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大いなる期待を背負ったバンド「cinema staff」
インタビュー・テキスト:金子厚武(2012/06/20)
誰もがどこかで「救い」を求める現代において、同じように「救い」を求め、迷い悩みながらも、音楽への真っ直ぐな愛情を持ち続けるバンドの存在は、きっと音楽を愛する人々にとっての「救い」と成り得るのではないか? 「救い」をテーマに掲げた『into the green』でメジャーデビューを果たすcinema staffは、そんな大きな可能性を感じさせるバンドである。
9mm Parabellum BulletやPeople In The Boxを輩出するなど、2000年代の日本のギターロックに確かな足跡を残し、今なお進化し続ける残響レコード。その若手筆頭株として、ミニアルバムを3枚、シングルとフルアルバムをそれぞれ1枚ずつ発表してきたcinema staff。彼らに寄せられる期待は、かなり大きなものだと言っていいだろう。これまで多くのバンドがチャレンジし、乗り越えられなかった大きな壁。「時代を捉えたオルタナティブなバンドサウンドを、日本の音楽チャートの最上段でかき鳴らす」という使命を、彼らはメジャーデビューと共に背負い込んだとさえ言えるかもしれない。しかし、『into the green』は「cinema staffならそれが可能なのではないか?」と思わせてくれるに十分の、素晴らしい作品だった。
CINRAではこれから、数回にわたってcinema staffを取り上げる記事をアップしていく予定だが、まずは彼らのこれまでの歩みをしっかりと紹介したい。それは決して平坦な道のりではなかった。様々な偶然と必然、悩みや葛藤、そして喜びを経て、彼らはいまここに至ったのだ。
cinema staff
2003年、辻 友貴、飯田瑞規、三島想平が前身バンドを結成。2006年7月に久野洋平が加入し、現在の編成となる。愛知・岐阜県のライブハウスを中心に活動を開始し、2008年に残響recordより1st mini album『document』をリリース。現在までに3枚のミニアルバムと1枚のフルアルバムをリリースし、2012年6月に満を持して1st E.P.『into the green』でメジャーデビューを果たす。
cinema staff official web site
「オルタナかつポップ」な音楽性の背景
cinema staff(以下、シネマ)の物語は、今から10年前の2003年、地元・岐阜の同じ高校に通っていた飯田と辻が、たまたま高校近くのライブハウスで出会ったところから始まる。
飯田(Vo,Gt):僕は小さい頃からずっとサッカーしかやってなかったんですけど、高校生になったらバンドをやろうと思ってて。辻くんとは学校ではちょっと顔見知りぐらいで、音楽の話は全くしてなかったんですけど、ライブハウスに行ったらばったり会って、「音楽に興味あるんだ?」っていう話から意気投合したんです。辻くんがギターをやってることも聞いて、「じゃあ、一緒にバンドやろうか」って。
そこに、飯田がわずかな期間在籍していたサッカー部の友人で、路上で弾き語りをしていた三島を誘い、シネマの母体が完成。当初は「REAL」というバンド名だったが、大学進学と共に「cinema staff」に改名している。そして、大学の「アメリカ民謡研究会」という音楽サークルで、三島とバンドを組んでいた久野を誘い入れ、2006年7月に現在の編成となり、地元のライブハウスを中心とした活動を開始した。
久野(Dr):大学で三島くんとバンドを組んで「もうひとつ別に昔からやってるバンドがあるんだけど、そっちでも叩いてくれない?」という話をされて、無理やりスタジオに入らされまして(笑)。そこで辻くんと飯田くんと初対面して、曲を合わせて、僕の目の前で前のドラマーがクビになりました(笑)。
三島(Ba):電話には出なかったんで、クビにするメールを送ったんです(笑)。

写真左から:久野洋平(Dr)、飯田瑞規(Vo,Gt)、辻 友貴(Gt)、三島想平(Ba)
シネマの音楽性は、ハードコア、エモ、ポストロックといった、オルタナティブの流れを汲んだロックがベースとなっている。90年代の後半から00年代の初頭は、海外(主にアメリカ)のハードコアからの影響を独自に消化したバンドが頭角を現した時期であり、北海道からはその先駆け的存在であるbloodthirsty butchersやeastern youth、福岡からNUMBER GIRL、さらにはbloodthirsty butchersに影響を受けたLOST IN TIMEなども現れており、シネマにとってそうしたバンドたちはとても大きな存在だった。
特に、曲作りの中心を担う三島が当時入れ込んでいたNUMBER GIRLの影響は大きく、渋谷クアトロでのライブが収録された『シブヤROCK TRANSFORMED状態』を、「人生で一番聴いたCD」と言うほどだ。
三島:高校の途中くらいからNUMBER GIRLを聴いて、「歌なんてちゃんと歌うなよ!」みたいに考えてたところはあったと思います。すごく影響されてて、「お前はシングルコイルのギターを使え」とか「お前はテレキャスターにしろ」とか、いろいろメンバーに強要してました…今考えると完全に勘違いなんですけど(笑)。
しかし、そんなオルタナティブなサウンドを志向しつつも、シネマの楽曲というのは非常にポップでもある。それは、彼らがオルタナ以降の世代であると同時に、J-POPがメガヒットを連発していた時代の後の世代でもあるからではないだろうか。あの時代を経験したロックバンドにとって、ポップであることはイコール「商業主義的」というイメージが少なからずあって、J-POPは仮想敵であったはず。しかし、そこを直接的に経験していない彼らは、ポップであることを斜めから見るような目線は持っていないのだ。
何しろ三島はシネマの加入以前に路上でゆずを弾き語っていたような、大のポップ好き。飯田も結成当初はオルタナバンドの影響から、シャウトをするような声の出し方を志向していたようだが、自分の声質と向き合った結果、徐々にメロディを重視したボーカルスタイルを確立していく。それはもはや、バンドにとっての最大の武器とさえ言えるものだ。
















































