさんおばあさん、お酒に酔ってベロンベロンの人、とにかく街中の人々が集まってきて、実際にやっている映画はもう…血まみれのシーンが出てきたりするもので(会場笑)。上映後は、どこの誰だかよくわからない監督がやって来て、みんなから拍手喝采を送られている。一年の内に、こんな日があったらいいんだよな、と思いました。周囲の人を巻き込んで、映画祭を盛り上げているという姿勢が好きでしたね。

寺島: 海外の映画祭に行くと、喫茶店なんかでいきなり「キタノ映画に出ているヤクザだ!」なんて言われたりして。ほんとに俺は、北野監督に支えられてるなぁ、と(会場爆笑)。

―フィルメックスはこれからも、東京でしかできない映画祭とは何かを探りながら、また第20回記念の時には、こうして皆さんにお集まりいただけるシンポジウムができればいいな、と思っています。本日はどうもありがとうございました!

『東京フィルメックス』とは
2000年より始まった、東京で毎年秋に開催される国際映画祭。「作家主義」を標榜し、アジアを中心とした各国の独創的な作品を上映する。映画祭は、審査員によって最優秀作品賞が選ばれる「コンペティション作品」、世界各国の実力派監督の作品を上映する「特別招待作品」、映画人や特定の国などの関係作品を集めて回顧上映を実施する「特集上映作品」の三部構成から成る。作品の選定眼には定評があり、東京のシネフィルを唸らせている。

プロフィール
黒沢清

1955年7月19日兵庫県生まれ。立教大学在学中より8mm映画を撮り始め『しがらみ学園』で1980年度ぴあフィルム・フェスティバルの入賞を果たす。その後1983年に『神田川淫乱戦争』でデビューし、『勝手にしやがれ!!』シリーズ(1995〜96年)や『復讐 THE REVENGE』シリーズ(1997年)等を監督。1997年に『CURE』を発表し、その後も『大いなる幻影』(1999年)、『カリスマ』(2000年)、『アカルイミライ』(2003年)などを立て続けに発表し、2008年公開の『トウキョウソナタ』で第61回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門・審査員賞を受賞した。

是枝裕和

1962年、東京生まれ。1987年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出し、現在に至る。1995 年、初監督した映画『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞等を受賞。2作目の『ワンダフルライフ』(1998年)は、各国で高い評価を受け、世界30ヶ国、全米200館での公開と、日本のインディペンデント映画としては異例のヒットとなった。2004年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。その他、時代劇に挑戦した『花よりもなほ』(2006年)、自身の実体験を反映させたホームドラマ『歩いても 歩いても』(2008年)、初のドキュメンタリー映画『大丈夫であるように−Cocco終らない旅』(2008年)など、精力的に活動を行っている。

西島秀俊

1971年生まれ。東京都出身。1994年、『居酒屋ゆうれい』で映画デビュー。黒沢清監督の『ニンゲン合格』(1999年)、北野武監督の『Dolls ドールズ』(2002年)、犬童一心監督の『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)など数々の映画に出演し、日本映画を代表する俳優の一人となる。また、宮崎あおいと共演した朝の連ドラ 『純情きらり』やドラマ『ジャッジ 島の裁判官奮闘記』(NHK)など、テレビでの活躍も記憶に新しい。

寺島進

1963年生まれ。東京都出身。1986年、『ア・ホーマンス』(松田優作監督)で映画初出演。北野武監督作は、『その男、凶暴につき』(1989年)をはじめ、『ソナチネ』(1993年)、『HANA-BI』(1998年)、『BROTHER』(2001年)など9本に出演している。ほかに映画では『おかえり』(1996年、篠崎誠監督)、『空の穴』(2001年、熊切和嘉監督)など、テレビでは『アンフェア』『ヒミツの花園』などに出演している。



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